そんなばかな

時事ねたニュース報道にそんなばかな

個人メモにつき読まないで2

2012-02-10 10:09:02 | Weblog


http://www.peeep.us/c13e2007


2012年02月09日号
【投稿】
国境を越えた犯罪とヤクザ(13)                  M.S


 オバマ大統領が指摘しているTOC概念は即席のものではありません。

●Transnational Organized Crime (TOC)
[カリフォルニア大学(UCLA)の2005年のレポート参照]

UNIVERSITY OF CALIFORNIA LOS ANGELES MODEL UNITED NATIONS 2005.pdf
(1~2ページ抜粋)
Bankers work under perpetual fear of retaliation from the Yakuza, and therefore do not attempt to reclaim assets from defaulted loans. Japan’s Yakuza mafia is also an international force that participates in TOC.

(ヤクザが怖いから銀行は債権回収に熱心でないという意味でしょうか。)

 オバマ大統領指摘の相当前からアメリカの大学はTOC研究をしていたようです。

 オバマ大統領にロシアマフィア、メキシコ麻薬カルテル、イタリアマフィアに加えて日本のヤクザが国際犯罪組織として名指しされています。
 Organizedという単語に注目すべきです。単なる組織犯罪とみていません。
 連邦政府はヤクザの実態分析途上であるが明確にメキシコ麻薬カルテルに匹敵する敵として認知したようです。

 野田民主党政権にこのような事実認識があるでしょうか。

●共謀罪制定が国際公約になった。
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120104/plc12010410000008-n1.htm
 絶対的証拠がなければ罰さない個人主義的刑法は日本の財産です。
 しかし、この刑法が真珠宮ビル事件を見ても邪魔な証拠は人間含めて排除する組織を育てています。
 野崎和興氏を政竜会が殺すことを後藤忠政氏が知っていたでしょうか。
「神のみぞ知る」です。
 仮に誰かがある事実を知っていても知らないと答えるでしょうし、その内心の真偽を直接的に立証するのは不可能です。
 権力者である政治家の経済行為を監視するために政治資金規正法があります。
 金銭の形式的記帳を厳格にして、国民に政治家の監視をしやすくするとともに、違反行為に公民権停止という効果をもたせて、間接的に政治家の経済行為と政治的公正のバランスをとろうというものでしょう。
 与党の政治権力ある政治家が証拠を残して贈収賄をするわけがないのです。
 このような事実を直視して個人主義的刑法刑事訴訟法は運用されるべきです。
 後藤忠政氏はそこらにいる「普通のおじさん」ではないのです。
 共同正犯の刑法規定を拡大解釈するより、共謀罪を正面から認めその共謀の範囲を何処まで縮めて解釈するかと言う方法論がむしろ人権擁護になると考えます。
 共謀罪が制定された状況下で真珠宮ビル原本不実記載事件が裁かれていれば、少なくとも近藤毅氏はタイで謀殺されなかったでしょう。

●共謀天国日本
 公認会計士、弁護士、銀行、オリンパス、証券会社、不動産屋みなさん共謀中です。
 TSK地上げも多くの著名人物群の共同作業です。
 当然に共謀もあります。
 仲間をはじき飛ばす共謀は日常のことです。
 アメリカ連邦政府が日本のヤクザに注目するならヤクザとコラボする不動産屋、銀行、弁護士、公認会計士等々に注目するのは当然です。
 元を糾せばOrganizedされた帳簿操作がオリンパス事件です。

●Organizedされたわかりやすい地上げが六本木5丁目です。

個人メモにつき読まないで

2012-02-08 11:58:22 | Weblog
個人メモにつき読まないで

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http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-748.html

雅子妃と小和田家の闇
狙われた皇室
                                   

雅子妃のルーツ


1993年7月8日 東京サミット晩餐会にて、「ロシア語が堪能」との触れ込みによりエリツィン大統領の隣席に座らされたものの、話が弾むクリントン大統領と紀子妃をなぜか凝視する雅子妃。

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/syutuji.htm

小和田雅子さん(皇太子妃)の出自について

出自は本人の意思や責任とは関係ない。皇太子妃としての責務を果たし、その人柄が国民から敬愛され、すばらしい人…すばらしくなくても普通に真面目に生きている人であれば、今更血筋がどうのなどとは言われなかったのかもしれない。

今の世で出自云々を問うこと自体、おかしいのかもしれない。実際、言ってはいけないこととされている。だが、ろくに公務も祭祀もせず、自分勝手な振る舞いをしていれば、やっぱりお育ちが…と言われるのも仕方がない。

しかも、一部では雅子さんの後ろ暗い部分を紀子様にすり替えて噂を流し貶めている。きちんとした家系図が存在する紀子様の出自に関する嘘の噂を嬉々として流している。

医学博士のH・S氏は公の場でこう言った「おい、が親王を生んだぞ!」H氏はワールドメイトという団体に在籍している。ワールドメイトは創価学会とともに雅子さんを擁護し、それ以外の皇族方を誹謗中傷している。最終的には皇室の消滅→新しい世(教祖の自分が王となる)を目論んでいるのだろう。

内側から次々と皇室を破壊してくれる雅子さんは皇室を否定する人々にとって重宝な存在だと思われる。紀子様の名誉を守るためにも、皇室のためにも、日本のためにも雅子さんの出自をはっきりとさせるべきだと思う。「富田メモ」で、「真偽を確認する為に全文公開せよ」との声に「皇太子妃の入室について書かれている部分があるから公開出来ない」という回答

反対の理由は、チッソ(雅子さん祖父)、男性関係の他に血筋も関係しているのでは、と言われている当時のお妃候補の中で家系図の無い家は小和田家のみ。宮内庁は皇太子の結婚にあたって小和田家の家系を公表し興信所に身元調査を依頼した。そのとき、開放同盟は差別であるという申し入れを行っていた(ニュースにもなった)そのため、身元調査は打ち切りになった。

わざわざ開放同盟が抗議。

雅子妃の家系調査への抗議を認めた団体のサイト


雅子妃の家系調査への抗議を認めた記事


『解放』1993年6月号「皇太子妃決定に関わる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」の記事(クリックで拡大)


小和田家

一代目 小和田金吉(生年月日、生地、両親不詳)

二代目 小和田毅夫

三代目 小和田恒

金吉の前は不明

金吉の父は道蔵匡利のはずだが、雅子さんの曽祖父金吉が道蔵匡利とはつながらない。宮内庁が公表した家系図は、金吉で終わっていて匡利の名前はない。この事実だけで、金吉は匡利の子供とは断定できない。あるいは金吉の両親(もしくは父)は不明か、表に出せないということがわかる。

地方では割合先祖のことを調べることは容易である。新潟で3代前までしかわからないということは非常に不自然。雅子さんの皇室入りが決まったとき3代前の小和田金吉の父親がわからなくて宮内庁が困り、小和田家が無理矢理でっちあげた家系図の元になったのが同じ地域出身の小和田本家の家系図。

小和田本家では雅子さんの曽祖父金吉のことを「知らない」と言っている。匡利の次男に、確かに金吉(A)なる人物はいる。その本物の金吉(A)と、雅子の曽祖父の金吉(B)が同一人物なのかは不明。

お妃内定のときも結婚の時も本家筋の方は誰一人出てこなかった。本籍地の村上市から新潟へお墓を移すときも金吉しか動かしていない。村上市ですら、よくわからないと言っている。「小和田新六から曽祖父金吉までは不明の点が多く、調査が待たれる」

村上市の西真寺と新潟市の泉性寺の言うことにも食い違いがある

1 村上市西真寺住職、本荘長弘師の証言(現在は兵五郎夫妻と道蔵(匡利)の妻とその子供だけの墓がある寺)

 「小和田家の墓について毅夫氏(明治31年生まれ)が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新潟市の泉性寺に移した」

 「なぜ祖父の妻と子及び曽祖父夫妻の墓を残していったのか。普通移すときはそっくりもっていくものなんですがねえ」

 昭和61年(1986年or1987年)11月 恒、毅夫の両夫妻が村上に来たがここに墓参していない

2 新潟市泉性寺住職、広沢誠師の証言

 「小和田家の墓は明治7年よりうちにあるが金吉と兵五郎の墓はない 匡利(道蔵)の墓だけがあります…30年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということはまったく知りません」

泉性寺の檀家談

お墓は奥の方に非常にみすぼらしいのが建っていました。それが、皇太子のところに嫁ぐのが決まったら、場所もいいところに移動して、大変立派なのが俄かに 建てられました。

3 ご成婚前の小和田家の墓参り

両親と娘が拝んだ墓は新潟市泉性寺にある「匡利(道蔵)の墓」であり「小和田家の墓」ではない(昭和55年(1980)に小和田毅夫(恒の父)がこの泉性寺にある墓の台座だけを新調した結果異様なツギハギの墓)

4 金吉と妻竹野(旧姓熊倉)は毅夫の幼い頃別居し金吉死亡後、竹野のお墓は所在不明

5 専門家の意見

「一説に小和田金吉は小和田道蔵匡利の三男と伝えるも年代齟齬して審かならず、仮に小和田兵五郎の三男の系に継ぐ。おそらくは別流ならん歟」金吉が匡利の子なら匡利12~13歳の時に生まれた三男となり有り得ない 一言でいえば「この小和田家ではない」と言っている

6 新潟県村上市小和田本家の証言

TVでのインタビューにて老当主が「あちらの小和田家とウチが親戚とは初耳 こちらでもいろいろ調べてみたがわからない」と答えた

以上より

・ 「金吉の墓」または「小和田家の墓」の所在地が不明なのはなぜ?(再婚してない場合毅夫母の竹野の墓の所在も不明)

・ 毅夫は西真寺から泉性寺に父金吉の墓を移すと寺に言いながら泉性寺にお墓を作っていないのはなぜ?

・ 泉性寺の小和田家の墓が「金吉の墓」又は「小和田家の墓」ではなく「匡利(道蔵)の墓」なのはなぜ?

・ 仮に金吉が小和田兵五郎の三男なら西真寺に兵五郎の墓を残したままで恒、毅夫が当地に来ても墓参りしないのはなぜ?

・ 毅夫氏自身はどの小和田のお墓に入ったのだろうか?

江戸時代、犯罪者予備軍の無宿者は新潟の佐渡ヶ島の金山に送り人足として使役、明治維新で解放されたこの人らの戸籍や墓は?(ご先祖流れ者説)

戸籍を誰かから入手した?戸籍売買?(ご先祖は日本人ではない説)

金吉は認知されていない子だった?(私生児説)→母方から先祖はたどれるはず

同じ姓の墓をどこからか入手した?(捨て墓置き場から…説)(墓が個人名でツギハギな点と欠けている点がポイント)

先祖の墓参りをしない家なら先祖を敬うしつけや教育を受けていないので祭祀を無意味としか思えない雅子妃の態度にも合点がいく

▼小和田金吉

・人物像は不明、名前の読みも不明(きんきち?かねきち?かねよし?すら不明)

・どの読みでも「下級武士」の出とは考えられない。(小和田家主張=武士)

・墓がない(それほど昔の人ではない。恒氏の祖父である)曽祖父の墓はあるのに? 

▼つぎはぎの墓

墓石つぎはぎの理由→昭和55年(1980)に小和田毅夫氏(=小和田恒の父)がこの泉性寺にある墓の台座だけを新調

墓石には「小和田匡利墓」とある(個人名)→小和田家、ではない。

墓石側面には「明治七甲戌年 七月二十八日 永代経金一圓」

小和田匡利→新潟県村上市の小和田本家「分からない」回答



金吉の墓はどこの寺にあるのかわかっていない。村上市の西真寺には小和田金吉の墓はない。

移したはずの泉性寺にも小和田金吉の墓はない。あるのは匡利の墓のみ)

皇室入りのため、急遽作られた家系図によると金吉は道蔵の次男(1867頃出生)

そうなると道蔵が14歳のときの子ということになる。しかも三男。14歳でもう2人(以上)の子??

明治時代に生きていた金吉以前の戸籍が存在しないというのは不可解。

私生児もしくは捨子とも考えられるが戸籍が存在しない出自とも考えられる。

民と言う話もあるし、犯罪者、あるいは半島から新潟へ流れ着いて戸籍を買った、または奪ってなりすましたという話も出てくる。

(成りすまし…元々戸籍を持たない人が、小和田家の金吉と言う人になりすましたということ)

だから現実として年齢が合わないなどのボロが出る。

後継ぎが居なかった小和田金吉の家系を利用してなりすます、このやり方で日本人になりすます朝鮮人は大勢居る。小和田金吉は村上の小和田家とはなんの関係もない。村上の士族小和田家が村上をはなれて戊辰戦争に負けてちりぢりになったのは明治の初年。士族小和田家は明治初年以前も調べがつく

問題は小和田金吉が1867~1868年頃朝鮮で生れ、新潟に密航して住み着いたのは明治以後。

だから宮内庁は小和田家が1868年以前は何をやっていた人なのかわからないといったのは事実隠蔽のためで本当に士族なら村上を調べたらわかるのである。佐藤朝泰の「閨閥」という本に小和田金吉の代からしか載っていない。(川嶋家は高祖父の代までのっている)

朝鮮から密航してきたX=金吉。明治17年の村上鮭産育養所の漁業権者名簿(736戸)に金吉氏の名前が初出となる。もちろんこの金吉は小和田道蔵の息子で雅子の曽祖父の金吉とは別人。

X=金吉は新潟の吏員になるために(戸籍のない密航者だから)村上士族小和田匡利の息子金吉から家系図を購入し、士族に成りすまして朝鮮参加の男が小和田金吉に成りすました。その証拠に小和田家の世代の年齢があわない

婚約時代の墓前報告の写真によると、にわか作りの墓石の土台の上に苔むした古くて小さな墓石がちょこんと乗っかっている。先祖の供養もしていないことがありありとわかる写真だった。

母方江頭

江頭という苗字だけでピンとくる人はいるかもしれない。

エガシラ→エタガシラ ※全ての江頭さんがそうだというわけではない。

江頭家は村上水軍につながる(と成婚時に発表)ので、さらに民に遡る可能性は高い

以前、雅子さんの母優美子さんのいとこで作家の江藤淳(本名江頭淳夫)が自分のルーツ探しに九州へ行った。

そこで知った現実に相当のショックを受けたという。

そこそこの家なら、わざわざルーツを探さなくても先祖のことなら代々受け継がれて聞いているはず。
なおタレントの江頭2:50も親戚(2:50の方が本家筋)

優美子さん父は豊(チッソ)、豊の父は安太郎。この安太郎が母親から青山の墓地に埋葬しています。

それ以前の墓地は不明とあります。(結婚記念誌に記載)

江頭家の出身は九州ですが、不思議に父親のお骨は東京へは引き取っていないのです。

彼は九州の自分の出自を恥じてひた隠しにしていた。

また安太郎の妻米子が古賀家から嫁いで居ますが、この古賀家も佐賀の阿弥陀寺にながい間無縁仏として放置されていた。

近年になってそれらの無縁仏を一箇所に集めて合祀されている。

雅子さん祖父・嘉蔵は明治維新までは鍋島家の家臣だったとされるが明治初年の佐賀藩侍着到(出勤簿)にその名はない。

番太出身で「いわれなき差別を受け」、小学校の小使いの職にしか就けなかった江頭嘉蔵。

息子の安太郎は、その出自を生涯ひた隠しに隠し、佐賀には一度も帰ることはなかった。

江藤淳は今上陛下を雑誌で批判(1999年7月21日自殺)

「何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない…」

その叔父も自殺。遠縁の江頭2:50も精神を一時患った。

正田家は数百年遡れる名家、公家の血筋も入っている。

川嶋家も会津藩士(藩士録にちゃんと載ってる家)&紀州の名士

小和田は不明


海外誌

日本では今日、江戸の最下層民と皇室が縁組をするという異常事態、

しかもその最下層令嬢が、実家の親とつるんで皇室を我が物にしようとする異常事態。

許しがたいのは、その下賤な血のなせる業か、マスコミを使って皇室を攻撃する。国民を騙す。

1993年街道の集会で沖浦和光が「小和田雅子さんの先祖は民」だと発言。その後、なぜか川嶋家説が広まった(何者かによって意図的に広められた)川嶋辰彦氏は同和問題の研究もしていたので、いかにも信憑性をもって悪意のある噂が広められた。

そもそもは家柄ではなく、雅子さん本人と実家の行状が問題。雅子さんの先祖がたとえ出身でも、3代前から不明でも、公害企業の社長でも、父親が機密費横領でも雅子さん本人がきちんとしていれば、両親、先祖のことであれこれ言われることはなかったはず。

生まれが卑しい…という言い方をするべきではないが他の皇族方の出自を捏造して貶めるのだから(このやり方、どこかの国に似ている)事実をはっきりさせたくなる。

家系を乗っ取るということをなんとも思わない一族。だから皇統も乗っ取ろうとした。女系、雑系にして、小和田墓のように、ツギハギにしようとした。恐ろしい。

どんなに卑しい素性でも、とりあえず皇太子妃として入内を許されたのだから、身内も身を慎み、本人も謙虚な気持ちでまわりに教えを請うていればここまでいろいろ暴かれることもなかった。あの一族全員がやることなすこと下品。

出自なんて、本人の努力でなんら関係ないという見方もあるが、出自が悪いと育ちも悪いというのは否定できない。

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秋篠宮妃 紀子様の華麗な家系図と雅子妃の疑惑の家系図

権力と権威を異常に渇望する雅子妃の実父、小和田恒

安達峰一郎記念館に残された異様な石碑

安達峰一郎はあまり一般には知られていないが、明治から昭和にかけて法学や外交の分野で活躍した戦前の偉人である。ハーグ対独賠償会議の際の日本代表を努めたが、この会議でフランスとイギリスが激しく対立したとき、調停の依頼を受けた安達は、日本流の茶会を開いて両国代表を招き和解させ会議を成功に導いた逸話がある。アジア系として初の常設国際司法裁判所の裁判官、所長を努めた。生家のある山形県東村山郡山辺町には記念館が建てられている。


当時の風情を今に伝える山辺町の安達峰一郎記念館


安達峰一郎記念館の前に立つ、実物大の小和田恒の手形をかたどった小和田恒の来町記念碑。歴代の首相でもこんな碑を立てた人間はいない。小和田氏は現在、国際司法裁判所の所長を務めているので、安達博士に関係ないとは言えないが、もはや気分は天皇といったところだろうか?

雅子妃の実父、小和田恒氏の専用の椅子



上の画像は、某ブログに掲載された、現在、小和田恒氏が使用している国際司法裁判所の所長の椅子だが、その背もたれに菊の御紋(十六八重表菊)らしき紋章が使用されている。国際司法裁判所の判事の椅子には判事の出身国の国章がつけられているが、こういう場合に用いられる日本の国章は、通例上、首相や政府が主に使っている五七桐花紋が用いられるのが一般的。


五七桐花紋

雅子妃の異常性

衣装ストーカーで嫌がらせを繰り返す




犬の足で国民にお手振り


国民にアッカンベー


皇統乗っ取りの野望



反日マスコミの援護射撃


結婚パレードで振られる反日朝鮮勢力のシンボル、三色旗


ハワイの朝鮮戦争博物館になぜか存在する雅子妃と愛子内親王の像

Webサイト上で紹介されていた際の画像のファイル名は“KoreanPrincessBaby.jpg”となっていた。

東宮所蔵と思われる皇室の宝物がヤフーオークションに流出

詳細は下記URLを参照
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-300.html

参考動画(ニコニコ動画)
侵略される皇室
皇太子夫妻と皇室の危機
総統閣下が雅子妃にお怒りのようです
続 総統閣下が雅子妃にお怒りのようです
【写真が語る】 皇太子妃 雅子さま 【真実の姿】
【次期天皇?】 皇太子ご一家 画像集 【次期皇后?】
【未解決事件】皇室ゆかりの品、ヤフオク大量流出事件【風化防止】

参考記事
徳仁皇太子夫妻の結婚パレードで振られる創価学会三色旗の怪
反日勢力・反日マスコミの最終目標は万世一系の皇統の断絶
万世一系の断絶を目論む小林よしのりと沈みゆくSAPIO(サピオ)
天皇家と日本の復活
愛子内親王ご優秀伝説の破綻

(コメント)
今回紹介した記事は、雅子妃の実家のルーツに関しては、恐らく決定版に近いのではないかと思う。雅子妃が皇室内で模範的な行動を保ち、国民や国のために尽くしていたなら、こういう記事は公開しなかっただろう。また、創価学会や統一教会のような雅子妃を支援する反日朝鮮勢力が、秋篠宮家の方々を侮辱する悪質な捏造でっち上げを流布しなければ、こういう記事を書く気は起きなかったかもしれない。

反日朝鮮勢力と連動して、秋篠宮家を誹謗中傷するワールドメイトは神道系の新興宗教で、高円宮家と接点があり、2002年に夭折した高円宮憲仁親王は、皇室内部から雅子妃入内を手引きしたことで知られている。高円宮久子妃は雅子妃の実母とは旧知の間柄。ワールドメイトの教祖はメールマガジンなどで、過去に雅子妃や愛子内親王を気持ち悪いくらいに褒めちぎっている。御神業と称して、全国各地で祝詞を唱えたりしているのはワールドメイトの信者が多いと言われているが、馬鹿がどこで何を唱えても何の効果もないので、神道系という理由だけで騙されたりしないようにしていただきたいと思う。

前回の記事「愛子内親王のご優秀伝説の破綻」で、コメント欄に祖父が生きていたら、不敬罪だと言って怒っただろうという旨の書き込みがあったが、本当にその祖父が実在していて今も生存していたなら、今回の記事を読んで泡を吹いて卒倒しているかもしれない。マスコミが反日朝鮮勢力の支配下にあり、ブログで書かなければどこも書くところがないような状況だが、保守系の政治ブログで東宮批判を行うブログは残念ながら非常に少ない。菊のタブーに遠慮しているのかもしれないが、反日朝鮮勢力の手先である雅子妃が入内した以上、菊のタブーを気にしてやりたい放題やらせていたら、皇室そのものが滅んでしまうだろう。

佳子様ご懐妊発表の翌日に、涙目で公務に出てきた雅子妃の写真から、「雅子さま、おかわいそう」というトンでもないマスコミ報道が始まり、雅子妃と反日マスコミのコラボによる秋篠宮家バッシングが始まった。悠仁親王殿下のご誕生までの10年以上、それまで順調にご懐妊していた秋篠宮家の懐妊がピタリと止まり、徳仁皇太子夫妻がわが世の春を謳歌することになった。万世一系の皇統の危機というのは、人為的に引き起こされたものであり、雅子妃が皇太子妃でなければ、こういった事態は起こらなかった可能性が強い。

内心はどうあれ、表面的にさえ皇室全体の慶事を祝うことも、義妹の懐妊を祝うことも出来ず、皇統の危機も秋篠宮家に跡取りが必要なことも理解しない馬鹿女を形容する言葉を自分は知らない。一般庶民の家庭でも、弟夫婦のおめでたを台無しにするようなキチガイ嫁は御免蒙りたいだろう。少なくとも、夫婦仲が良く、健康だった秋篠宮両殿下が、一人の女の狂態によって、子供を作る権利を10年以上奪われ、徳仁皇太子夫妻は弟夫婦に無用の犠牲を強いてそれを良しとしていたことは確かである。

マスコミが「皇位継承の危機」について報道する度に、「お前らが一体どの口でそれを言うのか」という思いを強くする。皇太子妃が雅子妃ではなく、ごく一般的な価値観を持つ良心的な女性だったならば、最低でも二人の親王が秋篠宮家に誕生し、皇統の危機自体が発生しなかったように思われる。こんなことで「雅子さまおかわいそう」という道理が通るなら、津波で家や家族を失った被災者は一体何と形容すべきだろうか。

マスコミを使って皇族を攻撃する小和田一族のいやらしい手法は、ネットの普及によって通じなくなりつつあるが、まだまだ皇統の乗っ取りを諦めたわけではないだろう。東宮一家が健在な限り潜在的な皇統の危機は続くのであり、小和田家の国盗物語まだ始まったばかりなのである。

※1994年5月12日 紀子妃殿下第二子ご懐妊発表の翌日に涙目で公務に出てきた雅子妃。この非常識な行動が原因で秋篠宮家の新たな懐妊は10年以上停止する。秋篠宮両殿下のご心情はいかばかりだっただろうか。


※涙目公務の翌日の1994年5月13日 戦没殉職船員追悼式にて花束を捧げる雅子妃。横目となぜか含み笑いの口元に注目

個人メモにつき読まないで

2012-02-08 11:57:02 | Weblog
個人メモにつき読まないで

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http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-748.html

雅子妃と小和田家の闇
狙われた皇室
                                   

雅子妃のルーツ


1993年7月8日 東京サミット晩餐会にて、「ロシア語が堪能」との触れ込みによりエリツィン大統領の隣席に座らされたものの、話が弾むクリントン大統領と紀子妃をなぜか凝視する雅子妃。

参考サイト
http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/syutuji.htm

小和田雅子さん(皇太子妃)の出自について

出自は本人の意思や責任とは関係ない。皇太子妃としての責務を果たし、その人柄が国民から敬愛され、すばらしい人…すばらしくなくても普通に真面目に生きている人であれば、今更血筋がどうのなどとは言われなかったのかもしれない。

今の世で出自云々を問うこと自体、おかしいのかもしれない。実際、言ってはいけないこととされている。だが、ろくに公務も祭祀もせず、自分勝手な振る舞いをしていれば、やっぱりお育ちが…と言われるのも仕方がない。

しかも、一部では雅子さんの後ろ暗い部分を紀子様にすり替えて噂を流し貶めている。きちんとした家系図が存在する紀子様の出自に関する嘘の噂を嬉々として流している。

医学博士のH・S氏は公の場でこう言った「おい、が親王を生んだぞ!」H氏はワールドメイトという団体に在籍している。ワールドメイトは創価学会とともに雅子さんを擁護し、それ以外の皇族方を誹謗中傷している。最終的には皇室の消滅→新しい世(教祖の自分が王となる)を目論んでいるのだろう。

内側から次々と皇室を破壊してくれる雅子さんは皇室を否定する人々にとって重宝な存在だと思われる。紀子様の名誉を守るためにも、皇室のためにも、日本のためにも雅子さんの出自をはっきりとさせるべきだと思う。「富田メモ」で、「真偽を確認する為に全文公開せよ」との声に「皇太子妃の入室について書かれている部分があるから公開出来ない」という回答

反対の理由は、チッソ(雅子さん祖父)、男性関係の他に血筋も関係しているのでは、と言われている当時のお妃候補の中で家系図の無い家は小和田家のみ。宮内庁は皇太子の結婚にあたって小和田家の家系を公表し興信所に身元調査を依頼した。そのとき、開放同盟は差別であるという申し入れを行っていた(ニュースにもなった)そのため、身元調査は打ち切りになった。

わざわざ開放同盟が抗議。

雅子妃の家系調査への抗議を認めた団体のサイト


雅子妃の家系調査への抗議を認めた記事


『解放』1993年6月号「皇太子妃決定に関わる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」の記事(クリックで拡大)


小和田家

一代目 小和田金吉(生年月日、生地、両親不詳)

二代目 小和田毅夫

三代目 小和田恒

金吉の前は不明

金吉の父は道蔵匡利のはずだが、雅子さんの曽祖父金吉が道蔵匡利とはつながらない。宮内庁が公表した家系図は、金吉で終わっていて匡利の名前はない。この事実だけで、金吉は匡利の子供とは断定できない。あるいは金吉の両親(もしくは父)は不明か、表に出せないということがわかる。

地方では割合先祖のことを調べることは容易である。新潟で3代前までしかわからないということは非常に不自然。雅子さんの皇室入りが決まったとき3代前の小和田金吉の父親がわからなくて宮内庁が困り、小和田家が無理矢理でっちあげた家系図の元になったのが同じ地域出身の小和田本家の家系図。

小和田本家では雅子さんの曽祖父金吉のことを「知らない」と言っている。匡利の次男に、確かに金吉(A)なる人物はいる。その本物の金吉(A)と、雅子の曽祖父の金吉(B)が同一人物なのかは不明。

お妃内定のときも結婚の時も本家筋の方は誰一人出てこなかった。本籍地の村上市から新潟へお墓を移すときも金吉しか動かしていない。村上市ですら、よくわからないと言っている。「小和田新六から曽祖父金吉までは不明の点が多く、調査が待たれる」

村上市の西真寺と新潟市の泉性寺の言うことにも食い違いがある

1 村上市西真寺住職、本荘長弘師の証言(現在は兵五郎夫妻と道蔵(匡利)の妻とその子供だけの墓がある寺)

 「小和田家の墓について毅夫氏(明治31年生まれ)が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新潟市の泉性寺に移した」

 「なぜ祖父の妻と子及び曽祖父夫妻の墓を残していったのか。普通移すときはそっくりもっていくものなんですがねえ」

 昭和61年(1986年or1987年)11月 恒、毅夫の両夫妻が村上に来たがここに墓参していない

2 新潟市泉性寺住職、広沢誠師の証言

 「小和田家の墓は明治7年よりうちにあるが金吉と兵五郎の墓はない 匡利(道蔵)の墓だけがあります…30年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということはまったく知りません」

泉性寺の檀家談

お墓は奥の方に非常にみすぼらしいのが建っていました。それが、皇太子のところに嫁ぐのが決まったら、場所もいいところに移動して、大変立派なのが俄かに 建てられました。

3 ご成婚前の小和田家の墓参り

両親と娘が拝んだ墓は新潟市泉性寺にある「匡利(道蔵)の墓」であり「小和田家の墓」ではない(昭和55年(1980)に小和田毅夫(恒の父)がこの泉性寺にある墓の台座だけを新調した結果異様なツギハギの墓)

4 金吉と妻竹野(旧姓熊倉)は毅夫の幼い頃別居し金吉死亡後、竹野のお墓は所在不明

5 専門家の意見

「一説に小和田金吉は小和田道蔵匡利の三男と伝えるも年代齟齬して審かならず、仮に小和田兵五郎の三男の系に継ぐ。おそらくは別流ならん歟」金吉が匡利の子なら匡利12~13歳の時に生まれた三男となり有り得ない 一言でいえば「この小和田家ではない」と言っている

6 新潟県村上市小和田本家の証言

TVでのインタビューにて老当主が「あちらの小和田家とウチが親戚とは初耳 こちらでもいろいろ調べてみたがわからない」と答えた

以上より

・ 「金吉の墓」または「小和田家の墓」の所在地が不明なのはなぜ?(再婚してない場合毅夫母の竹野の墓の所在も不明)

・ 毅夫は西真寺から泉性寺に父金吉の墓を移すと寺に言いながら泉性寺にお墓を作っていないのはなぜ?

・ 泉性寺の小和田家の墓が「金吉の墓」又は「小和田家の墓」ではなく「匡利(道蔵)の墓」なのはなぜ?

・ 仮に金吉が小和田兵五郎の三男なら西真寺に兵五郎の墓を残したままで恒、毅夫が当地に来ても墓参りしないのはなぜ?

・ 毅夫氏自身はどの小和田のお墓に入ったのだろうか?

江戸時代、犯罪者予備軍の無宿者は新潟の佐渡ヶ島の金山に送り人足として使役、明治維新で解放されたこの人らの戸籍や墓は?(ご先祖流れ者説)

戸籍を誰かから入手した?戸籍売買?(ご先祖は日本人ではない説)

金吉は認知されていない子だった?(私生児説)→母方から先祖はたどれるはず

同じ姓の墓をどこからか入手した?(捨て墓置き場から…説)(墓が個人名でツギハギな点と欠けている点がポイント)

先祖の墓参りをしない家なら先祖を敬うしつけや教育を受けていないので祭祀を無意味としか思えない雅子妃の態度にも合点がいく

▼小和田金吉

・人物像は不明、名前の読みも不明(きんきち?かねきち?かねよし?すら不明)

・どの読みでも「下級武士」の出とは考えられない。(小和田家主張=武士)

・墓がない(それほど昔の人ではない。恒氏の祖父である)曽祖父の墓はあるのに? 

▼つぎはぎの墓

墓石つぎはぎの理由→昭和55年(1980)に小和田毅夫氏(=小和田恒の父)がこの泉性寺にある墓の台座だけを新調

墓石には「小和田匡利墓」とある(個人名)→小和田家、ではない。

墓石側面には「明治七甲戌年 七月二十八日 永代経金一圓」

小和田匡利→新潟県村上市の小和田本家「分からない」回答



金吉の墓はどこの寺にあるのかわかっていない。村上市の西真寺には小和田金吉の墓はない。

移したはずの泉性寺にも小和田金吉の墓はない。あるのは匡利の墓のみ)

皇室入りのため、急遽作られた家系図によると金吉は道蔵の次男(1867頃出生)

そうなると道蔵が14歳のときの子ということになる。しかも三男。14歳でもう2人(以上)の子??

明治時代に生きていた金吉以前の戸籍が存在しないというのは不可解。

私生児もしくは捨子とも考えられるが戸籍が存在しない出自とも考えられる。

民と言う話もあるし、犯罪者、あるいは半島から新潟へ流れ着いて戸籍を買った、または奪ってなりすましたという話も出てくる。

(成りすまし…元々戸籍を持たない人が、小和田家の金吉と言う人になりすましたということ)

だから現実として年齢が合わないなどのボロが出る。

後継ぎが居なかった小和田金吉の家系を利用してなりすます、このやり方で日本人になりすます朝鮮人は大勢居る。小和田金吉は村上の小和田家とはなんの関係もない。村上の士族小和田家が村上をはなれて戊辰戦争に負けてちりぢりになったのは明治の初年。士族小和田家は明治初年以前も調べがつく

問題は小和田金吉が1867~1868年頃朝鮮で生れ、新潟に密航して住み着いたのは明治以後。

だから宮内庁は小和田家が1868年以前は何をやっていた人なのかわからないといったのは事実隠蔽のためで本当に士族なら村上を調べたらわかるのである。佐藤朝泰の「閨閥」という本に小和田金吉の代からしか載っていない。(川嶋家は高祖父の代までのっている)

朝鮮から密航してきたX=金吉。明治17年の村上鮭産育養所の漁業権者名簿(736戸)に金吉氏の名前が初出となる。もちろんこの金吉は小和田道蔵の息子で雅子の曽祖父の金吉とは別人。

X=金吉は新潟の吏員になるために(戸籍のない密航者だから)村上士族小和田匡利の息子金吉から家系図を購入し、士族に成りすまして朝鮮参加の男が小和田金吉に成りすました。その証拠に小和田家の世代の年齢があわない

婚約時代の墓前報告の写真によると、にわか作りの墓石の土台の上に苔むした古くて小さな墓石がちょこんと乗っかっている。先祖の供養もしていないことがありありとわかる写真だった。

母方江頭

江頭という苗字だけでピンとくる人はいるかもしれない。

エガシラ→エタガシラ ※全ての江頭さんがそうだというわけではない。

江頭家は村上水軍につながる(と成婚時に発表)ので、さらに民に遡る可能性は高い

以前、雅子さんの母優美子さんのいとこで作家の江藤淳(本名江頭淳夫)が自分のルーツ探しに九州へ行った。

そこで知った現実に相当のショックを受けたという。

そこそこの家なら、わざわざルーツを探さなくても先祖のことなら代々受け継がれて聞いているはず。
なおタレントの江頭2:50も親戚(2:50の方が本家筋)

優美子さん父は豊(チッソ)、豊の父は安太郎。この安太郎が母親から青山の墓地に埋葬しています。

それ以前の墓地は不明とあります。(結婚記念誌に記載)

江頭家の出身は九州ですが、不思議に父親のお骨は東京へは引き取っていないのです。

彼は九州の自分の出自を恥じてひた隠しにしていた。

また安太郎の妻米子が古賀家から嫁いで居ますが、この古賀家も佐賀の阿弥陀寺にながい間無縁仏として放置されていた。

近年になってそれらの無縁仏を一箇所に集めて合祀されている。

雅子さん祖父・嘉蔵は明治維新までは鍋島家の家臣だったとされるが明治初年の佐賀藩侍着到(出勤簿)にその名はない。

番太出身で「いわれなき差別を受け」、小学校の小使いの職にしか就けなかった江頭嘉蔵。

息子の安太郎は、その出自を生涯ひた隠しに隠し、佐賀には一度も帰ることはなかった。

江藤淳は今上陛下を雑誌で批判(1999年7月21日自殺)

「何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない…」

その叔父も自殺。遠縁の江頭2:50も精神を一時患った。

正田家は数百年遡れる名家、公家の血筋も入っている。

川嶋家も会津藩士(藩士録にちゃんと載ってる家)&紀州の名士

小和田は不明


海外誌

日本では今日、江戸の最下層民と皇室が縁組をするという異常事態、

しかもその最下層令嬢が、実家の親とつるんで皇室を我が物にしようとする異常事態。

許しがたいのは、その下賤な血のなせる業か、マスコミを使って皇室を攻撃する。国民を騙す。

1993年街道の集会で沖浦和光が「小和田雅子さんの先祖は民」だと発言。その後、なぜか川嶋家説が広まった(何者かによって意図的に広められた)川嶋辰彦氏は同和問題の研究もしていたので、いかにも信憑性をもって悪意のある噂が広められた。

そもそもは家柄ではなく、雅子さん本人と実家の行状が問題。雅子さんの先祖がたとえ出身でも、3代前から不明でも、公害企業の社長でも、父親が機密費横領でも雅子さん本人がきちんとしていれば、両親、先祖のことであれこれ言われることはなかったはず。

生まれが卑しい…という言い方をするべきではないが他の皇族方の出自を捏造して貶めるのだから(このやり方、どこかの国に似ている)事実をはっきりさせたくなる。

家系を乗っ取るということをなんとも思わない一族。だから皇統も乗っ取ろうとした。女系、雑系にして、小和田墓のように、ツギハギにしようとした。恐ろしい。

どんなに卑しい素性でも、とりあえず皇太子妃として入内を許されたのだから、身内も身を慎み、本人も謙虚な気持ちでまわりに教えを請うていればここまでいろいろ暴かれることもなかった。あの一族全員がやることなすこと下品。

出自なんて、本人の努力でなんら関係ないという見方もあるが、出自が悪いと育ちも悪いというのは否定できない。

関連記事
秋篠宮妃 紀子様の華麗な家系図と雅子妃の疑惑の家系図

権力と権威を異常に渇望する雅子妃の実父、小和田恒

安達峰一郎記念館に残された異様な石碑

安達峰一郎はあまり一般には知られていないが、明治から昭和にかけて法学や外交の分野で活躍した戦前の偉人である。ハーグ対独賠償会議の際の日本代表を努めたが、この会議でフランスとイギリスが激しく対立したとき、調停の依頼を受けた安達は、日本流の茶会を開いて両国代表を招き和解させ会議を成功に導いた逸話がある。アジア系として初の常設国際司法裁判所の裁判官、所長を努めた。生家のある山形県東村山郡山辺町には記念館が建てられている。


当時の風情を今に伝える山辺町の安達峰一郎記念館


安達峰一郎記念館の前に立つ、実物大の小和田恒の手形をかたどった小和田恒の来町記念碑。歴代の首相でもこんな碑を立てた人間はいない。小和田氏は現在、国際司法裁判所の所長を務めているので、安達博士に関係ないとは言えないが、もはや気分は天皇といったところだろうか?

雅子妃の実父、小和田恒氏の専用の椅子



上の画像は、某ブログに掲載された、現在、小和田恒氏が使用している国際司法裁判所の所長の椅子だが、その背もたれに菊の御紋(十六八重表菊)らしき紋章が使用されている。国際司法裁判所の判事の椅子には判事の出身国の国章がつけられているが、こういう場合に用いられる日本の国章は、通例上、首相や政府が主に使っている五七桐花紋が用いられるのが一般的。


五七桐花紋

雅子妃の異常性

衣装ストーカーで嫌がらせを繰り返す




犬の足で国民にお手振り


国民にアッカンベー


皇統乗っ取りの野望



反日マスコミの援護射撃


結婚パレードで振られる反日朝鮮勢力のシンボル、三色旗


ハワイの朝鮮戦争博物館になぜか存在する雅子妃と愛子内親王の像

Webサイト上で紹介されていた際の画像のファイル名は“KoreanPrincessBaby.jpg”となっていた。

東宮所蔵と思われる皇室の宝物がヤフーオークションに流出

詳細は下記URLを参照
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-300.html

参考動画(ニコニコ動画)
侵略される皇室
皇太子夫妻と皇室の危機
総統閣下が雅子妃にお怒りのようです
続 総統閣下が雅子妃にお怒りのようです
【写真が語る】 皇太子妃 雅子さま 【真実の姿】
【次期天皇?】 皇太子ご一家 画像集 【次期皇后?】
【未解決事件】皇室ゆかりの品、ヤフオク大量流出事件【風化防止】

参考記事
徳仁皇太子夫妻の結婚パレードで振られる創価学会三色旗の怪
反日勢力・反日マスコミの最終目標は万世一系の皇統の断絶
万世一系の断絶を目論む小林よしのりと沈みゆくSAPIO(サピオ)
天皇家と日本の復活
愛子内親王ご優秀伝説の破綻

(コメント)
今回紹介した記事は、雅子妃の実家のルーツに関しては、恐らく決定版に近いのではないかと思う。雅子妃が皇室内で模範的な行動を保ち、国民や国のために尽くしていたなら、こういう記事は公開しなかっただろう。また、創価学会や統一教会のような雅子妃を支援する反日朝鮮勢力が、秋篠宮家の方々を侮辱する悪質な捏造でっち上げを流布しなければ、こういう記事を書く気は起きなかったかもしれない。

反日朝鮮勢力と連動して、秋篠宮家を誹謗中傷するワールドメイトは神道系の新興宗教で、高円宮家と接点があり、2002年に夭折した高円宮憲仁親王は、皇室内部から雅子妃入内を手引きしたことで知られている。高円宮久子妃は雅子妃の実母とは旧知の間柄。ワールドメイトの教祖はメールマガジンなどで、過去に雅子妃や愛子内親王を気持ち悪いくらいに褒めちぎっている。御神業と称して、全国各地で祝詞を唱えたりしているのはワールドメイトの信者が多いと言われているが、馬鹿がどこで何を唱えても何の効果もないので、神道系という理由だけで騙されたりしないようにしていただきたいと思う。

前回の記事「愛子内親王のご優秀伝説の破綻」で、コメント欄に祖父が生きていたら、不敬罪だと言って怒っただろうという旨の書き込みがあったが、本当にその祖父が実在していて今も生存していたなら、今回の記事を読んで泡を吹いて卒倒しているかもしれない。マスコミが反日朝鮮勢力の支配下にあり、ブログで書かなければどこも書くところがないような状況だが、保守系の政治ブログで東宮批判を行うブログは残念ながら非常に少ない。菊のタブーに遠慮しているのかもしれないが、反日朝鮮勢力の手先である雅子妃が入内した以上、菊のタブーを気にしてやりたい放題やらせていたら、皇室そのものが滅んでしまうだろう。

佳子様ご懐妊発表の翌日に、涙目で公務に出てきた雅子妃の写真から、「雅子さま、おかわいそう」というトンでもないマスコミ報道が始まり、雅子妃と反日マスコミのコラボによる秋篠宮家バッシングが始まった。悠仁親王殿下のご誕生までの10年以上、それまで順調にご懐妊していた秋篠宮家の懐妊がピタリと止まり、徳仁皇太子夫妻がわが世の春を謳歌することになった。万世一系の皇統の危機というのは、人為的に引き起こされたものであり、雅子妃が皇太子妃でなければ、こういった事態は起こらなかった可能性が強い。

内心はどうあれ、表面的にさえ皇室全体の慶事を祝うことも、義妹の懐妊を祝うことも出来ず、皇統の危機も秋篠宮家に跡取りが必要なことも理解しない馬鹿女を形容する言葉を自分は知らない。一般庶民の家庭でも、弟夫婦のおめでたを台無しにするようなキチガイ嫁は御免蒙りたいだろう。少なくとも、夫婦仲が良く、健康だった秋篠宮両殿下が、一人の女の狂態によって、子供を作る権利を10年以上奪われ、徳仁皇太子夫妻は弟夫婦に無用の犠牲を強いてそれを良しとしていたことは確かである。

マスコミが「皇位継承の危機」について報道する度に、「お前らが一体どの口でそれを言うのか」という思いを強くする。皇太子妃が雅子妃ではなく、ごく一般的な価値観を持つ良心的な女性だったならば、最低でも二人の親王が秋篠宮家に誕生し、皇統の危機自体が発生しなかったように思われる。こんなことで「雅子さまおかわいそう」という道理が通るなら、津波で家や家族を失った被災者は一体何と形容すべきだろうか。

マスコミを使って皇族を攻撃する小和田一族のいやらしい手法は、ネットの普及によって通じなくなりつつあるが、まだまだ皇統の乗っ取りを諦めたわけではないだろう。東宮一家が健在な限り潜在的な皇統の危機は続くのであり、小和田家の国盗物語まだ始まったばかりなのである。

※1994年5月12日 紀子妃殿下第二子ご懐妊発表の翌日に涙目で公務に出てきた雅子妃。この非常識な行動が原因で秋篠宮家の新たな懐妊は10年以上停止する。秋篠宮両殿下のご心情はいかばかりだっただろうか。


※涙目公務の翌日の1994年5月13日 戦没殉職船員追悼式にて花束を捧げる雅子妃。横目となぜか含み笑いの口元に注目

「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」

2012-02-01 15:10:44 | Weblog

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html


ねずきちの ひとりごと より引用

拡散希望:「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」


「朝鮮進駐軍」の朝鮮総連本部



以下は、Youtubuにアップされている動画にあるテキストです。
このことは日本人全員が過去の事実として知っておくべきことです。
みなさんの手による拡散を希望します。

~~~~~~~~~~~~
「在日のタブー、朝鮮進駐軍」

※「朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)」とは。

在日朝鮮人は日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地において婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした。

●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃●
------------
「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。

約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。
日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。
そこで米軍憲兵隊と「朝鮮進駐軍」との間で大銃撃戦闘へと発展した。

戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、勝手に自分たちを「戦勝国民である朝鮮進駐軍」であると詐称し、三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。

在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。
GHQの 記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。

戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。

「朝鮮進駐軍」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。
これら「朝鮮進駐軍」 元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。

国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。

農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ 奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。

財を成したのは彼らは分派し、政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。

「朝鮮進駐軍」と名乗る在日朝鮮人暴徒たちは、通りすがりの市民に言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた婦女子を路上で集団強姦するなどを、日常茶飯事に繰り返した。

在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り、武装して、町をのし歩いた。
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。

腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。

通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをした。

善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。
袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。

警官が駆けつけても手も足もでない。
終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、

「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」

と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。

戦後当時の「朝鮮進駐軍」は今日の朝鮮総連本部である。

今の朝鮮総連となる「在日朝鮮人連盟中央総本部」



【昭和26年03月22日衆議院法務委員会】

【押谷委員】
お尋ねをいたしますことは、昨朝起りました朝鮮人による米兵に対する暴行事件であります。

昨二十一日の午前三時半ごろに、浅草の千束町の朝鮮マーケット附近におきまして、六名の米兵が多数の鮮人に取囲まれまして、集団的に暴力を加えられて、一名は死亡する、二名は負傷する、自動車も破壞されるというような不祥事を起したのでありますが、わが国の講和を前に控えて、今日日本の置かれたる国際的地位などから考え、この時期を思いまするときに、まことに遺憾しごくな事件だと考えます。

終戦後の第三国人どもは本当に酷かった。軍の兵器を盗んで来たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、実力犯を中心にあらゆる悪事を重ねていた。

銀座、浅草、新宿は朝鮮人、新橋、渋谷は台湾人に支配され、政府も警察も動揺し、手を拱いていた。戦勝国民は治外法権だったのである。
だから食管法に限らず、戦勝国民には日本法を適用出来なかった。服部時計店や白木屋も米軍の酒歩(PX)に接収され、そこへ行けば食料に限らず物資は山ほどあった。日本人は買えなかったが。

そうした情勢に便乗し、朝鮮人は戦勝国民だの「朝鮮進駐軍」を僭称して堂々と闇商売を行い、派手に稼いでいた。

そりゃ儲かるだろう。警察の検問を竹槍日本刀を振り回して強行突破したのだから(さすがに銃撃戦は挑まなかった模様)。

当時は物不足で、売る方は素人でも出来た。
仕入れこそ難しかった。

彼等は日本人露天商を襲って商品を奪う。

それで警察が黙認して捕まえないのだから、こりゃあ損のしようが無い。
警察が襲撃されることしきりで、署長が叩きのめされたり、
捜査主任が手錠を賭けられ半殺しにされるぐらいは珍しからず。

上野で朝鮮人経営の焼肉屋へ国税局査察部が査察に行った際、大金庫を開けて手を入れた瞬間を狙って二十人ぐらいで一斉に金庫の扉を押したものだから査察官は腕を切断されてしまった。


当時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、第三国人の襲来によって犯人を奪還された富坂警察署事件、ついでに警官が殺された渋谷警察署事件、共産党が大群で警察署を包囲し外部との連絡を遮断「攻城戦」に出た平警察署事件等、枚挙に暇有りませんでした。


東京東部(すなはち大東京の中心地)北郊の荒川、古利根-中川、江戸川、利根川流域の牛は皆いなくなった。

当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、深夜、不良朝鮮人が侵入して来て盗み出し、河原へひいて行ってした。牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが、銃砲刀剣で武装しているので追う訳には行かなかった。

永年愛育し、慈しんで来た牛が悲しそうに泣きながらズルズル引き出され殺されるのを傍観するのは無念で耐え難かったが、手向へば殺されるのでどうにも出来なかった。

そうして利根川水系流域一帯の牛は皆、不良朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。

この辺へも、新聞紙に包んだ肉塊を売りに来たものだ。
上流でした牛を、そのまま下流へ売りに来たのだろう。
かくて南関東から、牛はいなくなった。

家/畜相手ならまだしも、人間に対しても、関東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つような勢で数多犯罪を重ねた。
川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。その最も著しい象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に対する集団暴行・傷害事件がある。

翁が軽井沢の静養先から帰京しようとして信越本線の汽車に乗っていたら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、鉄道員を突き飛ばし押入って来て、

「俺達は戦勝国民だ、おまえら被支配者の敗戦国民が座って支配者様を立たせるとは生意気だ、この車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな!」と追い立てた。


それで鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座っているのにそりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、たちまち大勢飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした。
幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。

年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、いかに不出来な孫にせよ。
孫共はこれを知らんのだろう。

直後に総理大臣に成る程の大物でもかくのごとし。
いわんや庶民におては 土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった。

闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、ことには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が片端から強奪された。

今、朝鮮人が駅前の一等地でパチ/ンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、皆、あの時奪った被災者の土地だ。

それでも警察は手が出せなかった。
歴代首相大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察ごときに何が出来よう。

ある日、警察は何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命ぜられれば、それ切り警察は消滅する。

七百万の大軍を擁した彼の帝国陸海軍ですら、左様にして両総長 両大臣以下、自然廃官になった。まこと敗戦は悲しからずや。

たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み「浜松大戦争」になった訳だが、「小戦争」は日本中に頻発した。

最後の頼みの綱は連合国軍であったが、遂にはその憲兵隊でも手に負へぬ非常事態に立ち至った。


それでさすがに米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担当していた米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言はず関西と言はず、はたまた北九州と言はず、不良朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機関銃を構へて不良朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、ようやく鎮圧した。我々はその火器のきらめきを間近に見た。

この時、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥の発した布告が、

「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」

と言い声名で、これぞ「第三国人」なる語のおこりである。
だから、外国人差別用語なはずは無い。
彼等自身、マッカーサー元帥以下、一人残らず皆、外国人ではないか。

連合国軍総司令官は、日本人に対してこそ絶大な権勢を振ったが、本国や同盟国、対日理事会や極東委員会に気を使わねばならぬ外交センスの要る役職であった。

何人にもせよ、敗戦国民以外を、声名発してまで差別なんぞする筈が無い。

「第三国人」の語は、国際法に則って説いた技術的専門用語に過ぎない。


終戦後の朝鮮人の横暴は目に余るものであった。

東京のど真ん中、銀座の交番に於いてさえ、朝鮮人を注意した巡査が複数の朝鮮人の襲撃を受け裸にされ警棒を尻に突っ込まれると言う乱暴を受けた。

当時の日本警察は拳銃の携帯が許されておらず、朝鮮人の横暴を止められなかった為、政府はマッカーサーに請願した。

これを受けて述べたのが、マッカーサーの
「朝鮮人は戦勝国ではない第三者だ」と言う三国人発言である。

1950年にGHQは日本占領を終結し、解放し、実質的に戦後は終わったとされています。

その際に朝鮮人は日本籍を剥奪され、韓国籍として朝鮮に帰れと命令しました。
不要の朝鮮学校と民団総連も廃止し解散請求しました。

すると在日朝鮮人は、なにを履き違えたか
「我々は先勝国民であり日本を統治する立場だ」と叫びだし、革命を叫んで、公共施設の不法占拠し火炎瓶や武器で武装して決起したのです。

警察も拳銃で対抗し射殺された人もでました

警察では対処できなくなり、GHQは軍隊の動員をして戦後初の戒厳令を敷いて朝鮮人による暴動を平定しました。

この戦後初の戒厳令が敷かれた朝鮮人動乱(正式名がない)事件は、日本の歴史からスッポリ抜けています。

死人も出ている事件なのに、日本の教科書には掲載されたことはありません。(日本各地で勃発しました、栃木や浅草などは戦場状態です)

逆に朝鮮民族学校の教科書には差別と弾圧として掲載され教育されています。
勿論、被害者側としてであり、立ち上がったのは国籍条項と朝鮮民族学校の廃校に対する
抗議としてであると述べています。

日本人として、在日朝鮮人への危機感は常に持つべきですね。


言っておくが日本国内だけではない。

朝鮮半島を朝鮮を近代化させて、恩あるはずの我ら先人の日本人を集団で襲って、強姦強盗不動産窃盗と悪の限りを尽したのを皆忘れてしまったのか。

多くの日本人は、朝鮮人に襲われ、無念にも命を落とし、帰れなかった人は数知れない。

彼らの悔しさを思うと、日本人の敵朝鮮人に参政権という言葉は決して出てこないはずである。

このことを誰も伝えようとしないが、事実は決して消える物ではない。

朝鮮人の日本人に対する犯罪は、触れては成らない理由があるのか不思議な日本人達だ。



●なぜ日本にだけパチ/ンコ屋があるのか?

今から70年ほど前、日韓併合後に朝鮮人は自らの意思で日本に渡ってきた。
その後日本は第二次世界大戦で連合国(米・英・オランダ・支那・オーストラリア)と戦争に突入。英・オランダ・支那・オーストラリアには勝ったものの米に敗北し、ポツダム宣言を受け入れ連合国に降伏した。

すると朝鮮人たちは「我々は戦勝国民」であると主張し、
「朝鮮進駐軍」を名乗り、各地で暴れ始めた。

日本の男たちは戦場に駆り出され、残っていたのは女、子供、老人ばかり。

朝鮮人はやりたい放題で、駅前の一等地は朝鮮人に襲撃され占領された。

もちろん、そこに住んでいた日本人女性は容赦なく強姦され追放されたのです。

当然、日本人は朝鮮人を強く憎むようになった。

そのため、在日朝鮮人は日本名を名乗るようになった。

朝鮮名を名乗ることは自分が犯罪者だと宣言しているようなものだったからだ。

その後、朝鮮人達は共産主義者と組み、マスコミを使って歴史の捏造を始めた。
「強制連行されて来た」
「土地を奪われて仕方なく来た」等など。

そして強姦・殺人犯罪を謝罪するどころか、土地を占拠し続けながら、
「俺たちは何も悪いことをしていないのに差別される」
「不当な差別を受けている」などと宣伝し始めた。

「朝鮮進駐軍」を知らない若い世代の日本人たちは在日に対して、罪悪感を持つようになった。

そして在日たちは日本人から奪い取った一等地で商売を始めた。

それがパチンコである。

今でもパチ/ンコ業/界の8割が在日が経営者である。
パチンコ業界は今や30兆円産業と言われている。

なんとあの日本が誇る自動車産業より上なのだ。

だが自動車産業とは違いこのパチ/ンコ業/界は、日本が誇るどころか日本が恥ずべき業界なのだ。

なぜならパチンコ業界は経営者の脱税と、北朝鮮への不正送金・犯罪の温床など日本人にとって極めて不利益になる事ばかりをしている。

「日本のパチンコがある限り我が国は安泰だ。」(金正日)

日本の政治家や警察にもパチンコの金が流れている。

だから
「パチンコ・パチスロはギャンブルではない娯楽だ。」
などという、馬鹿げた論理がまかり通っているのだ。


しかし祖母や曾祖母が朝鮮人に強姦された場所で、今の奴らはパチンコやスロットを打つとは・・・・・。

これは「日本人」以前に「人間」として恥ずべき行為ではないのか?

在日朝鮮人が経営するパチンコ屋が駅前に多いのではなくて、パチンコ関係の会社の経営者は在日朝鮮人が殆どです。

それぞれの企業の代表者を調べれば中国式(朝鮮式)の名前です。

名前が日本風であっても通名である場合もあります。

そしてその他の風俗店、焼肉屋などにも多いです。

なぜ強制的に連れて来られたと騙っている彼らが、差別が酷かったと騙りながらも、今のように駅前で莫大な富を生み出す違法な賭博場を開けるまでになったのでしょうか…。

終戦直後、駅前には闇市が出来上がり商売に適した場となりました。

当時、自分達を三国人と称して、自分達には治外法権が認められていると勘違いし、日本の闇市を席巻していたのは朝鮮半島出身者達でした。

彼らは「在日朝鮮人連盟」という自治団体を結成し、その組織の力をバックにやりたい事を
やりまくりました。

警察署でさえ武器を手に持ち押し入って、留置所から仲間を連れ出すことさえやってのけました。(全ての朝鮮人がそうであったとは言いません。しかし、同胞の不正に目を瞑っているというのは酷い事です。)

他の方も書いておられますが、悲しい事にこの勢力に対抗できるのはヤクザしかいませんでした。

この事を、今のマスコミも教科書も伝えませんが、こんな酷い話を載せる事を編集者は怖がります。

それが元で憎悪が広がりかねませんから。
そしてマスコミも教科書もこの事を書けないのは、常に朝鮮系の圧力団体(朝鮮総聯や韓国民潭)や政治的な圧力団体からの圧力があるからです。

教科書などはいつも圧力団体の抗議にさらされていますね。

こういった事実を書くと、必ず「それは民族差別である」という方が居られます。

しかし、在った事を書けば差別で、見て見ぬ振りをすれば差別ではないのでしょうか?

これは民族差別ではなく、犯罪者差別です。

日本人には民族という概念は薄く、犯罪者を嫌う、という感覚が有ると思います。

むしろ民族、民族と口やかましいのは外国人であったりします。

最近まで、北朝鮮の拉致はでっちあげだと言っていた人たちがいます。

マスコミは拉致事件を大きく取り上げませんでした。

同じように、パチ/ンコの問題も嘘で塗り固められ、マスコミは沈黙したままです

で、不法占拠に関して言えば、駅前一等地をどんどん奪っていったというわけではなく、空襲などが激しくて殆ど元の住人がいなくなった地区単位で丸ごと奪ったという例を(神戸のある地区や柏市など朝鮮人などと評された地域のことを)よく聞きます。

なぜこういった不法占拠が既成事実化してしまうところまで放置されてしまったのかは、弱者であることを強みにして暴力や脅迫などで民闘連を推し進めてきた成果でしょう。

新聞でちらっと書くだけで脅迫・暴行の対象になる訳ですから、ましてや教科書なんかには残るはずもない話であります。


ぶっちゃけ、在日朝鮮・韓国人は不幸の民でもなんでもないよ。

あいつらは元々半島で差別を受けていた白丁という奴/隷階級。

日本との併合で白丁たちは解放されたけど、それでも差別が強かったためにろくな職業につくことができず日本へ渡ってきた。
強制連行でもなんでもない。しかも大半が密航。

関東大震災で朝鮮人が井戸に毒を投げたとかいうデマが広がって、あいつらはいまだにそのことを恨んでギャアギャア騒いでるけど、なんの根拠もなくそういう噂が広まったわけじゃない。

朝鮮人は、震災で倒壊した建物から金品を盗み出したりしていて、それを戻ってきた住民に見つかって問い詰められると

「ココワタシノイエ!」などと開き直って家主を唖然とさせた。

それまでの東京は、家に鍵を掛けなくても泥棒なんて滅多に入らないほど治安がよかったけど、それからはみんな家に鍵を掛けるようになった。

戦後に到っては、戦勝国でもなんでもないのに(*大韓民国臨時政府は国際的に正式な臨時政府と認められていませんでした。つーか日本と韓国は当時同じ国だったからあいつらも敗戦国)

「独立だ!オレたちは朝鮮進駐軍だ!」とのたまって、各地でレイプや略奪を繰り返していました。

田舎に疎開していた人たちが家に戻ってくると、いつの間にか家が朝鮮人に乗っ取られていて

「朝鮮勝った!おまえら負けた!この家はおれのものだ!」と言って、元の住民は、ここが自分の土地だと証明する書類も戦争でなくしてしまい、どうすることもできなかったそうです。

駅前って、パチ/ンコ屋だの金融業者が多いじゃないですか。

あれって、大半が戦後に在日朝鮮人が不法占拠した土地なんですよ(*パチ/ンコ屋と金融業は8~9割が在日企業)。

在日は民潭や総連など暴力団ともつながりのある組織とつながっているため、元の地主は取り返すことができず、田舎でほそぼそと暮らしているらしいです。

さらに許せないことは、戦後の混乱しているときに、朝鮮人は神風特攻隊の飛行服を着て悪逆非道を行っていたということです。

わざわざ国のために死んでいった人たちを貶めるためにね!

これは現在の街宣右翼と呼ばれているひとたちも同じで、彼らの目的は愛国心=軍国・民族主義と一般人に刷り込むことです。

考えてもみてください、威圧的な車に乗って軍歌を大音量で流してるような人たちを普通の人が見て、こころよく思うはずがありませんよね。

彼らの大半も、日本の弱体化を狙う在日や中国人です。

あげく、最近の在日は、自分達にも参政権を寄こせとか言ってくる!

外国人に地方参政権なんかあげたら最後、韓国が領有権を主張している竹島や対馬に集団で移り住んで自治宣言→韓国領に編入されてしまいますよ!

在日が日本を愛しているわけがないんです。

いや、そもそも本当にこの国を思っているのなら、帰化して日本国籍を取ればいいじゃないですか。

民族の自尊心とやらは、帰化したくらいで無くなってしまうほど薄っぺらいものなんでしょうか?

そんなことを言ったら、元々日本人とは人種の違うアイヌ人や沖縄県民に失礼です。

テレビなんかでいかに在日が不幸な民かをやっているけど、テレビ局は多数在日が潜り込んでおり、彼らは自分達のためだけにしか動かない!

やつらは不利になると情に訴えるけど、だまされないで。

本当に彼らの言ってることが正しいのか、自分で様々な資料をよく調べて、考えてみて!


日本を守りましょう!

"韓国人なのに右翼"

2012-02-01 14:56:50 | Weblog
【社会】 "韓国人なのに右翼" 在日韓国人、日章旗掲げるなどして競売入札妨害…山形

★競売入札妨害の容疑 元右翼関係者の男逮捕

・競売にかけられた住宅に右翼団体の看板を掲示して入札者を排除するなどしたとして、
 県警組織犯罪対策課と山形署などは31日、韓国籍で元右翼団体関係者の
 韓清光(かんきよみつ)容疑者(60)(山形市新山)を競売入札妨害の疑いで逮捕した。

 発表などによると、韓容疑者は2009年9月頃、競売開始決定がなされた自身所有の
 土地や住宅などに右翼団体の名称が記載された張り紙や日章旗を掲げ、入札希望者を
 排除したほか、11年4月、落札した北海道釧路市の30歳代男性に「ここには右翼が
 入っている。小遣いをやるから手を引け」などと電話をして購入を断念させた疑い。

 県警幹部によると、韓容疑者は調べに対して、「張り紙は事実だが、入札妨害はしていない。
 男性に電話もしたが、譲ってほしいとの交渉で脅してはいない」などと供述しているという。

 韓容疑者は09年2月、抵当権が付いた状態で土地と建物を購入。抵当権者の
 消費者金融が同年6月、山形地裁に競売申し立てをした。当時の売却評価額は
 計1450万円だった。

 男性の購入辞退後、韓容疑者が昨年9月に400万円で落札。県警は、韓容疑者が
 価格を下げて購入しようとした狙いがあったとみて調べを進めている。

  http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/news/20120131-OYT8T01182.htm