智眼(ちげん)くらしとかなしむな
お釈迦様の言葉に、
「蜜蜂は花と色と香を害(そこな)うことなく甘味のみを採りて去る如く智者は村落に乞食(こつじき)すべし」(法句経(ほっくぎょう))。
私はこれを「人も斯(か)くあるべし」と読みました。そしてまた「吾もかくあるべし」とも読みました。
ガンジーの言葉にも、「地球は私たちの必要なものは与えてくれる。しかし、それ以上のものを欲すれば……」。
私たちは地球の表面だけの物で生きていれば良いものを地下深く石炭や石油を掘り出してしまったために、地球温暖化が深刻になっています。北極の氷まで溶けだして、北極の地下に眠っている資源までも掘り出そうと大国が鎬(しのぎ)を削っています。
二〇〇八年の五月、ビルマでサイクロンが大暴れをし、中国では大地震で人々が大勢亡くなりました。数え上げられないほどに地球が病み人間が病んでいます。
つい最近私の近くでも高校生が硫化水素(りゅうかすいそ)で自殺をしました。
お釈迦様も親鸞様も、他に多くの方々が、「生とはなんぞや、死とはなんぞや、なぜ生きるのか」。きっと悩んでおられたに違いないでしょう。そんな中から力強い大きなお念仏の光に触れられていったのでしょう。十代二十代の若者が自殺するには早すぎます。悩みや苦しみは、仏様の深い心に気づくとても素晴らしい因縁(いんねん)になるのに。
真っ暗闇のまま、明るい光にうっすらとも気づかないで死んでいくなんて哀し過ぎます。「いのち」の尊(とうと)さを伝えてやれない情けなさを感じます。
あるお母さんから相談を受けたことがあります。
「小学一年生の男の子が、夜中の二時頃に起きて暴れ出す。何かにとりつかれていると思うのでお払いをしてください」とのことです。「お父さんはどうしているの」と聞くと、「俺も疲れているのだ、早く寝かせろと怒るのです」、「私は浄土真宗の坊さんだから、お払いなんぞはしないのですよ」と言ったら「それでも本当の坊さんか」としかられてしまいました。そのまましばらく話をしているうちに気づきました。
この方は夜になると仕事に出て行かれるのです。
「あなたは、子どもが学校から帰って来るときいないのではないですか? 晩御飯を食べる時は? 寝る時は?」、全ていないのです。
「じゃあ今度そのようなことが起きたら、その子をしっかりと抱きしめてあげてください。子どもが苦しいと言ってもかまわないから、もっときつく抱きしめてあげてください。そしてごめんね。と一言言ってあげてください」、「そんなことで良いのですか」。
「良いと思いますよ。ごめんねというのは、お母さんいつもいなくてごめんね。という意味ですよ」。
後日。
「その日の夜中に暴れたので、抱きしめて『お母さんここにいるからね』と言ったら、それっきり治まってしまいました。心が軽くなりました」と涙を流して喜んでおられました。
「無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな」とは、「私には智恵の眼など何にもなかった」と、気づかせてもらった言葉でしょうか。
「かなしむな」と親鸞聖人に言われるとほっとします。
1946年生まれ。新潟県在住。
高田教区林正寺住職。
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