至福!傑作仏像写真館・25選+α
★向源寺(滋賀、渡岸寺=どうがんじ) 十一面観音~平安初期/9世紀初頭・国宝
★広隆寺(京都) 弥勒菩薩半伽像~飛鳥時代/7世紀前半・国宝
★中宮寺(奈良) 菩薩半伽像~飛鳥時代/7世紀・国宝
あり得ない…空前絶後の美しさ!そして何と優しい笑顔!見てる間、完全に時間が静止してしまう必見の仏!!
(中宮寺は尼寺。法隆寺のすぐそば)
このふくよかな指!同じポーズでも広隆寺の菩薩とは指の表情が全く違う。
こちらは女性(聖徳太子の母)がモデルと言われている。
★東慶寺(北鎌倉) 水月観音~鎌倉時代/14世紀・県重文
★薬師寺(奈良) 聖観音~奈良時代初頭/8世紀・国宝
この優雅に流れる天衣のラインを見て欲しい!なんと柔らかな質感か。これが銅で出来ているとは
信じられん!1300年前の作品とは思えない、今も若々しい生命力を持つ観音様だ。
★醍醐寺(京都) 大威徳明王像の“牛さん”~平安時代/10世紀・重文
★法隆寺(奈良) 百済観音~飛鳥時代/7世紀・国宝
★向源寺(滋賀、渡岸寺=どうがんじ) 十一面観音~平安初期/9世紀初頭・国宝
これが《暴悪大笑面》だ! | 後頭部で爆笑しておられる |
滋賀県高月町向源寺の十一面観音(国宝)。この寺は観音様の後頭部にある暴悪大笑面を拝観者が鑑賞出来るように、観音様の背後に通路があるうえ(普通は仏の背後に回り込めない)、わざわざ大笑面にスポットライトを当てて下さる素晴らしいお寺だ! |
★広隆寺(京都) 弥勒菩薩半伽像~飛鳥時代/7世紀前半・国宝
記念すべき国宝第1号、京都広隆寺の弥勒菩薩!ため息が出るほど美しい。指の一本一本に見とれてしまう。1960年、この麗しい姿に我を忘れた大学生が、頬ずりをしようとして薬指を折ってしまった。アホタレ!でも、その気持ち分からんでもない…。はぁ~、ウットリ。 以下はこの仏を前にした、ドイツ人哲学者カール・ヤスパースの言葉→ 「私はこれまでに古代ギリシャの神々の彫像も見たし、ローマ時代に作られた多くの優れた彫刻も見てきた。だが、今日まで何十年かの哲学者としての生涯の中で、これほど人間実存の本当の平和な姿を具現した芸術品を見たことはなかった。この仏像は我々人間の持つ心の平和の理想を、真に余すところなく最高度に表しているものです」。 ※ちなみに国内の半跏思惟像は約30体 |
★中宮寺(奈良) 菩薩半伽像~飛鳥時代/7世紀・国宝
あり得ない…空前絶後の美しさ!そして何と優しい笑顔!見てる間、完全に時間が静止してしまう必見の仏!!
(中宮寺は尼寺。法隆寺のすぐそば)
このふくよかな指!同じポーズでも広隆寺の菩薩とは指の表情が全く違う。
こちらは女性(聖徳太子の母)がモデルと言われている。
★東慶寺(北鎌倉) 水月観音~鎌倉時代/14世紀・県重文
電話で事前予約をして許可を得た者だけが拝観を許される秘仏! 34cmと小さいはずなのに、見ているうちにドンドン大きく見えて くるから不思議。それだけ存在感がケタ違いにデカイということか。 この仏に出会えただけで生きて来た甲斐があった! |
こちらは宝物館にありいつでも拝観可能。前に来ると肩の余分な力が抜けてホッとする。命の洗濯って感じ。もう最高! |
北鎌倉東慶寺の水月観音は2体。その両方がこの世のものとは思えない大傑作!この悠然とリラックスされた、美しいたたずまいを見よ!足を崩し、右手をついて、静かに水面へ映った月を愛でていらっしゃるお姿だ~ッ! |
★薬師寺(奈良) 聖観音~奈良時代初頭/8世紀・国宝
この優雅に流れる天衣のラインを見て欲しい!なんと柔らかな質感か。これが銅で出来ているとは
信じられん!1300年前の作品とは思えない、今も若々しい生命力を持つ観音様だ。
★醍醐寺(京都) 大威徳明王像の“牛さん”~平安時代/10世紀・重文
見事な角。 | ||
ご主人たまは顔が6面、腕が6本、足が6本 | ヨロシクネッ! | 我らがチョッパー! |
自分がこれまでに拝観した仏像で一番「カワイイッ!」って思ったのが、この醍醐寺の大威徳 明王を背中に乗っけている水牛!人気マンガ『ワンピース』に出てくるチョッパーにソックリ! |
★法隆寺(奈良) 百済観音~飛鳥時代/7世紀・国宝
高さは2m11cmと けっこう大きい! |
1400年目の優雅な微笑み。 | 指のラインがホント美しい(ハァ~)。天衣 の裾(写真下)は前方に向かってカーブ しており、珍しいデザインだ。背後の支柱も 竹を模して凝りまくり。 |
ほ、細ッ!足はスラリと 長く、まるでスーパー・ モデル。9頭身はあるん じゃないだろ~か?? |
百済観音がルーブル美術館で公開された時、フランスでは“日本のヴィーナス”と大絶賛され、1ヶ月で30万人もの人々が足を運んだという。世界の人々を虜にする“美”がこの仏像にはあるのだ。百済観音は横からの姿も大変美しいため、法隆寺では側面から鑑賞出来るようになっていた。国内最古級の仏でありながら、時空を超えて人の魂を揺さぶる最高度の美しさを備えている。 このクスノキから彫られた仏像の出生は謎に包まれている。名に“百済”とついてるものの、当時の半島では仏師がクスノキを使った作例はなく、どうやら日本国内で作られたようなのだ。ところが飛鳥の都には、百済観音と同タイプの細身で長身の仏は他にまったく残っていない。これほど腕の立つ天才仏師なら大量に仏を彫っているハズなので、何も記録が残っていないわけがないのだ。一体全体どこで生まれた仏なんだろう? |
●文芸評論家・亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』から抜粋
(1937年に初めて奈良を訪れて) 始めどのような座像にも心をひかれなかった。殊に巨大であればあるほど。しかし立像の美しさは言語に絶した魅力をもって私を圧倒した。わけても法隆寺金堂に佇立する百済観音は、仏像に対する自分の偏見を一挙にふきとばしてくれた。このみ仏の導きによって、私は一歩一歩多くの古仏にふれて行くことが出来たと云ってもいい。 仄暗い堂内に、その白味がかった体躯が焔(ほのお)のように真直ぐ立っているのをみた刹那、観察よりもまず合掌したい気持になる。大地から燃えあがった永遠の焔のようであった。人間像というよりも人間塔--いのちの火の生動している塔であった。胸にも胴体にも四肢にも写実的なふくらみというものはない。筋肉もむろんない。しかしそれらのすべてを通った彼岸の体躯、人間の最も美しい夢と云っていいか。殊に胴体から胸・顔面にかけて剥脱した白色が、光背の尖端に残った朱のくすんだ色と融けあっている状態は無比であった。全体としてはやはり焔とよぶのが一番ふさわしいようだ。
初めて奈良へ旅し、多くの古寺を巡り、諸々の仏像にもふれた筈なのに、結局私の心に鮮かに残ったのは百済観音の姿だけであった。云わばこのみ仏を中心として、他の多くが群像としておぼろげながら眼に浮んでくる、そういう状態であった。私の初旅の思い出はつまりは百済観音の思い出となるのである。 |
近日中に、対処します。