美人が2人
2、3日前の夜、NHKでアジア大会のハイライトをやっていた。
スタジオに司会の人2人と、その横に陸上競技の為末が立っていた。それ以外にスタジオの端に女性が2人並んで立っていた。
どちらもモデルさんのように背が高くスラッとしている。明らかに為末元選手より背が高そうであり、それに配慮したのかとも思わせた。
番組を見ていて、分かったのは2人とも元水泳選手で、1人は「ハギトモ」さんだった。この人は、よくNHKに出ている。
もう一人が誰なのか分からなかったけど、背泳の「イトウハナエ」さんだった。
この人の事で記憶に残っているのは、試合でゴールにタッチした後、いつも情けなさそうな顔をしていた事だ。インタビューでもか細い声でボソボソと喋るだけだった。
メンタルが弱いと言われていて、いつも、もう少しのところでメダルに届かずに悔しい思いをしているという印象しか無かった。
別人
自分の記憶の中では、薄幸の美少女であり、いつの間にか引退していた人だった。それが、先日のテレビで見た時は別人だった。
ハギトモさんと比較したら悪いけど、すごくオシャレでファッショナブルであり、何よりものすごく綺麗になっていた。
それも当然で、我々が知っている彼女の姿は、試合終了後プールから上がった姿、すなわち水着姿で、濡れたままのすっぴんの素顔しか見ていないからだ。
もともとプロポーション抜群で美人だった人が、さらに化粧していて、オシャレに着飾っているわけだ。
もっと驚いたのは、喋り方だ。
あんなにもの静かでボソボソとしか喋らなかった人なのに、スタジオでは、盛り上がる話題に積極的に参加しよく喋って、口を大きく開けてケラケラとよく笑っていた。
別人のようになった彼女を見て、自分は、心の底から凄く安堵していた。
承認要求
きっとこれは、前回書いた、「承認欲求」に関連しているのだ。
かっての薄幸の美少女スイマーのイメージを思い起こしながら、「良かった、良かった。彼女はその後の人生を幸せに過ごしているようだ。これでいい」と心の中で承認していたのだろう。
前回の記事をアップした後、承認欲求は、生きていく上で、とても大事な概念ではないかと思うようになった。
聖書では、「神はいつも見守ってくれている」と書いているように、人間の信仰心の根底には、神への恐れから生ずる神への信頼があり、神に承認してもらっているという安心感が生きていく上の道しるべになっているように思う。
そして、それは、人々の暮らしの中で、回りへの感謝や安心感につながり、社会生活でも「お互いの信頼感」へと広がっていく。
ひょっとして、日本人の好きな「世間てい」の概念は、人々の間で共通した評価基準があり、それで承認しあっているのだ。
これが欧米の神との契約の概念と違う点なのだろう。
連続テレビドラマ
先週の月曜から新しい連続ドラマ「マッサン」が始まった。長く、連続ドラマは見てなかったのだが、今回は、毎日、録画して、帰宅後に見ている。
先週は、泉ピン子が迫真の演技でスコットランド人の嫁をなじり、いびるシーンの連続が圧巻だった。見ていて辛くなったくらいだ。
泉ピン子の母親役が、はまり役過ぎていてネットでも評判が悪く、存在そのものが不快だと書かれていたそうだ。
現実として、70年くらい前に、スコットランドから外人の嫁さんを連れて帰るなんて、とんでもないことだっただろうし、当人もすごく勇気がいったことだろう。
月曜から見始めたのだが、木曜くらいに今後、ストーリーがどう展開していくのかが気になった。そこで、ネットでモデルの竹鶴氏はどんな人生を過ごしたのか調べてみた。
現在の大阪大学工学部発酵工学科を出て、スコットランドで2年間、ウイスキー造りを学び、スコットランド人の女性と結婚して日本に帰国し、広島の実家に戻ったところまでは史実通りである。
その後であるが、奥さんと2人で実家を飛び出し大阪に行き、寿屋(サントリーの前身)に雇ってもらうようだ。そこまで調べて安心した。
息子が怒り出す
話の展開を知って気楽になり、夕食の時に、家族に話したところ、なぜか息子が怒り出した。
「何て事を言ってしまうんだ。僕は毎朝、泉ピン子にいじめられるエリーさんを見てハラハラしながら、どうなるかドキドキして見ているのに、あらすじを喋ってしまうなんて・・・・」と抗議された。
息子も毎朝、見ていたなんて思ってもいなかった。
だけど、母親役の泉ピン子、父親役の前田吟、そして番頭役の高橋元太郎だなんて、これ以上あり得ないくらいの見事な配役で、どんどん引き込まれ感情移入してしまう。これが連続ドラマのいいところでもある。
もらい泣き
金曜日は、母親泉ピン子がエリーを嫁として認めないと宣言した。そこで、家を出る覚悟を決めたヒーロー(主人公)が、実家の酒蔵で、日本人として初めてのウイスキー造りに自分の将来をかける事への不安を、優しそうな父親に訴えて泣き出すシーンがあった。
その場面では、自分も涙が出て止まらなくなった。
未知の世界に踏み出そうとしている主人公に、今の自分の不安な心を投影していたのだろう。
自分も、数理統計の魔宮のような世界に迷い込んこみ、前が見えず不安である。そこにプログラミングまで始めてしまった。
夢を追いかけるのはいいのだけど、このところ、「やっても、やってもマスターできないし、いつまでも暗闇の中」というもどかしさを感じている。
主人公が感じる将来への漠然とした不安は、自分の心にも共通する感情が湧き上がってしまい不覚にも涙がボロボロ出てしまう。
しかし、泣いた後は、心のもやもやが洗い流されて、すっきりして気分が前向きになった。これがとても心地がいい。
世間の承認
連続ドラマの魅力は、「ドラマの主人公」が苦しみもがく生き方に、視聴者が自分の生き様を投影しながら、「それでいい、ガンバレ」、と応援するところにあるのだろう。
視聴者は、ドラマを通して、日本人としてどう生きるべきかを教育されているのかもしれない。その結果、国民が承認しながら、いわゆる世間ていの一般的な基準が作成されていくのだろうか。
それは、何気ない日常生活の中でも、世間ていの基準となり、誰もが無意識に承認する、しないを判断しているだろうか。
昨日、土曜日は、いよいよ主人公とエリーさんが新しい旅に出発するところで終わっていた。来週、月曜からは大阪に出ていくようだ。
インタビュー記事
昨日の夕刊にヒロイン、シャーロット・ケイト・フォックスさんのインタビュー記事が載っていた(毎日新聞、10月4日、夕刊、「未知の国でぼちぼち冒険」)。
以下、引用。
「火が生まれ出るような経験をしています。1週目を見て、自分が演じているとは信じられないくらい難しかった」と明るい表情で語った。
中略
見知らぬ土地や習慣、言葉に戸惑いながら成長するエリーの姿は役者本人の境遇とも重なる。
「私が選ばれた大きな理由だと思います。リタと同じように何も知らない国に来て、全部を吸収しています」
視聴者にどんな思いを伝えたい?と尋ねた時も
「人生は冒険。いつも頑張って夢をあきらめないで」。
エリーとマッサンの夢も始まったばかりだ。
引用終わり
最後に
今回は自分も気合を入れてドラマを見ることにした。時々、ドラマの話を書くことにします。
寒くなってきました。皆さん、体調に気をつけてください。自分は1キロ体重減で快調です。