私の子宮内膜症・不妊治療・双子育児

20代前半から子宮内膜症になり、その後体外受精にて双子を授かった、ドタバタストーリー

プラノバール服用終了

2008-03-20 23:37:39 | Weblog
昨日で最後のプラノバールの服用だった。飲み始め3日間くらいは、強い副作用を感じたがその後はごく普通に生活できたのでよかった。前に医師からの説明のあった通り、やっぱり「もう若くはないんだなぁ~」と寂しくなった。今日はお腹が張るし、生理直前の嫌な痛みもあるから、きっと明日には生理がくるんだろうな・・・。今はメチャメチャ体がだるいし、生理がくればこのだるさは3日位続くから双子との生活をどうしよう・・・と悩んでしまう。私はグタグタでも、彼らはいつも通り元気だから困ったものだ。明日はどう過ごそう

術後4日目

2008-03-17 23:12:46 | Weblog
 昨日から、ほぼ普通の生活が出来ている。ただ、アルコール固定をした卵巣が昨日までは痛んだが、今日はあまり痛みを感じなかった。内膜症の普段の痛みはいつもどおりある。これはしょうがないな~。はげしく動いた時に、左卵巣の重みを感じることがなくなったような気がする。
 術後の出血も殆どなく、入院の持ち物に「夜用ナプキン1袋」と言われていたが、1袋も要らないと思った。二つあれば十分なような。それより、普通用ナプキンと少ない日用が必要だと思う。術後と夜は念のため夜用ナプキンをしておいたほうが無難だろう。退院時は普通のショーツで十分なので、普通のショーツも忘れないようにしたい。普通のショーツに少ない日用ナプキンをして退院した。持ち物に「夜用ナプキン1袋」って記載を見たときは、どんなに出血するんだろ~って、すごくビクビクしてた。
 次の診察は1ヶ月後だ。

チョコレート嚢腫のアルコール固定術

2008-03-15 23:04:56 | Weblog
 おとといアルコール固定術のため入院し、昨日退院しました。その詳細についてお話します。
 当日7時以降は絶飲食になり、11時に病院へ。手術は13時から15時の間に行われるはずが、とっても早まり、病室に入り点滴が開始。11時45分に筋肉注射が腕にうたれました。12時に分娩室に移動します。その時の持ちのもは、整理用ショーツに夜用のナプキンを1枚。血圧計を右手にはめられ、左手は点滴と酸素濃度を測る器具を指に・・・。そんな状態で分娩台で横になってました。すでに眠くなっていました。まだ、静脈麻酔は入ってませんでした。12時20分に主治医が見えました。「では・・・」との声で脚を台の上に置き、目隠しをされ・・・「えっ!何?もう始まったの???」ひたすら考えてました。意識はあるような、無いような・・・痛みは感じないけど、頭の中がグルグル状態。子供のプラレールが周っているようでした。だんだん周りの声が聞こえてきました。ショーツを履かしてもらっているようで、体を動かされるたび、めまいのように頭の中がひどくグルグル周りました。ベッドに移される時も、すごく疲れました。なんとなく声が途切れ途切れに聞こえるのですが、目が開きません。手術時間は40分。分娩室に入り1時間強で出てきたようです。旦那さんは採取したチョコレート嚢腫の内容物を見せてもらいました。血の色とはいえない、真っ黒な液体で80ml採れたそうです。ちなみに私の嚢胞は5センチです。手術室から出て二時間後、トイレに行きたくなり、がんばって目を開けてみます。とにかく眠い!旦那さんと看護婦さんに両脇を抱えられトイレへ。用は自分で足せました。その後もベッドへ戻り、ずっと座ってひたすら横にいてくれる旦那さんに感謝しながら、お礼の言葉もなかなか声が出ません。また眠ります。17時頃、やっと眠りから覚めます。その後1時間弱の抗生剤の点滴が入り、終了後、点滴の管は抜けました。もう自由です!やっとの食事です!お腹はペコペコ。私の食事の片づけをし、旦那さんは帰りました。その後売店に行き、雑誌と小さいカップラーメンを買い食べました。消灯は21時30分です。しばらくは雑誌とメールで暇を潰しました。結局眠いので、消灯前に寝てしまいました。
 早朝4時に目があきました。ベッドが硬いので背中が痛くて起きてしまいました。6時30分に採血で起こされ、8時に朝食。その後も退院診察に呼ばれるまで、眠ってしまいました。10時に退院診察で内診がありました。そして、今回の手術についての説明を受けました。私の場合、麻酔の効きが悪く、追加追加で最後は強いものに変えた位、麻酔が効かなかったようです。採取したものは、かなり濃度が濃かったので、吸い出すのが大変だったようです。6年前に嚢胞は5センチだったので、そのまま昔のものだったのかな?2・3日はシャワーのみ。性交渉は一ヶ月はダメだそうです。
 退院日も眠くて、帰宅後、昼寝も二時間以上眠り、夜もスグに眠ってしまいました。1泊2日で手術時間は40分ですが、体にはかなり負担がかかったんだな~と思いました。昨日、変化を感じた事は。左側の卵巣に嚢胞があったので、右側を下にして横になると、左の卵巣が吊る下がって重たい感じがあったが、それがなかったです。80mlって少なそうですが、軽量カップではかってみて、それがドロドロのものだったら、結構な重さです。まだ術後のシクシク感があるので、圧迫痛の改善は良く分かりません。もう少し時間がたったら、ガードルで試してみたいと思います。

明日は必ず来る!

2008-03-12 22:35:56 | Weblog
 いよいよ明日にせまった手術。なんだか子供に振り回され、手術の事を考える暇もない。入院の支度もまだ完璧ではない。あぁ~、こんなんで当日私の精神は正常でいられるのか?まったくシュミレーションが出来ていない。早朝から絶飲食になるので、ビールを飲んで寝よう

恐怖感

2008-03-08 23:01:15 | Weblog
 手術が近づいてくるのは、やっぱり怖い。全身麻酔じゃないから、この程度の恐怖感なんだろうが、夜中、手術のことを考えると怖くなって叫び発散したくなる。アルコール固定で上手くチョコレート嚢腫の中身を注射器で吸い出せればいいのだが、固まってしまっている場合もあるそうだ。その場合は、もちろん手術は終わりで別の手段の手術をしなければならない。とにかく、このままチョコレート嚢腫を持ってることは、卵巣癌になる恐れもあり危険だそうだ。また、アルコール固定は病組を切ることが出来ないので、手術後数ヶ月で卵巣が大きくなってしまうこともあるそうだ。やはりそうなったら、次は全身麻酔の手術になる。今でさえこんなに怖いのに、全身麻酔になったら鬱になってしまいそうだ。私は全身麻酔のかかる時と目覚めた時と一晩明けるまでが一番嫌だ。
 今回の手術は、膣から注射器で卵巣を洗浄する方法。これに似た手術は、体外受精をやるときに、採卵でやったことがある。痛かった~。同じ手術を友達もしたが、彼女は「全然痛くなかったよ~」とO型らしい感想だった。手術室から出てきた私は眠っていたにもかかわらず、旦那さんの話では、涙を流しながら「痛い!痛い!」と、うなっていたそうだ。なんとなく記憶があるのは、眠ってはいたが、針を刺される度(多分)、頭の中がグワァ~ッっと周る感じだった。周りの様子も四次元の世界のように見えた。点滴で眠っているはずなのに、神経質な私はしっかり眠れてなかった。今回は採卵の時より時間は長い。40分間だ。40分あの不思議な痛みと戦うと思うと怖い。だが、やるしかないのだ。人生、仕事も生活も逃げようと思えば逃げれることが殆ど。でも、自分の体の治療からは逃げることは出来ない。私は手術台に上る時、いつも「これがまな板の鯉なんだ」と実感する。

プラノバール服用

2008-03-07 22:24:10 | Weblog
 昨日から生理周期を整える薬を飲み始めた。来週の卵巣嚢腫アルコール固定術にむけてだ。通常なら飲む必要は無いだろうが、私は何かあるとどうしても周期がが乱れてしまう。手術は生理日を避けなければならないので、当日の生理を避けるためだ。先生から薬の説明は「つわりのような症状が出ますが、我慢して飲んで下さい。」とのこと。確かに20代に飲んだ時は、ムカムカがひどかった。そのことを先生に話したら、若いほど症状が出るそうだ。今回は・・・。多分副作用を知っている分、過敏に思ってしまうのだろう。夜に1錠飲んで、寝るころからムカムカとし始め、午前中10時頃まで結構辛い。んっ?まだ若い部類に入るのか???そんな訳ないな~。
 卵巣のチョコレート嚢腫が小さくなったら、ガードルを履くのが夢!今まで、お腹を締め付けると、圧迫痛で下痢になったりしたので、お腹が緩い服ばかり着てきた。部屋着は常にワンピースだし。こんな毎日で腰周りにお肉がついてしまった。ガードルを履き、姿勢を良くし、元気になったらダイエットにも励みたいなっ☆

去年と今

2008-03-05 00:10:39 | Weblog
去年の3月のことを思い出してみた。確か、沖縄のホテルの早期予約でルネッサンスリゾートが取れたので、ダイエットに励み出した時期だ。子供が寝床に行ってから(寝かしつけは旦那さんなので)、ビーリーズブートキャンプをやっていた。しかし、今は体は疲れきっていてとても出来ない。多分今年も沖縄に行くだろう・・・。だたルネッサンスは大浴場が長期の工事に入るので、今年は他のホテルを探すつもりだ。ホテルが取れていないから、ダイエットのやる気が起きないのか?でも、絶対去年より夕方になると体はぐったりしてしまっている。どうしてこんなに疲れているのか考えてみると、多分、この一年で子供は大きく成長し、会話も増え、行動範囲も広がった。その辺が原因なのか、私の体力が子供の成長に追いつかないんだろう。姉は若くして子供を育てたので、暇な時は子供と二人でカラオケに行ったりしたと言う。私には出来ない。カラオケ自体、一人で行けないし、まして行ったとしてもその日の家事はそこからストップしてしまうだろう。若さとはスゴイと思う。恥ずかしいとか、疲れ知らずだ。それに姉はその頃が一番楽しかったと言う。なんとも羨ましい~。子供と親と言う関係ではなく、友達のような感覚なんだろう。私は親としての思いが強いため、環境の悪いところは避けてしまうし、出先でも子供の躾を気にしてしまう。その為余計疲れるんだろう。いろんな子育てがあるが、若くしての子育ては楽しそうだな・・・。

2歳7ヶ月の双子との1日

2008-02-28 22:50:10 | Weblog
 朝7時30分に二人を寝床からリビングに連れてくる。リビングはホットカーペットが点いているので二人はそのまま居心地がいいのか眠っている。和室で雑魚寝をしているため、朝布団を畳むのはかなりの重労働。そのため旦那さんが出勤前に二人をリビングに運び布団を畳んでいってくれる。二人を起こすまでの間に、今日は体操教室なのでお弁当をつくる。そして8時15分に「いないいないばぁ!が始まるよ~」とテレビをつけ二人を起こす。この時、グズグズのクタクタの二人の着替えを無理矢理してしまう。ぐずるので結構時間がかかる。そのうち「お母さんと一緒に」が始まり、夢中になっている間に朝食を準備する。8時45分に朝食。テレビは自主的に消してくれる。私はテレビが大好きだったが、子供が1才位になってからあまりテレビに固執しなくなった。理由は多分・・・育児で静かな時間があまりに無さ過ぎたからかもしれない。10ヶ月位までは昼寝が一日二度あったが、その後は昼寝が一回になり、二人の泣き声や喧嘩やおしゃべりで、私の頭がパンクしそうになる。そんな中テレビの音もいつしか雑音になり、決まった量しかテレビをつけなくなった。子供もテレビへの固執がない。話は戻って、9時過ぎに朝食終了し、子供達は少しご機嫌になり、私は子供のおしゃべりに付き合いながら家事をする。洗濯干しも庭に一緒についてきてしている。最近はサンダルを自分で履けるようになったので、自分で勝手に履きついてくる。そうこうしている間に10時近くになり、おやつの時間。今日は「ポケモンパンとヤクルト」。オムツを変え10時15分出発。体操教室は10時からだが、いつも遅刻。ただ気楽にいけるのは、先生が「来ることが勉強だから、遅刻は関係ない。終わりの出席シールだけ貼りにきてもいいよ~」と言ってくれるので、きっと続いているんだろう。体操教室が11時30分に終わり、数人でお弁当をたべる。12時30分に帰路に。途中市役所と、買い物による。13時に帰宅。おやつの焼き芋を電子レンジにかける。50分くらいかかるので、その間に洗濯物を一緒に取り込み、リビングの片づけをする。そのうちに焼き芋が出来上がる。綺麗になったリビングにお昼ね布団を用意し、「のりもの探検隊」の電車のビデオをみながら、焼き芋を食べる。ビデオは30分間。焼き芋を食べるのに丁度いい時間だ。ビデオが終わったら、布団を敷き3時に寝る。二人は15分もあれば眠りにつく。今日は無性にケーキが食べたかったので子供が昼寝をしたら食べようと買ってきたが、残念なことに私も爆睡状態になってしまい、未だに食べず終い。「今から食べると太るしな~」硬くなったケーキを明日たべようか・・・。夕方5時過ぎに起こすがなかなか起きない。まぁ、私も5時まで眠ってしまったし。5時から30分間だけ、またNHK教育を4人で見る。その後旦那さんが帰宅し、私は夕食作り。6時30分に夕食。8時までに二人で協力しながら、子供と遊びながらすべての家事を済ませる。8時過ぎに4人で風呂に入り、9時にパパが絵本の読み聞かせをし、そのまま寝かしつけてくれる。と言っても、旦那さんも一緒に眠ってしまう。10時30分に旦那さんを起こしにいき、夫婦でビールを飲み、今日は「ラブちぇん」を見よう!

双子訓練

2008-02-26 23:47:46 | Weblog
最近は毎日忙しく予定を振り分けるのが大変。これも旦那さんの双子訓練のおかげ。去年の夏くらいから訓練がはじまった。自宅の近くには単線の電車が走る。1時間に上下と1本づつだが、朝・夕方は比較的遭遇することが多い。旦那さんの帰宅が早い夏は毎日のように二人を連れ電車を見に近くの駅まで散歩してくれた。私は家で夕食の支度をする。その散歩で二人はきちんとついて歩くことを学んだ。秋くらいには散歩が上手になり、今度は私が昼間暇つぶしに駅まで二人を連れて散歩できるようになった。冬はさすがに寒いので、旦那さんの夕方の散歩はおやすみ。その代わりに、休日の男だけのデートが始まった。ホームセンターやマックにミスド。お金はかかるが、一人で二人を連れ抱っこが出来ないことを学ばせた。そのおかげで、今は私一人で二人を連れショッピングセンターに買い物にいけるようになった。いままでは、夕方旦那さんの帰宅後、二人を見ててもらって、私が買い物に走ったり、夕方病院に行ったりしていたが、今は買い物も昼間の内にすませられるようになった。そして病院も連れて行けるようになった。ただ、いままであまり公共の場に出てない二人は、買い物や病院は疲れるらしく、昼寝が上手に出来るようになり、スグに寝るのはいいが、なかなか起きない時は困ってしまう。同じように私も疲れるのか、彼らと同じくらい昼寝をしてしまうため、家事が片付かないこともある。たまにぐったりと眠ってしまい、金縛りのようなものに遭遇してしまうことも。。。とにかく子供にはまずルールを教え込むことが大事だと思う。それには旦那さんの協力が一番。パパは子供にとっては、偉大な存在。ダメなことは絶対に許さない。そんな人間が子供には必要なのかもしれない。

第一回人工授精の時のこと

2008-02-23 23:17:09 | Weblog
 第1回人工受精(AIH)にむけての排卵誘発剤の投与が始まった。排卵誘発剤はhMG製剤のホルモン注射薬。月経の第3~5日目ぐらいより開始し、7~10日間程度続ける。この注射による多胎の頻度は20~30パーセント。うち大半が双胎を占めるそうだ。
 当時は仕事をしていたので、夕方婦人科に毎日通うのは結構つらかった。ただ行くだけの病院ならいいが、卵胞の大きさを確認するため、たまに内診をするので、シャワーを浴びに自宅に一旦帰らなければならなく面倒に思えた。注射を打ちはじめて、だんだんお腹が張ったような感じになり、吐き気もともなった。仕事も手につかず、何度かトイレに走った。丁度、職場の職員旅行もあったが、あまりに気分が悪かったのでキャンセルした。先生に辛いと相談したら「体が敏感なんですよ。」と言われ、治療はつづけられた。自分の選んだ先生ではなかったので、納得がいかなかった。
 人工授精当日(排卵日)。朝、自宅で旦那さんの精液を所定の容器に取り、採取後1時間以内に病院へ持っていく。そこで精液は洗浄・濃縮という操作の後、子宮内に特殊な注入器により注入される。この治療は診療費に加え1万の費用がかかった。また、旦那さんの精液は良い精子をつくるため、採取の1週間前に二度射精をし、古い精子を出しておき、その後1週間禁欲し溜めたもので行った。
 お腹はどんどん張り、かなり苦しかった。でも、この張りは妊娠が成立していなければ引いていくそうだ。
 結果は・・・生理が予定通り来た。まあ、そんなに簡単に妊娠は出来ないか~となんとなくは知っていた。そして、従来から希望していた院長の診察に切り替えた。
 不妊治療とは最初の勇気だと思う。勇気と言うか、きっかけ。一度病院の門を叩けば、あっという間に治療が進んでいく。こちらが考える余裕も無いくらい・・・「これがダメなら次はこれ・・・」と言った具合に進んでいく。でも、そうでもしてもらわなければ、いつまでたっても妊娠は出来ないと思った。当時は不妊治療の忙しさについていくのが大変に感じたが、今となっては、院長の強引さが私には一番必要だったんだと感謝している。