大体、規模はともかく同じような事件は過去に数え切れないほど起こっているではないか。劣等感に苛まれ、閉塞感に押しつぶされそうになった者が、自分の存在を世に知らしめようとして、もしくは自分の力を誇示しようとして、派手な殺傷沙汰を起こす。そんなことは今までも何度もあったし、小説や映画、マンガ、歌の中でも繰り返し描かれている(マンガではほんまりうの『息をつめて走りぬけよう』、歌では小山卓治の『Aの調書』が、特筆すべき秀作)。今回の事件の加害者は決して特殊な人物なんかではなく、いつの世にも必ず存在する弱者にすぎない。邪悪で傲慢な衝動を抑えられなかった敗者、と呼んでもいい。
繰り返すが、加害者を擁護する気は毛頭ない。同情を寄せられるべきは亡くなった方々、傷つけられた方々であることは言うまでもないだろう。それでもやはり、巷間伝えられる加害者の過去の発言や境遇を耳にすると、他人事とは思えない切実さを感じる。容姿に恵まれず、勉強ができず、自分を活かせる仕事に出会えず、恋人もできない。そうした状況は、もちろん「本人のせい」でもあるのだが、実際に同じような境遇の中で生きてきた者ならば、その中で味わう孤独感や虚しさ、やり切れなさは痛いほど理解できるだろう。もちろん、僕だって理解できる。
報道によると、加害者は子どもの頃、親が書いた作文で賞を取ったらしい。そのことを聞いた時、暗澹たる気分になった。そりゃ傷付くだろう。ひねくれるのは当然だろう。そう思ったのだ。
僕にも同じような経験がある。小学生の時、県が主催する標語コンクールで賞をもらったことがあるのだが、その標語は僕が作ったものではなかった。知り合いが僕の親に頼まれて考え、それを僕の名前で応募したのである。表彰式がどこで行われたか覚えていないが、確か県知事が演壇に立ち、入選者に賞状を渡していった。僕の名前も呼ばれた。しかし、僕は壇上に上がらなかった。賞状を受け取って拍手を浴びたら、どれだけ惨めな想いを味わうことになるのか。そんなことは10歳に満たない子どもでも想像できる。
親が子の手柄を捏造する。インチキの晴れ舞台を用意する。それがどれだけ子どもの心を傷付け、踏みにじる行為であるのか。加害者の親は、それを考えなかったんだろうか。
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