ご無沙汰しております。
気が付けば年末。
更新もままならない位の忙しさにかまけておりました。
このブログを書いている現在、外の気温は氷点下であります。
(本当に、鹿児島??)
さて、少し前に、”秋らしい風景を”と探していた時に見つけた
”夫婦イチョウ”を見に行ったぞ、記のお話。
場所は、霧島市福山の海岸線を少しばかり入った所になります。
ルートとしては、東九州自動車道・国分 IC から、一瞬だけ国道 10 号に
入り、すぐに国道 220 号で海岸線を暫く走ると、県道 478 号に入るために
左に入る交差点があります。
ここを入って数 10 m くらいの位置にあります。
(案内板もありますし、国道 220 号からも見えます。)
で、サクッと到着。(笑)
実はここ、宮浦宮(宮浦神社)の境内にあります。
いわれは例の如く、ネットで調べて頂くとして、歴史はもう、凄いです。
当ブログでは、最早まったく珍しくない、古事記・日本書紀の世界です。
最も、宝暦 2 年 ( 1752 年! )以前の正式な記録は無いそうですが。
これまた例の如く、急な階段を上るのですが(笑)、左側にはこれ。
日清戦争の従軍者慰霊碑が。
さらにその上には、日露戦争従軍者慰霊碑が。
これだけでも、かなりの歴史。。
角度はかなりキツイですが、割と短かった階段をヒーコラ言って
登りきりますと、ドーンと来ました、お社と”夫婦イチョウ”の巨木です。
なんか、歴史の割には、こじんまり。(失礼!)
神武天皇の東征の折りに仮の宮だった、との逸話ですから、もう少し
頑張って欲しいかな、と。
(最も、両脇のイチョウの木とのバランスもありますが。)
桜島さんの噴火で何回も焼け落ちていて、島津のお殿様の命で
再建されたとの歴史。
と、思ったら、その後ろにはこれが。
この方が、当時の雰囲気満点ですね!
(何せ、古事記ですから。。)
因みに、手水所はこのような感じです。
作法が図解で書かれているのは、素晴らしいですね。
さて肝心のイチョウさんです。
こちらが、北側になりますか。
高さ 40 m 弱、幹の部分 8 m 弱の堂々たる巨木です。
(写真ですと、大きさが判りにくいですねえ。。)
こちらが、南側のイチョウさん。
こちらもほぼ同じくらいの巨木。
神武天皇が手植えした樹の枝から育った、との言い伝えですから
樹齢も当然、1000 年越えであります。
いわれはこちら。
北側の樹には、西南戦争時に受けた弾痕( 1877 年!)が残り、南側の樹
には寛政 3 年( 1791 年)の大火の燃えた後があったり、まあ正に
この地区の”歴史の生き証人”レベルですね。
イチョウには雄樹と雌樹があって、イチョウの実(銀杏)がなるのは、雌樹だけ
なんだそうです。
夫婦イチョウさんの、どちらが雌樹なのか、確認し忘れましたが。。
因みに独では、イチョウは医薬品なんだとか。
何に効くんだろう。。
老化防止なら、是非試してみたいです。(爆)
黄色の絨毯、綺麗でした。
秋になると、あちらこちらでこのような風景になりますから、探して歩くのも
良いですね。
(そうそう、公孫樹の、公とは”祖父”のことです。
つまり、祖父の代に植えたイチョウの木が、銀杏の実を付けるのは、孫の代
という長寿を表した表現とか。流石であります。。)
帰りしな、フト気が付いたら、オドメーターが17000 Km に。
1 年と 4ヶ月で達成しました。
通勤使用無しで、と考えればなかなかだと自画自賛。
(しかし、最近、とみに走行距離が落ちていますね。頑張らねば!)