徒然日記

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[感想] 破産者マップの閉鎖という記事から受けた色々な思い

2019-03-20 12:24:22 | 意見とか感想

わたしは「破産者マップ」を知らなかったけれど、このニュースを見て感じた事がいくつかある。

なお、わたしは「破産者マップ」サービスを知らなかった(今日初めて知った)ので以下の記事に記載された事に立脚してこれを書いている。 世の中、まだまだ私の知らないことがいろいろあるものだ。

  ITMedia News 2019/3/19
  「破産者マップ」閉鎖、「関係者につらい思いさせた」
  https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1903/19/news051.html



まずは概要を

●素晴らしい着眼点!
"オープンデータ"利活用、地図情報の組み合わせという非常に鋭い着眼点だと感じた! 記事を読んだとき、破産者マップという名前から不審を感じたが、読んでみてこれは非常に鋭い着眼点のアイディアだ! と感じた。


●ハサミは使いよう使われようで姿を替える…
破産者マップは考案者の思いとは異なる価値を生み出してしまったようだ。 しかし着眼点は素晴らしい! 実装方法とネーミングゆえに作者の期待を裏切る効果を発揮したのかもしれない。 アイディアを実現(形にする)時にはいろいろな人の意見を聞いて実装方法やネーミングを考えることが重要だとも感じる。


●情報屋(理系)は心的要素を見落としやすい…
破産者マップが期待通りに使われたとしても、破産者が幸せを感じないかもしれない。 理詰め思考をしがちな理系の人間(IT屋はたいていそうだ)は人間の心理や文化といった側面をあまり考慮しないためだ。 また日本人の文化への考慮も海外から見ると困難がある。


●活かされていないオープンデータの可能性!
情報は発信のしかた、見せ方、アクセスの容易度を替えるだけで活きもすれば死にもする。 世の中には公開方法が不適切であるゆえに活かされていないだけの情報がたくさんあるであろうことが期待される。


●統計情報は単なる事実ではなく恣意的要素を持つ…
データは単なる事実に過ぎない。という人もいるが情報の表現方法によりある種の意思を持たせることができ、聴衆をある方向に恣意的に誘導する効果を持たせられる。 これをうまく使ってデータを扱う人もいる。 これは重要なことで注意すべきポイントである。 良い悪いではなく。




以下、各印象についてもう少し掘り下げてみよう。



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●素晴らしい着眼点!
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①地図情報という価値への着眼
地図にマッピングすると情報が絵になる。 絵は空間であり、絵と組み合わせる事で情報は空間的価値を付加される。

どういうことか? というと、自分から見て手の届かない程遠くの情報か?目の前の情報化がわかる。 この距離感の違いは情報が自分にもたらす影響の大小であるともいえる。

具体的な話をしよう。 喉が渇いた人が歩いているとき「飲料自動販売機が200m先にある」という情報は価値があるが「飲料自動販売機が200km先にある」にあるとおいう情報はほぼ無価値だ。 半角1文字しか違わないのに。


②オープンデータを活用するという着眼
データ利活用のおいて気になるのはデータの二次利活用の可否の問題である。データにオーナーシップがありオーナーがデータが持つ情報の所持、活用、開示について制限をかける場合はおおい。

個人情報の流出という話題が多いが、流出してまずいのは個人情報だからではない。 情報の提供元と提供を受けた側が情報の「所持、活用、開示範囲」について互いに取り決めして契約を結んでいたのに、その契約を破る形で情報が範囲外に提供された。のが問題なのだ。「個人」情報だからではなく、契約上決めた「秘密」情報であることが問題である。 個人情報であっても、情報のオーナーがパブリックに開示している情報に機密性はない。

オープンデータは元々秘密性がないデータなので、その利活用において上記の契約上の秘密を考慮しなくていい点が特徴だ。 それゆえに利活用が期待されている。

ただ、今回のような破産者の情報が官報公示するのに適している情報なのか?は個人的には疑問を感じるが…ただし、これは、そもそもオープンデータにすべきでなかったのでは?ということであり、既にオープンデータと規定されてたものの利活用の話しではない。



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●ハサミは使いよう使われようで姿を替える
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記事によれば、破産者マップの本当の目標は「互助のきっかけづくり」だったようだ。 しかし、結果的には興味本位での野次馬根性的閲覧を招いてしまったのかもしれない。

これは破産者マップという直截的すぎるネーミングと公開する情報の細密度に問題があったのかもしれぬと思う。 名前が「支援マップ」だったら少し違ったかもしれない。 道具は使う側の文化、考え方によって使う目的が変わってしまう。

実装する際に、実装方法についてより多くの議論を経たほうがよかったのかもしれない。 しかし、逆に批評家気取りの人々の「意見」により立ちすくんで世に出なかった可能性もあるので難しいところだ。

破産者マップ作者が「本当は作りたかった」と吐露する事故リスクの高い場所を自動警告する仕組みも同じような批判リスクはある…と思う。
歩行者から見ればこの仕組みはうれしい。
  しかし
事故多発地帯であることを暴露されることで不利益を被る人々もあろう。
例えば、不動産オーナー等はその情報により価格下落を被るかもしれない…
その地域の住人は事故多発地帯に住んでいると指差されるかもしれない…
考え始めるときりがないのだが、コインと同じで表があれば裏はある。



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●情報屋(理系)は文化的心理的要素を見落としやすい…
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破産者マップが作者が期待した通りに使われたら、破産者は幸せになったのだろうか? かならずしもそうではないだろう。 この点においては作り手は文化的心理的要素を見落としているように感じる。

困難に直面している時、誰かが(好意で)手を差し伸べてきたとき、相手はどう思うだろうか? 素直に感謝の念を感じるか? 名誉を傷つけられたと思うか…

日本人は「恥の文化」を持つと言われる。 恥の文化の中には「名誉を重んじ、名誉を失う事を恥とし、恥を死よりも嫌う」という要素がある。 この「名誉を失う」理由に「助けを受ける」というのも含まれるのだ。 驚きかもしれないが、日本的考え方では他人の助力を受けることは情けを受けることであり、名誉を失うことであり、恥なのである。

この考え方に立脚すると、破産者を助ける事そのものが破産者の名誉を傷つけ、恥をかかせる。 死以上の不快感を相手に与える。 そんな可能性があるということである。

この風土は年月と共に薄まっているかもしれないが、昔は明確にあった。

個人的な思い出をここに記すことを許していただきたい。 

子供の頃、親に「道端で人が苦しそうにしていたら助けるべき?」と尋ねた。 当然、「そうしなさい」と言われると思ったが違った。 親の答えは「その人が貴方に助けを求めたならば、助けなさい。」だった。 びっくりしてその理由を尋ねたところ、「日本人にとって他人の助けを受ける事は恥である。 恥をかかされるという事は死ぬよりも辛いことである。 ゆえにお前が不用意に相手に助けようとすることはその人を死に追い込むかもしれない。」というのである。 これには驚いた。

武士は食わねど高楊枝という言葉もあるが、体面と名誉が最重要という日本人の考え方がわかる。 ルース・ベネディクトの「菊と刀」では日本人の文化を「恥の文化」と規定しているが、まさにそれを体現しているような気がする。

つまり、破産したから困っているに違いない→助けてあげるべき などという発想は助けを受けた相手にとって恥辱であり、体面と名誉を損なうものであり、助けそのものによるプラス効果より、体面を失うマイナス効果の方がはるかに大きいということなのだ… 記事に引用された作成者の発言にはこのあたりの日本人の価値観年を考慮した様子を感じ取れない。

記事にはこのような作者指針の発言が引用されている…
  期待する使われ方と違う使われ方をされていると聞いて、とても悲しい
  …(略)…
  隣人が困っていたら、ぜひ助けてあげてほしい。
  …(略)
相手が「助けて」と言わん限り助けちゃいかんのです。



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●活かされていないオープンデータの可能性!
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破産者マップが可視化した情報の中身の是非は横に置いておくとして、破産者マップが教えてくれるのは、

  「見せ方の良しあしにより存在するにもかかわらず
   利活用されていないオープンデータは多数あろう」

ということである。これは破産者マップの作者自身が述べていることでもあるのだが。 「宝」は目の前に埋もれていても気づきにくく、宝石も原石のままでは輝かない。 見せ方が重要だ。

→そういう意味では
 公開されているオープンデータを
   誰が(地理的要素も含め)公開しているか
   どんな情報か
   どんな粒度の情報か
 などといった分類を「ビジブルに」表示する仕組み
 が必要なのかもしれないと思う。
 単に分類しただけならあるかもしれないが…
 重要なことはデータの特性を直観的にわかるように
 地図、アイコン、比喩などを用いた可視化マップにすることだ。




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●統計情報は単なる事実ではなく恣意的要素を持つ…
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前節で「埋もれた宝」と書いたが、データが持つ情報を宝に変えるには、何らかの分析や可視化が必要になる。 そしてそれはある種の「演出要素」を含む。 この演出という部分には「人の意思」が含まれている。 ゆえに、情報が発信される時には多かれ少なかれ恣意的な要素を含んでしまうということだ。 意識しているかどうかは別として。

たとえば、平均寿命を県別に統計するという行為は「平均寿命」という情報と「県」という行政単位、地域を紐づけているのだが、この行為にはなにか意思があるかもしれない。

情報を分析する以上、必ず分析に伴う外乱として入り込んでしまうのが「意思」であり、分析された情報を活用する側は情報が主張をもっているということを心の片隅に入れながら情報を眺めないといけない。




最後に、この件は、非常に多くの示唆を与えてくれる事案だと思う。

情報技術(IT)というのはとても厄介だ。 純粋な情報には意思がないのに、それがITの上に乗る時には意思を持つようになってしまい、かつそれを受け取る側には価値観があり、それは多様だ。 全てがハッピーになる情報もないし、全てがアンハッピーになる情報もない。

願わくば、破産者マップの作者が今回の事案で情報の利活用そのものに立ちすくんでしまわないことを祈る。



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