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ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

兵庫県 城崎温泉 散策 その1

2019年04月29日 | 旅行
3月の下旬に、青春18切符を使って、城崎温泉への日帰り旅行に行きました。

播州赤穂駅から姫路駅で乗り換え、播但線で城崎温泉駅を目指します。

山陽本線を行くのに比べて、播但線は時間がかかって、乗り換えが多いです。

姫路から寺前駅で乗り換えます。次は和田山駅で乗り換えです。


和田山駅に着く一つ前の駅に竹田があります。

あの天空の城の竹田城です。

駅前に寺が並んでいました。





先の石橋を渡ると、天空の城への登り口へ行きます。







この駅から、和田山駅で乗り換え前ました。

和田山駅で反対に向かう電車のボディーに天空の城の絵が⋯⋯⋯。









この駅から、さらに豊岡駅まで行き、最後の乗り換えをして、城崎温泉駅にやっと着きました。

赤穂から約4時間かかりました。





城崎温泉駅です。


次の地図の黄色の線に沿って番号順に歩きます。






城崎温泉では、7つの外湯がありますが、そこを観光ポイントにすえて巡ろうと考えました。

まず、駅前の「さとの湯」です。そこにさとの湯の足湯があります。





いっぱいの人で、足湯はにぎわっていました。

池のある高さに足湯があります。

近くに行くと、外国語ばかりがとびかっていました。


城崎は、1400年前から温泉がわきつづけていますが、「さとの湯」は、現代性をプラスして誕生しました。

エキゾチックな雰囲気が漂いハーブの香りや滝の音に満ちた不思議な空間のようです。

悠々と流れる円山川や自然をながめながら過ごせるそうでした。


駅の近くの温泉の湯が飲めるところ。





さとの湯の建物。





駅前から、北へ歩き、「地蔵湯橋」に向かいます。





遠くに「地蔵湯」の外湯が見えます。


この通りの風景。





お土産やさんや、飲食店、旅館が並んでいました。

蟹がたくさんあったので、ひやかし⋯⋯⋯。








山陰は、やはり蟹が有名です。「松葉かに」のプレートがありました。





「いなば」、蟹の有名な店なのでしょう。


通りに、水彩画展の会場があったので中に入って、見せてもらいました。





素晴らしい花の水彩画が並んでいました。

私の好きな絵でした。これだけでもここに来た値うちがあります。

残念ながら撮影は禁止です。


しばらく歩いて、地蔵湯橋に到着。





橋の上から、西を見た風景です。





城崎らしい風景の場所です。

反対側の東の方を見た風景。





橋を渡って、「地蔵湯」の前へ来ました。







江戸時代には、村民多数の入浴があり、里人の外湯として親しまれました。

この湯の泉源から地蔵尊が出てきたので、この名前が⋯⋯。

庭内に地蔵尊を祀っています。

六角形の広い窓は「玄武洞」をイメージ。外湯中の一番モダンな建物。

玄武洞は、この近くの観光名所でした。



この前でちょっと休憩します。













古の都 奈良 散策 その8

2019年04月24日 | 旅行
三月堂のところです。





黄色の線に沿って番号順に歩いています。





ここから、少し歩くと、「二月堂」がありました。





奈良時代創建の仏堂です。

現存する建物は、1669年再建で、国宝に指定されています。

二月堂といえば、奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知れ渡りました。

実は、私もそのお水取りが見たくて、昨夜、ここに来ました。

でも、時間を勘違いして、松明の赤々と燃えた風景は、見ることができませんでした。


でも、二月堂の舞台に上がってみると、厳かな僧侶の読経の声が響きわたりすばらしい雰囲気を感じることができました。

その時の写真ですが、コンパクトデジカメのものなので。あまりよく写っていません。





舞台に上がっていく石段。





舞台のところ。











舞台からの下の奈良のまちの夜の風景です。







昼間に戻って、すぐ隣に「閼伽井屋(あかいや)」がありました。





修二会に際し、、毎年3月12日(13日午前1時過ぎ)に、この屋内にある井戸より、本尊十一面観世音菩薩にお供えする御香水を汲む儀式を行うところです。

この建物は、13世紀の初期に再建されたものと考えられています。

修二会とは、お水取りのことです。正式ないいかた。


修二会で松明に使う竹だと思います。









二月堂のどういう建物かわかりません?⋯⋯⋯。

いろんな道具を収納する場所のような感じでした。



ここをあとにして、「東大寺 大仏殿」に向かいました。


二月堂を出てすぐに、二月堂の方をふりかえった風景です。





なんともいえない雰囲気を持った景色です。


しばらく歩くと、「二月堂 供田」の石碑のある場所に来ました。





お水取り行事などに用いられるお米を栽培するお寺の「田んぼ」。

お供えの餅を作ります。正月の鏡餅も。


ここからしばらく歩いて、東大寺の大仏殿のところ付近にやってきました。








「大仏殿」がありました。





たくさんの人ですね。

外人さんが多いです。

創建から2度にわたって焼失し、鎌倉と江戸時代に再建されました。

現在でも世界最大級の木造建築。

毎年、大晦日から元旦に、正面唐破風下の観相窓が開かれ、大仏尊像のお顔を外から拝しながら新年を迎えることができるそうです。

ちなみに、ここの照明装置も全てLED化されているとのことです。



境内にある、鏡池の近くのベンチで少し休憩します。

鏡池の大きな鯉?⋯⋯⋯。






古の都 奈良 散策 その7

2019年04月22日 | 旅行
今、水谷茶屋にいます。





昭和23年創業の甘味処。

私の生まれと同じ年ですね。


ここから黄色の線に沿って番号順に歩きます。





茶屋から、大きな道路を渡ると、急な石段がありました。





この上に行くと、目の前に、若草山が現れます。





山全体が芝生でおおわれていました。

3つの笠を重ねたような形なので、「三笠山」の名もあります。

高さ342m,広さ33haあり、山のあちこちに鹿が見れます。

ニュースでよく取り上げられる「若草山の山焼き」は、冬の代表的な行事でした。

起源には、諸説ありますが、若草山の山頂にある前方後円墳(鷺塚古墳)の霊魂を鎮める杣人(そまびと)の祭礼ともいうべきものとのこと。

杣人とは、きこりのことです。

私も、学生の時に遠足で来て、この山に入って、弁当を食べた記憶があります。

遠足といえば、弁当は、必ず寿司屋さんの巻き寿司でした。


修学旅行の学生さんに会いました。





中学生か? 高校生か?


ここから、しばらくのんびりと、地図のハイキングコースを行きます。

次の目的地の「手向山八幡宮」を目指しました。


八幡宮に入る直前に通った「古梅園製墨」。





奈良で製墨を始めて、四百有余年を数える店のようでした。


もうすぐ、「手向山八幡宮」です。





八幡宮に到着しました。








奈良時代、聖武天皇が大仏の造営をされたとき、これに協力のため、749年に宇佐から八幡宮を迎え、大仏殿の近くの鏡池(八幡池)の東に鎮座したことに始まりました。

以後、東大寺を鎭守しました。

鎌倉時代、1250年に、北条時頼によって現在の位置に遷座したとのことです。





ここから、少し歩くと「法華堂(三月堂)」があります。





東大寺建築のなかで最も古い建物。

不空羂索観音を本尊として祀るためのお堂です。

旧暦3月に、法華会(ほっけえ)が行われるようになり、法華堂、または三月堂と呼ばれるようになりました。


ここで、少し休憩します。




古の都 奈良 散策 その6

2019年04月19日 | 旅行
春日大社の南門の前にいます。





今から、春日大社の中に入ってお参りします。

番号順に黄色の線に沿って歩きました。





幣殿です。

参拝所として使われていました。








正面に見えるのが、春日大社の御本殿です。





今から1300年ほど前、平城京の鎮護のために、国譲りを達成された最強の武神の「武甕槌命(たけみかづちのみこと)様」を神山御蓋山に奉遷したのが始まり。

武甕槌命様は、白い鹿に乗ってきたと伝わり、それ以来、奈良の鹿は神の使いとして保護されました。

768年に御蓋山の中腹に四棟の神殿が造営されたことから本年は御創建1250年を迎えるそうです。


本殿の前に行って、お参りしました。





ちょうど、神前結婚が行われていました。


ここから、順路にしたがって進みました。








春日大社らしいつり燈籠の風景です。





「御蓋山浮雲峰遥拝所」にきました。














ここから、最初の春日大社の拡大図の青の線に沿って歩きました。

影向門を入り、本殿の前を通って「風宮神社」にきました。








すぐ隣の「椿本神社」。








順路にしたがって、「藤浪之屋」へ。





萬燈籠の幽玄の美を感じるために、中に入りました。








藤浪之屋を出て少し歩くと、「多賀神社」がありました。








順路に沿って出口に向かいます。









「慶賀門」から外へ出ました。


ぶらぶら歩いて、「水谷神社」に向かいます。

歩いて行くと、「桂昌殿」にきました。





家光の側室で、綱吉の生母である桂昌院が、「天下泰平之御祈祷」のために寄進した祈祷所でした。


この近くに、有名な歌の石碑があります。





阿部仲麻呂は、遣唐使として選ばれ、唐にいきます。

彼は有能だったのでしょうね、乞われて唐朝廷に入り要職を歴任しました。

33歳の時に帰国を願いましたが玄宗皇帝に許されず、53歳の時に、ようやく一時帰国を許されましたが、結局、帰国ができませんでした。

故郷をおもって詠んだ歌がこの歌でした。


ここから、「水谷神社」へ歩きます。





水谷神社にきました。








ハイキングMAP を片手に歩いていますが、地図の通り進んでいます。





水谷神社のすぐ近くにある「水谷茶屋」。






長く歩いたので、ここで休憩をとります。




古の都 奈良 散策 その5

2019年04月17日 | 旅行
今、鷺池の見渡せるところにいます。





地図の黄色の線に沿って番号順に歩きます。





ここから次の観光ポイントの「志賀直哉旧居」を目指すつもりです。

JR西日本発行の「駅からはじまるハイキング奈良コース」をウォーキング中。

地図に沿って、間違えたり、迷ったりしないように、観光ポイントを見ていくことに面白みがありました。

(よく間違えたり、迷ったりしますが、それも楽しいことです。)

しばしば、知らない間に、たくさんの歩数をカウントしています。

しばらく歩くと、豪邸が建ち並ぶ区域にきました。





家の奥が見えないようなお宅。





武家屋敷のような雰囲気でした。





長屋門のような感じです。


KKR(国家公務員共済組合連合会) 「奈良 御蓋荘」です。





どこかなつかしい木のぬくもりの館内、自慢の庭園、五感が喜ぶ料理が売りの宿でした。

今までに、泊まりたいと思った時はあったのですが、機会がありませんでした。


この辺りでは、このような雰囲気の道が続いています。





しばらく行くと、「中村家住宅(旧足立家住宅) 主屋・塀」がありました。








こあたりの路地の雰囲気です。





ここから少し行くと、「志賀直哉旧居」があります。





昭和初期に、志賀直哉自身が設計した家です。

数寄屋風の造りですが、洋風も取り入れた、当時としては非常に進歩的で、合理的、美的工夫をさまざまなところに凝しているのが特徴でした。





この辺りを上高畑町と言います。





志賀直哉の旧居の庭さきからの風景。

志賀直哉は、奈良特有の自然美と静寂に心をひかれ、そのなかで、執筆活動をおこない、長編小説「暗夜行路」を完成しています。


ここからささやきの小径を歩きました。

この高畑と春日大社の二の鳥居を結んでいる小径です。

神官の方が、春日大社へ出勤するときの道として使われていたようでした。


途中から、「上の禰宜道」に入りました。





ささやきの小径(下の禰宜道)より、東側にあります。








両側をアセビの木に囲まれたひっそりとした静かな道。

この辺りの道はアセビだらけだそうです。

なぜなら毒があって鹿が食べないから増えたようでした。

想像ですが、奈良を愛した名だたる文人が、幾度となく通り、小説の構想を考えながら散歩したことでしょうね?⋯⋯⋯


次の説明板がありました。








巨樹のイチイガシ。


春日大社に行き着くまでに、「夫婦大國社」にきました。





春日大社の末社で、日本で唯一の、夫婦の大國さまを祀るお社でした。

大国主命(おおくにぬしのみこと)、須勢理姫命(すせりひめのみこと)。

恋愛のパワースポットらしいです。


ここから、春日大社へ道を進めました。








遠く先のほうに、春日大社が見えてきました。






南門です。ここから、中に入りました。