Kaz Laboratory  (KazLab)

Knowing the A to Z of :-)
Kazが読んだ本、考えたこと、日々の記録

神戸ハーバーランド

2009-07-30 22:42:56 | 歴史・日本・TOKYO

東京-明石-高松-福岡と車で旅してきて、再び神戸まで戻ってきた。

前日にネットで予約したにも関わらず、ホテルでは、ハーバーランドの観覧車が正面に見える広い角部屋を用意してもらえた。バルコニーが東南両面につながっていて、3on3のバスケットゲームくらいできそうだ。
かれこれ2000キロを運転してきて、翌日も自宅まで600キロ強を運転する身にはゆっくり骨休めができてありがたい。

学生の頃、当時の彼女と親に黙って2泊の旅行をした地が神戸だったので、僕にとっては思い出の地。
当時訪れた神戸はなんだかピカピカしていて、異人館や元町をあるくだけで嬉しくなったことを思い出した。
当時、学生の身としては、グリル十字屋でビーフシチューを食べるのが精いっぱいで、もっと年齢を重ねて余裕ができたら、神戸牛のステーキを(ここではビフテキというべきか)食べよう、などと思っていたものだ。

20年ぶりの神戸は想像していたより活気がない印象だったのが残念。
平日だったということもあるが、レストランやショッピングモールにも人がいなかった。
とても美しい夜景なのにデートをしてる若いカップルというのもほとんどいなかった。



それは、僕が再びこの地を訪れるまでに地震があったことや、日本が不景気だということや、関西が地盤沈下しているといわれることも関係しているかもしれない。
ただ、思い至ったのは、僕が最初に旅行したのは平成元年、のちにバブル景気と呼ばれる好景気のピークだった風景と比べていることも大きいのだろう。

僕の思い出と現在は、はたして同じ現実が連続しているのかと疑いたくなって、部屋のバルコニーから空を眺めてみたが、蒼い月は空にはなくて、黄色い三日月が一つ、六甲山の上に浮かんでいるだけだった。










世界遺産・白鷺城

2009-07-30 16:19:53 | 歴史・日本・TOKYO
娘が小さいうちは、海外に行くよりも美しい日本を見せたいと思っていて、日本に14ある世界遺産はその目的地としてちょうどいい。
東京―福岡ドライブ旅行の復路、厳島神社か姫路城どちらかに立ち寄りたいと思ったのだが、来年から改修のために5年ほど見られなくなるという姫路城に決定。



第二次世界大戦の最中、姫路が空襲に遭って街中が焼けたときに、奇跡的に無事だった天守閣を見て、人々が涙したという姫路城。



石垣のひとつひとつにも歴史の積み重ねが感じられ、よくも重機のなかった時代に、加工し積み上げたものだと感心する。





夕暮れに染まる石塀の色ひとつとっても趣深い。



しかし、なんといっても痺れるのは、この白鷺にたとえられる美しく巨大な天守閣が「木造」であること。
まさに世界に誇るべき文化です。

こんぴらさんと村上水軍

2009-07-28 22:21:25 | 歴史・日本・TOKYO
江戸時代にはお伊勢参りについで、庶民の一生に一度は行きたい旅先だったという四国・金毘羅宮、通称、こんぴらさん。憧れの旅先は、今で言うと、北極のオーロラ鑑賞みたいなものかな。



こんぴらさん名物の1368段の階段にビビりながら挑戦。
夏場ということで、カメラは重たいデジタル一眼を車に置き、コンパクトデジカメとスニーカーという格好で登ったのだが、最近鍛えてたせいか、わりにスイスイと登って拍子ぬけ。
こんぴらさんに歓迎されてたのかも知れない。



金毘羅山は航海安全の神様なのだが、それは瀬戸内の風土と歴史を考えればよくわかる。
想像していた以上に、瀬戸内は島が多く、潮の流れが急。
鳴門ほどじゃないにしても、渦がしょっちゅう出来てるのだ。
交通手段が、徒歩、馬、船しかなかった時代、瀬戸内が地政学的に重要な意味を持っていたことをこの地に立ってみるとよくわかる。



陸の大名が主役の戦国物語にジョーカーのように現われる村上水軍、その由来についてよく知らなかったので、しまなみ海道を途中下車して「村上水軍博物館」に寄ってみた。



村上水軍は、西は九州から東は塩飽諸島に至る海上交通を掌握し、戦時には、小早船を巧みに操り、火薬を用いた戦闘を得意とし、平時には瀬戸内海の水先案内、海上警固、海上運輸など、海の安全や交易・流通を担う重要な役割も果たしたのである。
まさにPIRATES OF 瀬戸内海 だったのだ。

讃岐うどんロード

2009-07-27 11:42:49 | 歴史・日本・TOKYO
かつて村上春樹がエッセイ「辺境・近況」のなかで、「讃岐でうどんを食べ歩いて人生が変わった」と書いた。それは、トスカーナで過ごしたときにワインに目覚めたインパクトに近いものがあると。
香川にいって讃岐うどんを食べないというのは、イタリアを訪れて美味しいパスタやワインを口にしないくらい人生の損失かもしれない。
そんな意気込みで食べた、讃岐うどん3軒。

辺境・近境
村上 春樹
新潮社

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■ あなぶき屋
四国高速道SAにある手打ちの讃岐うどん屋。
定食やラーメンはSAで一般的な食券方式だが、うどんだけは街中の店同様セルフ(笑)
すでに昼飯時であった徳島鳴門から名物「鯛めし」に目もくれずに香川入りして最初に食べた讃岐うどん。打ち立ての麺(小)を自分で温めて、出汁をかけていただく。ショウガと出汁の風味が讃岐にきたなぁという感じ。空腹は最良の調味料というが、讃岐うどんのスタンダードという感じでフツーに美味しいです。
屋号の「あなぶき」とは四国のゼネコン、穴吹工務店のもの。道路公団民営化をビジネスチャンスとして色々やってますねー。



■ むさし(琴平町)
こんぴら参りする前に、腹ごしらえ(?)の一杯。
実は名店「みやたけ」に向かったのだが臨時休業でした。

古民家風の落ち着いたインテリアで、器のなかに美しく整えられた「ざるうどん」をいただく。

麺がツヤツヤと輝いています。コシがあって、麺のエッジが効いていて、いいのど越しです。
ゆっくりしたときに再訪できたら、天麩羅でビールと日本酒いただいて、そのあとの〆にうどんといきたいですね。そういうのが似合いそうな店です。


■ がもう(坂出市)
前日のうちに松山まで移動するはずが、予定変更。
楽天トラベルでとったはずの道後温泉の宿が僕のミスで取れてなかった。(汗&笑)
あわててナビと携帯を駆使して宿を取る。このへんのハプニングがすっかりロードムービーっぽい。

おかげで出会えたのが、坂出の田んぼの真ん中にある「がもう」
ホテルのロビーで教えてもらった道順が、「墓場のある角を右にまがり、ひたすら田んぼのなかをまっすぐ。右手に大きな一本木が見えてきたらその下です。」って!!(笑)



これぞ、まさに映画「UDON」でみた景色。
帰宅してから本棚から取り出して10年ぶりに再読すると、村上春樹も「がもう」を訪れているのですね。

朝9時前にもかかわらず、店の周りにはすでに行列と立ち食いの人の姿が。
期待度高まります。
メニューは麺が「あつ」と「ひや」で、量が、小・中・大とある。
これに、天ぷらとかコロッケをトッピングし、熱い出汁
親父さんに「何にします?」といわれ、焦る僕。

スタバではこういう組み合わせを楽しんで「カフェラテのグランデ持ち帰り、豆乳、エスプレッソのショット追加で。スリーブつけてください。」と呪文のようにスラスラとオーダーできるのだけど、食べたいメニューの組み合わせがとっさに出ない。
これからは、丸の内のスタバやディーン&デルーカで観光客の人がカウンターでまごついていても優しい目で見てあげよう。

そんなことを思いつつ、頼みました。キツネうどん(ひやあつ)とぶっかけ(あつ)の温泉たまごかけうどん。黄金メニューと自画自賛。



小麦の香りが鼻をくすぐって、う、う、う、うまい。
温泉たまごの絡まった熱々のうどんが、のどを駆け抜けていって、ひゃー、たまらん。
うんうん、これは人生変わるかもしれない、というか、讃岐うどんなしの人生は考えられない、というくらいの満足感!!
名店「がもう」は休日ともなるとすごく並ぶらしいですが、この日は小中学生が夏休みに入っているとはいえ、平日の朝なので、落ち着いて楽しむことができました。
この体験に巡り合えたことに感謝です。
これも、こんぴらさんのお導きかな。ありがとうございます。





伊予二名洲

2009-07-26 17:22:37 | 歴史・日本・TOKYO
行く先は四国と決めている。四国でなくてはならないという理由はない。でも地図帳を眺めていると、四国はなぜか僕が向かうべき土地であるように思える。何度見ても、いや見るたびにますます強く、その場所は僕をひきつける。東京よりずっと南にあり、本土から海によって隔てられ、気候も温暖だ。これまで一度も訪れたことのない土地であり、そこにはひとりの知り合いも親戚もいない。
『海辺のカフカ』村上春樹、2002年 新潮社



この夏に家族で車で旅をしようと決めて、思いついた目的地は四国。
縁もゆかりもなくて、飛行機で行くと周遊するには不便。
どこかへいくというより”旅の目的”として本四架橋をわたってみようと思った。


神戸から明石海峡を渡り、淡路島を走り、鳴門に上陸。


明石海峡大橋


残念ながらうず潮のみられる時間帯でないので、博物館でうず潮のメカニズムについて勉強。
海の渦のなかに黄金分割の規則性が見られるという自然界の法則の不思議さに畏敬の念を抱く。


鳴門大橋


地図で見ると小さな四国だが、渡り切るのに一日では足りない。
まして、それぞれの土地や文化、歴史について知ろうとすれば何日も必要。
面積だけで見れば欧州のスロベニアと同規模。道州制というのも絵空事ではない。
金毘羅参りのあと、松山まで移動するつもりがたどりつかず、急遽泊まることにした宿から瀬戸大橋を眺める。(これはラッキー)


瀬戸大橋


四国→本州・九州の出口はしまなみ海道。
戦後の経済史に「来島」の名前が輝く時期があるのだが、いまはすっかり忘れられている。
諸行無常、という言葉は瀬戸内の海流を目の前にすると何とも心に響く。


来島海峡大橋(しまなみ海道)



脳で旅する日本のクオリア

2009-07-25 21:57:24 | 歴史・日本・TOKYO
「クオリア」とは、私たちの意識の中でとらえられるさまざまな「質感」のことである。薔薇の赤。水の冷たさ。ほほをなでる風のさわやかさ。夕暮れ時に訪れるそこはかとない寂しさ。水の甘さ。クオリアは、目覚めた瞬間から、絶えることなく私たちの意識を満たしている。物質である脳の活動から、いかにしてクオリアが生み出されているのか。この謎を解くことが、現代科学の最大の課題の一つとなっている。(P013)

 どれほど文明に包まれていきていたとしても、私たちの生から偶有性は消えない。私たちがいつしか死すべき存在であることも変わらない。大都会の雑踏の中を歩いていても、インターネット上のデジタル情報の海におぼれていても、偶有性の響きは必ず私たちの耳に届いている。「もののあはれ」は今日でも私たちの胸を打つ。そして、日本のクオリアは、私たちの生命とともにあり続けているはずだ。
 それでも、私たちは時に日本のクオリアを探しに遠くへとでかけねばならない。旅をすること。大きな空の下を移動すること。大きな空の下を移動することで、さまざまなクオリアと出会うこと。人間としての感性が揺り動かされる。魂が一撃され、旅を終えた時には人が一変している。クオリアと旅。二つの契機が絡み合うことで心は甘くかき乱される。生命は動き、主体は流されていく。やがてどこかにたどり着くまで。(P017)

そう、旅に出なくてはならない。僕は僕のクオリアを探しに。
自然、信仰、歴史、美術、文化それぞれの領域で日本のクオリアを感じてみたい。
明日から6日間、東京―福岡を愛車のワゴンでツーリング。

脳で旅する日本のクオリア
茂木 健一郎
小学館

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「ほしい」をカタチにする男

2009-07-25 11:52:49 | 経営戦略・仕事スキル・キャリア開発
嶋口内田研究会に2回目参戦。
本日の講師は「空想生活」を運営するエレファントデザイン社長の西山浩平さん。
略歴をおうかがいすると非の打ちどころのないキャリアのスーパーマンの印象なのだが、実際にお会いすると、「今の仕事の原点は下北沢で元ヒッピーの夫婦がやっていたオーダーメイドアクセサリー製作の店を手伝ったこと」に始まり、いろんなものにぶつかってここまで来たという人間味あふれる方、澄んだ眼がとても印象的。
僕は、キャリアというのは事前の計画通りには作れない、偶然の出会いやチャンスをチャンスと自覚することで築きあがっていくというPlanned happen stance 理論の信奉者だけど、西山さんのお話を伺ってまたその意を強くした。

最近、同世代で「もう日本は駄目だね、人口減っていくし、希望がない」という声を聞く。
僕はそんな意見には与してなくて、むしろ、hot でflatでcrowdedな世界で、自然豊かで、インフラが整っていて、人口が減っていく国に住んでいるということはむしろアドバンテージですらあると思っているのだが、僕なんかよりずっと世界を知っている西山さんにこの質問をぶつけてみた。

「人口が減っていくといっても日本はとても大きな市場ですからね、希望があるかどうかは、Kazさん、僕たち次第じゃないですか」

僕が期待に百点満点で応えてくださった。勇気をもらった感じである。
空想生活のビジネスモデル、「消費者の声を聞いてビジネスと顧客の間をつなぐ」というモデル自体は、割に着手容易で参入障壁も低い。もともと会員数を抱えている大手プロバイダーのほうが有利にすら思える。
西山さんの率いる組織が成功したのは、このリーダーの「顧客の声、期待に応える」ことに対する卓越したセンス、人間力が競争力、差別化エンジンであったことは間違いない。


■講師略歴 1970年 兵庫県生まれ
東京大学在学中に、桑沢デザイン研究所にて工業デザインを学ぶ。大学卒業後、外資系コンサルティング会社マッキンゼーアンドカンパニーを経て、エレファントデザインを設立。ユーザー参加型の商品化コミュニティサイト「空想生活」(http://www.cuusoo.com/)を運用。
ユーザーの工夫に仲間が集まると、ロイヤリティとなって還元される、新しい社会システムの構築を目指している。
2002年よりグッドデザイン賞審査員。
2007年にスイスに本拠地を置くWORLD ECONOMIC FORUM(ダボス会議)より、世界を変える若手リーダー250名の一人として選ばれる。
2006年より、US-JAPAN INNOVATORS NETWORKのメンバーとなる。

座って半畳、寝て一畳

2009-07-22 17:25:54 | 人脈・交遊・ネットワーキング
手取り1655円が1850万円になった営業マンが明かす月収1万倍仕事術
大坪 勇二
ダイヤモンド社

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月収を1万倍にしたセールスマンにして、処女作のビジネス本をアマゾンで1位にした大坪勇二さんはじめ、大学のOBOG諸氏と飲み会。


もともとの知り合いということでなく、昨今はやりの「勉強会」コンセプトで集まってみた。
大学の知人友人といえば大企業勤務や公務員がやたらと多いのだが、この日は、会社経営者が3人、歯科医経営2人、投資銀行員、宝くじを法被着て売っている新卒女子総合職、僕、と割にインディペンデント志向の強い顔ぶれ。
資金繰りの大変さとか、中小企業がHPや会社案内でのレファレンス率をよくしようと思ったら社長のパーソナリティを前面にださなきゃ駄目だ、とか普段聞かない話題が多くて実に新鮮。
中でも大坪さんの初めての人にも安心感を与える落ち着きとか、他人に興味を持ち、話を引き出す話術とか、翌日に備えて引き上げる去り際とか、さすがだなと思わせるところがたくさんあって本当に勉強させていただいた。

ベストセラー「月収1万倍」にサインをいただいたのだが、添えられた言葉が大坪さんの座右の銘の「立って半畳、寝て一畳」。
必要以上の富貴を望んでも、しかたがない。どんなに大きな家に住んでも、人間一人が占める面積は半畳か一畳なのだから、という意味だが、この潔さが、矛盾するようだが成功の秘訣なのだろう。

皆既日食の日

2009-07-22 12:32:11 | From mobile
皆既日食は残念ながら見れませんね。

硫黄島からの中継をワンセグでライブでみましたけど。

プロミネントが立ち上がる映像をみながら、昼間に太陽が隠れるなんて神秘的な自然現象は、暦や天文学が発達していなかった古代には、多くの解釈が生まれ、神話のモチーフとなったことだろうと思いました。

天岩戸神話もきっと、そのひとつ。

携帯電話を落としました

2009-07-21 17:11:06 | 日々の記録
ザ・インターネット [DVD]

ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

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携帯電話を無くしたのでちょっと焦った。
シャープ製携帯電話の特徴であるところの筆跡認証を利用しているので、友人知人の個人情報やメール、不正利用に使われる心配は比較的少ないのだが、Life Hack Toolとして僕の携帯依存度は結構なもの。

■何はなくとも携帯メール。飲み会の誘い、連絡、お礼もそれぞれ携帯メール。携帯のアドレスを知らないやつは親しい友人のカテゴリーに入らないといってもいいくらい。Gmailも携帯で見る。
■仕事や家族の予定、ジムのスケジュールのリマインダーも携帯。
■家族の共有スケジュールもGoogleカレンダーを携帯で把握。
■知人のブログを見るのも、SNSも大体、携帯で閲覧。
■幹事をすることが多い僕の場合、店の予約も携帯から。帰宅時などに歩きながらできるので効率的。こないだは屋形船をぐるなびで検索して予約した。
■スタバでコーヒー買うのは携帯のEdy。
■出張時の宿泊先は一休や楽天トラベルで予約する。携帯は宿泊控え代わり。
■飛行機の搭乗券も携帯、新幹線も携帯で予約。
■大量に本を買うときは携帯からアマゾン、水をダースで買うのも携帯から楽天。だって、家に持って帰るのは重いし(笑)

僕にとっては携帯電話が「世間」との接点、これがないと生活が回らない。
ドコモに連絡して、遠隔でロックをかけるとともにGPSで場所を探してもらったところ、通勤路線の忘れ物預かり所にあることが判明。
便利な世の中です。“世間から隔離された不自由”は半日で解消。

007シリーズで繰り返し登場する、MI6本部の指示ひとつでJ・ボンドのパスポートやクレジットカードが無効になったり、無線発信機で世界中どこでも居場所が特定できたり・・という設定は、いまや個人レベルで現実化していることを実感。
裏を返せば、携帯を通じた情報で僕のパーソナリティは丸裸だし、理屈上はなりすましや僕という存在の抹消も可能ということ。映画「インターネット」の世界。
便利と危険が隣あわせというのは、包丁も火薬も同じこと。
うまく使いこなさないとね。

きぼうと夢

2009-07-21 14:17:23 | 人間・家族・教育
完全版サンダーバード全記録集(ストーリーファイル)〈5〉
伊藤 秀明
集英社

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1985年の設計構想着手から24年を経て、国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」が2009年7月19日(日本時間)、完成。
「きぼう」を完成させたNASAのミッションスペシャリスト若田光一さんは大学の先輩にあたる。
経歴を拝見すると、若田さんが工学部の修士課程だった2年間と僕の大学1、2年生が重なる。
たまたま通った大学が同じというだけで、凡才の自分と非凡の人を比べても仕方ないのだが、素直にすごいと思うのは、おそらく子供の頃からの夢を実現させるための最適なプロセスを、その年代ごとにきちんとクリアしていること。その延長で、当時は空想に近かった「夢」を引き寄せ、実現させていること。

高度成長のベクトルに乗っかっていた僕らの世代は、プロ野球選手、宇宙飛行士、パイロット、世界を飛び回る外交官みたいなものを書くのが「夢のある子供」だったように思う。
しかし、当時日本人の宇宙飛行士ってものは誕生しておらず、夢は夢として大事にしようっていうのが“常識”だったのではないかと思う。有人宇宙ステーションはサンダーバードのなかの話だった。
そんな“常識”の殻を打ち破った点で、若田さんはすごい。
同じ意味で、最初のメジャーリーガー・野茂英雄さん、欧州・ブラジル・豪州でプロサッカー選手となったキング・カズ、みんなすごい。みんな同世代。

一方で、「俺なんか無理だよ」、「現実を見ろよ」、「もう若くないし」、とやらない言い訳が増えてくるのもこの世代である。
若田さんはおそらく、こんな言葉を発したことないのではないだろうか。言葉は思考を規定する。

若田先輩に遠く及ばないにせよ、願わくば、僕も周囲の人や後に続く人に夢や希望(そう、まさに「きぼう」)をささやかでも与える存在であり続けたいものだ。

学問のすすめ 現代語訳

2009-07-20 18:38:40 | 人間・家族・教育
学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
福澤 諭吉
筑摩書房

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「学問のすすめ」の斉藤孝さんによる現代語訳。
斉藤さんは教育分野での仕事が有名だが、もともとは東大法学部卒なので「学問のすすめ」のような教育・修身、法律、社会、経営にまたがるような”元祖ビジネス本”の訳者としては最適。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。
 つまり、天が人を生み出すに当たっては、人はみな同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世界のいろんなものを利用し、衣食住の必要性を満たし、自由自在に、また互いに人の邪魔をしないで、それぞれが安楽にこの世を過ごしていけるようにこの世をすごしていけるようにしてくれているということだ。
 しかし、この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しい人も、金持ちもいる。また、社会的な地位の高い人も、低い人もいる。こうした雲泥の差とも呼ぶべき違いは、どうしてできるのだろうか。  その理由は非常にはっきりしている。『実語教』という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である」と書かれている。つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。  
 また世の中には、難しい仕事もあるし、簡単な仕事もある。難しい仕事をする人をする人を地位の重い人と言い、簡単な仕事をする人を地位の軽い人という。およそ心を働かせてする仕事は難しく、手足を使う仕事は簡単である。だから、医者・学者・政府の役人、また大きい商売をする町人、たくさんの使用人を使う大きな農家などは、地位が重く、重要な人と言える。  
 社会的地位が高く、重要であれば、自然とその家も富み、下のものから見れば到底手の届かない存在に見える。しかし、そのもともとを見ていくと、ただその人に学問の力があるかないかによって、そうした違いができただけであり、天が生まれつき定めた違いではない。(p10)


有名なこの文は福澤先生が明治4年に故郷の中津で学校を開くにあたって示そうとして書いたもの。
明治の御一新によって、アンシャンレジームが崩壊したときに身を立てるが学問、特に実学であることを説き、この文に影響を受け、実際に成功した人が多かったために『学問のすすめ』が読み継がれる名著となったのだろう。
 平成の今が、価値崩壊の過程であるのか、価値構築の過程であるのかは後に振り返らないとわからないけれども、身を立てるのに必要なのはいつも学問、ということは肝に銘じておきたい。

先生はこうも言う。格差社会とか政治混迷の本質は、明治も今も変わらない。

 世の中で学問のない国民ほど哀れで憎むべきものはない。知恵がないのが極まると恥を知らなくなる。自分の無知ゆえに貧乏になり、経済的に追い込まれたときに、自分の身を反省せずに金持ちをうらんだり、はなはだしくなると、集団で乱暴をするということもある。これは恥知らずであり、法を恐れない行為である。世の中の法律を頼りにして、身の安全を保って社会生活をしているにもかかわらず、依存するところは依存しておきながら、都合が悪くなると自分の私利私欲のために法律を破ってしまうやつがいる。矛盾していないだろうか。  
 もともと家柄がよく、財産があるものも、お金を蓄えることは知っていながら、自分の子供や孫をきちんと教育することを知らない。きちんと教育されなかった子どもたちが、また愚かになっていくことも不思議ではない。そうした人間は、やりたい放題をするようになって先祖から受け継いだ財産もすぐになくしてしまう。こうした愚かな民を支配するには、道理で諭しても無理なので、威力でおどすしかない。  
 西洋のことわざにある「愚かな民の上には厳しい政府がある」というのはこのことだ。これは政府が厳しいというより、民が愚かであることから自ら招いたわざわいである。愚かな民の上に厳しい政府があるとするならば、よい民の上にはよい政府がある、という理屈になる。いまこの日本においても、このレベルの人民があるから、このレベルの政府があるのだ。(P18)


水の作用の奇跡

2009-07-19 20:49:54 | 宇宙・地球・環境・生命科学
陸が造山活動によってできた「火成論」の世界だとすれば、海との境界面にできあがる水成論との合作による地形は、私たち自身の生命にもともと近しいはずだ。身体の中には、DNAとい硬い情報の連鎖があり、それをやわらかな細胞体の水が包んでいる。(中略)入り口で上から降り続けている水滴を見上げると、それがふわっと光の糸になった。火成論に水成論、それに光の作用の一撃が加われば、もうそれで生命の誕生の条件に近いのだろう。(P093)

私たちの慣れ親しんでいる雨は、よほどのことがない限り光学のマジックを見せることなく、面や立体として迫ってくる。(中略)ある一定の条件が満たされた時に地上に生まれる水の作用の奇跡。その系譜の中に、私たちの生命はある。(P094)


脳で旅する日本のクオリア
茂木 健一郎
小学館

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なるほど。
虹という気象現象を、生命誕生と関連付けて考えたことはなかった。
久々に見た虹を感動とともに新鮮な気持ちで眺める。

暑気払い@屋形船

2009-07-16 22:33:46 | 日々の記録
カイシャの暑気払いと送別会で貸し切り屋形船。



いまのカイシャでのオフィシャル飲み会は、銀座の適当に洒落たレストランで軽く食事して解散というあっさりしたパターンが多いのだけど、今回は僕のグループが幹事だったので、イベント用にパワポまで準備して、日本の伝統的宴会を演出してみた。

こういう機会に同僚(=幹事にとっての顧客)を楽しませられなけりゃ、クライアントインタレストファーストなんて言えなくなる。
「屋形船って冷えた天麩羅しかでないだろ」なんてバブル時代の記憶を引きずる40代とちがって、意外に若い世代は、屋形船はじめてという人も多くて結構楽しみにしてもらってたみたい。



部下も素晴らしい気配りで幹事団を頑張ってくれて、自画自賛するわけにはいかないけど盛況!
たけど、何て言っても今日の一番の貢献者は天気!


晴れた夏日、船上で揺られてお台場の夕暮れを見る。
なんともいぜ心地よい潮風が頬をなでる。