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[共感]【ピラミッド型コミュニケーションは問題解決のための手段として不適当というイーロン・マスク氏の主張
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テスラ・モータースのCEOであり、スペースXのCEOでもあるイーロン・マスク氏が企業におけるコミュニケーションのあり方について、"伝統的しきたり"の旧弊を批判する意見を述べている記事が以下に記載されていました。
ビジネス・インサイダー ジャパン 2017/9/1
「バカげている」イーロン・マスク氏、企業のコミュニケーションのあり方を批判
https://www.businessinsider.jp/post-104154

詳細は上記の記事を読んでいただいた方が良いですが、記事の中で、マスク氏が、企業における"伝統的"コミュニケーションスタイルが問題解決のための所要時間を大幅に長くしている(=無駄なことをしている)と社内へ向けたメールで苦言を述べている。と伝えています。
その、無駄で不効率な伝統手法とは
職制の上下関係のツリーをたどり、下級職から上級職へと意見がバケツリレーされ、
意志決定のキーマンへと伝えられ、また同じ経路で戻ってくるという
コミュニケーションスタイルです。
マスク氏は
全社員は、問題解決のための最良の方法を考え、その方法を実行するために、
「必要な誰とでも、直接に」相談するべきである。
上司の上司に直接話をするのに上司の許可は不要だ。
他の部署と話すのだって、私と話すのだって同じだ。
としています。
目的意識に基づいて、行動する場合、マスク氏の意見が正しいのは明らかです。と私は思います。
しかし、もし、多くの組織(特に日本)でこれを実行した場合は、きっと、「和を乱す」とか「前例に従え」と糾弾されることでしょう。
この糾弾はコミュニティ自身がもつ「しきたり」や「伝統」という厄介な存在に縛られているゆえに発生するもので、特に歴史の長いコミュニティに多い弊害でしょう。 ここでわざわざ上げつらうまでもなく、ずっと昔からある話です。 そして、今もあるのが問題なのです。
古い組織では、先人たちが築き上げてきた「やり方」を伝統墨守で継承しているケースが多いですが、それは、先人の偉大さゆえ、それを否定しにくいからであるとも言えます。 しかし、先人のやり方は「その当時はベスト」だったかもしれませんが、いまでも「普遍的にベスト」であるか? それは別問題なのです。
このところに、多くの人が気づいていません。 気づいていて口をつぐむよりも、実は気づいていない方が多いと思います。
なぜ気づかないか? と言えば、組織に所属した若いころ(まだ予備知識がないころ)に教えられたことを、なんとなく、そのまま受け入れて、しまうことに知らずに、慣らされてしまうからでしょう。 さらに言えば、会社に入る以前の学校教育でも、「なぜ?」よりも「そう言う事になっているから」が重視され、従属への下地ができているとも言えます。
この種の弊害はしきたりや風習を重んじる日本ならではの特色で、目的達成を重視し、手段を選ばない傾向が強いアメリカでは希薄な問題だと思っていましたが、マスク氏があげつらうと言う事は、アメリカも老いてきたと言えるのかもしれません。
[共感]【ピラミッド型コミュニケーションは問題解決のための手段として不適当というイーロン・マスク氏の主張
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テスラ・モータースのCEOであり、スペースXのCEOでもあるイーロン・マスク氏が企業におけるコミュニケーションのあり方について、"伝統的しきたり"の旧弊を批判する意見を述べている記事が以下に記載されていました。
ビジネス・インサイダー ジャパン 2017/9/1
「バカげている」イーロン・マスク氏、企業のコミュニケーションのあり方を批判
https://www.businessinsider.jp/post-104154

詳細は上記の記事を読んでいただいた方が良いですが、記事の中で、マスク氏が、企業における"伝統的"コミュニケーションスタイルが問題解決のための所要時間を大幅に長くしている(=無駄なことをしている)と社内へ向けたメールで苦言を述べている。と伝えています。
その、無駄で不効率な伝統手法とは
職制の上下関係のツリーをたどり、下級職から上級職へと意見がバケツリレーされ、
意志決定のキーマンへと伝えられ、また同じ経路で戻ってくるという
コミュニケーションスタイルです。
マスク氏は
全社員は、問題解決のための最良の方法を考え、その方法を実行するために、
「必要な誰とでも、直接に」相談するべきである。
上司の上司に直接話をするのに上司の許可は不要だ。
他の部署と話すのだって、私と話すのだって同じだ。
としています。
目的意識に基づいて、行動する場合、マスク氏の意見が正しいのは明らかです。と私は思います。
しかし、もし、多くの組織(特に日本)でこれを実行した場合は、きっと、「和を乱す」とか「前例に従え」と糾弾されることでしょう。
この糾弾はコミュニティ自身がもつ「しきたり」や「伝統」という厄介な存在に縛られているゆえに発生するもので、特に歴史の長いコミュニティに多い弊害でしょう。 ここでわざわざ上げつらうまでもなく、ずっと昔からある話です。 そして、今もあるのが問題なのです。
古い組織では、先人たちが築き上げてきた「やり方」を伝統墨守で継承しているケースが多いですが、それは、先人の偉大さゆえ、それを否定しにくいからであるとも言えます。 しかし、先人のやり方は「その当時はベスト」だったかもしれませんが、いまでも「普遍的にベスト」であるか? それは別問題なのです。
このところに、多くの人が気づいていません。 気づいていて口をつぐむよりも、実は気づいていない方が多いと思います。
なぜ気づかないか? と言えば、組織に所属した若いころ(まだ予備知識がないころ)に教えられたことを、なんとなく、そのまま受け入れて、しまうことに知らずに、慣らされてしまうからでしょう。 さらに言えば、会社に入る以前の学校教育でも、「なぜ?」よりも「そう言う事になっているから」が重視され、従属への下地ができているとも言えます。
この種の弊害はしきたりや風習を重んじる日本ならではの特色で、目的達成を重視し、手段を選ばない傾向が強いアメリカでは希薄な問題だと思っていましたが、マスク氏があげつらうと言う事は、アメリカも老いてきたと言えるのかもしれません。
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