ひかりとしずく(虹の伝言)

勉強会や講演会、上映会のレポートなど主に載せています。

世界、どこも戦争は要らない!

2021-03-30 | ともこレポーターによる記事
SNSで流れて来たH・ Nさんの投稿記事をコピーさせて頂き、ここに載せます。

官邸前で沖縄の女性がハンスト中なんです。
日本人皆でやるべき事なのに、彼女はひとりでやっています。

【遠いとおい島の叫びを本土に繋げる橋渡し】
ー総理官邸前でハンストを行うウチナンチュ(沖縄の人)--

 その日(3月27日)は、日比図書館文化館(東京都千代田区)で女性たちによる高齢社会を考える大会があり、そこに登壇する一人を撮影に行っていたのだが、その合間を抜け出し、夕方永田町に向かった。表に出た途端に反原発のデモなどに出くわし、後ろ髪を引かれる思いがあったが、そのまま総理官邸前でハンガーストライキ(以下、ハンストとする)をしているというウチナンチュ、金武(キン)美加代さん(47歳)を訪ねた。

 キンさんが、なぜ官邸前でハンストしているのか、と言えば、後でまた詳しく紹介するが、私の乏しい知識としては、沖縄島(沖縄本島とも言う)でこの3月上旬、戦没者の遺骨が未だ残る沖縄南部、糸満市や八重瀬町の土砂を、辺野古の新基地建設のための海の埋め立てに使わないよう国や県に求め、ハンストをしていた具志堅隆松さん(67歳)の思いを受け継いでのもの、ということぐらいだった。ほかに、都内在住の沖縄出身者(※話を伺っている時に、言い方が悪かったのか、私がキンさんを沖縄県から来ているようにとられてしまったが)で、建築業(※内装業との報道に触れ、そのように頭に入っていた)の人という予備知識はあるにはあったけれども…。

 話せば体力を消耗するだろうから今は取材は遠慮した方がいいと思っていたため、様子だけ見てこようと思っていた。ただ、とりあえず私は物書きでカメラマンなので、記録のため写真撮影はさせて頂ければ、との思いはあった(※ その時撮影させていただいたものを、ご本人方の許可を得てこちらにアップしています)。

 官邸前の横断歩道のすぐ脇の歩道で、ガードレール側に身を寄せる恰好で、日除けのテント用のタープのようなものを張り、その下に折り畳みイスを広げ、官邸と向き合う形で彼女は座っていた。報道された写真で見るより、身体が小さく感じた。タープの色も黒、キャップも黒、ジャケットもズボンも黒で、全身黒ずくめだった。全身黒の理由を尋ねそびれたが、日中は暑くないのかなとも思った。歩道には、キンさんを囲み、報道側に数名の年配の男女がそばにいた。

 屈んで挨拶しながら「キンさんですか?」と声をかけると、頷きながら「はい、そうです」との返事が戻って来た。キャップ帽のつばの下には、日焼けした肌と、澄んだ真っ直ぐな瞳があった。意志の強さを感じた。ふと目に入った手は、顔以上にかなり肌が焼け、荒れているように感じた。路上で寝泊まりしながらハンストすることの凄まじさを彼女の手が物語っているようだった。

 「最近SNSで知って、それで慌てて来ました」などと伝えたところ、にこりと笑顔になった。思っているよりも元気そうに見えたが、もう20日もハンストを続けていた。本当に驚くばかりだが、塩やアメなどをなめて、塩分、糖分はとっているらしかった。最近あった差し入れの甘酒がよかったらしく、これで今日は力が出てだいぶ調子がいいという。とはいえ、身体はかなり衰弱しているであろうことは想像に難くない。早々(大会に戻ることもあったが、それよりキンさんの体力が心配だった)その場を引き上げようと思っていたが、彼女にどうしても一つだけ尋ねたいことがあった。それは、ここでハンストをしている彼女の原動力、源になっているものについてだった。

 何がキンさんをここに在らせ、彼女を突き動かしているのか? それは怒りなのか、あるいは愛なのか、何なのか、なぜこうやって20日間も日本の首相と内閣官房長官が執務を行う「首相官邸前」で食事もとらずに頑張っていられるのか…。キンさんにそれを尋ねると、それは「愛です」という。「いろんな人からお言葉をいただいて精神的にはすごい安定しています」と続けた。
 その愛というのは、こちらで出会った人たちからもたらされた、そうした愛ばかりではなく、きっと彼女をこれまで生かして来た、人や食べ物や自然や、ここに動かす人たちの命を慈しむ、平和を希求する、そうした思い、そうした愛も含めてのものだと勝手ながら理解した。そして、ここにキンさんが在るのは、「橋渡し」だと言った。自分は「主人公ではない」と。
 「具志堅さんの行動を受けて、その熱を絶やしたくないと思って始めたのが今月(3月)の8日です」
 「それは共感して?」と問うと、共感なんてものじゃない、そんな言葉で自分の行為をとらえてくれるな、というふうな感じで、苛立つようにしてキッパリとこんな言葉が返って来た。
 「ウチナンチュとその支援者は、もうずっと闘っているんですよ。でも(その闘いがうねりとなって)広がらない。その一人ひとりが主人公なんです。一人ひとりの思いなんです。だけど私がここに座ることによって、その橋渡しがここでできたら、という思いでここにいるんです」と。そしてこう続けた。
 「遠いとおい島の出来事で済まされてしまうことが、ここ、官邸前で静かに座ることによって、人たちが集まり、人たちが広げてくれることを(願って)…なんでもいいんです。電車の中で、『いやあ、辺野古(新基地建設)、マズイだろ。しかも遺骨(の混じった土砂を)使うなんて言語道断だろ!』、っていうような(ことでの広がりが)。電車の中で、茶の間で、トイレで呟くぐらいの広がりがあればなあって思ってます。(普天間基地や辺野古のキャンプ・シュワブなど)ゲート前でみなさん、毎日、毎日、います。でもここ(官邸前)でもいいじゃないですか。ここに集まりましょう。好きな時に来て、好きな時間に来て、政治の話をして、沖縄の話をして、またふつうの茶の間の話もして、帰っていくっていうような動きが、辺野古のゲート前であるようなものが、ここでもあっていいじゃないですか!? 人がいたら、『あ、いるんだ』って、(国への)圧力になりますから」

 ところで実は、このお話をお断りしてICレコーダーを回させてもらっていたのだが、このレコーダーをそばで「持ちましょうか?」と申し出て下さった方がいた。ありがたくお願いしてしまったのだが、なんという巡り合わせか! 後で聞いたところ、私が以前より沖縄である人から話を伺い、かねがねお会いしてみたいなあと思っていた精神科医の蟻塚(ありづか)亮二さんだった。
 蟻塚さんは、沖縄戦の過酷な体験を生き延びた人たちのPTSD(心的外傷後ストレス障害)などのトラウマを調べている人だと聞いていた。わざわざキンさんにエールを送るために、いただいたお名刺に書かれていた福島からこちらにやって来られていたのかどうか、その辺はまったく尋ねる余裕もなかったのだが…。

 話は戻るが、結局、時間を忘れ、その後もキンさんの話を聞き、最終的には蟻塚さんも交え、三人で語り合い、気づけば一時間ほどが過ぎていた。その後、冒頭の大会に登壇した人などに合流する予定があったため、二人に挨拶して、その場を離れ、大会のあった会場の方にまた向かった。

 「私たち、(米軍基地の件)あきらめられないんですよ。ああ、あきたー!なんて言えないんですよ。だってずっと付き合っていかなきゃいけない問題です。で、沖縄で起きたことは、必ずここでも起きます。選挙のデマとかも事故とかも法律的なこととかも。沖縄で起きることは絶対起きるんです」
 そう言っていたキンさんの言葉が忘れられない。

 戦後76年、沖縄島(沖縄本島)で起きていることと言えば、空からは米軍ヘリは落ち、人が暮らす街を米軍機が爆音を立てて離着陸、飛行し、陸では米兵らによるレイプ事件が多発し、米軍基地による疑いのある汚染飲料水を人々は飲まされ、北部、名護市・辺野古の海(大浦湾)は、米軍新基地建設のため土砂で埋め立て工事が続き、一方の北部、国頭郡・高江ではヘリパット建設のために豊かな森が壊され、米軍北部訓練場の返還地には米軍が使ったと疑われるゴミが大量に捨てられ、挙句に沖縄線の戦没者の遺骨の眠る沖縄南部の土砂を国は、先の辺野古新基地建設のための埋め立てに新たに使おうとしていている。南西諸島の方でも問題は山積みだ。

 どうやったらこの現実を、沖縄の人たちの尊厳や人権が侵害されていることを、そうした状況が戦後もずっと続ているということを、どうしたら静かな空を仰ぎ、星を眺め、安心して夜の街を一人で歩き、水道をひねってたいした心配もなく水が飲め、海で泳ぎ、そんな環境にいる、「安全圏」に暮らす私たちの社会に向け、届けていくことができるのだろう。日本全土がすべて同じとは言わないけれど、どんなことを言っても国土面積の約1%以下の沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約7割が集中しているのだ。「安全圏」で暮らしていることは、実は、沖縄や、もっと言えば自衛隊基地の軍備強化の進む南西諸島に暮らす人々の、尊厳や人権、生活をないがしろにし、侵害した上で成り立っている。私はそう思っている。沖縄は青い海と白い砂浜だけじゃないことを、どうしたら「安全圏の社会」に向け、届けていけるのか。どういう言葉ならその社会に暮らす人々の心に響くのか……。そんなふうなことをずっと今もって考えているが、答えは出ない。答えは出ないが、この文章を書いている。少しでも安全圏の社会に暮らす誰かの心に届くように。自分自身に向け、書いているとも言えるが。

 なお、キンさんは、明日31日までハンストを行っている。最初に口にしたいというゆし豆腐を、沖縄から友人が飛行機に乗って届けに来るそうで、それが届いたらハンストを終えるということだった。4月に入っても回復食を食べながら官邸前にしばらくいるそうなので、ぜひ会いに行かれたらどうだろう。次に私が行く時には、夢のある話の一つもできたらいいなと思っている。

※ キンさんや具志堅さんのハンストに関する記事の一覧です。ざっと検索しただけなので、他にもあると思いますが、よかったらご参考までに。









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