私の誰にも通じる金言度

何度も報道されていますから悲しいニュースを繰り返すのもと思ったのですが、やはり感銘したことがありましたので書かせていただきますね。
去る2日、広島市、マツダスタジアムで行われた対広島1回戦の試合前、グラウンドでノックをしている最中にくも膜下出血で倒れ入院されていた、
プロ野球巨人の木村拓也(きむらたくや)内野守備走塁コーチが関係者とファンの願いもかなわず7日、午前3時過ぎ37歳の若さで亡くなられました
今日お通夜、明日ご葬儀・告別式が営まれます。
アテネオリンピック日本代表選手。スイッチヒッター。俊足。投手以外全ポジションを守れる稀少なユーティリティープレーヤー。昨シーズン日本一に貢献して引退。すぐ1軍コーチ就任。
経歴を拝見して華やかな野球人生と拝察していたのですが、惜しむ声とともに知らされた歩んでいらした道。
あの明るい笑顔の裏で本当に努力されていたのですね。
報道された部分を聞いた・読んだ記憶基づき書きですが、違っていないと思える部分ご披露しますと、
高校時代、35本のホームランを打っても指名されずに失意の中もめげずドラフト外で入団。
そのあともすぐにプロに馴染めず、入団してすぐ辞めるであろうと報道され、その後も2つの球団にトレード。
文字にすればこれだけ。
ですが、時に挫折の思いもおありだったのでは拝察するのですが、お気持ちが負けてしまうことはなかったのですね。
レギュラーの欠員が出そうと知るや内野を守り、けが人が出たら外野を守った。すべて試合に出るチャンスを得るため。
本来はキャッチャーが定位置。それを投手以外全ポジションをこなすユーティリティープレイヤーとなり、スイッチヒッターにも。
野球を観ること好きながらもただの素人。そんな私ですら、人並み外れて器用で、身体能力が秀出ていらした事は間違いないでしょうけれど、
それに増してどれほど努力されたかの一端想像ぐらい出来ます。
そんな木村拓コーチがプロ野球の新人の方に対してされた講義内容が巨人軍公式HPに掲載されたのは3月。
急死されるわずか一ヶ月前
スイッチヒッターもユーティリティープレイヤーも目指してなったわけではなく、自分を活かせる(プロ野球界で生き抜く?)ためにやる以外の選択を思いつかなかった趣旨のことを述べられています。
野球でごはんをいただいているわけでない私ですが、心にズンときて、これから生きていく人生の晴れた日ではなく、降る心地の日に思い出そうと思った言葉がありました。
『一番得意だった事がうまくいかない、その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。
投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか』
努力で自分の活路を切り開いていらした体験に裏打ちされた、これこそ「金言」だと感じました。
お言葉を忘れず、私人生でこれからだってあるだろうな。降る日や彩度の低い日
に思い出します。
さまざまシチュエーションでもすぐあきらめたりしないこと心に留めますね。表明致します。
元気でいらしたらこれからも若手をご指導され、日本プロ野球界の発展に必ずや寄与されたであろう人材、木村拓コーチ。
それゆえあまりの若さでの死去。惜しまれてなりません。
いつも謙虚に前向きに努力して周りと家族に感謝の心を持ち続けた、木村拓也さんの37年の生き様。
近い将来ドラマか映画化されて欲しいなぁーと願います。
試合中のお姿を一方的に見ていただけ。一面識もない私なんかがですが、衷心よりお悔やみ申し上げます。
どうぞ安らかにお眠りください。
きのう4月08日の閲覧数:584PV ご訪問者数:224IP
順位:1,392,691ブログ中5,894位でした。
いつもご訪問いただきお読みくださる方、初めてお立ち寄りくださった方、ありがとうございます。
今日も良い日をお過ごしください~♪ よければまた遊びにいらしてくださいね(*⌒ー⌒ *)



何度も報道されていますから悲しいニュースを繰り返すのもと思ったのですが、やはり感銘したことがありましたので書かせていただきますね。
去る2日、広島市、マツダスタジアムで行われた対広島1回戦の試合前、グラウンドでノックをしている最中にくも膜下出血で倒れ入院されていた、
プロ野球巨人の木村拓也(きむらたくや)内野守備走塁コーチが関係者とファンの願いもかなわず7日、午前3時過ぎ37歳の若さで亡くなられました

今日お通夜、明日ご葬儀・告別式が営まれます。
アテネオリンピック日本代表選手。スイッチヒッター。俊足。投手以外全ポジションを守れる稀少なユーティリティープレーヤー。昨シーズン日本一に貢献して引退。すぐ1軍コーチ就任。
経歴を拝見して華やかな野球人生と拝察していたのですが、惜しむ声とともに知らされた歩んでいらした道。
あの明るい笑顔の裏で本当に努力されていたのですね。
報道された部分を聞いた・読んだ記憶基づき書きですが、違っていないと思える部分ご披露しますと、
高校時代、35本のホームランを打っても指名されずに失意の中もめげずドラフト外で入団。
そのあともすぐにプロに馴染めず、入団してすぐ辞めるであろうと報道され、その後も2つの球団にトレード。
文字にすればこれだけ。
ですが、時に挫折の思いもおありだったのでは拝察するのですが、お気持ちが負けてしまうことはなかったのですね。
レギュラーの欠員が出そうと知るや内野を守り、けが人が出たら外野を守った。すべて試合に出るチャンスを得るため。
本来はキャッチャーが定位置。それを投手以外全ポジションをこなすユーティリティープレイヤーとなり、スイッチヒッターにも。
野球を観ること好きながらもただの素人。そんな私ですら、人並み外れて器用で、身体能力が秀出ていらした事は間違いないでしょうけれど、
それに増してどれほど努力されたかの一端想像ぐらい出来ます。
そんな木村拓コーチがプロ野球の新人の方に対してされた講義内容が巨人軍公式HPに掲載されたのは3月。
急死されるわずか一ヶ月前

スイッチヒッターもユーティリティープレイヤーも目指してなったわけではなく、自分を活かせる(プロ野球界で生き抜く?)ためにやる以外の選択を思いつかなかった趣旨のことを述べられています。
野球でごはんをいただいているわけでない私ですが、心にズンときて、これから生きていく人生の晴れた日ではなく、降る心地の日に思い出そうと思った言葉がありました。
『一番得意だった事がうまくいかない、その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。
投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか』
努力で自分の活路を切り開いていらした体験に裏打ちされた、これこそ「金言」だと感じました。
お言葉を忘れず、私人生でこれからだってあるだろうな。降る日や彩度の低い日

さまざまシチュエーションでもすぐあきらめたりしないこと心に留めますね。表明致します。
元気でいらしたらこれからも若手をご指導され、日本プロ野球界の発展に必ずや寄与されたであろう人材、木村拓コーチ。
それゆえあまりの若さでの死去。惜しまれてなりません。
いつも謙虚に前向きに努力して周りと家族に感謝の心を持ち続けた、木村拓也さんの37年の生き様。
近い将来ドラマか映画化されて欲しいなぁーと願います。
試合中のお姿を一方的に見ていただけ。一面識もない私なんかがですが、衷心よりお悔やみ申し上げます。
どうぞ安らかにお眠りください。
きのう4月08日の閲覧数:584PV ご訪問者数:224IP
順位:1,392,691ブログ中5,894位でした。

今日も良い日をお過ごしください~♪ よければまた遊びにいらしてくださいね(*⌒ー⌒ *)