「こんな就活もうイヤだ!!」就活くたばれデモ@札幌実行委員会blog

「就活くたばれデモ」は、問題だらけの就活の現状に、異議申し立てするためのイベント!2010年11月23日開催予定!

会議の日時変更のお知らせ

2010-10-29 14:32:55 | 告知
 どうも、告知していた日時だと、今日おこなう予定だった会議ですが、「花の金曜日(夜)にやるのは、あまりに非リアすぎる」という意見があったのでw、明日、土曜日の夕方4時からやることにします。場所は同じく北大古河講堂の108です。告知が遅くなってすいません。

 大学生に限らず、色々な人の参加を歓迎しているので、ぜひ遊びに来てください!

 「就活くたばれ」とか言いながらも、「どういう就活のあり方がいいんだろうかぁ」とかいう話し合いを地道にしてたりしますw

 就職活動の問題点を考えることは、就活をやる人、やらない人、やって上手くいった人、上手くいかなかった人、どんな人にも関係することだと思いますので、ぜひ気軽に足を運んでみてください。よろしくお願いします。


就活くたばれデモはなぜ生まれたか。(後編)

2010-10-29 14:24:17 | 参考資料

(前半→就活くたばれデモはなぜ生まれたか。(前編) の続きです)


就活の現状は「仕方ないもの」ではない

 多くの大学生は、現在の就活を取り巻く状況をどこか所与のものとして捉えているところがあるが、必ずしもそうとはいえない。たとえば最近の大学生は、学部三年生の秋ごろから就活を始めるが、就活の開始時期がこれほど早期化したのは、かつて大学と企業の間で結ばれていた「就職協定」(「内定は四年生の11月1日以降」とされていた)が1996年に廃止されてからである。これを復活させる事によって就活時期の早期化を防ぐということは決して非現実的な話ではない。これ一つとっても「就活の現状がこうなっているのは仕方ない」と言い切れるようなものではないと僕は思う。
 また、「在学中に就活をしなければいけない」ということ自体についても、批判的に考えることが可能である。海外では大学在学中に就職活動をするということは決して一般的ではないからである。たとえば、ヨーロッパなどでは学生は大学を卒業した後、それぞれ好きな時期に求人情報を頼りに個別に面接や試験を受けるという場合が多い。ではなぜ日本では、大学での勉強をおろそかにしてまで、就職活動をするのか。それはこの国で「新卒一括採用」もしくは「新卒至上主義」というシステム(雇用慣行)が浸透しているからである。
 これは終身雇用を前提とした年功序列制度と一体となって「日本的経営」などと呼ばれ、一時期海外でも注目されていたものである。要するに、新しく大学を卒業するもの(新卒者)を企業がまとめて雇用し、教育していくという方式である。かつては、こうした仕組み自体が奏功したこともあったが、現代では必ずしもそうとは言えなくなっている。しかし、新卒至上主義とも呼ばれるように、「既卒よりも新卒」という風潮(企業文化)はさほど変わっておらず、それに合わせて、就活のレースも横並びで始まることになっているのである。
 このような新卒一括採用方式は、一方で新卒生に有利なように見えるが、他方で新卒時に正社員の働き口を確保できなければ、その後の挽回が難しいということも意味している。バブル崩壊後の「就職氷河期」に卒業を迎えた、いわゆる「ロスジェネ」世代の多くが低賃金で不安定な非正規雇用労働者として生活せざるを得なくなったのは、この新卒一括採用(新卒至上主義)と終身雇用に基づく年功序列制度(これを維持するために大量の非正規雇用が導入された)の持つ排他的な性格の影響といって差し支えない。このように、たった数年卒業年度が違うだけで、その後の人生に大きく影響を与えてしまうというシステムはどう考えても不合理である(これが「世代間格差」の実態である)。そして新卒一括採用(新卒至上主義)がまかり通っている以上、大学生達は自分の適性さえも分からず、十分な社会的経験も積む前から、就職のための準備に奔走しなければいけないのである。学生の本分であるはずの学業に専念することさえできずに。

 そのほかに、地域格差についての問題も甚大である。現在、東京を中心とした関東と他地域との格差は求人倍率などで如実に表われているおり、就職に際して地方から上京するものは多い。その際に関東近辺に住んでいる者と、札幌のような地方都市では、情報の面でも経費の面でも大きな差が生じてしまう。就活における面接は、回数自体が多いにも関わらず(3~5回ほど)、企業側から交通費が出ないことが多いため(特に景気の悪い年)、この経費は自己負担となってしまう。札幌での就活デモに参加したメンバーの一人は、就活を通してどれだけの出費があったかについて、「交通費、宿泊費、食費など合わせて、車の免許が取れるほど(30万円ぐらい)」と語っていた。
 特に今年のように競争が厳しく、就活自体が長引いてしまった場合には、こうした費用が捻出できるかどうかがという事が、就活自体の成否に関わってくる。早い話が、その学生が優秀かどうかという、最も問われて然るべき問い以前に「面接に行く金がないから内定がもらえない」ということも十分にありうるのである。

「就活に対する不満」が表に出てこない気持ち悪さ、危機感

 就活の問題点について、思うままにいくつか挙げたが、他にも「コミュ力(=コミュニケーション能力)」、「人間力」といった曖昧な評価基準によって行われる採用選考など、問題点はいくらでもある。ともかく、ここで僕が主張したいのは、就活というもののあり方は必ずしも自明のものではないということであり、それは個人の問題として還元できない要素をも孕んでいるということである。そもそも多くの人が就活に対して(何かしらの)不満を持っているとしたら、やはり何か構造的な問題があると考えるのが自然であろう。

 そうした構造的(社会的)問題を意識するようになった僕は、就活の現状を肯定的に捉えた「広告」ばかりが目に付くという大学の状況に危機感を抱くようになった。それは、一つに先ほど述べたように「誰もが問題意識を抱えているのに、それが表に出てこない」という不自然さによる。そして、もう一つに「構造的・社会的な問題があっても、それが全く指摘されなければ、個人的な問題に還元されてしまう」という危惧に由来した。昨今の貧困の議論では、構造的な問題が見えづらかった(隠されていた)ために、ワーキングプアやホームレスといった状況が「個人の努力不足=自己責任」とみなされることが多かった。それが変わったのは、野宿者支援の現場で活動する湯浅誠などが、そうした貧困状態を生み出す制度的な問題について告発するようになってからである。つまり、構造的な問題というのは、注意しなければ「当たり前」と捉えられ、不可視化されてしまうことが珍しくないのである。
 そして貧困が自己責任だけでは割り切れない問題を抱えているのと同様に、就活における成否にも自己責任では割り切れない問題点が多分にある。それを告発することは重要ではないかと僕は考えたのである。実際に、就活のセミナーや学生の就活サークルでは「就活を通して自己成長」、「積極的な就活を」といった、あくまで個人の意識の問題として就活を捉えた言説は少なくない。
 よりによって、社会の問題を専門的な知見から正すはずの大学が、就活における「常識」や「慣例」を再生産する場と化しているとすれば、それは危機的なことではないだろうか。そうした問題意識から、僕は友人達とデモを行うことに決めたのである。

 あえてデモという手段を使った事に、疑問を抱く方もいるかもしれないが、最近は既存の政治団体や労働組合とは異なった人たちによって、積極的にデモという手法が用いられている。そうしたデモは、必ずしも堅苦しい権利要求のスタイルをとらず、それ自体を祝祭的な表現の場として楽しむ傾向が強い(「ストリートの思想」毛利嘉孝著などを参照のこと)。今回の就活くたばれデモも、そうしたスタイルを踏襲し、パペットや被り物、楽器などを用いた表現を、意識して行ったのである。


「就活くたばれ」のこれから

 就活くたばれデモを企画した動機について、説明させていただいたが、この「就活くたばれ」のメッセージが捉えうる射程というのは、実は非常に長い。例えば、デモに参加したメンバーの中にも、社会的な問題などは抜きに、単純な感情のレベルで、「就活が気に入らない」という人もいれば(=「就活ってムカつく、めんどくさい」、「面接官が偉そう」)、そうした疑問や不満の元に、就活のシステムの矛盾があると認識して、そのシステムの改善を求める人もいる(=「交通費をよこせ」「新卒一括採用なんかなくなれ」)。そして、さらにそうした矛盾や問題点の基盤として、資本主義や新自由主義のあり方について懐疑的になっている人も、数として多くはないが存在している(=「働かねーぞ!」「ダラダラさせろ」)。個人的には、就活に見られるような人間を「人材=モノ」として扱う価値観自体が好きではないし、絶え間ない「自己研鑽」や「自己投資」を強いるような社会のあり方自体に違和感をおぼえている。それは「就活くたばれ」という主張の中でもラディカルな部類に入るのかもしれない。

 このように、「就活くたばれ」の射程は長いからこそ、多義的であり、ぼんやりとしてしまうこともあるかもしれない。この企画を始めた僕としても、動き出してから色々と見えてきた部分があるし、現状をどうすれば変える事が出来るのか、という代案がしっかり見えているわけでもない。ただし、「現在の就活のあり方は問題だらけのものであり、それに不満を持っている者が確かにいるのだ」ということを少しでも提起し、議論の呼び水となったという感触はある。たった20人足らずの若者が、いち地方都市である札幌の街を歩いただけでインターネット上の話題になったのだから、「はじめの一歩」としては成功したのではないかと自負している。これからも、就活の現状について問題提起する
ため、試行錯誤しながら継続的に行動を起こしていきたいと考えている。

―――
転載元:「弘前大学 青森雇用・社会問題研究所」発行ニュースレター (手元にないので、何号かわからないんですが、確か2010年の2月ぐらいのものです) 


就活くたばれデモはなぜ生まれたか。(前編)

2010-10-29 14:06:16 | 参考資料

 どうも、就活くたばれデモ「言いだしっぺ」のO瀧です。東京と、大阪での就活デモもブログを立ち上げたりして、なんだか盛り上がってきた感じがしますなぁ。関西の方はこちらに遊びに行ってみてくださいな。こちらも協力者募集中です。

 弘前大学に青森雇用・社会問題研究所というところ(研究室)があるのだけど、そこの学生さんが中心になって発行しているニュースレターに、「就活くたばれデモの話を書いてください」と頼まれて文章を書いたことがある。「就活デモに関するアレコレを、自分の中で整理するためにもやってみよう!」などと思って、引き受けさせてもらったのだが、これが就活デモの概要について説明するのに、なかなかわかりやすい文章が書けてしまったので(←自画自賛w)、せっかくだからここにも掲載しておくことにする。長いので、二つに分けて紹介。

 タイトルは、「就活くたばれデモ」――「就活」を取り巻く構造的問題と違和感


「就活くたばれデモ」が行われた!

 昨年、2009年も終盤に差し掛かった11月23日、勤労感謝の日。20名弱の若者によって「就活くたばれデモ」と題した街頭デモンストレーションが北海道札幌市中心部で行われた。彼(彼女)らは、大通公園や札幌駅前通などの公道を歩きながら「就活なんか茶番だ」、「就活は金がかかりすぎだ」、「生きるための仕事をよこせ」など、就職活動に対する不満を主張する内容のシュプレヒコールを叫び、道行く人々の関心を引いた。
 このデモは、学生自身が「就活=就職活動」のあり方に対する問題提起をしたということの意外性からか、インターネット上の掲示板やブログなどで大きな話題を呼んだ。もちろん、そこでの取り上げ方には賛否両論があったのだが、ともかく話題を呼んだことで、社会に対して問題提起するデモ本来の目的は大いに達成されたと言えるだろう。

 と、まるで客観的な報告記事のように書いてみたが、実はこのデモを企画した張本人はこの文章を書いている僕(大滝)と、僕の通う北海道大学の学生を中心としたメンバーである。では一体、なぜ就活に異議を唱えるデモを行ったのか、そもそも就活のどのような問題点に抗議をしたかったのか。ここではそれについて、簡単に説明させていただく。

強迫的な「就活広告」

 僕がこのデモを行うことを決めたのは、主に以下のような理由による。漠然とした書き方をすれば、それは就活に関する「批判的な言説」を確保したかったということである。どういうことかというと、僕は就活に関する「言説の不均衡」に対する不満があったのである。昨今、大学(ここでは主に北大について書く)の中には就職活動に関する膨大な量の情報が溢れているが、その内容が「偏っている」ことに非常に問題意識があったのである。
 どう偏っていたのかというと、こうした情報はすべて「就活というものを前向きに捉える」という前提に立ったメッセージを抱えたものなのである。北大で就活に関する内容のチラシやポスターを探そうとすれば、特別な苦労はいらない。「キャリアセンター」(いわゆる就職支援課)に行って、関連するチラシを請求せずとも、各学部の窓口前に平積みされていたり、学内の掲示板に大きなポスターが何枚も貼ってあるのが、嫌でも目に付くからである。その内容は実に多彩で、リクルートや毎日コミュニケーションズといった企業の運営する就職情報サイト(リクルートは「リクナビ」、毎日コミュニケーションズは「マイナビ」)の宣伝から、企業や官公庁の採用情報に関するチラシ、説明会や学内ガイダンスの告知などなど。さらに学生の運営する就活サークルの情報やイベントも枚挙にいとまがないし、資格試験予備校の案内も「就活」関連の情報と見ることも可能である。
 こうした過剰なまでの情報の洪水は、もはや強迫的といってもいいぐらい継続的な刺激を学生に与えているといえる。これは別に就活に限った話ではないのだが、大量の広告が溢れる空間で生活していれば、そうした情報は自然と目に付くようになる。商品の広告であれば、それを目にした人を潜在的な消費者にするし、就活に関する情報であっても同様である。そのため、大学で生活をしていれば、学生は就活について意識せざるをえなくなるというのが、いまの大学における現状なのである。
 しかし、そのように就活に関する膨大な「広告」が溢れているにも関わらず、その内容は非常に画一的である。なぜなら、一見多様に見える「就活広告」は全て(といって差し支えないと思うが)就活というものを肯定的に捉えているという点で共通しているからである。もちろん、誰も彼もが、就活というものに対してポジティブな感情を抱き、前向きに取り組んでいるのであれば、そうした「前向きな就活を」式の言説が溢れていても不思議はない。しかし、実際はそうではない。むしろ、就活について不満を抱いている者が多く、実際に就活というものが問題含みであるにも関わらず、不思議と就活に関する言説は画一的なのである。

誰だって就活が楽しいわけじゃない

 それについて書く前に、少し横に逸れて僕の話をさせていただく。僕は現在大学の四年生だが、訳あって三年生の時に就活をしなかった。訳といっても大したことではないので簡単に説明すると、僕は三年生の時に北大などの大学生が中心になって活動している野宿者(ホームレス)支援団体の活動に関わっていたのだが、その活動が忙しく、とても就活まで手が回らなかったため、就活自体を先延ばしにすることを決めたのである。もちろん、忙しい中でも、なんとか頑張れば就活とその活動の両立ができたのかもしれないが、「急き立てられるように卒業してしまうこともないだろう」と考え、じっくりと好きなことに打ち込めるように休学という選択肢をとり、就活を一年後回しにすることにしたのだ。こうして2009年4月から一年間休学する事にした僕の卒業は2011年3月になった。
 一方で、卒業時期を延期した僕とは対照的に、同じ年に入学した同期の友人達は、三年生の秋ごろから、就活に勤しみ出した。リクナビやマイナビなどの就活情報サイトに登録し、自己分析を受け、企業研究セミナーや説明会に足を運ぶ。履歴書やエントリーシートを準備し、試験や面接を受けに行く。そんな定番のような就活を周りの友人達はしていた。私自身も、その時点ではあまり就活というものについて考えず生活していたので「来年になったら自分も同じ事をするんだろうなぁ」などとぼんやり考えていた。当時の僕が就活に関して抱いていた不満と言うのは就活の早期化(「就活の始まる時期が早すぎる!」)に関するものぐらいだった。
ただ、その頃に就活に取り組んでいる友人達と接しているうちに、だんだんと就活というものの抱える問題点のようなものを意識させられるようになった。僕が就活についての話を振ると、友人達は毎度様々な不満を漏らしていたからである。
 例えば、「選考の際にコミュニケーション能力というものを重視されるのだけど、それがどういったものかよくわからない」、「面接に行く際の交通費はほとんど自己負担なので、経済的な負担が重過ぎる」、「就活の始まる時期が早いせいで勉強に専念できない」、「自分に自信がないので自己PRを書けといわれても困る」、「新卒で就職できなかったら、不安定なフリーターになるしかないのでは、と考えると不安でしょうがない」。
 彼(彼女)らの直面している苦悩というのは非常に深刻そうだった。しかし、ここで重要な点は、彼(彼女)らの抱えているそれは現行の就活システムの抱える問題に起因しており、決して個人の問題に還元できないところで起こっている部分が大きいということである。
 先ほども書いたが、僕自身は元々野宿者支援の活動に関わっており、雇用や労働、貧困や福祉などの問題に関心を持っていた。そこで得た知識を元に考えると、彼らが直面している問題というのは、日本の雇用システムの歪みや不合理な慣例、ひいては新自由主義的な改革の及ぼした格差の影響などを被っているように見えた。それは「仕方がないよね」といって片付けられるような問題ではでは決してない、と僕は思ったのだ。

(後半につづく→就活くたばれデモはなぜ生まれたか。(後編)


去年の報道

2010-10-28 05:14:10 | 参考資料


これまた参考までに、昨年就活くたばれデモをやったときの新聞などの報道。これの他にUHB(フジ系列)で夕方に放送している「スーパーニュース」でも取り上げられたんだけど、それは資料が手元にないのでどうしようもないw

報道の文言について付け足したいこともあるのだけど、ひとまずそのまま載せておく。


〇就活に不満、学生がデモ 札幌中心部で

11/24 06:40、北海道新聞
 http://megalodon.jp/2009-1124-1147-23/www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/201677.html


就職難に苦しむ札幌の大学生らによる「就活くたばれデモ」が23日、札幌市の中心部で行われ、リクルートスーツ姿の学生が年々早まる就職活動への不満や求人増を訴えた。

デモには、就職先が決まっていない北大の4年生や大学院生ら約20人が参加。「面接多すぎ」や「既卒を差別するな」と書かれたプラカードを持って、「生きるための仕事をよこせ」などと叫びながら、約1時間練り歩いた。

馬のマスクをかぶった学生が「内定」と書かれたニンジンを追いかけるなど、就職活動の現状をちゃかすパフォーマンスも。

デモを呼びかけた北大文学部4年の男子学生(21)は「大学は就職のための予備校ではない。厳しい就活の現状を分かってほしい」と話した。



「就活くたばれ!」 北大生ら札幌でデモ行進

月刊誌「北方ジャーナル」 2009年11月23日
http://hoppojournal.kitaguni.tv/e1472093.html


就職活動なんかくたばっちまいな!―。 勤労感謝の日の23日午後、札幌市の大学生らが「就活くたばれデモ」と題した街頭デモを企画、「嘘つき合戦の就活はやめろ」「企業の犬にはならないぞ」「腹が減ったぞ」などのシュプレヒコールを上げながら、約20人で同市中心部を練り歩いた。

デモ行進を企画したのは、北大文学部4年の大瀧雅史さん(21)ら同デモ実行委員会。「本来学問の場である大学が就職予備校となっているのはおかしい」との疑問を抱いたメンバーらが、「みんなが『おかしい』と思ってることを口に出せない社会が一番おかしい」とばかりに有志を募り、あえて勤労感謝の日に街頭でアピールすることにした。実行委の呼びかけに応え、北大などから学生・大学院生が参加したほか、すでに就職している社会人らも賛同、「同情するなら内定をくれ」「面接多すぎ」などと書かれたプラカードを手に行進に臨んだ。

午後1時半に北区の北大正門を出発したデモ隊は、札幌駅前通を南下しながら約1時間かけて中央区大通などを行進、「人事担当者よ、お前はそんなに偉くない」「ブラック会社はセミナーなんか開くな」「ネクタイは息苦しいぞ」などのユーモアを交えたシュプレヒコールを休日の市街に響かせた。学生たちの一風変わった試みに道行く市民らは興味深い視線を送り、客待ち停車中のタクシーから「頑張れ」などと声がかかる一幕も。デモ隊の中には留学生の姿もあり、経団連・御手洗冨士夫会長の顔をあしらった骸骨の模型を背負って参加したフランス出身のギョーム・シューさん(20)=北大法3=は、「日本の雇用体系が想像していたシステムと違い、驚いた。フランスには『就職活動』などありません」と“就活文化”への率直な疑問を口にする。「またこういう機会があったらぜひ参加したい」と手応えを話しつつ、「日本のデモは規模が小さいですね」と、社会問題に関心を持つ若者があまり多くないことを残念がっていた。

     呼びかけ人代表の大瀧さんは、「個人的にはむちゃくちゃ楽しかった」と、鬱屈を発散できて満足げな様子。「50回も面接に落ちたような学生にも、生きる権利はある。就活ごときで落ち込むのは馬鹿ばかしい。無理して社会に合わせるのではなく、社会の側が間違っているんだということをはっきり言ってやるべき」と、全国の就職難民たちにエールを贈っていた。大瀧さん自身は、翌24日から就職活動を始める予定という。(ん)






御手洗サン

去年の呼びかけ文

2010-10-24 00:07:07 | 参考資料
さて、「今年も就活に対する異議申し立てをしよう!」ということで、ブログを立ち上げたのはいいけれど、まだ現時点では「こういうことをメインに主張します」というのが、はっきりしていないので、声明が出せない。だけど、それだと一体、どういう集まりなのかさえ分からない、という事態になりかねないので(これはまずいw)、ひとまず去年作成したチラシの案内文を転載しておくことにする。

これは、あくまで去年のもので、「今年もしっかりそれをなぞる」、というわけではないけれど、就活に対して異議申し立てするスタンスというのは変わらないし、なんとなく雰囲気を分かっていただけると思うので、参考にしてみていただきたい。

ちなみに、この文章は、頭でっかちで大人しい北大生に共感してもらえるように、アジテーションっぽい文体を一切使わずに、丁寧に説明してあるw ただ、丁寧すぎて文章が長い、という問題も生じているのだけど、その辺はまぁ仕方ないかなとw


以下、引用
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今年も就職活動の時期がやってきた。 今年は、最近の不況を反映してか、例年より始まるのが早いらしいく、早くも北大では紺色のスーツに身を包んだ大学生達が企業のセミナーとやらに参加しだしている。
だけど、僕は毎年それについて疑問に思ってしまう。みんな就活に不満を持ってるはずなのに、なんでそんなに従順なの、と。
もちろん、就職活動に熱心なのは悪いことではない。それは真剣に自分の将来について考え、行動していくものだと思うし(たぶん)、それ自体は一つの価値観である。 それに、なんだかんだ言っていても、人は生活のための資金を稼がなければいけないし、そのために働くということは(悲しいかな)現代社会の前提となっている。折りしも、この不況である。大きな目標があるかないか以前に、働くための就職口を探して、奔走するというのは、ある程度仕方のないことだと思う。

しかし、いまの就職活動の現場においては、あまりに問題が多くはないだろうか? 事実、就活のあり方に不満を抱いている学生は非常に多い。 始まる時期が早すぎる、面接会場が東京であることが多いため地方と都市で差が出る、面接でのコミュニケーション能力偏重、新卒一括採用、年度によって生まれる差、市場原理に抗えず就職予備校化する大学…就活をしている人からは、そんな指摘をよく聞く。
学生だけでない。 教授などの大学関係者からも 「就職活動が始まる時期が早く、長引くために学業に支障をきたす」 といった意見を聞くことが多い。とにかく就活に関する不満は挙げれば本当にキリがない。また、不満だけならまだしも、そのレースに疲れて、精神的にまいってしまうという人も少なくない。
だとすれば、「就活」というもの自体に対して、不満を持つ人たちが、その不満や疑問を共有し、建設的な形でぶちまけることができるような、そんな場があってもいいのではないだろうか。それは、就活が避けられないものであればこそ必要なはずだ。大学生協の書店で『就活のバカヤロー』という本が店の売り上げトップに入るような時代である。そうした場は絶対に必要だと思う。 しかし、僕の知る限りでは、そんな場があると聞いたことはない。大方の学生は、せいぜい少ない友人を相手に居酒屋でグチるくらいである。

そこで今回の「就活くたばれ」デモの企画が生まれた 。つまり、就活に対する怒りや疑問をテーマにして、デモを行うのである。「くたばれ」なんて書くと、「ちょっと言いすぎじゃないの」と思う人がいるかもしれないが、就活に対しての不満をぶちまけることが目標である以上は、遠慮していてはいけない。しかも、就活が避けては通れないのであれば、それについてのストレス発散ぐらい盛大にかましてやってもいいじゃないか。
ちなみに、デモというとあんまりなじみのない人が多いかもしれないし、堅苦しいイメージを持つ人もいるかもしれないが、端的に言ってパレードみたいなものであるw 事前に許可を取り、車道を歩きながら行うイベントである。 もちろん、デモ以外にも意見表明の方法はいくらでもあるけれど、デモほど解放的な空間を創り出し、何も知らない通行人にインパクトを与えながら意見表明のできる方法があるだろうか。しかも、デモの形態は多様化しており、楽しみながら行うというのは、もはや当たり前になっている。

参加希望者は11月23日(祝)の13時に北大クラーク会館前に集合。15時大通公園での解散を予定。服装自由(なんでもいいけどマヌケであればあるほどよい)、予約不要。一緒に準備をしてくれる仲間も募集中。興味のあるひとは、sunset-strip_028@ec.hokudai.ac.jp(北大文学部四年 大滝雅史)まで連絡を。
街中をあっと言わせるマヌケな計画を一緒に練ってやりましょう。

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ちなみに、僕の個人ブログの方に載せたもの(就活に不満のあるすべての人へ---「就活くたばれ」デモについて O瀧さんの暴動ステーション)は、もっとくだけた、ユーモアのある内容のつもりだったんだけど、一部ネット上の意見では「何が『ネクタイは息苦しい』だ!ばかもの」みたいな批判もあった。まったく、ユーモアの分からないやつだ!w

まぁともかく、焦点が「今の就活は問題だらけだ。だから抗議しよう。不満を表に出そう」ということにあるのは今年も去年も変わらない。また、いくつか資料を載せていきたいと思います。(O瀧)