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死ぬ理由があれば人間は死んでもいいのか? その1

2009年03月24日 | ひとりごと
あまり突っ込みすぎると宗教的なテーマになってしまいそうなのでほどほどに。


「安楽死」というワードをgoogleの検索欄に入れると、予想で「安楽死施設」が出てくる。
皮肉なことに、そのすぐ下には「安楽死 反対」というワードも予想される。
 安楽死施設なんていう施設は日本にはない(裏社会にはあるかも)。だがそれにも関らず、それを望んでいる人間が多くいるのは確かなことだ。
 ここでいう安楽死つまり自殺については、様々な団体がその執行に反対、または嫌悪している。だが、死ぬこと自体の意味、ましてや生きること自体の意味を本当に理解している人間がいるのだろうか?
 反対している者の意見は大抵「残された家族が悲しむ」や「神の意志に逆らう行為」と論じている。
しかし、前者の意見は保険金が絡むと見方が変わる。後者は言うまでもない。
 自殺について考える場合、二つの視点がある。
一つ目は“自殺者から見て自己の行いが適切かどうか”
二つ目に“他者から見て自殺者の行為は望ましいかどうか”だ。
一つ目の視点は満たしていても、二つ目の視点を満たしていないケースは数知れない(その逆も然り)。つまり、自殺についての見方にも意見の食い違いがあり、その善悪を客観的に捉えるのは間違っているのではなかろうか?
 自殺についての議論を紛糾させるのが「巻き込み自殺」である。特に難解なテーマとなるのが妊婦の自殺だ。
唯一人の自殺ではなく、胎児という生命まで巻き込む場合は自殺論の擁護者の中でも意見の別れるところとなる。
このようなテーマにおいて、必ず出てくる意見として「妊娠何か月ならいいのか?」があるが、このような意見にあなたはどう感じるだろうか?

自分は論点違いだと感じる。なぜなら「胎児の生命は誰のものか?」「妊婦の自主性について」「胎児の権利について」…と、様々な問題が浮上してくるからだ。そもそも、生命が誕生する期間を考えようとすること自体が傲慢なことだ。
 
 あなたはどう考えるだろうか? 
是非、今回の内容について自分の意見を下さい(批判も大募集)。



《Tomiyama tenyou》


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2 コメント

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Unknown ()
2009-03-25 20:57:53
意味のある死に方ができるならいいと思う
ただ死ぬってことは未来の自分の可能性をつぶすこと
そこまでしっかり考えた上で死ぬならばまだいい
ただそのときが辛いから死ぬなんてのはただの逃げ

妊娠したその瞬間から親としての義務が生じるんだと思う
法律云々じゃなくて人としてその義務を果たすべきだ
だから子を道連れにしたり子を残して死ぬなんて行為は許されることじゃない
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Unknown (猪木)
2009-04-01 02:45:34
元気があればなんでもできる
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