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JFK暗殺事件の真相――オズワルド単独犯行説の虚構を暴く 35 リンドン・B・ジョンソンの証言

2018-05-27 | JFK暗殺事件について
 ケネディ政権の副大統領にして、ケネディの暗殺によって後任の大統領となったリンドン・ジョンソンは、後年にいたって彼自身によるこの公式の証言を覆す言葉を語っている。




※暗殺当日、エアフォース・ワン機上で就任の宣誓をするジョンソン新大統領 夫の死亡直後のジャクリーン夫人を脇に就任の宣誓をする(上)。ジャクリーンと対照的に、ジョンソンの妻・レディバード夫人は早くも夫の思わぬ栄進に笑みを隠せない(中)。さらにジョンソンは背後の人物に笑みを送っているようで、その人物はウィンクを返しているように見える。彼はジョンソンの長年の顧問弁護士である(下)。

 ジョンソンは大統領の任期後、引退して晩年にテキサス州の自分の牧場にて余生を送り、1973年1月に死亡した。そこでジョンソンは旧友である新聞記者のインタビューに、次のように短く答えている。死後の1973年7月に発表された記事で、亡くなる1年前に取材されたものであったらしい。死後に公表するとの約束のもとの取材だったのだろう。


 コーヒーを飲んでいる間、会話はケネディ大統領のことに向かった。ジョンソンは、ダラスでの暗殺はある陰謀の一部であるとの彼の考えを語った。「オズワルドが銃の引金を引いたことは受け入れられるが、しかし私はオズワルド一人がやったということを一度たりとも信じたことはない。」

 ジョンソンは、就任してはじめて「われわれはカリブ海でいまいましい『殺人会社』を運営していた」ことを知ったと述べた。ケネディの死の一年かもう少し前、CIAをバックとする暗殺チームがハバナから引き揚げられた。
 ジョンソンは、ダラスの事件はこの企てが妨害されたことへの報復だと推測したが、しかし証明することはできなかった。

 「ウォーレン委員会が報告を行った後、私はラムゼイ・クラーク(当時の司法長官)に全てのことを内密に調べるよう依頼した。わずか2週間後、彼は何ら新しいことは見出せなかったと報告してよこした。」
 会話が終わりに近づくとジョンソンの声にむかつきが混ざった。「私はトム・クラーク〔ラムゼイ・クラークの父で、かつての司法長官・連邦最高裁判事〕の息子を指名したと思っていたが、それは間違いだった。」

 During coffee, the talk turned to President Kennedy, and Johnson expressed his belief that the assassination in Dallas had been part of a conspiracy. "I never believed that Oswald acted alone, although I can accept that he pulled the trigger."
 Johnson said that when he had taken office he found that "we had been operating a damned Murder Inc. in the Caribbean." A year or so before Kennedy's death a CIA-backed assassination team had been picked up in Havana.
 Johnson speculated that Dallas had been a retaliation for this thwarted attempt, although he couldn't prove it.
 "After the Warren Commission reported in, I asked Ramsey Clark [then Attorney General] to quietly look into the whole thing. Only two weeks later he reported back that he couldn't find anything new."
 Disgust tinged Johnson's voice as the conversation came to an end. "I thought I had appointed Tom Clark's son—I was wrong."

(『アトランティック・マンスリー』誌、1973年7月、レオ・ジャノスの署名記事 同記事全文がウェブで閲覧可能)


 この内、「殺人会社(murder.inc)」とはマフィア用語らしく意味深長だが、一方ですぐあとに、1961年4月のピッグス湾事件との関連や、CIAによる報復の可能性が語られている。
 後述のプラウティによれば、「殺人会社」とは実際にはCIAの秘密工作の実行部隊として作られた、外国要人の暗殺工作等のための下部組織のことを意味する隠語であり、秘密工作と連邦政府の直接的関係をあいまいにするための婉曲表現であるという。

※ピッグス湾事件 1961年4月、米国がカストロ政権の転覆を狙ってキューバに侵攻した事件。CIAの支援を受けた亡命キューバ人部隊が、本島南岸のコチーノス湾に上陸したが、3日間の戦闘の末、キューバ軍に撃退され、作戦は失敗に終わった。ピッグス湾はコチーノス湾の米側の呼称。コチーノスはスペイン語で豚の意。(以上、コトバンク『デジタル大辞泉』より引用))

 この言葉はすなわち、JFK暗殺には「殺人会社」と通称されるような組織が実行犯として関わり、陰謀の主体はCIAであったと明言しているのに等しい。
 ジョンソンはここで、要するに「カストロ暗殺のためにCIAが暗殺チームを派遣していた。しかしケネディ大統領が軍事援助を拒んで失敗したピッグス湾事件によって、暗殺計画も中止に追い込まれた。CIAがピッグス湾事件の報復として、暗殺チームを国内に転用し、大統領暗殺を実行した」との見解を語っているのである。

 そしてそのことを「就任してすぐに知った」、さらに「オズワルドの単独犯行など信じたことがない」と語っているところからして、彼はその事実を当初からはっきりと認識していたのである。
 これはきわめて重要な証言である。

 O・ストーン監督は『JFK』で、「ケネディが軍の出動を拒絶しキューバ侵攻が無惨に失敗したことで、彼は侵攻を主導したCIAや軍産官複合体から怨恨を買い、それが陰謀が企てられるに至った直接的なきっかけである。従ってこれは連邦政府内の勢力による政権転覆・クーデターだった」と主張していた。
 注目すべきは、それとほぼ同じ見解を、早くも映画から二十年以上前の時点で、しかもウォーレン報告書の承認者にして元米国大統領が述べていることである。


※映画『JFK』撮影中のストーン監督

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