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みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

音は人なり

2009-08-17 13:20:30 | Weblog
先日の15日、大田区の平和祈年コンサートにレディース・オーケストラ<フルムス>の指揮者/フルーティスト/ MC として登場してかなり楽しい時間を過ごすことができた。
昨年も招待されて演奏したコンサートでの今年の最大の収穫は中国人二胡奏者、姜建華(ジャン・ジェン・ホワ)さんと共演できたことだ。曲は、彼女自身がサウンドトラックでも演奏していた映画『ラスト・エンペラー』のテーマ、そしてヴァイオリンの曲として有名なモンティの『チャルダッシュ(実はこの曲のオリジナル楽器はハーモニカ)』。ジャンさんとの共演はこのたった2曲だけだったが、私にとっては何ものにも代え難い貴重な体験になったし、何よりもフルムスメンバーの若いアーティストたちにとっても貴重な体験になったはずだと思う。
本番前日の小中学生を招いての公開リハーサルでは、こちら側がジャンさんの演奏を支えるはずが、まったく逆にジャンさんにあわせていただいた風になってしまい、もはやその時点で圧倒的な格の違いというものを見せつけられた。
本番でも私はジャンさんが気持ちよく演奏できるよう必死にオケをひっぱっていくのが精一杯。とても余裕のある演奏とまではいかなかったが、ジャンさんのあまりの演奏の素晴らしさに(聞き惚れていたのか?)自分の出番を忘れてしまう子もいたほど(彼女も当然反省はしているが)。
とにもかくにも、彼女の音楽の大きさはその人柄にもよく現れている。どんな時も笑顔を忘れず相手に配慮して腰の低いその姿はとても世界的に活躍する二胡アーティストには見えない。というか、ある意味、これだけの人柄だからこそあれだけ世界的な活躍ができるのかもしれないとも思えてくるのだが。
「音は人なり」と言うが、このことばはすべての事柄にもあてはまる。音楽をやろうが、踊りをやろうが、それをやる人間の中身がそのまま表現に出てくるのは当たり前のこと。日本語でおしゃべりな人は英語をしゃべろうが、フランス語をしゃべろうがどんな時もおしゃべりだ。逆に無口な人はどんな状況だろうと無口であることに変わりはない。
音楽というのは、その人の心の中身を音にして表現するものだから、その人の心の中がそのまま音になって現れてくるのも至極当たり前のこと。どんな芸の世界でもこんな至極当たり前の「真理」に気づかずに技術こそが芸と思ってしまう若い演奏家も多いが、そういう人たちにこそジャンさんのような人間としてもアーティストとしても素晴らしい人の「芸」を学んで欲しいと思ったコンサートでもあった。