ココロノ☆ブラインド

♪堂本剛ヲタの日々のココロ模様を吐露します♪

3月11日のこと

2011-03-21 16:24:47 | Weblog
3月11日は日本中が忘れもしない一日となってしまいました。
私は、横浜の職場で地震にあい、最初ゆったりとした大きな揺れだったのですが、いつまでもやまないから、とりあえず自動ドアを開けて固定。
するとパソコン以外の電源が落ちて、室内がうす暗くなりました。
パソコンはノートPCだった為、内臓バッテリーに切り替えられたもよう。
急いてデータの保存だけして、みんな建物の外に出たのです。
とりあえず職場の池のある芝生にみんなで出たのですが、地面がクーラグラして、船酔いしているみたい。
みんな、自分だけがめまいを感じているのか、それとも地面がゆがんでいるのかわからない状態でした。
最初はゆったりだったのですが、余りの長さと大きなうねりにバラバラと人が建物から出てきます。
次に放送が入り、建物から離れてグラウンドに集合しました。
MP3にラジオ機能があったので、FMヨコハマを聞いていると、震度7とか聞いたことのないような数字!
横浜、3時30分に0.5mの津波到着予定と言っていて、同じ部署の子に「津波0.5m来るんだって、大丈夫かな?」と言ったら
「50センチの津波じゃ大した事ないんじゃないですか?」と・・・
すると隣にいた人が「いやいや、50センチだって、簡単に足をすくわれる高さだから、バカにしないほうがいい」と
そうこうしているうちに2回目の大きな揺れがありました。
まだ昼間で、明るくて大勢人がいて、何かが落下してくるような場所でもないため、さほど危険は感じなかったけれど、
確かに生まれて初めての大きさの地震だったのは間違いありません。
1時間30分ほどグランドに避難していたでしょうか・・・職場の責任者が歩いて帰れる人は明るいうちに帰るようにとの話があり、私も帰宅する事に・・・
既にケータイ電話は繋がりません。「ATMの横の公衆電話だけは繋がるよ~」と教えてもらい、実家には連絡がとれました。
あいにく旦那は大阪出張で日帰りの予定でしたが、すぐメールで泊った方がいいとアドバイス。
息子は東京にアルバイトに行っていたので「早く帰るように」メールで指示。
私はというと、歩くしかありません。
職場からは電車で2駅とバス4停留所分ですが、4時15分くらいに出て、家に5時過ぎにたどりつきました。
途中「信号」が灯いておらず、街の色とりどりの照明もなく、どんどん陽が落ちてきて、あたり一面がグレーの世界でした。
歩きだして一駅目にあるスーパーでトイレをお借りしようと思ったら、既にシャッターが下りていてビックリしました。
この期に及んで呑気な私は、じゃあマクドかミスドに入って一服して帰ろうと思ったけれど、全ての店が閉まっていました。
駅沿いに川が流れているのですが、通りすがりのおじさんが「さっきはこんなに水位が上がったのに、今は凄く引いてる」と話していました。
街までは来なかったものの、津波は確かに来ていたようです。
「信号」が止まっているので、道を横断するのも気をつかいます。なぜだか沢山の人が外に出ていました。
家の近くのコンビニはもちろん閉まっていましたが、何故か多くの人が行列を作って待っていました。
家はかなりの高台にあるので、ずんずん登っていきます。なんとしても光のあるうちに家にたどり着いて懐中電灯やろうそくの準備をしなくてはならないと思ったから。
やっとマンションにたどり着くと、気を利かせたのかマンション管理の警備員がオートロックのドアは解放してくれており、
多分1階の世話好きなおじさんが階段にろーそくを一本置いておいてくれました。
廊下が開放型のマンションではないため、エレベーターホールが暗く、カギをあけるのにもケータイの光を借りました。
旦那は何度もケータイに電話をかけてきているが繋がらず、メールの留守番電話の表示がずらりと並んでいらだちました。
「ケータイが繋がらないからメールで」と指示し、やっとメールでしかやりとり出来ない事を理解したようです。
大阪にホテルを取れた旦那は自分の実家に電話して確認してくれと再三メールしてきますが、家の電話も電気が来ないので使えません。
正直大阪のホテルの電話のほうが繋がるでしょ?と苛立ちつつ、懐中電灯と予備の電池などを準備。
暗闇でケータイの場所がわからなくならないよう首からかけるストラップを装着、電池の充電器も近くに置きます。
もう、後は何もすることがなくなり、スーパーのそばの公衆電話に向かい旦那の実家に電話することにました。
何人かが電話している所に並びました。
私の番になり、もはやテレホンカードの存在もなく、十円玉もなく、百円を投入するしかないと投入するのですが、コロン、コロンと一向に入っていかない。
困ってボックスの外に出ると、そこにいた人が「コイン入れなくても話せるから」と教えてくれました。
受話器の上げ下げの関係でなかなかうまくいかないけれど、なんとかコール音!何回かけても出る様子がありません。
旦那の父親はたまたま入院中だから、義理母もそこに居るだろうし、病院のほうが停電にも強いから大丈夫だろと思って家にもどりました。
6時ごろからどんどん日は暮れて暗くなっていきます。薄明かりのうちにカップラーメンをキャンドルライトで食べましたが、もう後はする事なし・・・
息子は最初電車が止まったけれどバイト先が車で東京の私の実家に送ってくれると言っていたのが、道路も大渋滞になってしまい、歩いて帰る事になったそうです。
後で聞いたら亀戸から文京区の実家まで、線路と道路標識を確認しながら4時間かけて帰ったそう。地理に強い男の子で良かった。
真っ暗で一人ぼっちの私はケータイもワンセグが付いてない古いヤツだから、これまた充電式だからいつまでもつかわからないラジオを聞きながらソファーでごろ寝
夜の8時30分頃・・・「ピ!」という音があちこちからして、家の電源が復活した!
コンセントを抜いていないTVや、CDコンポや、ポットがいっせいに起動してビックリ。
色を失ったまわりの世界から急に戻されて、目が覚めた時のようで、まだ夜なのが不思議な気がした。
TVを見て、凄い事が起きているのだと初めて実感した。
仕事を途中でやめて帰ってきてしまったからか、翌日は土曜日なのに「明日会社、行くべきかどうか?」をぼんやり考えた。
暗さに慣れてしまったから、最小限の光でTVを見るが・・・まるで映画のような光景で、現実とは思えない自分がいる。

一週間前にNZの地震で行けるかどうか心配した中3の娘は何も知らずに今や日本より安全なNZにホームステイ中だ。
当初ホームシックにならない為ケータイをステイ先に持ち込まない指導をしていた学校だが、NZの地震以降、何かあった時用として自分のケータイを持たせてOKだったが
まさかこちらの安否を知らせる為につかう事になるなんて、どの家庭も思わなかったに違いない。



24CHANNEL

2011-03-10 08:24:18 | Weblog
ゴブサティアン(笑)
まだ全部見てないけど、兎に角バニラダンスは最高だ
最近の堂本兄弟も好きだな
相変わらずファッションが面白いし、トークも頭の回転の良さが出てるし
そして、いよいよ剛の春がやってくるね
待ちに待ったシングル3/28からオンタマも出演、あと『ぶっすま』
楽しいだ