教語(天理教用語の略だと思います)に
“ひのきしん”
という言葉があります。
“ひのきしん”とは、日々生かされていることを感謝する態度です。
日々生かされているということは、実は「全て」に対してという意味です。
感謝の対象が、自分にとって都合の良いことだけではなく、身の回りにあるもの、起こること全てが感謝の対象であるということです。
と、書くと「全肯定なのか?」と聞かれますが、否、天理教にだって変化はあります。
しかし、その変化は信仰の「仕方」の変化です。人間の受け取り方の変化だといえましょう。
親神様の御守護は人間宿仕込みの元一日から、教祖の親心は立教の元一日から何も変わっていません。
主体的に変化を促そうとするとき、忘れてはいけないのは今日までの感謝だと思っています。
変化の必要性を感じるときは、おおむね現状に不満があるということでしょう。現状に満足しているなら、変える必要なんてないわけですから。
もうちょっと言い方を変えると、今日の環境が自分の定規に合わないと感じたときに、変化しようと思うわけですね。
人間、生きてますと毎日心が変わります。この「心」という言葉を「価値観」という言葉に置き換えるとわかりやすいと思うのですが、合うとか合わないとか、もっと言っちゃうと、良いとか悪いとかなんて、感じた人の主観でしかないのです。価値観は、毎日のように変わります。長い年月が過ぎ、世代がまいたいだりするとなおさらでしょう。
変化の動機とは、そんな頼りないモノだと思います。
明日から変えていこう、変わっていこうという基準点である今日は、自分では何一つ作っていないんですね。
自分じゃ何一つ作ってないくせに、「これじゃ駄目だ、これからは変化だ」なんて言っているずうずうしい自分を省みて、やっぱり慎みって大事だなあと感じるのです。
あげく、変化の原資は駄目な過去の遺産だったりして・・・
いつまでも、このままで良いわけではありませんが、それでも今日まで積み重ねていただいた先人の誠真実には最大限の尊敬と感謝があってしかるべきだと思います。
それを忘れちゃうと、何やっても“ひのきしん”じゃなくなっちゃう気がします。
尋常じゃない世界事情に当たり、否応なしに変化を求められそうなので、あらかじめ自分自身を戒めさせていただきました。
「何じゃこりゃ?」と思われた方、聞き流していただけましたら幸いです。
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