ひかりとしずく(虹の伝言)

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『沖縄スパイ戦史』

2019-03-16 | ともこレポーターによる記事
沖縄に米軍の基地が集中しているのは、もう戦後からずっとで、変えられないもの?って、思っていましたが、自分もそこそこいい大人になって、政治には参加して生活についての取り決めを勝手に決められないようにしないと、などとわかってきたアラフィフの今日この頃、安保理の不条理や、そういう事に関心が行かないようにマインドコントロールもされていたのかも、と気が付きました。

辺野古の基地建設も、無理矢理進める日本政府には辟易します。昨年座り込みをするつもりで初沖縄入りしましたが、台風の合間で、ゲート前の県民集会に参加したり、ビーチのテントを片付ける作業を手伝ったくらいのことしか出来ませんでした。

その集会で、『沖縄スパイ戦史』の上映に誘われたのが、この映画を知ったきっかけでした。
沖縄での上映会には滞在期間が終わってからで観れずにいたのですが、今回秋田市で観ることが出来て良かったです。

この映画は、『高江、森が泣いている』などの三上監督だったのですね。
生き残った少年兵だった方や、その遺族(年少の家族)のお話が映像に残されて、良かったと思います。
今だから、米軍が持っている情報も得られるし、検証出来て、スパイ扱いして殺した人は亡くなって、今だから言える…と、実名こそは上げないけれど、語り出した高齢の村人などもいて、タイミング良かったと思いました。

『沖縄スパイ戦史』での、少年たちを動員したゲリラ戦、スパイ戦の証言が、あまりに残酷で、胸がつぶれる思いでした。
青年将校の勧誘で少年たちがぶかぶかの軍服と靴を身に着けて、ゲリラ戦の教育を受け、戦闘員として働いたのです。
弱ったり、怪我を負って歩けなったり、精神錯乱となる少年もいて、そうすると、敵につかまって殺されるよりならば、と処刑は当たり前となっていったそうです。

そんな地獄の中を生き延びても家族の元へ帰った後にPTSDを戦後に生じて家の中の牢に繋がれたというお話がありました…。日本兵の中にも記録として残っていないだけでPTSDはかなり重篤に発症があったようです。

少年たちを殺しておいて、生き残って本土へ帰った部隊の体調であった青年将校が後に沖縄の生き残りの部下へ宛てて送ったソメイヨシノは根付かなかったとか。
寒緋桜を同じ部隊の死んだ少年兵の数だけ植えようとされている高齢の元少年兵の方、
「戦争は絶対ダメだ。誰かが負けて苦しむから・・・。」と言っていたのが印象に残りました。

今、沖縄諸島に軍事化が進められています。止めて欲しいです。

軍隊は国民を守るためにあると思っていました。嘘です。国民は、利用されます。国策のために犠牲となる事が戦時下では当たり前なのです。そういう決め事があるのです。自衛隊の体質も元々軍隊を作れないで代わりの役目を担ってきたものなので、結局は同じなのです。

映画館の吉田さんの言葉
「あなたたちは、軍事ミサイル基地と心中する覚悟があるのか」「あなたたちは、あなたたちの利害関係で、住民の未来を奪ってしまうことに何の痛痒も感じないのか」・・・と。


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