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ベルリンで、さあて何を食おうかな?

2004年5月に書き始めた初代ブログです。

クリスチャン S

2004-10-09 19:50:53 | ドイツ・日本の人物録
久々に人物録です。DSOのKB奏者の彼は、カラヤンアカデミー出身。僕の恩師はWitt先生ですが、彼は他の団員同様、カラヤン時代のベルリンフィルを支えたもう一人の第1首席奏者、Zepperitz教授の弟子です。20代初めにこのオーケストラに入った彼はもう勤続35年以上、まだ定年まで10年以上あるのに最も古株の一人です。僕がDSOに出演するようになったのも彼のおかげ。壁崩壊のすぐ後、90年にDSO(当時はRSO Berlin)の団員で構成した小編成のオケでここから西へ200キロ弱の町の教会の仕事がありました。このとき初めて国境の検問なしで東を抜けて西ドイツに行きました。そのときが彼、クリスチャンと僕のKB2本編成。気に入ってくれたのか、普段どこで弾いてる?と訊かれて時々ベルリンフィルと、あとは室内オーケストラで、と答えたらこんど電話するといわれ、すぐそのあとに本当にかかってきてそれからDSOで弾くようになりました。
彼は当時バツイチで、その仕事の時に弾いていた東出身の20歳以上したのバイオリンの学生に一目惚れ。そのあと結婚して、今は3歳になったお嬢さんがいます。
彼は、ベルリンフィルのカラヤン時代のKBセクションの奏法を今に伝える一人ですが、いまだにほんとに良く練習します。子供が生まれてからは家に練習室を作ったので見かけませんが、リハーサルのない日でも、僕が楽器を取りに行ったり、事務局に行ったりで練習所のKB練習室を覗くと、必ず練習してました。それも21時くらいまでは。しかも非常に基礎的な練習を。
バイオリン奏者の親友B.Pappもまたよく練習しますが、オケに入ったり、プロになってもそこが出発点、人生、音楽家なら、ずーっと、練習です。また、楽しく練習できるっていうのは僕等にとって、大事な才能のひとつだと、近頃思います。


イングリッシュホルン奏者ユルゲン

2004-06-24 01:43:47 | ドイツ・日本の人物録
人物録第一回目は以前紹介した友人のユルゲン。彼はDSOのソロイングリッシュホルン奏者。イングリッシュホルンとはオーボエに似た楽器で、少し大きく低い音域をカバーするだけでなくオーボエとは違った音色の楽器です。特にロマン派以降の曲には欠かせない楽器。以前はユルゲンの趣味の領域,家の改築等の話をしましたが,今日のこの写真は彼のリード工房での写真です。リードとはオーボエ族の楽器の吹き口で材料は葦。この楽器が葦笛といわれる所以です。このリードは奏者が自分で作るもの。クラリネットは一枚,オーボエ,ファゴットは2枚の板を合わせて作るダブルリード。弦楽器はもとより,管楽器のほとんどが楽器はもちろん楽器職人が作ってそれを奏者が選んで,使いこなしていくもの。リード楽器だけはどういうわけか一生,奏者が自分でリードを作って楽器を完成させる。どんなにいい楽器を持っていてもリードが悪けりゃ,極端な話なければ演奏できません。僕の兄もオーボエ奏者ですがベルリンで同居していた時,そのリード作りの大変さは目の当たりにしています。材料を吟味,加工して,それをチューブ(楽器に差し込む部分)をはさむように2枚あわせて糸で巻いて固定,それをひたすら丁寧に考えて削る。それで何十本と作ったうち2,3本いいのができても。せいぜいもって3ヶ月。オーボエ奏者は演奏する限り一生,リード作り職人でもなければなりません。それでユルゲン。手の込んだ丁寧な大工仕事の例を出すまでもなく,彼はいわゆる職人肌。演奏だけでなくリード作りの名職人。彼に師事した奏者は数知れず,大事な本番前にリードができないとなきついてくるソリストも後を絶たず。日曜日,日本から来ていた兄のお弟子さんのN嬢がレッスンを受けたいと懇願、ユルゲンも快く引き受けてくれて(本番前なのに)彼の工房でのレッスン,2時間半でしたが通訳として同席,つぶさに拝見しました。いやいや,大変奥が深い。手を加えるごとに音色,音量が変わり,高音から低音までの音程が良くなっていく。楽器,奏者の癖,もちろん材料の質,状態。温度湿度。いろんな条件が影響します。リード作りにマイスター制度はないのですが,マイスターユルゲンと呼びたくなりました。