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生きる事の大切さマザーテレサのメッセージ

2010-09-15 19:16:10 | 日記

NYスピリチュアル日記死ぬ瞬間の大切さと死んだ後の世界 生きる事の大切さマザーテレサのメッセージ

テーマ:マザーテレサ様からのメッセージ 2010-01-23 12:42:01
死ぬ瞬間の大切さ 生きる事の大切さ        ペタしてね

人間が魂だけになるとき

それが死ぬ瞬間です

蝶がさなぎを脱ぐときのような状態.

人間が肉体を脱ぐとき

じゃあ魂だけになる私たちの次の世界は

どんな世界???

どういうな世界??

死んだ私の夫は成仏してる??

事故で死んだらどうなる??

痛かったガンは死んだ後もいたい??

苦しい思いで死んだらどうなる??

自殺した私の家族は??

自殺したらどうなるの??

楽になる??????

私は生きてるのに疲れた。

死にたい??

いったいどうなるの??

人間は肉体を持って初めて

時間というものと関わります.

魂の世界は永遠の世界。

時間がありません。

だから貴女や誰かが 

死ぬ瞬間 

に感じていた事が

永遠に続くのです。

今というときが苦しいからといって、

そう思いながら死んだら,

永遠に苦しいというその状態が続くのです。

まあ,すごい霊能者や誰かわかる人がきて,助けない限り.

何百年でも続きます。いや,もしかしたら,何千年、何万年??

時間がないですからね.

途方もないです

その魂が気ずく,もしくはきずかされるまで続きます

だから、苦しいから死にたい

やめておいた方がいいですよ.

地獄という世界があるわけではないです.

永遠に続く 苦しみ

それはまさに,地獄です.

生きていればこそ,私たちには 時間というものがあって

苦しいといいながらもふとした瞬間に

笑う事もできるのです

苦しいまま死ぬと

苦しい,苦しい,苦しい,助けて,苦しい

それが、永遠に続くのです.

私もこういう事をしていますから

多くの方の臨終の場にたちあいました.

苦しんでいても、痛がっていても、

お話しして、観音様が迎えにこられますよ.

魂の世界には苦しみはないのですよと

ご説明させていただくと

安心されて,笑顔でいかれました

中には,観音様がきた!

ありがたいといってなくなられました.

そういう死に方をすると,

笑顔で死ねたり,

ありがたいといってしねたら

もう、天国ですよね。

また,神戸の震災の後などは,柱があったて死んだりとか,突然に死んでしまった霊とも遭遇しました.
そういう場合は

痛い,痛い,痛い

が続きます。

話しかけて,もう肉体はないのですから

いたくないですよと もう地震は終わったのですよ.

何回も話しかけると,落ち着いて,

あれ,ほんとだ,もういたくないはって

そうして浄化されました.

後、自殺の場合は2種類.

暗くて,重たい気分のときに、ふと、そういう自殺した霊や、仲間を捜してる霊

が乗り移って死んでしまった場合.

そういう場合はほぼ殺人にあったようなもの.

たいがい、魂はもういませんでしたからね。

ただ,突然かえる肉体がなくなって,びっくりしているときがあります

一種のショック状態

まあ,数限りなく死ぬ瞬間があります

十人十色。

自殺しても 苦しみから逃れられるわけでは,ない。

かといって,ガンや病気でしんだとしても、

死ぬ瞬間しあわせだったなーとか、

ありがたいなーとか,

きもちいいなーとか

1秒間100分の1秒間、

思って死ぬと、一切の苦しみ痛みはなく

天国にいけます.

天国は

ありがたいなー

しあわせだなー

と思っている魂のいっぱいいる世界のこと。

最近自殺したりする人が多いですよね.

景気が悪くなってくるともっとです.

それに,しあわせぼけっていうか,

生きていくのが必死の人たちには考えられない事です.

生きてる事は時間があるという事

時間があるという事は

今が苦しくてもかわれるチャンスがあるという事なのです.

死んでしまったら、何にもありません.

病気で苦しんでいる人がいても、もう死んじゃう人がいたら,

いってあげてください.

貴女が生まれてくれた事に感謝します。ありがとうって.

それほど魂にとっての賞賛のことばはありませんから。

好きなものがあったら,食べさせてあげてください.

喉が渇いていたら,水を飲ませてあげてください.

苦しい顔してる人がいたら,笑わせてあげてください.

そしたら,その人が死ぬ瞬間に

あーたのしい人生だったなって.

マザーテレサはそれを死ぬまで続けました。

私自身も多分、臨終のときには

枕元には テレビおいて,吉本でもみながら,笑いながら死にたいと思っています。

まわりで、なんで死ぬの,

いかないでとか,言われると,とってもつらくて,やりきれませんからね。

死にたくナーーイって思って

幽霊になっちゃうかも.

だから,皆で,馬鹿笑いしながら死ねれば最高です.

後、自殺した霊や,そういう家族を持った方。

話しかけてあげてください.

もう大丈夫よ。

もう貴女は死んだのだから苦しくないはずよ

ありがとうありがとうありがとう

何回も話しかけてください.

そうする事で,浄化します

もっと言えば,たのしい面白いテレビをずっと仏壇の前で,かけると,いい加減

クラーークてツラーイ霊も思わず 笑ちゃうかも。

シリアスにしてるのがバカらしくなるでしょう.

人間も霊も同じです.

肉体があるか、ないかの違いだけなので.

だから生きてる間に楽しむ事

笑えるように生きる事

思いっきり人生を楽しむ

自分自身を表現する

思いっきりやりたい事をする

思いっきり後悔のない人生を生きること

死ぬ瞬間にたのしかったなと思える人生をいきたいですね

ありがとうありがとうありがとう
貴女に全てのよき事が雪崩のごとくおきます

マザーテレサからのメッセージテーマ:マザーテレサ様からのメッセージ

2010-09-15 19:13:46 | 日記
NY からスピリチュアル日記どうして短い人生長い人生があるの?マザーテレサからのメッセージテーマ:マザーテレサ様からのメッセージ 2010-02-19 16:23:51
ありがとうヒーリングNewYorkスピリチュアル日記昨日メッセージをいただいた。
どうして、早く死ぬ人と、長生きする人がいるのでしょうか??
人それぞれ、いろいろな課題を持って生まれてくる。
早くそれをクリアーできた人は早く死ね。早くこの人間の学校を卒業するのだ。
じゃあどうして、マザーテレサみたいなすごい人が長生きするの??
もちろん彼女はすごい人です。
もしかして、早く卒業する事もできたでしょう。

マザーテレサからメッセージ
わたしは魂の世界ではなく人間として、一人一人を自らの手で
救う事を望んだのです。
だから、少しでも長生きして、一人でも多くの人を自らの手ですくいたいと言う思いで、長い人生を全うしました。
そして、より多くのわたしに共感を持つ人を育てたかったのです。
その結果、跡を継ぐ人が世界中にでき、
もう大丈夫と言うときに天に召され真下。
こんどは天から恵まれない人を助ける事を決意したのです
長く、生きる事もすばらしい事
短い人生もすばらしい事なのです。
どちらの人生も人生の課題をクリアーにしたときに起こる現象。
短いとか、長いとかで、幸不幸を決める事はできません
もし、小さい子供が死んだとして、
それでも子供は最後の最後まで、命がつきるまでつきるまで一生懸命に生きようとする。




自殺とかは別です。ペタしてね
やはり、どんな事があっても天命が尽きる日まで、
生き続ける事に意義があります
途中で、楽になりたいと思って自殺しても
結局は苦しいままで時間の止まった世界をさまよわなければなりません。
そして、そこから抜けて、また生まれ変わったとしても
また同じところと、同じ課題をまた挑戦しけなけれななりません
それなら、今回の人生で、どんな事があっても生き抜いて課題をクリアーした方が
いいと思いませんか??

そして、もう1つ、
もしも両親が早くなくなった場合
それは子供になる人がそういう風に早くなくなる両親を選んできたと言う事です。
それでも、試練を乗り越えて生きていく。
悲しみに負けずに生きる
一人でも立派に生きていくという人生を選んだ子供が早く死ねはずの親を選んできたのです。
また、両親の方も早く死んだとしても、もちろん
一人で生きていく子供をほっておくはずがありません
常に見えないけれど、ずっと寄り添ってまもっています。
死は肉体と言う衣装を脱ぐだけで、
魂は永遠に続いています
人生という舞台には
短く演じる役もあれば長く演じる役もある
どちらもこの人生において甲乙つけられない役者です
この世界には貴女と言う役者(存在)が必要なのです。
必要だから生まれてきたのです。
だから
今を大切に
思いっきり、舞台の上で貴女自身を精一杯演じる事が大切です。

今も、天国から、セイントの一人として、自分の跡を継いだ人たちの守護と
世界中の恵まれない人のために休む間もなく魂の世界で動いておられます

ありがとうありがとうありがとう
貴方に全てのよき事が雪崩のごとくおきます























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死ぬということ

2010-09-15 18:58:23 | 日記
死ぬということ

「思い通りにならないからこそ価値がある」という大前提を通して、「人生」というものをとらえ直してみると、「死んでいく」という現象は、どのように解釈できるのでしょうか。今回は、このような観点から、「死」という現象が意味する本当の価値について明らかにしてみましょう。

「自分が行くところがどこか、もう私にはわかっていますから、死ぬことについて、もう思い悩む必要はないんです。死ぬことは恐いことではありません。死ぬことは、もう苦痛じゃないんです。死は苦しいことではありません。私には、自分の行く先がわかっていますし、まだ人生が残っているのです。今は、前よりもずっと楽しく生きていますよ」

これは、マイケル・セイボム博士(エモリー大学教授)による臨死体験をした患者の証言です。また、ウィリストン博士は「死ぬ」という現象について、次のように説明しています。

「万物は存在し続け、死ぬことはない。ただほんのしばらくのあいだ視界から消え、また戻ってくるだけのことなのだ。死ぬ者などいないのである。「死」は、人間性の成長と進化のプロセスであると考えることができる。「死」と「生と生まれ変わり」は、「眠り」と「目覚め」に例えることができる。生まれ変わるということは、体に活気がよみがえり、新しいアイデアが湧き、新しい方向に挑戦する決意と意欲に満ちた、さわやかな朝の目覚めを迎えるようなものである。古いくたびれた肉体は、新たな肉体を受け入れるために、消えていくのである。よれよれになった体と疲れきった心では、たいした前進は望めないからである」

これまでみてきたように、人間は死んだ後、中間生(生と生の間)にしばらくいます。そして、生まれ変わる準備が整ったところで、また生まれてくるわけです。したがって、私たちは、本当は、「死ぬ」ことなどありません。そのため、「死ぬ」ではなく、「先立つ」「他界する」といった表現のほうがずっと正確なのです。「死」も「別離」もただの幻想にすぎません。「死」というのは、いわば脱皮のようなものであり、永遠に続く鎖の一部分に過ぎないのですから。人間ならば誰でも一度は死の恐怖にかられるでしょう。しかし、今日からは死を恐れる必要はないのです。この事実を受け入れるだけでどれだけ前向きに生きられるでしょうか。
とはいっても、「死」というものは、決して価値や意味のないものではありません。いかなる人のどのような死にも大きな意味があります。それでは、「死」というのもの価値について考えてみましょう。

死を通じて学べることには、三種類の学びがあります。第一は、「自分の死を通じて、自分自身が学ぶ」ということ。第二は、「自分の死を通じて、人々(特に家族)に学んでもらう」ということ。第三に、「家族や知人などの死を通じて、自分が学ぶ」ということです。では一つずつ見ていきましょう。

(1)自分の死から学ぶ
自分の死は自分で選ぶことができます。これには二つの意味があります。ひとつは、人生の自己計画のなかで、「いつ」、「どのように」死ぬのかを選ぶということです。死ぬということほど多くのことを学べる貴重な機会はないため、私たちはひととおりの「死のパターン」を経験するために何度も生まれてくるようです。あるときには病気で、あるときには、事故で、またあるときには戦争で、など多くの死に方を経験し、そこから学んでいきます。もうひとつは、死の状況を選ぶということです。つまり、毎回の人生を終えるとき、どのような感情で死にのぞみ、周りの人に対して、いかなる態度をどりながら、この世を去るのかということです。泣きわめき、家族や医者に悪態をつきながら死んでいくのか、それとも家族や周りの人に感謝しながら死んでいくのか・・・・その意味で自分の死は自分で選べるのです。人生の価値というのは長さではなく、その質によって決まります。そしてその「質」とは「与えた愛の量」によって評価されるのです。そのように考えると、「周りの人々に大いに感謝しながら死んでいけるか」ということは、私たちが自分で人生に与えた最後の試験問題であるにちがいありません。

(2)自分の死を通じて人々に学んでもらう
あらゆる死のなかで最もつらいとされているのが「子が親に先立つ」ということです。しかし、いかなる人のどのような死にも意味があります。たとえ子供が幼くして亡くなったとしても、その死には大きな意味があるのです。臨死体験者の証言を紹介しましょう。

「ほんのしばらくの間しか、この物質世界にいることができない魂もたくさんいます。そういう魂も、他の魂と同じように、大いに喜んで生まれてきます。自分たちにも、なすべき目的があることがわかっているためです。その人たちは、それ以上、この世で生きながらえて成長する必要はありません。なぜなら、自分たちの死によって、両親の精神的成長を促進するために生まれてきたからです。それも彼らが自分で計画したことなのです」

また次のような証言もあります。他界した父から、父の死を納得できない息子へのメッセージです。

「なぜ、僕を置いて死んでしまったんです?なぜ、さよならもいわずに逝ってしまったのですか?」
「お前は、独立した、強い人間にならなきゃならん。何が起きようと、人生と正面切って向かいあえる人間にならなきゃいかんのだ。お前がそういう人間に成長していくのを、父さんの存在が邪魔しているような気がしたんだよ」

おわかりですか。すべての死には大きな意味があるのです。近親を亡くされた方(筆者もその一人です)、恋人を亡くされた方、知人を亡くされた方、彼らからのメッセージは受け取れていますか。彼らの死によって、正しく悲しみ、正しく学んでください。彼らの死を決して無駄なものにしないでください。みなさんが彼らの死から、大いに学ぶことで、「私の死も無駄ではなかった」と亡くなった方も天国で喜んでくれることでしょう。

(3)家族や知人の死を通じて自分が学ぶ
これも(2)と同様です。「死後の世界」や「生まれ変わり」の知識があるからこそ、肉親や知人の死でさえも、むしろほほえましい気持ちで受け止めることができるのです。実際に、ベトナムで地雷を踏みつけてしまい、両足と片手を失ったときに臨死体験をした帰還兵も次のように語っています。

「私は、臨死体験の後、誰かが亡くなったことを聞くと、『それは良かった』ということにしているんです。人が死んだときは、パーティーをしてお祝いしてもいいんじゃないでしょうかね。人間の死はむしろ、祝うべきですよ。死んだら幸せな世界に入って、気持ちよくなるんですから。私の考えでは、すべての出来事はある目的にそって起こるんだと思います。今の私が一生懸命に生きて、遊んで、働くのは、死んだらあの世に行けて、そのときにはもう二度とこの同じ身体には戻ってこれないことを知っているからです。そして、この世の次にも、何かがあるんです。素晴らしい気持ちになれるのです」

この男性は、両足と片手を失った身体であるにもかかわらず、「死ぬともう二度とこの身体には戻れないのだからこそ、今の人生を一生懸命生きよう」とまで考えています。「次の人生では、再び完全な身体をもって生まれることができる」と確信できる体験をしたからこそ、「いま」を大切に、大いに成長しようと、前向きに生きられるようになったのでしょう。
これらの事例を見て、「人との死を祝うことは何事だ」とか、「人の死を悲しまないとはひどい人間だ」などと、怒ってしまう人もいることでしょう。しかし、他人が自分なりの仕方で肉親や知人の死に対処しているのを見て、「よくない」とか、「やめろ」などという権利は誰にもありません。肉親の死を嘆き悲しむ権利があるのと同じように、この世でのつとめを終えて「あの世」へという故郷へ帰っていった肉親を、祝福してあげる権利もあるのです。
少なくとも、「死後の世界」や「生まれ変わり」の知識を身に付け、それを糧として前向きに生活するほうが、いつまでも肉親の死に悲しみ、ふさぎこんでいる毎日を送るよりも、はるかに創造的で、「人間らしい」人生を送ることができるでしょう。もしも、亡くなった人が生きていれば(実際にあの世で生きているのですが)、きっと、「創造的な人生を送ってほしい」と願っているに違いありません。そのような、とても素敵な証言を二つ紹介しましょう。

先立った母から、後を追って死のうとしている娘へのメッセージです。

「あなたはまだ、その時じゃないわ。まだ、そちらでの仕事が終わっていないもの。あなたはそこに残って、一瞬一瞬を精一杯に生きなければならいの。美しい地上に生きるという贈り物を、味わわなければならないのよ。これだけはいい残しておくわね。夕日も花も大切な人も、ひとつひとつ、喜びをもって見つめなさい。そして、他の人にも、その喜びを教えてあげなさい。愛を注いであげなさい。愛こそが、ほかのなによりも大切なものだから。母さんはいつも、あなたのそばにいるわよ」

次は他界した夫から、悲嘆にくれる妻へのメッセージです。

「こら!尻を上げろ。そんなところに座り込んでいたって、どうにもならないぞ。なにもしないで、のらくらしてちゃだめなんだ!」
「なによ、いうのは簡単よ。いいわよね、あなたはもう死んじゃったんだから。あたしはまだ生きているの。これから、一人で生きていかなきゃならないのよ」
「そうだよ、きみはまだ、生きているんだよ。だから、生きている人間らしくしていなきゃ。生きながら死んでちゃ、いけないんだよ」

最後の「生きている人間らしくしていなきゃ」という言葉は、私の最も好きな言葉のひとつです。この言葉は今回私がいいたいことのすべてを物語ってくれています。私にはこれ以上語るべきことはありません。


最後に絶対にしてはいけない死に方がひとつだけあります。それは自殺です。自殺は自ら、自分で用意しておいた課題を放棄することになるので、その後、大変な苦しみを味わうことになります。退行催眠の被験者の証言を見てみましょう。

「では、死の瞬間に進んでください。どんな死に方をしましたか?」
「自殺しました」
「十分に考え抜いた行動でしたか?」
「いいえ。絶望を感じて衝動的に飛び降りちゃったんです」
「死んだ後、どのような気持ちになりましたか?」
「しばらくは、何がなんだか、わかりませんでした。光を求めて、渦潮のなかをぐるぐる回っているような感じでした。自殺したことをひどく後悔していました」
「自殺した人の死後の状態は、誰でも同じような感じなのでしょうか?」
「はい、だいたいのところは。人間は自殺すべきではありません。自殺者は、自分がどのような行為をしようとしているのかということがわかっていないのです」
「どんな場合にも決して自殺しては行けないのでしょうか?」
「『どんな場合にも決して』という言葉は適当ではありません。色々な状況があるからです。でも、たいていの人は、動揺や後悔、そして無常観・絶望感から、命を絶ってしまうのです。そのような死に方からは、何も生まれません」
「自殺のせいで、次の人生に苦しみが継続されることはありませんか?」
「それは、それぞれの意識体によって違います。一般的な法則はありません」
「では、すべての人によって、状況は異なると?」
「私たちは、ひとりひとり選択権を持っています。自分がどのようにな立場にいるかをよく理解していれば、教訓を学びやすい環境に生まれ変わることを選択するでしょう。人生を途中で投げ出したら、教訓を学ぶことができないのです。人生から逃げてしまっても、何も解決されません。逃げてしまっては、何ひとつ、解決されないのです」

また、ある被験者は、「自殺をしたらどうなるか」という問いかけに対し、光の存在から、「そうしたら、また、次の人生も自殺したくなるような絶望的な人生を歩むだけだ」という答えをもらったそうです。みなさん、人生のしくみを理解して、前向きに生きていきましょう。

次回は人生変革のための現状突破方法、「ブレイクスルー思考」について考えていきます。