ひかりとしずく(虹の伝言)

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台湾人元日本兵、呉さんのお話

2022-08-07 | ともこレポーターによる記事
 昨年の年末、父が亡くなった。実家へ帰るのは世界中に感染症の広がるこの事態になる前からずいぶん帰っていなかった。
年老いているはずの両親の状況を甘く見ていた。それなりにあちこち悪くしていても二人で乗り越えてきていたらしい。
私は看護師という職業でいるのに、父の足の一つも揉んでやっておらず、仕事で他人の足のマッサージは毎週していたり・・・。いつも両親たちも体を老化させていると心配はしていたのに、帰郷してもあまりに変わっていく街を見たくなくて、つい後回しとなっていた。

父が居なくなってから半年、母のことは弟に任せていたが、どうも様子がおかしいと転職のタイミングで帰郷した。不眠、足のしびれの悪化など精神面が安定していないようなのだった。それと、弟ではやりきれない色んな片づけを思い切って手伝ってきた。序文が長くなったが、今回母が父の持ち物で要らないと言って、私が持ち帰ったものの中に、祖父からの葉書がある。入居していた施設からのお礼の言葉が書かれていた。この時は、私は祖父がまだ生存していることを知らなかった。

祖父は戦争から帰ってきた人だった。が、マラリアにかかり、脳症で、認知機能に障害を持ってしまったのである。介護が必要な状態になって帰還して、父は祖父を憎み辛くあったらしい。女手ひとつで二人の男の子を育て上げた祖母は、私を溺愛してくれた。私も元気で男勝りな祖母が大好きだった。美味しい高級お菓子を与えられ、駄菓子やスナック菓子では満足しなかったお憎たらしい虫歯だらけの子どもになったが、いつも美味しい菓子を持って可愛がってくれたのだった。そんな祖母と父に隠された祖父。今も哀れでならない。祖父がどこへ送られ、どんな体験をしたのか、生きていたとしても教えてもらうことは出来ない状態だろう。

[ history for peace] という団体では、若い世代の人も家族の戦争の体験を継承した話を、さらに他の人に伝えようという取り組みをしているところです。
一昨年ほど前から二度ほどそのオンラインイベントに参加している。
今日は、一般の市民ではなく、当事者である体験者からのお藩士が聴けるものがあった。

呉正男さんは、台湾で生まれ育ったが、学校を進む際に、日本の中学校へ留学する選択をし、その後、学業に疲れたため、ちょうど戦争へと時代が向かっていて日本の軍隊へ入り、台湾出身の日本兵となった方です。その後何度も死んでもおかしくない人生で、偶然が重なり、不運な方へ進んだかと思うと、生き残る道を進んできたとのこと。朝鮮半島にいた終戦時、引き上げる際も、日本人だと名乗り、シベリア抑留となったが、その後も日本へ帰って来れて、台湾人だと名乗っていたら、中国の共産党へ組み込まれ、もしかすると朝鮮戦争へ北朝鮮側として戦って命を落としたかもしれないと話していました。

もう、自分の選択、努力だけでは生き残ることは難しいと、他の参加者も感想で言ったいたのですが、本当にそう感じました。

12日、NHKで夜7時30分から、ドキュメンタリー番組で出演するとのこと。視聴したいと思います。

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