道東を発見する旅 第3の人生

寒いのでコートを着る、中国のニセモノ文化と科挙

コートが欲しい

北海道の離島に住んでいた時には、都会で着る紳士物のコートは全く必要なかった。真冬に屋外に出るときは、とっくりのセーターにフリース、マフラーを巻いて、少し厚めのウインドブレーカーで十分だった。確かにマイナス10度くらいになるときもあったが、下着をしっかり着込んでいればそれで良かったのだ。

離島に行くときにはマイナス20度を下回っても大丈夫な冬山登山用のダウンとオーバーパンツも持って行ったのだが、結局、1回も着ることはなく、島を離れる時に綿羊牧場のおじさんにプレゼントしてきたのだ。

そんな訳で、今季の冬が始まる前に、普通の紳士物のコートを買っておきたかった。

駆け込みで購入

先週から、梅田の大丸で紳士服のバーゲンをやっていた。週末にものぞいたのだが、気持ちが決まらないままであった。だけど、月曜が最終日だったので、仕事帰りに急いで飛んでいった。午後6時に閉場であり、会場に入ったのが5時50分で、気に入ったキャラメル色の定番のコートを買って、そのまま着こんで家に帰った。

その日は夕方から急に冷え込んできており、背広の上からコートを着ても暑すぎなかった。

昨日の朝の様子

昨日の朝は最低気温が10度を切っていたようだ。早速コートを着て仕事に出かけた。午前6時23分発のモノレールに乗りこむ(恐ろしく早いなあ!)。モノレールと阪急電車で見かけたサラリーマンで、コートを着用している男性は自分以外に2,3人いただけだ。残りは全員、背広だけだった。

女性は賢明です

一方、同じ通勤時間で女性軍はどうだったと思いますか?

自分の見た範囲では半数以上がコートや厚めの上着、カラフルなマフラーやショールで、いつの間にか冬支度は終わって冬のオシャレを楽しんでいる。男性との違いにびっくりする。

サラリーマンの集団は、おそらく全員、寒いと思いながらも、辛抱して背広だけで出勤したのだろう。自分を主張してはいけないのがサラリーマンである。もし、これが戦場だったら、軍隊は全員、寒波でダウンしているだろう。

男は周りを見て目立たないように同一化するのを好み、女性は周りの女性の目を意識しておしゃれをしなければならないのだろうか。やっぱり男でいる方が気楽であるが、全員討ち死にというのもどうかな、と思う。

この時期、職場や家で風邪をひいたり咳き込んでいる人が多いのだが、マスクの前にコートを着てますかと言いたい。自分は間一髪セーフで良かったです。

中国のニセモノ文化と科挙の関係

夏休みで中国に行った時、オプショナルツアーで行ったカンフーショーの会場でTシャツを買った。その時にガイドさんが通訳してくれた。驚いたのは、3枚くらい買ったTシャツを、店員に命じて袋から出させて、縫製とか布地を細かくチェックしていたのだ。

Tシャツを買うのに、そこまでする必要があるのか、と不思議に思ったものだが、中国のニセモノ文化は我々の想像を越えているようで、いつどんな状況でニセモノをつかまされるか分からないのである。今日は、そのニセモノ文化の根底に科挙に始まる中国の教育の歴史が関係しているという意見をご紹介します。


凜 中国で、ニセモノが蔓延る理由:http://blog.livedoor.jp/amuro001/archives/4246765.html

途中から引用する。

中国にいると、本当によくニセモノを目にします。最近では大分良くなってきましたが、場合によっては本物を買おうしてもニセモノしか売っていないということもあったほどです。

中国でこうしたニセモノが横行している原因について、国民性などを挙げる方がいますが、私は中国の教育制度がかなりの影響を与えていると考えます。

これまで何度か指摘しておりますが、中国の場合科挙の伝統があるせいか、わかりませんが、学校教育は基本的に暗記重視の詰め込みです。 

日本でも「詰め込み教育の弊害」などがいろいろマスコミをにぎわしたことがありますが、中国の場合もっと徹底しており、大学でも基本的に教官の話を聞いてそれを覚えるということが授業の中心となります。

社会科学などが典型ですが、下手に自分で考えられて、共産党一党独裁支配に都合の悪いことが良いなどということを言い出されても困るわけで、教官や教科書に書かれている内容をどれだけ暗記して、試験で回答するかが大事となるわけです。

こうした人達の目の前に完成品が置けば、いつもの習慣で、それを真似しても不思議ではありません。そしてここから先が問題ですが、学校時代してきたことなので、真似をするのを悪いという認識があまりないという話になります。

中略

実際どこの国でも最初は他国製品の物まねから入り、日本もかつてはそうだったので、中国だけを批判するつもりはありませんが、あまりに中国の場合、度が過ぎているのではなかという話です。

感想

詰め込み教育を徹底したことがパクリ文化の根底にあるという考え方に妙に納得してしまった。

自分の周りにも、暗記一辺倒で勝ち上がってきたような人がチラホラといるのだけど、教科書そのままの知識で、そこから抜け出すことが出来ずに自分の意見をもてないままの人は気の毒である。

何事も真似から始まるのだが、何度もそれに習熟するうちに自分の一部となり、そこから想像力で自分の世界を展開していくのが理想だ。

無理矢理、話をこじつけるようだが、こんなに寒くなったのに、寒いからコートを着るのだ、と素直な自分の考えでコートを着れずに、回りを見ながら自分の行動を決めるサラリーマンも、これが背景にあるのかもしれないですね。

皆さん、寒ければ、寒いと言ってコートを着て下さい。
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