ジャズのイノベーターであるオーネット・コールマンを三連投するつもりです。わたしのコレクションでは、オーネット・コールマンはこのアルバムからとなっています。事実上は、オーネット・コールマン登場時のメンバーがそれぞれで活躍していますので、系統だった研究をするならデビューのときから遡って聴くべきでしょう。わたしは単なるジャズ・ファンで堅苦しい要求をされても対応不可能。フリー・ジャズで理屈をごねたい人は、はた迷惑にならぬように、わたしの目に入らぬ所で勝手にほざいて下さい。フリー・ジャズを有難がって聴く変質的自己チューがいまだに目に付く。わたしは迷惑だし、演奏しているオーネット・コールマンも、はた迷惑な自己チューの罪を転嫁されてしまい気の毒だ。他人の罪を背負わされるのはイエスにだけまかせておけ。
TOWN HALL,1962: Ornette Coleman
"Town Hall,1962" ESP(JPN)BT-5001 Doughnut / Sadness / Dedication To Poets And Writers * The Ark Ornette Coleman (as) David Izenzon (b) Charles Moffet (ds) *) Selwart Clark, Nathan Goldstein (violin) Julian Barber (viola) Kermit Moore (cello) 1962/12/21それまでのジャズとは違うスタイルで演奏している、ただそれだけ。有難がって聴く必要なんかない。のっけからアルト・サックスを吹きまくる。それが単なる聴衆のキャッチだけではなく、ずっと続くというスタイル。今まで聴いたこともないような異民族の音楽とか、獣たちの叫びが思い浮かぶが、ただそれだけ。思想も哲学も語ってはいない。
オーネット・コールマンからブルースのルーツを聴き取るか、現代音楽との融合を感知するか、聴く人の感性や知識が問われるのは事実である。ジャズばっかし聴くんじゃねぇ。本を読め、本を!。そしてその知識は表にださずに感性を磨けっていうのが、フリー・ジャズを楽しめる前提じゃねえかな。
モーツアルトで言及した弦楽四重奏が一曲入っています。演奏家だけじゃなくて作曲家でもあるぞという、オーネット・コールマンの自己主張でしょう。
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2006/02/01 ものずき烏 記
(投稿済みの ↓ オーネット・コールマン)
以下は、わたしの 【主 張】
2005-10-06 に 「ドン・チェリー:ムー」を投稿した際、フリー・ジャズ信奉者と想定される自己チューから、望むものが得られなかった不満からか、書き手のわたしを攻撃する不愉快なコメントを書き込まれました。そこで、今回は予防線(バリアー、結界)を張っておきます。
インターネットの書き込みが「便所の落書き」同様だという見解がありますが、ブログのコメントは、個人住宅の便所。通りすがり に便所を貸して、居住者に不快な落書き を許すほど、わたしは寛容でもなければ、人間が出来てもおりません。
迷惑な病原菌をもつ 通りすがり は、公衆便所(掲示板)も利用すべきではなく、ご自宅の便所(ブログまたはホームページ)を使用すべきなのです。それが公衆衛生で、保健所の管轄です。
ルールとか法律は、性悪説 を前提にしているから必要なのである。それで、悪い人間は法に触れなければ正義だと嘘ぶく。だから、生産もせずに、他人の仕事に口出しだけして偉そうに振舞う 不正義が幅をきかす。 大きな間違いだ! お互いが信じあえる 性善説 がまかり通る世界を、若干でも残さないと、人の心がすさぶぞ。