小原家は和賀郡に入部した1215年頃から、北上川河東地域の狭良城郷(小原氏宗家の庶流家が狭良城氏を名乗っていたことから、狭良城郷内に多くの領地を得ていたと思われる)から、安俵郷(広域安俵郷・猿ヶ石川流域一帯)を領しており、室町時代初期には一時期、北上川河西の黒沢尻野馬を牧官として領していた時期もありました。
その後、南北朝期(1337年〜1392年)に入ると安俵郷は細分化され、毒沢・晴山郷以外の地を小原家は領するようになり、1350年代以降には、北朝派が南朝派の煤孫氏(西和賀殿)らから獲得した、郡西部の概ね現在の北上市和賀町や江釣子・滑田、花巻市笹間地区に当たる地域にも、小原家一族は代官や八幡神社の神職として派遣され、小原家はそれらの地域にも根付き子孫が増えていきました。