昨日、原監督率いる読売ジャイアンツが見事にセリーグ3連覇をはたしました
私には原辰徳という人物はやはり何かを持っている人物と思われて仕方ない。
当然、ひとにはマネのできない本人の努力もあるのだが・・・
アマチュア時代からスターであったが、まず完全なくじ引きドラフトにおいて、競合の中、一発で栄光の巨人軍(藤田新監督)が当たりくじを引いてくれすんなり入団できたこと。
希望しても3回もはずれた江川卓さんとは大きな違い。
入団したものの当時のサードには中畑選手がいて、本来のレギュラーポジションは難しくセカンドにコンバートされていたが、たまたま中畑選手が怪我をして、サードのポジションをゲット。
以後巨人軍の4番打者を努めていくが、何かとONと比較されファンからの非難の集中砲火をあびることとなった。
しかしながら打撃成績の数字そのものをみれば立派な大打者である

また長打率の高さに反して、通算15年で三振が少なく(通算894三振)、右打者の割に併殺打も少なかった(通算122併殺)ことはあまり知られていない。
SMAP中居くんの憧れの選手であるように、たくさんの子供たちに夢と希望を与え続けた。
もっとも驚いたのは引退試合でる。
当時は雨天試合中止などない東京ドームをホームとする巨人軍の最終戦は必ずと言っていいほど他球団の球場で行われるのが当たり前であった。
しかしながら、たまたまその年は空梅雨で、また8月に開催された広島戦の延長15回引き分け再試合が組み込まれたことにより最終戦が東京ドームとなり、原引退試合は本拠地で盛大に行われた。
このような引退試合が最終戦東京ドームという運のある巨人選手はいないのではないか。
それから、監督就任一年目で日本一に

今シーズンの初めには2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の監督を務め見事、日本代表を2連覇に導いた。
引退試合のメッセージで「まだまだ私には大きな夢がある」と言っていたが、この陽のあたる運命の人物は、今その夢を少しづつはたしているのではないかと思われる