嘘と法螺(ほら)
と聞くとどのようなイメージを持ちますか?
恐らく、「嘘」は「法螺」よりも悪いというイメージを持つ人が多いでしょう。
手持ちの辞書で調べてみると…
【嘘】とは、事実でないこと。いつわり。
【法螺】とは、いいかげんなことをいうこと。
という意味だそうですが、細かいニュアンスの違いまでは確認できません。
『五本能人生論』(直江昶 著)によると、【法螺】とは仏教経典の中に出てくる言葉で、“神秘的作話”のことだそうです。
つまり、「嘘か本当か分からない話」という意味であり
「でたらめと決めつけるわけにも行かないが、本当であるという証拠もない」事を法螺というそうです。
法螺は“神秘的作話”なので、信じていても害になるわけではなく、益になることさえあります。
というのも、「悪いことをしたら神様に見られている」だとか「犯罪を犯したら地獄へ行く」
などの宗教的作話を信じていて損にはならない(得になるかは微妙…)からです。
対する嘘というのは有害で、これを信じることを“だまされる”といいます。
さて、今回のテーマは“自分に嘘をつかない”です。
ここで、人との信義を誠実に貫いた季札(きさつ)という中国の人の話を取り上げてみます。
季札は中国の呉という国の王様の末子でした。あるとき、呉よりも発展した周の国に用事があって旅に出ますが、
その途中に徐(じょ)という国に立ち寄って、そこの王様である徐君(じょくん)にもてなしをしてもらいました。
そのとき季札は腰にすばらしい剣をさげており、徐君はその剣がとても欲しかったのです。
しかし、決して「ほしい」と言うことはありませんでした。季札は徐君の気持ちがよくわかっていましたが、
周の国に行くためにその剣が必要でしたので、用事が済んだ後に徐君に譲ってもいいと思い、口には出しませんでしたが,心の内ではそう決めていました。用事を済ませて周の国から帰る途中に季札は、徐君のもとへ再び立ち寄ったのですが、徐君は亡くなっていました。
そこで季札は、徐君の墓に植わっている木に自分の剣をかけて帰って行きました。
季札の家来は「徐君はすでに亡くなっているのです。剣をあげてしまっては無駄ではありませんか」と言いました。
そのとき季札は、「徐君はもう亡くなってしまった。しかし、私は徐君に剣を差し上げようと心の中で約束したのだ。
亡くなったからといって約束は約束だ」と答えたそうです。その後、徐の国の人はこの季札の行動に感動して歌にして詠み讃えていったのです。
この話では季札と徐君は、実際に口に出して約束をしたわけではありませんでした。
なので、季札は剣を徐君に譲らないといけない理由はどこにもないのです。そして、家来の言うように「無駄なこと」だったのかもしれません。
しかし、季札は自分の約束に忠実で、決してそれに背こうとはしませんでした。
この季札のように“自分に嘘をつかない”という生き方は本当にすばらしい生き方だと思います。
《Tomiyama tenyou》
と聞くとどのようなイメージを持ちますか?
恐らく、「嘘」は「法螺」よりも悪いというイメージを持つ人が多いでしょう。
手持ちの辞書で調べてみると…
【嘘】とは、事実でないこと。いつわり。
【法螺】とは、いいかげんなことをいうこと。
という意味だそうですが、細かいニュアンスの違いまでは確認できません。
『五本能人生論』(直江昶 著)によると、【法螺】とは仏教経典の中に出てくる言葉で、“神秘的作話”のことだそうです。
つまり、「嘘か本当か分からない話」という意味であり
「でたらめと決めつけるわけにも行かないが、本当であるという証拠もない」事を法螺というそうです。
法螺は“神秘的作話”なので、信じていても害になるわけではなく、益になることさえあります。
というのも、「悪いことをしたら神様に見られている」だとか「犯罪を犯したら地獄へ行く」
などの宗教的作話を信じていて損にはならない(得になるかは微妙…)からです。
対する嘘というのは有害で、これを信じることを“だまされる”といいます。
さて、今回のテーマは“自分に嘘をつかない”です。
ここで、人との信義を誠実に貫いた季札(きさつ)という中国の人の話を取り上げてみます。
季札は中国の呉という国の王様の末子でした。あるとき、呉よりも発展した周の国に用事があって旅に出ますが、
その途中に徐(じょ)という国に立ち寄って、そこの王様である徐君(じょくん)にもてなしをしてもらいました。
そのとき季札は腰にすばらしい剣をさげており、徐君はその剣がとても欲しかったのです。
しかし、決して「ほしい」と言うことはありませんでした。季札は徐君の気持ちがよくわかっていましたが、
周の国に行くためにその剣が必要でしたので、用事が済んだ後に徐君に譲ってもいいと思い、口には出しませんでしたが,心の内ではそう決めていました。用事を済ませて周の国から帰る途中に季札は、徐君のもとへ再び立ち寄ったのですが、徐君は亡くなっていました。
そこで季札は、徐君の墓に植わっている木に自分の剣をかけて帰って行きました。
季札の家来は「徐君はすでに亡くなっているのです。剣をあげてしまっては無駄ではありませんか」と言いました。
そのとき季札は、「徐君はもう亡くなってしまった。しかし、私は徐君に剣を差し上げようと心の中で約束したのだ。
亡くなったからといって約束は約束だ」と答えたそうです。その後、徐の国の人はこの季札の行動に感動して歌にして詠み讃えていったのです。
この話では季札と徐君は、実際に口に出して約束をしたわけではありませんでした。
なので、季札は剣を徐君に譲らないといけない理由はどこにもないのです。そして、家来の言うように「無駄なこと」だったのかもしれません。
しかし、季札は自分の約束に忠実で、決してそれに背こうとはしませんでした。
この季札のように“自分に嘘をつかない”という生き方は本当にすばらしい生き方だと思います。
《Tomiyama tenyou》
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