道東を発見する旅 第3の人生

告訴、象が部屋に、分析だけで解決できない日本人

ようやく刑事告発

窃盗容疑で小保方晴子氏を刑事告発へ
http://news.livedoor.com/article/detail/9709637/

ようやく小保方さんが刑事告発される。


告発するのは理研のOBで60歳くらいの人だ。既に証拠は集めてあり関係者の証言も得たそうだ。

同僚の研究者が作成したES細胞のストックを箱ごと盗み、その一つをSTAP細胞と偽って若山氏に渡してマウスを作成してもらったようだ。

それにしても、調査委員会でこの話を知らなかったはずは無い。

また、現場では最初から捏造だと分かっており、そう主張していたはずである。

それだけのデータが集まっていたのに、調査委委員会の結論が「誰が混入させたか分からない」で終わってしまったのはおかしいというより情けない


アメリカの場合、捏造とかデータの改竄があれば徹底的に調査して処罰されている。

なぜ、日本人ではそれが出来ないのだろう、皆さんはどう思われますか。

自分は、最近ネットで読んだ記事の中に、そのヒントが隠されているようです。それは「分析に熱中して問題を解決しない日本人」というキーフレーズだ。今回はそれを紹介します。以下、その一部を抜粋して引用します。サイトのアドレスは後ろに貼っています。

部屋にいる象

アメリカ人は、重大な問題を「部屋にいる象」と比喩するそうだ。

象は大きいため、皆、その存在を意識しているにもかかわらず、厄介な問題であるため誰も解決したがらないし、話すことさえ避けようとする。

この象は何とかしなければならないが、その対処法がアメリカ人、ドイツ人、日本人で大きく違っているという。

アメリカ人は「象」について議論することなく、全員が把握しているとして、いきなり問題解決にとりかかる。

それなりに解決できていれば十分だと判断するが、大抵後になって、象が予想以上に大きくて違っていたため、解決策が不十分であることに気づく。

つまり、アメリカ人は問題解決が早くても長期的にみて解決できていないことがよくあるのだ。

その半面ドイツ人は、まず「象」の外形をきちんと測り、問題の原因を特定する。

象がどこから来て、どんな種類で、どうしてここまで大きくなったのか、などを効率的に、素早く考察する。

そして、かなり徹底した解決策を編み出し、象が絶対に、2度と現れないようにする。

また、この解決策を探し実行するために、過剰すぎるほど、たくさんのエネルギーが使われる。

ドイツ人は効率的に問題分析ができる一方で、解決するのにとんでもない労力をかける。

これにかける時間はとても高価で、長かったりもするのですが、問題は完全に解決される。

日本人はというと、「象」に関するあり得る限りの情報を議論し、鼻の長さ、重さ、年齢、皺の数、肌の質など、全員のイメージが完全に一致したかを確認する。

これには長い時間を要し、全員の同意を必要とする。

しかし、全員の賛同が得られたころには、象に対処する時間が残されてないことが度々ある。

つまり、日本人は問題分析に大量の時間をかける反面、解決するための時間が十分でないことがある。

参考にしたサイト

稼ぐドイツ人は5時に仕事が終わる
日本とドイツのワーク・スタイル格差から得られるグローバル・マインドセットの教訓

ウリケ・シェーデ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140924/271652/?P=7

分析に熱中して問題解決ができない

記事では、グローバルチームで問題解決した時、何が起こるかなどについて書いているが、興味のある方はサイトを見てほしい。

ドイツの人が書いているので自画自賛しているように思えるのだが、日本人の特性はおおむねその通りではないかと思う。


この記事で指摘されている通り、小保方さんの事件でも、調査委員会は問題(象)を分析して、何が起こったのかを詳しく解説することが出来ている。しかし、問題解決の具体的な方法にエネルギーをかけられずに消化不良に終わってしまったようだ。

原発事故もそうなのだろう。自分はよく知らないので、表面的な解釈であるが、問題解決は出来ていないけど、関連する資料を読めばだいたいの流れが分かるようだ。


分析に熱中して問題解決までに到達する事ができないまま、関係者が納得して対策を終わってしまう事がいかに多いか、昔からの古い資料を探せば、きっといくつも例が挙げられるのだろう。

また、これは分析がとても重要で、解決体は重要ではないという仮説につながる視点ではないだろうか。

すなわちプロセスが大事で結果はそれほど重要ではないという考え方である。これはこれで重要な考え方である。

最近、スポーツ選手でも試合後のインタビューで「結果はもう一つだったけど、楽しく出来たので納得しています」というコメントが多く国民もそれで安心している事にもつながるのだろう。


我々の欠点が社会全般にどう影響しているのか、これからおりにつけ考えていきたいと思っているが、とりあえず、この記事を読んで、告発できない理由が分かったような気がして安心している自分も、典型的な分析好きの日本人であることが分かった。

今後、この考え方をどう自分の中で広げていくべきだろうか。

とりあえず思考停止している事柄について分なりに問題点を考える事を徹底することが自分の心の平安につながるのは間違いないようだ。

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