想い人ブログ

詩人のこころのように綴っていきたい・・・

中国人女性の店員さん

2013-09-29 16:25:09 | 想いごと
2日間の休みも終わりに近づきましたが、
今日は用事があって外出したぐらいで、ずっと静かな家で本を読んだりしていました。

先週は東京で研修があったので、父のマンションにいたのですが、
夕方はマンションの近くのラーメン屋さんでチャーハンを頼みました。

僕は、ラーメンはあまり好きではないのですが、チャーハンが好きなのです(笑)

その日、東京で研修を終えて、父のマンションの近くにある本屋さんを渡り歩きながら、
そのラーメン屋さんに立ち寄りました。

時刻が5時ぐらいだったせいと、そこはオフィス街なので土曜日だったこともあってがらりとして、
狭い店内にはカップル二人連れと男性がカウンターにいました。

そのお店は券売機で券を買って、お店の人に渡して注文するのですが、
券売機で券を買おうとしたら、お釣りの出たところに前の人が忘れたと思われる、
250円がありました。

僕はとりあえず、自分のチャーハンの券を買って、
そこにいた中国人女性の店員さんに「お釣りの所にお金がありました」とお話をしました。

そうしたら、その店員さん、分かりましたと云って、自分のポケットにお金を入れました。

僕は、カウンターに席を勧められて座っていたら、
カップルの二人連れのお客さんが、その店員さんに、そのお金は自分たちのお金だと申し出ました。

そこまではいいのですが、

その中国人女性の店員さん、げっそり痩せていて体が板のようでした。

それを見た時に、その中国人女性の店員は
東京に来てから、もしかしたらほとんど何も食べずに過ごしているんじゃないかと心配しました。

僕の思い過ごしのせいもあるとは思うのですが、
あの250円をポケットに入れた時に、今日は何か買えると思ったのかも知れないし、
250円をカップル二人連れに渡した時の心境を考えると複雑でした。

そういう僕は、チャーハンをちゃんと食べてお腹いっぱいになって。

僕の考え過ぎかも知れませんが、慣れない日本に来て苦労していることは確かだなと思いました。


秋の空のような笑顔

2013-09-28 16:39:31 | 想いごと
今日はひさしぶりの2日休みの初日。
なんだか朝早く起きてしまい、6時には支度が整ってしまい、
昨日、予約していた映画『そして父になる』を観に行くため出掛けました。
でも、ちょっと早すぎるのでカフェで読書しました(^^;

しばらくして、近くのショッピングセンターが開いたのでぶらっと歩いていたら、
ショッピングセンターの出口を出た途端、目の前に老夫婦がパッと現れました。

そして、僕の視界にふっと入ってきたかと思うと、
その初老の女性がとてもいい表情で、初老の旦那さんの腕に自分の腕をからませました。

その時間、ちょうど2秒しかなくて、僕の視界から消えて行ってしまったのだけれども、
その女性のあの顔が忘れられないなと思いました。

そう、映画『そして父になる』ですが、
内容はこれから見る人のために云えませんが、色々な視点から見れるものの、
映画が終わって車を運転して帰ってくる途中にふと思ったことがありました。

それは…、僕らは社会の中で生活をしていますが、
会社の同僚だったり、夫婦だったり、親子だったり、
みんな時間をかけてお互いの関係を作ってきているのだと思います。

一緒に時間を過ごせば、辛いことや、憎みあうこと、
それだけではなく、思いやりや、いたわりもすべて全部分かち合うものだと思います。

だからこそ、夫婦だったり親子は絆というものができるのだと思います。

もしかしたら、昨日書いた愛憎というのは僕らが関係を作る上で大切なことなのかも知れない。

職場で、よく言い合いをする関係だからこそ、
もしかしたら、その人がいなくなったら、大切な人だったということもあるのだと思います。
でも、そこにはちゃんとした信頼がなければいけないのかも知れないですけれど。

話しがそれましたが、今日見た老夫婦というのは、そんな歴史を持っているんだろうなと思います。
お互いに苦しみも辛さも分かち合って、子どものことでケンカして、
そして、子どもが巣立って、秋の日の涼しい風の中、その女性は夫の手を取ったのだと思います。

そんな関係は物語の終わりにしか味わえないものなのかも知れませんけども。

でも、人にはそれぞれの物語があり、自分らしい人生があって、
人生の終わりに良かったと思える人生だったらいいんじゃないのでしょうかね…

その初老の夫婦は決して美男美女ではなかったのだけれども、
その初老の女性の秋の空のようなさわやかな笑顔は美しいなと思ったなー


想い、深い

2013-09-27 19:16:36 | 想いごと
明日から、2日間休みでとても嬉しい週末です。
でも、独りでコンビニで買ったワインとスパゲティを食べています(笑)

今日は、いつものように車で退勤をしてきたのですが、
帰り道にさら地になっていた土地があり、あれっ?!と思いました。

もしかしたら、今までもそれを見ていたのだろうけれども、
気づいていなかったんだろうなぁと思いました。

そのさら地を通り過ぎたのを心の中で思い起こしながら、
さて、その土地には何があったんだろうかと思い起こしました。

けれども、何度思い返しても思い出せませんでした。

僕らは毎日通勤で通り過ぎている建物は何気なく見ていますよね。
それは毎日の日常のことであり、気にも留めていないのかも知れませんね。

僕達は、何か心にインパクトがあったり、コミットメントしたものがなければ、
心には残らないものなんではないかなと思います。

それを人として考えてみれば、
愛憎という言葉がありますが、愛する人や憎んだ人はずっと心の中に憶えているものだと思います。

それは、自分の感情を揺さぶるような人達であったのでしょうね。

自分が憎まれるような人にはなりたくないものですが、
愛と憎は表裏一体のようです。

つまり、そこには、それだけ深い感情の動きがあるのだと思います。

僕はそんな想いの深い人間でもありたいけれども、
何かの折に、ふと思い出されるような、そんな人になりたいなと思っています…


季節の変わり目

2013-09-26 21:07:12 | 想いごと
今日は英会話教室でした。
帰りは寒くて車の暖房をつけて帰ってきました。

今日は、英会話教室の先生が「I have to change...」という話をされていて、
それを聴いて、自分自身のことにもあてはまるし、
そういえば、この前の分析で、その話をしていたんだよなぁと思い出しました。

僕自身、今まで必要に迫られて自分を変えてきたこともあるし、
自分自身で変わらなければならないと思い変わったこともあれば、
自然と時の流れと共に変わってきたこともあります。

でも…、分析の先生とも話していたのですが、
自分の意思を超えて、急激に自分は変えられないので、

「僕は少しずつしか変れないんですよねぇ…」と話していました。

時代の流れは、あっという間に変わっていくものだし、
そうしなければ淀んでしまうものが世間というものなのでしょうね。
そんな流れにはついていけそうにもないけれども、

自分の中の大切なものは変えずに、変えていくべきことは少しずつ変えていこうと思います。

今日は、英会話の帰りに急に寒くなってつけた暖房を有難く思うとともに、
季節が変わったのだなとふと思いました…


出会い、縁

2013-09-24 21:21:53 | 想いごと
今日は職場の同僚と食事をしました。
しかし、同僚は仕事があったので、僕が先に行って本を読んで待っていました。

そうしていたら、近くに座っていた女子高生ふたりがコップを落として割ってしまったようで、
近くにいた僕を気遣って、「お怪我はありませんでしたか?」と声をかけてくれました。

“袖触れ合うのも多少の縁”という言葉がありますが、そのときにその言葉が過りました。

出会いについては、僕は斬新なことは云えませんが、その時に色んなことを考えました。

例えば、遠藤周作さんが本に書いていたのは、
僕らが結婚して夫婦になる時に選んだ女性は全世界の女性から選んだのではなく、
偶然に近くにいた、その女性を選んだということ。

でも、その時に僕の頭に浮かんだのは、身の周りにいた偶然から選択した必然ということ。

そして、相手の女性にも選択権があり、選ばれたということ。

偶然と見せかけて、かなりの必然性がそこにあるということです。
それに選ぶのと選ばないのとでは雲泥の差があると思います。

同じ国に生まれ、同じ街で会い、同じ時間を生きているという偶然のような必然。

心理学の概念で云えば、そこには“意識と無意識の関係”があるのかも知れません。

ユングの言葉に“偶然の一致”という言葉がありますが、
出会いというのはそのようなものなんだと思います。

ということは、必然なのですね。

僕は、そういった不思議さに惹かれてユングを好きになりました。

さて、今日はもう遅いので、お風呂に入ろうと思います…


老いを受け入れるということ

2013-09-23 17:38:41 | 想いごと
今日で休みも終わり、明日は仕事です。
2階の自室からは、夕陽が落ちた山々の背景が淋しげに紅く染まっています。

最近思うのは、僕も大分年を取ったんだなということ。
自分で云うのもなんですが、分からない人には今でも20代後半に見えるようです。

でも…、自分のことは毎日鏡で見ているのでよく分かるのですが、
顔にシミができてきました。

小さい頃や若い頃は真っ白な肌に赤い紅だった(笑)。(自分で言う?!)

それに、目尻りにしわが出るようになりました。
若い人も出るだろうけれども、歳を取ったしわです(笑)

髪は染めているけれども、白髪は若い頃からありました。
でも、染めているのでよく分かりません。

ただ、今日は家にあった昔の写真を見る機会があって思ったのは、
顔の表情は若い頃から比べたら今の方が全然いいと思ったこと。(自分で言う?!)

もう少し若い頃は、自分の顔に突如として出てきた顔のシミを何度も確かめていたけれども、
今は、「もうしょうがないなぁ~」という感じです。

大の男がと云われそうですが、自分の老いを受け入れるのって難しいものですからね。

何もせずに老いていく自分…

人生のうちに何かを成し遂げたらと云われると、
仕事だけれども、ほどほどに患者さんのためにケアをしてきたというところでしょうか。

ささやかですが、そういう人生も悪くないのかも知れませんね。

とりあえず、今後も少しずつ成長するように…、あっ、もう老いていくのだから成長しないか(笑)

じゃあ、ささやかに美しく老いていきたいものですね。

それには、心を清く正しくさせておかないといけないですね。
もちろん、自分の中にある影の部分も含めてトータルして美しくという感じかな。

さて、明日は仕事です。
気負わず、目の前のことをきちんとこなすのみです。

無理しない無理しない、あれっ、一休さんみたいですね(笑)


パーキンソン病の女性

2013-09-22 16:34:40 | 想いごと
今の天気は曇り空。
日中は陽射しも強く暑かったのに、なぜか冬の気配がするような天気です。
それもそう、もう9月も下旬に入るし、暑さ寒さも彼岸までといいますしね。

最近、独りや孤独について書いてきましたが、

昔、僕が大学を卒業して、老人保健施設で介護士をしていた頃のことを思い出します。

その女性は、60代か70代ぐらいの女性で、入所している人の中では若い方でした。
その女性の病名は、パーキンソン病といって、身体が硬直してしまう病気でした。

その頃の僕は陽気で、その女性に冗談を云って笑わせることもありました。
でも、その女性は笑わず、自分の身体がそうなってしまったことのショックの方が大きいようでした。

食事もあまり摂らず、僕が、「○○さん、これもう少し食べたら?」というのですが、
僕が云うと食べずに、他のスタッフが云うと食べるという感じでした。

僕が夜勤の時のある明けた朝に、その女性の個室の部屋に訪れると、
身体が思うように動かないためにベットで硬直しているのを見て変だなと思うと、
それを見て察しました。

便失禁をしているということです。

僕は、その女性が、男性である僕に下の世話をしてもらうのを嫌だと分かりつつ、
濡れたタオルで丁寧に陰部を拭き、嫌だったと思うけれど、ごめんなさいねと云って交換しました。

その女性は、きっと独りだったから、あるいは独りで住めなくなり施設に入所したのだと思います。

個室に入った施設での孤独と淋しさは究極だったのだろうな、と今思います。

そういう僕は、その施設には長くはいなかったのですが、その女性は今どうしているのか。

何を想い暮らしているのか、あるいは、もう亡くなられたのか。

孤独のことを考えて、ふとその女性のことを思い出しました…


長椅子に独り

2013-09-21 21:08:36 | 想いごと
昨日は、瀬戸内寂聴の『孤独を生ききる』という本について書きましたが、
ふと、山形の祖母を思い出しました。

山形の祖母は、生前に独りで田舎に住んでいて、
「今日は誰もこなかった」と破ったメモ用紙に書いて
コタツに置いておいたこともあると叔母さんから聞きました。

それから、祖母が亡くなって、1年後の今年の1月に近くのお寺で1周忌を行いました。
人数は多くはなかったのですが、遠くから親戚が来てくれて食事もしました。

お寺でお坊さんにお経をあげてもらう時に、長椅子が並んでいて、
自然の流れで、夫婦単位で座ることになりました。

もちろん僕は独身なので、独りで長椅子に座りました。

その時に、独りでいることが恥ずかしいような、ダメなような気持ちになりました。

お経を聴きながら、「僕は独りなんだな」とその時にしみじみと感じたのを憶えています。

それは、自分で選んでいることなのだけれども、恥ずかしく感じている自分がいる。

でも、人の目で物事を考えるのではなく、独りというものも悪くないなと思ったのも事実です。

お経を聴きながら、「今日は誰もこなかった」と、メモ用紙に書いた祖母の気持ちが、
なんとなく解ったように思いました。

さて、幸せなことに明日は休みです。

ゆっくりと珈琲を飲みながら、本でも読もうかなと思っています…


○瀬戸内寂聴 / 『孤独を生ききる』

2013-09-20 20:56:49 | 
今日は分析があり東京に来ています。
東京は人、人です。
父のマンションの下のレストランでもパーティがあり華やかです、
というか、うるさい(笑)

今日は、分析まで時間があったので、

瀬戸内寂聴の『孤独を生ききる』という文庫本を読んでいました。

寂聴さんの本はいくつか読ませて頂いていますが、いいですね。

孤独なんていうと、天涯孤独を想像しますが、
僕らはいつの時代も誰しも孤独を感じながら生きているもののようです。

だからこそ、人は心と肌を触れ合わせて生きると書かれていました。

僕も、小さい頃から孤独や淋しさを無性に感じながら過ごしていました。
今は、大分、安定していますが、子どもの頃はとても淋しかった。

小さい頃は両親がふたりとも働いていたし、両親を通して社会の厳しさを感じていました。
といっても、両親に怒られることはあっても、ひどい親ではなかったし、
お金に苦労したことはないし、親戚や身の回りの人達もとても優しかったです。

きっと、淋しさとか孤独というのは、自分の本質だったのだと思います。

だから、小さい頃から優しくて好きな人を探し求めていました。

ただ、完璧な人はこの世にはおらず、その淋しさを毎日音楽で癒していました。

そんな淋しい時代も、幸か不幸か、心の安寧を求めて生きてきたせいか、
滑落する人生にはなって行かなかったようです。

もちろん、滑落するからこそ、這い上がろうとして幸せを求めるものだと思います。

そして、今、自分は独り身ですが、それほど淋しいとは思いません。
きっと、周りに良い人達がいるからだと思います。

今後の人生、どうなるかは先のことは判りませんが、自分の直感を信じて生きていこうと思います…


○さだまさし / 「黄昏迄」

2013-09-17 19:17:25 | 音楽
今日は3連休明けの仕事を終えて退勤してきました。

今日、車の中で聴いていたのは、さだまさしさんの「黄昏迄」という歌。

この歌をひさしぶりに聴きながら思い出したのは、
今から8年前のお正月明けに家族旅行をした時のこと。
その宿泊した旅館は、芸能人がよく来るという旅館でした。

雪が積もった中庭は趣があり、温泉に入って静かに食事をしてから、
カラオケが好きな母が、旅館の中にあるお酒を飲みながら歌を歌える、
つまり、スナックみたいなところに行こうというのでみんなで行きました。

僕はもちろん、さだまさしさんの大ファンなので、さだまさしさんの歌を歌っていました。

そうしたら、ちょっとヤンキーのような男性達数人と、
その男性達の会社の上司と思われる男性が、そのスナックに入ってきました。

その男性達は、何やらスナックにホステスはいないのか、
ホステスを呼ぶことはできないのかと、店の人に交渉をしているようでした。

しばらくすると、その旅館ではホステスは呼べないということで、
淋しいとかなんとかとボヤイていました。

そして、僕がステージで、さだまさしさんの「黄昏迄」を歌っていると、

なんと、

僕と全くピッタリと同じ歌声で、「黄昏迄」を歌っているではありませんか。

この歌は、さだまさしさんのファンでなければ知っているはずがないですし、
知っていても難しい歌なので、音程をしっかり合わせて歌うのは難しいと思うのです。

その時、ホステスがいないだのボヤイていたお兄さん達を少し見直して、
違う目で見ることができました。

でも…、その男性達、女性が唯一そこにいたのは僕の母で、
上司と思われる男性が母の所に楊枝を持ってきて、

「用事はないですか?」と話しかけてきました(笑)

そういうわけなので、僕らは、自分が歌いたい歌をスッキリ歌ってから、
その男性達を置いて、早めに退散したのでした…(笑)