
下野新聞社の前からブログを再開します。

黄色の線に沿って番号順に歩きます。
ここからさらに北へ少し歩くと、「万町交番」がありました。

明治30年、万町巡査派出所として設置され、いくたの変遷を経て、平成4年に全面的に改築され、現在の建物になりました。
蔵の街の景観にとけこんでいます。
ここの交差点を左へ渡ります。
「櫻井肥料店」の建物の前に来ました。

並んで、歴史のありそうな建物が続きます。

「日光例幣使街道」の方へ進みます。


街道に入ってすぐの左側に「舘野家住宅店舗」の建物が見えます。

昭和7年の建築です。
外観はいかにも素敵な洋風建築に見えますが、内部は和風らしいということです。
この街道を北へ進みました。


素晴らしい建物が並んでいて、ドキドキしながらシャッターをきります。

徳川家康が日光山に改葬され、その後、毎年、朝廷から日光東照宮に例幣使と呼ばれる勅使がつかわされました。
その通った道が「日光例幣使街道」です。


「岡田記念館」の前まで来ました。


岡田家は、栃木市屈指の旧家です。
古くは武士で、帰農して土豪として栃木に移住しました。
日光例幣使街道の開通とともに、名主役や本陣をつとめます。
代官職を代行することもありました。
中を見学したかったのですが、この日は閉まっていました。

あきらめて、次の目的の場所の「栃木病院」を目指します。
ここから道に迷って、だいぶん遠い離れたところまで行ってしまいました。
地元の人に教えてもらいなんとか病院のところまでやってこれました。

大正モダンの建物です。バルコニー風のテラス。レトロな雰囲気。グリーンの色。
大正2年にできたそうです。
現役で今も病院として使われているそうです。
ここから、「旧市役所別館」へ行きます。
途中に「栃木高校」がありました。

門を入ってすぐ右の建物は「記念図書館(養生寮)」で大正3年にできたそうです。
素敵ですね。

ここから少しいったところに「旧市役所別館」がありました。

1921年に建てられました。
この場所はもと県庁があったところで、そこに町の役場庁舎としてつくられました。
1階に事務室、食堂等、2階に議事堂、貴賓室等が設けられています。
市の近代の歴史を語る上でかくことのできない重要な建築物だそうです。
(昔は栃木が県庁で、今は宇都宮です。)
この建物と栃木高校を、くるっと「県庁堀」と呼ばれている堀が囲んでいたみたいです。
ここでちょっと休憩しますね。
続きは次のブログで。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます