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とよきのかいちょうぶろぐ

てんりきょうとよきぶんきょうかい々ちょうの日々をのこしておこうかな・・・っと。

【令和2年8月17日】あっという間に一年の2/3が過ぎようとしています。

2020-08-17 23:52:15 | 日記
 すっかり放置していた当ブログですが、連日大勢の方々においでいただいているようで、誠にありがとうございます。

 皆様いかがお過ごしでしょうか。
・・・ネタが思いつかないときに、とりあえず打ち込んでしまいがちなご機嫌伺いの挨拶ですが、今年の場合は、特別な意味が込められているように感じます。私も、特別な意味を込めました。
 当然、新型肺炎の事を含めお変わりありませんかという意味です。
 本日現在、新型肺炎の感染者数は、累計で約5万7千名弱で、インフルエンザが例年1300万人といわれますので、すごく少なく感じます。しかし、報道では連日1名単位で集計し、一喜一憂しています。
 また、傾向としては、年齢が上がるにつれ、重症化や死亡の確率が上がる傾向にあるそうです。さらに、現在は、有効な治療の手段がありません。
 長時間飲食をともにしたり、生活を一緒にしたりすると感染の確率が上がるそうで、前者は宴会や接待を伴う飲食、後者は家庭内感染が代表的な経路であるとか。
 いずれも、ソースはネットやテレビの話題を私の主観を通していますので、場合によっては少々偏りがあるかもしれません。

 このblogを読んでいただいているので、ご存じの方も多いでしょうが、私は天理教の教会の会長をさせていただいております。
 天理教の教会は、『ようきぐらしの道場』と自称しております。
『ようきぐらし』は、天理教の目指す世界の姿で、『人間が互いに助け合って暮らす世のありよう』のことです。
 もう少し平べったくいうと、教会は、たいすけあいの実践の場であり、そのことを多くの人にお伝えする場でもあります。

 なので、この度の新型肺炎の傾向と対策は、教会を預かる私にとって、非常に悩ましいものです。
 教会は助け合いの場なので、いろいろな方に寄っていただく事が大切です。また、助け合いはえてして、時間のかかることが多いのです。
 また、教会は『おつとめ』をつとめる場所でもあります。朝夕のおつとめ、月次祭、その他、より日と称するおつとめをつとめる日、おぢばや上級教会を遙拝する日等々。
 正式な天理教のおつとめは、15名以上おの人が心をそろえてつとめますので、ここもなかなか難しいわけです。なんといっても、おつとめは、すべてのご守護の源であり、私たちからすると、最も大切なことなのです。
 ことごとく、新型肺炎の傾向と対策は、教会のありようと反目をするのです。

 実は、緊急事態宣言が解除された頃、私は、この病気をなめていました。新規の感染者も少なくなったし、このまま収まると思っていました。そのため、それまで自粛していた、都県境をまたぐ移動も再開しました。
 しかし、東京では、長時間の飲食をするお店などから、じわじわと感染が広がりをみせたのです。それは、家庭に持ち帰られ、家族への感染し、学校に持ち込まれれば、そこでもクラスターが発生しました。
 実は、この時点で、まだなめていたんですね。「人の移動が始まったので、多少増えるのも理解できる」等と思っていました。しかし、私は重大な一点を見落としていました。
『移動の自粛を解除した今、新型肺炎が治まる要素はどこにもない』のです。

 先日、知り合いの職場で、38度前後の発熱が数名出たとのお知らせをいただきました。知人と私は濃厚接触者です。幸い、翌日出たPCR検査の結果は全員陰性でした。
 胸をなで下ろすとともに、日々の生活を見直しました。情けないことですが、身近で、何かが起こらないと、身にしみないのです。
 この肺炎の対策は『慎み』にあるのではないかという思いに至りました。
 先日、娘から「夕食を外でとる」という連絡が入りました。夕食を準備している母を思いやるいい娘です。家内は「なるべく早く帰ってらっしゃい」と返信しました。娘からは「駄目か?」と返信がありました。結果的に娘は外食をせずに帰宅しました。
 娘の外食は、間違いだったのでしょうか?私は、今でもそんなことはないと思っています。しかし、娘の職場や教会の事を考えると、『今は』少し行動を慎んだ方が良いと思ったのです。
 繰り返しますが、娘の外食は少しも悪くありません。むしろ一日一生懸命働いたのですから、たまには羽を伸ばす事も必要でしょう。
 しかし、『慎み』は、事の善悪や正誤とは別のところにあるのです。
 何も間違った事はなくても、自分の権利や主張を表現する前に、少し周囲に心を配って考えるところに、進むべき道が見えてくるということはよくあることで、この新型肺炎とのつきあい方も、その辺にヒントがあるんじゃないかと思います。
 よく、こういうことを言うと「じゃあそれは間違いなんですか?」と、いわゆる逆ギレをする人もいらっしゃいますが、善悪正誤だけが判断基準ではないということです。私どもの業界用語の『親心』がからむともっと面倒くさくなりますが、要は自分の主義主張を通す前に、ちょっと周りに心を配ることの必要性を、今回は感じたのです。
 本来、自分でしなければならない判断も、『相手の真実』にこじつけて、明確な態度をとらないなんてのは、資質に欠けるといっても過言ではないでしょう。
 意外と、いろいろなことを自分本意に解釈したりしてますね。ホンと反省ばかりの日々です。

 今は、何の憂うことなく人が集まれる日々が戻ってくることを、仕事帰りに一杯引っかけて帰れる日々が戻ってくることを、ただただ願います。