最近、銅鐸に興味がある。
銅鐸は祭祀に使われたらしい。
中国・朝鮮には小型の銅鈴はあるけれど、大型の銅鐸は日本にしか存在しないらしい。。。
古事記や日本書紀には、銅鐸文化についてはほとんど記述がない。
何故?意図的に隠してる?
銅鐸を作る人と使う人は別だったのか、
銅鐸を作っていた人達は何処に行ってしまったのだろう、
銅鐸を使って祭祀をしていた人達は何処へ?となんだか気になる。
たくさんの謎を抱えている。
これからちょっと調べてみようと思っている。
そんな風に思っていたら、この間新聞記事を見つけた。
あまりにグッドタイミングで驚き。
兵庫県立博物館が銅鐸の破壊実験
新聞記事
事前予約で参加ができるらしいけれど、スペインからは遠い・・・
日本歴史博物館HPの「銅鐸の世界」
滋賀県野洲市辻町には、銅鐸博物館がある。
案内HP
日本のピラミッドと呼ばれている三上山の北側、鏡山の西側に
あって、弥生時代の竪穴式住居のレプリカがあったり、
古代ハスの大賀ハスの池もあるらしい。
今度日本へ帰ったとき、是非行ってみたい。。。
最近、古代史への興味が高鳴ってきて、この博物館の存在は、
11月の半ばに見つけて知っていたけれど、住所はちゃんとチェック
していなくて、昨日たまたま場所と住所を知ってびっくり。
あまりのつながりに、くらくらしてしまいました。
野洲川をはさんで栗東市には辻遺跡という縄文から古墳時代に
かけての遺跡があるし、その隣の守山市には弥生後期の大型祭祀集落と
見られる伊勢遺跡もあるし、この琵琶湖東岸は何かありそう。。。
古代史の謎に迫る?!
銅鐸に関するHPのリンクを覚え書き。
銅鐸Wikipedia
同志社大学、森浩一享受の銅鐸と日本文化
インターネット銅鐸研究会なるものがあるらしい。。。
銅鐸の謎
銅鐸の謎を探る
銅鐸人の発見
弥生は銅鐸の時代
「銅鐸の絵を読み解く」書評
銅鐸文化の中心はどこか
真説・古代史(5)
真説・古代史(6)
もう一つの日本】(12) 破壊されたミステリー 銅鐸
ブログ銅鐸通信
2/12/2009
雲が厚くて夜明けが暗かった。
朝一は雨降ってなかったけれど、しとしと雨降り。霧深い。
今日は満月なので、夜には雲が切れて欲しいな。。。
銅鐸は祭祀に使われたらしい。
中国・朝鮮には小型の銅鈴はあるけれど、大型の銅鐸は日本にしか存在しないらしい。。。
古事記や日本書紀には、銅鐸文化についてはほとんど記述がない。
何故?意図的に隠してる?
銅鐸を作る人と使う人は別だったのか、
銅鐸を作っていた人達は何処に行ってしまったのだろう、
銅鐸を使って祭祀をしていた人達は何処へ?となんだか気になる。
たくさんの謎を抱えている。
これからちょっと調べてみようと思っている。
そんな風に思っていたら、この間新聞記事を見つけた。
あまりにグッドタイミングで驚き。
兵庫県立博物館が銅鐸の破壊実験
新聞記事
事前予約で参加ができるらしいけれど、スペインからは遠い・・・
日本歴史博物館HPの「銅鐸の世界」
滋賀県野洲市辻町には、銅鐸博物館がある。
案内HP
日本のピラミッドと呼ばれている三上山の北側、鏡山の西側に
あって、弥生時代の竪穴式住居のレプリカがあったり、
古代ハスの大賀ハスの池もあるらしい。
今度日本へ帰ったとき、是非行ってみたい。。。
最近、古代史への興味が高鳴ってきて、この博物館の存在は、
11月の半ばに見つけて知っていたけれど、住所はちゃんとチェック
していなくて、昨日たまたま場所と住所を知ってびっくり。
あまりのつながりに、くらくらしてしまいました。
野洲川をはさんで栗東市には辻遺跡という縄文から古墳時代に
かけての遺跡があるし、その隣の守山市には弥生後期の大型祭祀集落と
見られる伊勢遺跡もあるし、この琵琶湖東岸は何かありそう。。。
古代史の謎に迫る?!
銅鐸に関するHPのリンクを覚え書き。
銅鐸Wikipedia
同志社大学、森浩一享受の銅鐸と日本文化
インターネット銅鐸研究会なるものがあるらしい。。。
銅鐸の謎
銅鐸の謎を探る
銅鐸人の発見
弥生は銅鐸の時代
「銅鐸の絵を読み解く」書評
銅鐸文化の中心はどこか
真説・古代史(5)
真説・古代史(6)
もう一つの日本】(12) 破壊されたミステリー 銅鐸
ブログ銅鐸通信
2/12/2009
雲が厚くて夜明けが暗かった。
朝一は雨降ってなかったけれど、しとしと雨降り。霧深い。
今日は満月なので、夜には雲が切れて欲しいな。。。
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/dotaku/dotaku.html
銅鐸とその時代
http://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/data/kouko/45dotaku.htm
岩石祭祀学・銅鐸
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/
古賀達也の洛中洛外日記http://sinkodai.typepad.jp/blog/cat149869/
銅鐸は何に使われたのかhttp://www.city.fujiidera.lg.jp/9,1138,98,149.html
http://historian.web.fc2.com/doutaku1.html
銅鐸や土偶
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/dotaku.htm
真説日本古代史 特別編の三 謎の銅鐸
http://www2.plala.or.jp/cygnus/s3.html
日本書紀に記事がない銅鐸の秘密1
http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-90303.htm
暗号 山上憶良のHPから
銅鐸の図や出土の経緯を記した古書が、江戸時代の国学者平田篤胤の著書「弘仁歴運記考」に引用された「古宝鐸記」だったことが奈良文化財研究所の難波洋三企画調整部長の27日までの鑑定で分かった。
図は銅鐸の特徴を正確に描いており、当時の考古学遺物への関心の高さを裏付け、現存しない銅鐸の研究資料としても価値が高いという。
難波部長によると、古宝鐸記は姫路藩主の侍医だった山田安貞が、現在の愛知県と兵庫県で出土した計二つの銅鐸を記録した本。ただ、一部の文様が描かれておらず草稿とみられるという。
書名や筆者名はなかったが、兵庫県で出土した銅鐸と同じ図と記述が弘仁歴運記考にあったため古宝鐸記と分かった。直筆か写本かは不明。
2銅鐸とも現在は所在不明だが、以前とられた拓本があり、その比較から古宝鐸記は弘仁歴運記考よりも銅鐸を正確に描いていた。
高さやサイズ、厚みなども記録し、愛知県の銅鐸は宝永年間(1704~10年)に出土したことも新たに分かった。
http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010082701000569.html
*この間twitterで銅鐸の話してたから、面白い偶然の一致。
【龍の謂れとかたち】のサイトの中に・・・
http://ryuss.cocona.jp/ryu-iware/tohaku/tohaku-haku2.htm
<引用>
鎛(はく)(東京国立博物館)
中国時代・前5世紀
鎛は青銅製の鐘の一種
吊り下げて、胴部を木槌などで打って鳴らした
古代中国では青銅製の鐘が儀式で重要な役割を果たした
大小の鐘を連ねて旋律を奏でるようにしたものもある
このように大型のものは単独でも用いられた
【東京国立博物館の展示の説明より】
この鎛(はく)が銅鐸の起源なのでしょうか?
ついでに検索・・・
蟠螭紋編鎛
http://www.ihp.sinica.edu.tw/~museum/jp/artifacts_detail.php?dc_id=28&class_plan=140
散虺紋編鎛
http://www.ihp.sinica.edu.tw/~museum/jp/artifacts_detail.php?dc_id=29&class_plan=140
東周(春秋戦国)紀元前771年-前221年・河南省汲県山彪鎮1号墓出土
<台北の中央研究院 歷史語言研究所 歷史文物陳列館に陳列されている>
*小さいものから大きいものまで並んでいる写真を見ると、音階を作っているのではないかと思いました。
秦公銅鎛とは【しんこうどうはく】
http://abc0120.net/words/abc2007071702.html
Tomato Juice's 中国観光地・博物館写真
http://tomatojuice.sakura.ne.jp/bekkan/shanghai_museum_6.html