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支流からの眺め

大津事件(3) 当事者2人の「なぜ」と歴史の「もし」

 前のBlogのように、その後の皇太子の行動には、皇帝としての矜持と傲慢、大国意識に加えて、日本に対する頑なな姿勢が感じられる。その矜持故に臣下の意見を容れず専制君主制に固執し、その傲慢故に人民の困窮に冷酷で革命を強力に弾圧した。大国意識は日本や独墺相手の挑発や無謀な参戦となった。これらの態度をとったのはなぜか。生下時から約束された大帝国皇帝という圧倒的な優越性と、その裏にある祖父のテロ暗殺に象徴される死の恐怖が理由だったのだろう。

 強硬な対日姿勢はなぜか。不凍港を求めた以外に、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(皇帝の従兄)から極東進出の教唆を受けたとも言われる(露を欧州から遠ざける陰謀か)。しかし、日本人を「黄色い猿」と侮蔑したように、皇帝にはアジア人に対する差別意識もあっただろう。加えて、大津事件の恐怖と嫌悪が心的トラウマとなり、理性的判断を阻害したのではないか。過酷な運命と悲痛な最期は、専制君主に固執した時代錯誤だけでなく、事件に由来する日本への負の感情に流された顛末のようにも思える。

 もう一人の当事者、犯人の警察官(津田三蔵、写真)はどうか。事件の前から国民の間には、露国の強硬な対日行動(維新前の露寇事件・対馬占拠事件、シベリア鉄道敷設など)に対する反感が燻っていた。皇太子訪問の目的が敵情視察だという噂もあった(その意図もあったろう)。それでも、津田は普通の警察官であり、特段の反露的な政治的意図はなかった。取り調べでは国に多大の迷惑をかけた自身の行動を悔やみ、強い自殺願望もあった。収監後は北海道に移送され、2か月後に肺炎で病死したとされる。

 では、なぜあのような大胆な凶行に走ったのか。魔が差したということか。魔が差すとは、手にした物をなんとなく万引きするように、してはいけないことは分かっているが、その禁を破る欲望が潜在的にあり、破った時の快感や恍惚を想像し始めるとそれに心が魅了され、そこで一瞬理性を失い実行してしまうことであろう。体系的な思想や同情すべき事情などはない。それどころか、そのように一瞬理性が麻痺すること(魔の誘惑に負けること、心の隙に嵌ること)は誰にでも起こり得る。

 例えば、露への反感を漠然と持っていたところ、家族や同僚の誰かが「迷惑だなあ、皇太子なんか来なけりゃ出勤しなくていいのに」などと呟くのを小耳にはさみ、「そうだ、ここで亡き者にすればすっきりするんだ」とふっと思ったとか。だから計画性はなく、売名でもない。その時理性は飛んでいるが、激情に流されたわけでもない。敢えて言えば、そうと知りつつも落とし穴を踏み抜くような「自滅願望」とでも言おうか。当時の新聞は「狂人」と評したが、そういう括り方で収まらない、人間の不条理さ、予測困難性を感じる。

 最後に、もし大津事件がなければ歴史はどうなったか妄想してみる。皇太子はご満悦で帰国し、日本に対し悪い印象は残さなかっただろう。日本の皇族の返礼訪露もあったかもしれない。日露関係が友好的となれば、三国干渉やそれに続く日露戦争もなく、日英同盟ではなく日露同盟が生まれたかもしれない。それでも列強の中国進出は止まらず、その利権を巡って争いは続き、その過程で、やはり日露の衝突は回避不能であったかもしれない。世界情勢は相当に予測困難である。

 露国の政体はどうか。いずれ帝政は崩壊しただろう。しかし、日露戦争が招いた国内の動乱がなければ、革命の過程はより穏やかで、皇帝の処刑もなく、共産党独裁ではなく民主的な共和制に移行したかもしれない。つまり、事件がなければ、日本との敵対関係による国内の動乱が緩和され、革命は暴力的な共産革命とならず、国際共産主義運動(コミンテルン)や共産主義国家も生まれず、人類は共産主義が招いた災厄から免れた可能性がある。そうだとすれば、あれは世界史的な大事件だったことになる・・・・。(了)


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