尾崎豊が亡くなってから、もう何年になるんだろう。
当時からは社会の状況も大きく変わってしまった現在においても、いまだに根強い人気を保つ彼の存在に対して、どうも個人的には理解に苦しむものがある。
尾崎がデビューした頃の社会状況というのは、いわゆる校内暴力などの問題が沈静化したばかりの頃ではあったのだが、しかしながら、そういう表面的な現象は静まったはいえ、問題の本質は何も解決していなくて、その水面下では、まだまだ校内暴力の元となった不平・不満が渦巻いていた時代であったと思う。
そんな中、彼は登場した。
その不平・不満を体現したような彼の存在は、圧倒的な支持をもって迎え入れられた。しかし、その反面で、その明確すぎるメッセージがために、その人気に反対する想いを持つ人間が多々いたのも事実である。
尾崎の存在は、それを無視することは許されず、支持するか反発するかを強いられるような、ある種、特別な存在であったのではないかと思う。
つまりは、今の、ほとんど神話的な存在となった彼の人気は、けっしてその死が早過ぎたために起こったのではなくて、その在命中からその要素はじゅうぶんにあったわけである。
ただ、彼のイメージがそういう反体制、反抗の象徴にように必要以上に強調されることは、非常に危ういものを含んでいたのではないか、と思う。
レコード会社やそのほかの商業的な思惑から、彼をそういうイメージで売り出すことはすごく有効であったのだろうが、しょせんはそういうイメージ戦略は一過性のものでしかない。
アーチストなど、しょせんは使い捨て。売れるときにどんどん売って、ダメになれば捨てればいいという発想は、レコード会社や商業的なことしか考えない連中からすれば、大いに有効な考えだが、当の本人にしてみれば、本当はマイナス以外の何物でもなかったのでないか。
死後発表されてヒットした数々のラブソングを書く優れたメロディメイカーとしての彼の才能は、その生前は全くといっていいほど評価されなかったし、何といっても、彼も年齢を重ねることで、その標的とした大人や体制の側になるということは、よく考えれば分かったはずのことである。
はっきりいって、これほどつらいことはないであろう。自分が攻撃していたその攻撃先が、いつのまにか自分に変わり、自分で自分を攻撃しなくてはいけなくなるのである。
その攻撃力が大きければ大きいほど、自分が傷つくのも大きくなる。
しかし、彼には、無謀にも、大衆が自分に求めるイメージのままであろうとし、その攻撃力を弱めることはなかった。
その姿は、ある意味、あまりに滑稽ではあるが、それは多くのロックファンにとっては、理想の姿であったのかもしれない。
自分の攻撃で大きく傷ついた尾崎は、結果、薬物などの問題を引き起こし、そして最後には死ななくてはいけなくなった。
それは、本当にバカな滑稽な姿ではあるのだが、ある意味、ロックというものの本質を体現しすぎたものでもあった。
正直、日本のアーチストで、これほどロックらしく生きたアーチストもいないであろう。
ある意味、日本が誇る最高のロック・アーチストで、彼はあったのではないだろうか。
当時からは社会の状況も大きく変わってしまった現在においても、いまだに根強い人気を保つ彼の存在に対して、どうも個人的には理解に苦しむものがある。
尾崎がデビューした頃の社会状況というのは、いわゆる校内暴力などの問題が沈静化したばかりの頃ではあったのだが、しかしながら、そういう表面的な現象は静まったはいえ、問題の本質は何も解決していなくて、その水面下では、まだまだ校内暴力の元となった不平・不満が渦巻いていた時代であったと思う。
そんな中、彼は登場した。
その不平・不満を体現したような彼の存在は、圧倒的な支持をもって迎え入れられた。しかし、その反面で、その明確すぎるメッセージがために、その人気に反対する想いを持つ人間が多々いたのも事実である。
尾崎の存在は、それを無視することは許されず、支持するか反発するかを強いられるような、ある種、特別な存在であったのではないかと思う。
つまりは、今の、ほとんど神話的な存在となった彼の人気は、けっしてその死が早過ぎたために起こったのではなくて、その在命中からその要素はじゅうぶんにあったわけである。
ただ、彼のイメージがそういう反体制、反抗の象徴にように必要以上に強調されることは、非常に危ういものを含んでいたのではないか、と思う。
レコード会社やそのほかの商業的な思惑から、彼をそういうイメージで売り出すことはすごく有効であったのだろうが、しょせんはそういうイメージ戦略は一過性のものでしかない。
アーチストなど、しょせんは使い捨て。売れるときにどんどん売って、ダメになれば捨てればいいという発想は、レコード会社や商業的なことしか考えない連中からすれば、大いに有効な考えだが、当の本人にしてみれば、本当はマイナス以外の何物でもなかったのでないか。
死後発表されてヒットした数々のラブソングを書く優れたメロディメイカーとしての彼の才能は、その生前は全くといっていいほど評価されなかったし、何といっても、彼も年齢を重ねることで、その標的とした大人や体制の側になるということは、よく考えれば分かったはずのことである。
はっきりいって、これほどつらいことはないであろう。自分が攻撃していたその攻撃先が、いつのまにか自分に変わり、自分で自分を攻撃しなくてはいけなくなるのである。
その攻撃力が大きければ大きいほど、自分が傷つくのも大きくなる。
しかし、彼には、無謀にも、大衆が自分に求めるイメージのままであろうとし、その攻撃力を弱めることはなかった。
その姿は、ある意味、あまりに滑稽ではあるが、それは多くのロックファンにとっては、理想の姿であったのかもしれない。
自分の攻撃で大きく傷ついた尾崎は、結果、薬物などの問題を引き起こし、そして最後には死ななくてはいけなくなった。
それは、本当にバカな滑稽な姿ではあるのだが、ある意味、ロックというものの本質を体現しすぎたものでもあった。
正直、日本のアーチストで、これほどロックらしく生きたアーチストもいないであろう。
ある意味、日本が誇る最高のロック・アーチストで、彼はあったのではないだろうか。