今回は、大和村にある『マテリアの滝』の紹介になります










落差はそこまでないのですが、水量が多くて迫力はありました
滝までの山道も整備されていました
昔の旅人が薄暗い山道を歩いていて、この滝に太陽の光が差してるのを見て、その美しさに感動したそうです。その様子が、『本当に美しい太陽の滝壺』と称賛し続け、現地の言葉がなまっていくうちに『マテリヤの滝』という名前になったとのことです
では、次回更新まで











落差はそこまでないのですが、水量が多くて迫力はありました
滝までの山道も整備されていました
昔の旅人が薄暗い山道を歩いていて、この滝に太陽の光が差してるのを見て、その美しさに感動したそうです。その様子が、『本当に美しい太陽の滝壺』と称賛し続け、現地の言葉がなまっていくうちに『マテリヤの滝』という名前になったとのことです
では、次回更新まで










穴の上部分が欠けているのですが、以前は盛り上がっていたようです
いずれは、浸食で穴箇所まで崩落してしまうかもしれないですね












基本は、古仁屋港から加計呂麻島を眺められるのですが、運が良ければ徳之島も見ることが出来るそうです
シダで約3億年以上前から存在しているとされ、生きた化石とも呼ばれているそうです
ゼンマイやワラビの仲間で、食べられるようなのですが、巨大なので大味ではと思います











滝に行く途中に、雨降った後は、水が山道一面に流れているので、靴等には注意が必要です









およそ800年前の大地震で出来た断崖だそうです















ここからは、インターネットで検索した内容になります
1859年に西郷隆盛は島流しにより奄美大島の龍郷に上陸しました。(実際には島流しではなく、藩政府により奄美大島行きを命じられたと言われています)奄美に流れ着いた西郷は島の娘『愛可那』と結婚し、2人の子をもうけ、約3年奄美で過ごしたと言われています。西郷は、島の子供達に勉強を教えたり、相撲をとったりして三年間すごしたそうです。そんな西郷が愛可那と過ごした場所が龍郷町にあります。それが『西郷南洲謫居(たっきょ)跡』です。愛可那にとってこの三年間が最も幸せでした。と書いてありました

























結構坂を往復したので膝に違和感出ました































