あとでゆっくり読もう
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■中国人が「支那」と呼ばれるのをいやがる本当の理由
シナの史書から、いくつか拾ってみよう。
Ⅰ)『十八史略』巻一 太古
天皇氏、以木王。歳起摂提。無為而化。兄弟十二人、各一万八千歳。
すなわち「天皇氏は太古の昔から 王である」と記されている。
Ⅱ)前漢代、袁康の『越絶書』には、「夫れ、越王勾践は、東僻と雖もなお、天皇の位に繋がる」すなわち、「東方僻地の(日本に近い)王は、天皇たり得る」とある。
Ⅲ)唐代の補筆された『史記』の冒頭に、「最初に天地のうちに現れた君主が、天皇である」と記されている。
Ⅳ)四世紀の道士 葛洪は 著書『枕中書』のうちで、扶桑大帝東王公は天皇なりとし、「扶桑大帝は東王公であり、元陽父と号し、碧中に住す。…上に太真宮有り、天皇と為り…云々」と、説いた。
すなわち「天皇は、大陸東方海上の島に住み、そこを治める日神なる君主神」ということである。
(斎藤忠著「盗まれた日本建国の謎」を参考にしました。)
東方には太古の昔から王である天皇氏が存在したという記憶があり、支那国はその「スメラミコト」のいる祖国(おやくに)の「枝国」だったという記憶も、また存在するのだ。
それゆえ、後の時代(古代)に大陸は、世界四大文明の国だった、というプライドを傷つけるものとして、「支那=枝の国」という名称を忌み嫌うのである。
しかしこれらの記憶は、厳然として永遠に残る。
上記の話を、大陸の教養人に話せば、皆 押し黙ってしまうことだろう。
(p)http://kodaimoji.blogspot.jp