想い人ブログ

詩人のこころのように綴っていきたい・・・

夏の終わり

2008-08-31 20:09:07 | 想いごと
今日で8月も終わりですね。
なんだか夏が終わると寂しいものです。

今、家の近くでは大きな花火の音が聞こえます。
いつも8月の終わりに祭りをやるのですが、
その花火の音を聞くと季節の一つの区切りを感じます。

そして、今は24時間テレビも真っ最中でいつもそうですが元気をもらっています。

そう、今日は知り合いのおじさんおばさんと梨と巨峰を買いに行ってきました。
その帰りにファミリーレストランへ。

ファミレスでメニューを見ながら、僕はグリーンカレーを食べようと思ったのですが、
おじさんがどうしてもステーキを食べようというのでステーキを食べました。
だから、明日は元気がでるかな…

よく考えると9月は実りの秋。
明日、すぐにじゃなくても深まる秋にきっといいことあるかも知れませんね。


祖父の庭の池に咲いていた睡蓮です。
少しだけ心を開いてみましょうか…


コンサート’08 8月

2008-08-30 18:41:00 | 日記
先日、「さだまさし」さんのコンサートに行ってきました。
今回のコンサートは「美しき日本の面影」からの2年ぶりのコンサートでした。

ただ、コンサートはこれから12月まで続くそうで中身を書くわけにはいかないので、
個人的な主観の感想を少しだけ書きたいと思います。

そう、ひと言で云ってしまえば、「本当によかった~」です。
ただ、それじゃあ話にならないので何かを書くと…、

そうですねー、なんというか、歌と合間のお話が絶妙に絡み合っていて、まるで織物のようでした。
まあ、それはいつもコンサートに行っていて分かっていることなのですが、
一つ一つの歌や話がとても愛おしかったです。

曲目は書けないので心に残った話を少しすると、

「出会うまでの歴史より、出会ってからの歴史の方が大切だよ」というお話。

なんとなくこの言葉が心に残りました。

それから、もうメールマガジンでは分かっていることですが、
今年は35周年記念の新しいアルバムは作らないそうです。

でも、さださんの歌を若い歌手達がそれぞれにスタイルを変えて歌うアルバムや
「美空ひばり」さんの歌をさださんが歌うアルバムを発売するそうです。

”この二つは必ず買うように”と仰せつかりました(笑)

ただ、自分としてはさださんの新しいアルバムも発売されて欲しかったなー、と
少し我がままな子どもみたいに心の中でつぶやきました…

さださん、これからも体調に気をつけて歌ってくださいね(^^)

あっ、そう、そういえば、歌や話を聴きながら思ったことがあります。

こんなことは不謹慎かもしれないけど、
さださんがいなくなったら僕はどうするんだろうなーと思いました…

だからやっぱり元気でね、さださん。






8月の祖父のバラ

2008-08-27 20:24:47 | 想いごと
最近、めっきり涼しくなりましたね。
セミの鳴き声はいつしか聞こえなくなり、今は鈴虫の声がしています。

でも、今年の9月は残暑が厳しく降水量が多いとか…
また、蒸し暑い日が来るのは少しだけ懐かしいけどもういいかな(笑)

そう、家の庭の隅に祖父が植えたバラが8月の中旬に咲きました。
今でも蕾があっていくつか咲いている最中です。

あっ、祖父のバラをよく見たらバラの葉や枝に
朝顔のツタが巻きついていて一緒に咲いていました。
その写真も撮ればよかったのですが、

こちらが8月に咲いた祖父のバラです。


とても綺麗な形のバラです。
匂いもとてもいい匂いでした…


両腕両足複雑骨折の思い出 (2)

2008-08-25 19:08:19 | 想いごと
昨日の話のつづきですが…

ゴレンジャーの服をハサミであっさり切り裂かれギブスをした僕は病棟に連れていかれました。

夕方近くに小児病棟の部屋のベットで目を覚まし、
両端ともカーテンを引かれているのに気づき、
どうにもこうにも「誰かちょっとお願いします~」と人を呼んでいました。
それは何故かというと、おしっこがしたくてたまらなかったのです。

すると、目の前の子どもの付き添いをしていたおばさんが来てくれて、
看護婦さんを連れてきてくれました。

ようやくすっきりするのですが、自分の両腕両足が重いギブスをされているのに気づきました。

その頃はちょうど夏真っ盛りのときで当時クーラーらしきものはあったのかと憶えていませんが、
毎日、とても蒸し暑い日でした。

僕は、母に付き添われて完全看護の中、ぶどうを口に入れてもらったり、
用を足してもらったりと色々お世話になりました。

あっ、その節はお世話になりました…(母へ)

そういうわけで3ヶ月の間ずっと病室から出ることもなく過ごしていました。
しかし、しばらくすると両足のギブスが取れてトイレに行けるようになったものの、
両腕にギブスをしているのでどうやって用を足したらいいやら分かりませんでした(笑)

そう、もう退院の兆しが見え始めた頃に、
最初に看護婦さんを呼んでくれたおばさんが毎日病院の庭にいるホタルを持ってきてくれました。

その頃は病院の庭にホタルがいたんですものね、いい時代でした。

そのおばさんは、昼になるとホタルを探して来てくれて、
ホタルを草と一緒に透明のお惣菜を入れるようなちょっとした入れ物に入れてくれました。

そして、夜になり消灯の時間に電気を消すと、
ホタルの柔らかい光がフワ~ッ、フワ~ッとするのでした。

でも、そんな光はすぐに消えてしまい2度と光ることはありませんでした。

子ども心におばさんに明日も取ってきてと云うのですが、
その光は2分も経たぬうちに消えてしまうのでした。

それを見ながらなんとなく命について少しだけ感じたような気がします。

そう、そして元気に退院したのはいいものの、
僕の両腕両足は細くなってしまっていて、
その年の保育園での運動会では走っているつもりでも歩いているようでした。

僕が小学5年生に野球少年団に入り1時間のランニングをして鍛え抜くまでは、
それは運動の出来ない足の遅い子どもでありました。

子どもっていつどこで怪我をするか分かりませんが、
確かにあれは痛い思い出であるものの、
なんとなく大切な体験でもあったような気がします…

                   (完結)


両腕両足複雑骨折の思い出 (1)

2008-08-24 17:16:30 | 想いごと
一昨日の夜に妹から母に電話があって、甥が骨折をしたと連絡がありました。
若木骨折といって、大人のようにボキッと折れるような骨折ではなく、
しなるように骨折するというものらしいです。

でも、ギブスをして落ち着いたようで本当によかったです。

そう、また思い出したことがあるのは、
僕も、昔、3歳ぐらいの時に両腕両足複雑骨折というのをやりました。

それは何故かというと、
ちょうど保育園に行っていて、子ども達で外で遊んでいた時なのですが、
そこには壊れた軽自動車が園の庭にあり、
その軽自動車の上から飛び降りるという遊びを5歳くらいの子がしていました。

僕はそれを始めは見ていたのですが、
その5歳ぐらいの子が、「おまえ3歳なのにここから飛べないの?」と云い、
僕、「じゃあ、飛んでみるよ」と云って、最初の飛び降りは成功しました。

それに気をよくした僕は、2度目に飛び降りた際に
両肘と両膝を地面に着いてしまい大泣きしました。

それを知った園の保母さんは、僕を抱き上げ両腕両膝を撫でながらあやしたのですが、
どうやら僕の両腕両足は複雑骨折をしていて余計に大泣きしました。
でも、救急車を呼ばずに母が迎えに来るまで赤チンキをつけて待っていました。

母が来て、大慌てで整形に連れて行かれたものの、
今でも憶えているのは、整形のお医者さんが僕の腕を引っ張って骨を戻そうとしたこと。
複雑骨折をしていたので、それはそれは大泣きしたのを憶えています。

その後、急患で市内にある大きな病院に連れて行かれて、
そこでゴレンジャーの絵の描いてある服を切ってギブスをするという話になり、
僕はそれは嫌だと云ったのを憶えています。

その時、母が新しいゴレンジャーの服を買ってあげると云って説得され
あっさり承諾してギブスをすることになりました。

今でもその時の映像を憶えているなー。

その後はもちろん入院となりました。
その入院期間は3ヶ月ぐらいだったと思いますが、
そのお話の続きは長くなりますので、また後ほどしたいと思います…

つづく…



夕焼けの気持ち

2008-08-23 18:27:24 | 想いごと



先日、自宅に帰ってきたらちょうど綺麗な夕焼けを見ることができました。
夕焼けを見ていると妙に心が落ち着きます。
落ち着くといっても、それは「人生とはそういうものだ」とか「なるようにしかならないんだ」
とか、そういった穏やかな気持ちになるという表現の方がしっくりくるかも知れません。

皆さんはどう思われるのでしょうか…


「ささやか」

2008-08-22 19:48:18 | 言葉
    
       今日、車で通勤中に道を譲ってくれた車があった
       とても有難く嬉しかった
       人の心はそんなささやかなことでいいのだなと思った

                           (想い人)

浮気

2008-08-19 21:45:20 | 想いごと
最近、大分夜など涼しくなってきましたね。
涼しいというか寒いかもしれませんね。
なんだかあっという間に夏が終わってしまったような気がします。

でも、まだまだ夏は終わっていないと思います。
日焼けの跡が消えるのはまだ早いかもしれませんね。
なんてね。

そう、今年の夏はどんな夏になるかなーなんて思って、
ここ数年買っていなかった「TUBE」のCDを買いました。

「TUBE」は夏だけ歌うバンドで、昔から素晴らしい夏の歌を歌っています。
今年は何十周年記念かでいい曲がたくさんありました。

だから、仕事をしながらその歌がいつも頭の中を巡っていました(笑)

そのせいか「さだまさし」さんの歌をしばらく全く聴いていなかったのですが、
今日の通勤中の車の中でさださんの歌を聴いていたら、

「あ~、なんだかもう少しで秋だし冬も近づくしやっぱりいいねー」って

思って、あらためてさださんの良さに気づきました。

人ってずっとそれに接しているとその良さが判らなくなるものですよね。
それは男女の関係も同じだと思います。

このことは遠藤周作さんも同じことを仰っています。

ただ、それは他の異性とくっついちゃうのではなく、
少し離れてみるということが大切なのだと思います。

そう、もう少しで「さだまさし」さんの新しいアルバムが出る頃ですね。
きっと、とても苦労して作ってらっしゃると思うので、
大切に大切に聴きたいと思います。

さださん、体調に気をつけていい歌を作ってくださいね(^^)


救い人

2008-08-18 19:25:01 | 想いごと
皆さんは人に救われたという出来事というのはありますか?

誰しも生きていく中で人に救われない人はいないと思いますが、
僕にとって独りで悶々としていてどん底であった時に救ってくれた友人がいます。

その人はI君という同じ年の男性です。

I君と僕は高校の現役時代にある音大を一緒に受けた戦友です。
高校3年生の秋頃に楽器を習っていた同じ先生のマンションのレッスンで会いました。
音大には講習で夏や冬に行っていたのですが、その中でもとても上手だなと思った友人です。

I君は僕と同じ県出身で僕がまだ「さだまさし」さんを知らない頃に
さださんのファンだと云っていてお互いに感性が似ていました。

しかし、お互いに桜散り、
僕はある考えがあって医療系の大学に進学し、I君はもう一度その音大を受験しました。

お互いに浪人時代一生懸命勉学に励んでいた時に手紙をくれて、
「俺達の桜は来年咲くかな」と書いてくれたのを憶えています。

そして、ふたりとも大学に進学し、僕が大学時代に体調を崩し実家に戻ってきた時に、
家に遊びに来てくれたのです。

でも、後から聞いたのですが、I君もその時に音大の専攻の楽器の生徒の中で孤立し
先生ともうまく行っていなかったと云っていました。

そうやってお互いに危なげな学生時代を過ごして、
彼は社会に出ても音楽のできる仕事として海上自衛隊の音楽隊に入隊しました。

その頃、僕は社会に出てうまく渡って行けず足もつかないどん底にいました。

そんなある時に、彼が海上自衛隊の音楽隊をバックバンドに
自分がソロ(独奏)を演奏したCDを送ってくれました。

それを受け取った僕は、こんなことをしていちゃダメだ、
自分もがんばらなくちゃと感動したのをよく憶えています。

その後もかなり長い間辛い時期は続いたのですが、
今ではお互いに東京でお酒を飲み、昔のことを懐かしんで話せるようになりました。

今、I君は偶然なことに精神科医の女性と結婚し幸せに暮らしているようです。

だから、I君とは今でも大切な友人として付き合っています。

I君は僕の「救い人」です。


オリンピック野球 (韓国戦)

2008-08-17 11:17:40 | 日記
昨日の北京オリンピックの野球「日本×韓国」をずっと見ていました。

試合の初めからどちらのチームもヒットをなかなか許さず緊迫していましたが、
次第に力が抜けてそれぞれにヒットがでるようになりました。

そして、お互い同点となった後、日本にミスが見られましたが、
日本選手に向かって「負けてもいいからがんばれ!」と叫びました。

試合の結果は負けてしまいましたが本当にいい試合だったと思います。

心から日本の選手達を誇りに思いました。