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サン・ジェルマン伯爵

2010-09-08 09:55:44 | 日記

サン・ジェルマン伯爵

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saintgermain.jpg サン・ジェルマン伯爵は18世紀のヨーロッパで活動した貴族だが、彼には様々な伝説がつきまとっており、「世界史上もっとも謎に包まれた人物」と言える。

 彼は数カ国語を話し、ヴァイオリンの演奏や弁舌に長け、医学や歴史の知識も豊富で知識人でもあった。

そんな彼につきまとっているのが「不老不死」の伝説である。

 彼が歴史の記録に初めて登場したのが1710年、作曲家ジャン・ラモーの日記である。 そこには「50歳前後の男」と書かれていた。

ところが、それから25年後、今度は「年齢は25歳前後だった」と記録されている。

さらに1750年代にはルイ15世に謁見しているが、この時は40歳前後だったという。そしてサン・ジェルマン伯爵は友人に「本当の私の年齢は300歳だ」と話している。

 彼は1784年に死去したと記録されているが、その死、埋葬地については一明不明。
しかも翌年には友人に「ヒマラヤて隠遁する」と伝えたり、フリーメイソンの会合に出席するなど、死んだはずなのにヨーロッパ各地で目撃ざれている。

フランス革命の前には、王妃のマリー・アントワネットに王家の危機を訴えたが、聞き入れられなかっ
たという記録も残されている。

さらに1972年にはテレビで「私はサン・ジェルマン伯爵だ」と名乗る人物が現れ、現代に至っでも彼は生存しているという噂が絶えないのだ。

サン・ジェルマン伯爵を知る人物が書いた回想録には、彼についてこのように記している。
「彼は特殊な秘薬のおかげて何も食べる必要がない、と言っている」
 事実、ある昼食会でも伯爵は何も目にしなかったという。中世ヨーロッパ時代、「不老不死」や「錬金術」などの研究が盛んに行なわれていた。
もしかすると、伯爵は不老不死の薬を完成させていたのかもしれない。
 また、あまりに年齢不詳で神出鬼没なことから、伯爵は時空を超えることができたのではとも言われている。

彼はいくつかの秘密結社に属しており、そこで時空を超える術を会得したといわれている


怪僧ラスプーチン

2010-09-08 09:53:03 | 日記

怪僧ラスプーチン

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rasupuuchinn.jpg20世紀初頭、帝政ロシアのロマノフ王朝の宮廷に君臨した自称・祈祷僧のラスプーチン。謎に包まれた経歴や特異な風貌から「怪僧」と呼ばれたが、彼の実像はいまだ不明な点が多い。

 ラスプーチンはシベリアの貧しい農家に生まれたが、突然「巡礼の旅に出る」と言い出し姿を消した。

そして十数年ににもおよぶ旅で彼は相手を圧倒させる眼力と自信に満ちた説教の力を手に入れた。

そして彼に心服する信者も増え、その噂を嗅ぎつけたロシア皇帝ニコライ2世と皇后アレクサンドラは病弱だった皇太子の祈祷を依頼。

ラスプーチンが祈祷すると皇太子の病状が治り皇帝夫婦から絶大な信頼を得る。

 そしてニコライ2世は黒装束姿のラスプーチンをそばに置き何事にも彼の占いや予言に頼るようになった。

権力を手中に収めたラスプーチンはすべてを自分の物にしたいと思うようになり、皇后と愛人関係になり女信者たちとも親密な関係になったのである。

しかしその横暴な行動に貴族たちは黙っていなかった。

 1916年12月25日にラスプーチンの暗殺を実行したのである。

貴族たちは平然を装いラスプーチンに毒入りのワインを飲ませた。しかしいくら待っても彼が苦しむ様子もなかったので短剣でラスプーチンの急所を突き刺した。

しかし、ラスプーチンにはまったく効かず、さらに4発の銃弾を発砲。

誰もが死んだと思ったがラスプーチンは死なずに不敵な笑みを浮かべていた。

貴族たちはラスプーチンを不気味に思いさらにこん棒で叩きのめし窓から突き落とした。

今度こそ死んだと思ったがやっぱりラスプーチンは死んでいなかった。

最終的には彼の体をむしろに巻いて川へ放り込んだ。

それから3日後ラスプーチンが遺体で発見され貴族たちは安堵の表情を浮かべたという。

ラスプーチンは現在も国民から嫌われているという。

 

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クレオパトラは黒人だった

2010-09-08 09:50:42 | 日記

クレオパトラは黒人だった

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これまでギリシャ系白人と考えられてきた古代エジプトの女王クレオパトラはアフリカ系の混血だった可能性が高いことを、英国放送協会(BBC)で23日に放映予定のドキュメンタリー番組「Cleopatra: Portrait of a Killer(クレオパトラ:殺人者の肖像)」の制作に関わった考古学者が15日、明らかにした。
 トルコのエフェソス(Ephesus)遺跡の墓地から発見された人骨を分析したところ、人骨はクレオパトラの命で殺害されたとされるクレオパトラの妹、アルシノエ(Arsinoe)のものである可能性が高いことが分かった。
 オーストリア科学アカデミーのヒルケ・テュアー博士の調査チームは最先端の顔面復元技術などを駆使して人骨を分析した。その結果、アルシノエの母親はアフリカ人であったことが分かったという。
 テュアー博士は、この発見はクレオパトラ一族やクレオパトラとアルシノエ姉妹の関係に、新たな考察への道を開くものだと期待を示している。

HSSでは、合成写真とは考えられないと結果づけたそうです。

2010-09-08 01:01:12 | 日記

貞子の心霊写真館

 

[心霊写真] 影の無い美少女

心霊写真

兵庫県の心霊写真研究協会 HSSから送られてきた心霊写真です。
とても珍しい、影の無い写真です。右側の3人の家族の中で、少女の影だけが写っていません。
一般的な心霊写真とは違いますが、原因のよく解らない写真の一枚です。
以前、某心霊番組のインチキ臭い霊能者が、影の無い写真について、
不吉な事の前兆とか、身体に気をつけた方がいいとかいい加減な事を言っていた記憶がありますが、
そんな事があるとは、考え難い事です。
西洋では、影を食べる妖怪がいたという、お伽噺がありますが、これは現実です。
太陽の位置や、その他の光の関係でこうなるのかというと、なるとは考えられない写真でもあります。
やはり、心霊写真なのでしょうか?

HSSでは、合成写真とは考えられないと結果づけたそうです。