「こんな就活もうイヤだ!!」就活くたばれデモ@札幌実行委員会blog

「就活くたばれデモ」は、問題だらけの就活の現状に、異議申し立てするためのイベント!2010年11月23日開催予定!

就活デモの報道

2010-11-28 11:31:46 | 参考資料

就活くたばれデモ!各メディアに取り上げられて、話題になっています。テレビ局の報道などは、もはや把握し切れていないので、可能な範囲で一部紹介。

札幌の場合、報道については、「ほっといたら取材が来た」というわけではなく、市役所内にある市政記者クラブにデモのチラシと案内文をポストしておいたため、当日の取材がふんだんにはいったものと思われます。この辺も、戦略が奏功したという感じで、嬉しい限りです。

(ここでは、とりあえず長文の北方ジャーナルだけ転載しておきます)

< 札幌 >

〇活字

月刊誌「北方ジャーナル」公式ブログ:「就活くたばれ!」札幌発 学生ら40人がデモ行進 (23日午後、札幌市中央区)
http://hoppojournal.kitaguni.tv/e1746704.html


23日午後、「就活くたばれ」を合言葉に全国4カ所で同時多発デモが行なわれ、札幌でも北大生など約40人が勤労感謝の日の市街を練り歩いた。 学生の多くが半強制的に取り組まざるを得なくなる“就職活動”のおかしさに異を唱えるのが目的で、デモの企画は昨年に続いて2度目。同時多発の火付け役と なった呼びかけ人の大瀧雅史さん(22)=北大文5=ら実行委のシュプレヒコールに合わせ、プラカードや鳴り物を手にした参加者たちが約1時間半に亘って 「就活 NO!」のアピールに臨んだ。


「調子に乗るなリクルート」「調子に乗るな経団連」「調子に乗るな面接官」「嘘つきやめろ」「勉強させろ」―。午後1時45分に札幌市北区の北大 正門前を出発したデモ隊は、独特のシュプレヒコールを響かせて西5丁目通りを南下、道行く人たちから複雑な視線を浴びながら同中央区のすすきの地区や大通 周辺を歩いた。大瀧さんからの「思い思いの表現を」との呼びかけに応じ、音楽に合わせて踊ったり、鳴り物を駆使して隊列を盛り上げる学生の姿も。参加者の 中には就職内定者や社会人もおり、社会問題としての“就活問題”にそれぞれのスタンスから疑問を投げかけた。


「基本的には、去年の同時期のデモと主張は変わりません」と、大瀧さん。「学生の本分は学問なのに、勉強そっちのけ、授業そっちのけで内定を得る ために走り回らなくてはならない。大きな企業の面接を受けようと思ったら東京までの交通費が馬鹿にならず、地方格差の問題もある。そもそも、自分が何に向 いてるかすらわからない人に『自己表現』とかの嘘つき合戦をさせるような社会には、未来がないですよ」―。最もおかしなことは「おかしいと思ってることを 声に出せないこと」と言う。「社会に出てから居酒屋でくだ巻くよりも、今リクルート社の前で『リクルートおかしいぞ!』と叫ぶほうが健全でしょう」

昨年の札幌のデモに刺戟され、首都圏の学生たちも同旨のデモを企画、さらに大瀧さんが簡易投稿サイトツイッターで同世代らに呼びかけたことで、 2年目の今年は東京、大阪、松山の3カ所で札幌と同時にデモが行なわれた。発祥地・札幌でも昨年より参加者が増え、大通公園で解散した午後3時10分ごろ には約40人の規模に。大瀧さんは「長丁場で疲れたけど、いろいろなものを発散できて楽しかった」と、充分な手応えを感じている様子だった。


文部科学省の発表によると、10月1日の時点で全国の学生の就職内定率は57.6%という深刻な状況。機関紙の取材で現場を訪れていた全労働省 労働組合の道支部副執行委員長・澤忠夫さん(51)は、デモの趣旨に共感し「就職できないのは当人の努力不足や甘えによる、といった誤った認識を持つ人は 多いが、今や普通に就職できて当たり前の人たちが仕事に就けなくなった」と訴える。職場のハローワーク窓口では、高度成長期に難なく就職できた両親の無理 解に苦しみ「親を殺して私も死ぬ」と泣き叫んだ女子学生に会ったことがあるという。

昨年のデモ終了後に就職活動を予定していた大瀧さんは、その後考えを改め「未だに何もしてません」―。12月に卒業論文を提出してから職を探すといい、「なんとか喰える仕事にありつきたい」と、ささやかな抱負を語っていた。  (ん)

 

就活早期化おかしいぞ 札幌と道外3都市で大学生が抗議デモ (北海道新聞11/24)

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/261516.html
(イキイキした動画がついてます☆素敵)

「就活くたばれ」学生叫ぶ 厳しい現状に北大生らデモ - 朝日新聞(11/24)

http://mytown.asahi.com/areanews/hokkaido/HOK201011230007.html


〇テレビ (時間が経ったら見れなくなるかも)


・就職超氷河期、厳しい状況に学生らが一揆?:HTBnews 動画 11/23(火) 23:26 
http://bit.ly/iaFGOx
(あるいはhttp://www.htb.co.jp/news/asx/t01-htbnews101123-06b.asx

・不安の中、就活セミナー: "就活くたばれ" 活動の長期化で負担は大きくなるばかり。 - STV動画
http://bit.ly/fqx85R

・札幌発“早期就活”に反対:「就職活動のために、大学に入ったわけではない」そんな思いを込めた学生の抗議デモが、札幌で行われました。HBC NEWSi(動画)
http://bit.ly/gM8xzK
→時間経ったら動画の場所にたどりつけなくなっちゃった。

(そのほかUHB,NHKなどでも報道されていました)


< 東京 >

・MSN産経ニュース(1000人規模のデモに見える素晴らしい写真)
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/101123/biz1011232138011-n1.htm
(共同通信系は、全部この記事が載ってます☆東京新聞、中国新聞などなど)

・TBS「NEWS23」(動画・街頭演説がアップで放送されています。また、全国同時開催を四窓で放送。いい感じ)
http://news.tbs.co.jp/20101123/newseye/tbs_newseye4583661.html

・The Japan Times Online(なんと海外進出!)
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20101123x2.html

< 愛媛 >

・不合理就活「ノー」 松山で学生10人デモ行進:「シューカツしたくないよぉ~☆パレード@松山」 愛媛のニュース (愛媛新聞)
http://bit.ly/hscSvv

・「学ぶべき時期に就活、おかしい」大学生がアピール : 愛媛大の学生ら約10人が23日、「就職活動(開始)の時期が早すぎる」などと記したプラカードを掲げ、松山市街地を行進した。 (読売新聞)
http://bit.ly/epeC25

・デモ行進:今の就活はおかしいぞ 大学生、抗議の行進 /愛媛 (毎日新聞) http://bit.ly/elz9Qd
(cache) http://bit.ly/eObmiN


就活デモ、各地の連絡先・ブログ一覧

2010-11-10 01:58:47 | 参考資料

まとめておくと便利そうなので、一覧にしておきます。

参加の連絡、質問、取材の申し込みなどは以下の連絡先にお願いします。

(参加は当日飛び入りでももちろんOK)

 

札幌 就活くたばれデモ@札幌

ブログ: http://blog.goo.ne.jp/tomato-saibai

アドレス:tomato-saibai@mail.goo.ne.jp

電話:  080-3532-6784 (オオタキ)

 

東京 就活どうにかしろデモ (就活くたばれデモ@東京)

ブログ: http://syukatudemo.blog77.fc2.com/

アドレス:syukatudemo@yahoo.co.jp

ツイッター:@syukatudemo

 

大阪 ここがヘンだよ就活パレードin関西 (就活くたばれ関西版)

ブログ:  http://blog.livedoor.jp/kokohenshukatsu/

アドレス: kokohenshukatsu@gmail.com

ツイッター:@kokohenShukatsu

 

松山 就活やりたくないよね☆デモ (就活くたばれデモ愛媛版)

ブログ:  http://ehime-demo.jugem.jp/

アドレス: ehime.demo@gmail.com

―――

mixi支部 「就活がムカつく!」コミュニティ http://mixi.jp/view_community.pl?id=4630019


就活くたばりなさい画像集 (去年の札幌デモのプラカード)

2010-11-09 17:49:50 | 参考資料

「王様は裸じゃないか!」       就活するために大学入ったんじゃないぜ

(左)就活のセミナーはまるで自己啓発セミナーのよう。

(右)「コミュニケーション能力」のこと。でも人間の素質ってそれだけ?w


地方は特に不利なんです。         ほらほら、もっと俺にお願いしろやw

既卒をなめるなよと。            毎日そればっかり考えてるからね。

(左)就活で企業宣伝するなよ。

(右)機械の方が自分の事をよく分かってるらしい。ホント便利な世の中だわw


(左)仕事がないなら金だけでもよこせ。

(右)自己PRにおける定番詐称。どんだけ「長」がいるんだとw

   

交通費よこせよ。               え、リクナビ?違うよ、よく見てよw

 

           

(左)就活は大変だけど、大学院はもっと大変だぜ。

(右)おごれる御手洗は久しからず。

           

わたみ                     元祖ニートのプラトン先生w

 

このプラカードたちはデモ後も一部で大ウケして、「週刊金曜日」の就活特集(2010年4月2日号)で表紙を飾りましたw 快挙!ww

 


就活くたばれデモはなぜ生まれたか。(後編)

2010-10-29 14:24:17 | 参考資料

(前半→就活くたばれデモはなぜ生まれたか。(前編) の続きです)


就活の現状は「仕方ないもの」ではない

 多くの大学生は、現在の就活を取り巻く状況をどこか所与のものとして捉えているところがあるが、必ずしもそうとはいえない。たとえば最近の大学生は、学部三年生の秋ごろから就活を始めるが、就活の開始時期がこれほど早期化したのは、かつて大学と企業の間で結ばれていた「就職協定」(「内定は四年生の11月1日以降」とされていた)が1996年に廃止されてからである。これを復活させる事によって就活時期の早期化を防ぐということは決して非現実的な話ではない。これ一つとっても「就活の現状がこうなっているのは仕方ない」と言い切れるようなものではないと僕は思う。
 また、「在学中に就活をしなければいけない」ということ自体についても、批判的に考えることが可能である。海外では大学在学中に就職活動をするということは決して一般的ではないからである。たとえば、ヨーロッパなどでは学生は大学を卒業した後、それぞれ好きな時期に求人情報を頼りに個別に面接や試験を受けるという場合が多い。ではなぜ日本では、大学での勉強をおろそかにしてまで、就職活動をするのか。それはこの国で「新卒一括採用」もしくは「新卒至上主義」というシステム(雇用慣行)が浸透しているからである。
 これは終身雇用を前提とした年功序列制度と一体となって「日本的経営」などと呼ばれ、一時期海外でも注目されていたものである。要するに、新しく大学を卒業するもの(新卒者)を企業がまとめて雇用し、教育していくという方式である。かつては、こうした仕組み自体が奏功したこともあったが、現代では必ずしもそうとは言えなくなっている。しかし、新卒至上主義とも呼ばれるように、「既卒よりも新卒」という風潮(企業文化)はさほど変わっておらず、それに合わせて、就活のレースも横並びで始まることになっているのである。
 このような新卒一括採用方式は、一方で新卒生に有利なように見えるが、他方で新卒時に正社員の働き口を確保できなければ、その後の挽回が難しいということも意味している。バブル崩壊後の「就職氷河期」に卒業を迎えた、いわゆる「ロスジェネ」世代の多くが低賃金で不安定な非正規雇用労働者として生活せざるを得なくなったのは、この新卒一括採用(新卒至上主義)と終身雇用に基づく年功序列制度(これを維持するために大量の非正規雇用が導入された)の持つ排他的な性格の影響といって差し支えない。このように、たった数年卒業年度が違うだけで、その後の人生に大きく影響を与えてしまうというシステムはどう考えても不合理である(これが「世代間格差」の実態である)。そして新卒一括採用(新卒至上主義)がまかり通っている以上、大学生達は自分の適性さえも分からず、十分な社会的経験も積む前から、就職のための準備に奔走しなければいけないのである。学生の本分であるはずの学業に専念することさえできずに。

 そのほかに、地域格差についての問題も甚大である。現在、東京を中心とした関東と他地域との格差は求人倍率などで如実に表われているおり、就職に際して地方から上京するものは多い。その際に関東近辺に住んでいる者と、札幌のような地方都市では、情報の面でも経費の面でも大きな差が生じてしまう。就活における面接は、回数自体が多いにも関わらず(3~5回ほど)、企業側から交通費が出ないことが多いため(特に景気の悪い年)、この経費は自己負担となってしまう。札幌での就活デモに参加したメンバーの一人は、就活を通してどれだけの出費があったかについて、「交通費、宿泊費、食費など合わせて、車の免許が取れるほど(30万円ぐらい)」と語っていた。
 特に今年のように競争が厳しく、就活自体が長引いてしまった場合には、こうした費用が捻出できるかどうかがという事が、就活自体の成否に関わってくる。早い話が、その学生が優秀かどうかという、最も問われて然るべき問い以前に「面接に行く金がないから内定がもらえない」ということも十分にありうるのである。

「就活に対する不満」が表に出てこない気持ち悪さ、危機感

 就活の問題点について、思うままにいくつか挙げたが、他にも「コミュ力(=コミュニケーション能力)」、「人間力」といった曖昧な評価基準によって行われる採用選考など、問題点はいくらでもある。ともかく、ここで僕が主張したいのは、就活というもののあり方は必ずしも自明のものではないということであり、それは個人の問題として還元できない要素をも孕んでいるということである。そもそも多くの人が就活に対して(何かしらの)不満を持っているとしたら、やはり何か構造的な問題があると考えるのが自然であろう。

 そうした構造的(社会的)問題を意識するようになった僕は、就活の現状を肯定的に捉えた「広告」ばかりが目に付くという大学の状況に危機感を抱くようになった。それは、一つに先ほど述べたように「誰もが問題意識を抱えているのに、それが表に出てこない」という不自然さによる。そして、もう一つに「構造的・社会的な問題があっても、それが全く指摘されなければ、個人的な問題に還元されてしまう」という危惧に由来した。昨今の貧困の議論では、構造的な問題が見えづらかった(隠されていた)ために、ワーキングプアやホームレスといった状況が「個人の努力不足=自己責任」とみなされることが多かった。それが変わったのは、野宿者支援の現場で活動する湯浅誠などが、そうした貧困状態を生み出す制度的な問題について告発するようになってからである。つまり、構造的な問題というのは、注意しなければ「当たり前」と捉えられ、不可視化されてしまうことが珍しくないのである。
 そして貧困が自己責任だけでは割り切れない問題を抱えているのと同様に、就活における成否にも自己責任では割り切れない問題点が多分にある。それを告発することは重要ではないかと僕は考えたのである。実際に、就活のセミナーや学生の就活サークルでは「就活を通して自己成長」、「積極的な就活を」といった、あくまで個人の意識の問題として就活を捉えた言説は少なくない。
 よりによって、社会の問題を専門的な知見から正すはずの大学が、就活における「常識」や「慣例」を再生産する場と化しているとすれば、それは危機的なことではないだろうか。そうした問題意識から、僕は友人達とデモを行うことに決めたのである。

 あえてデモという手段を使った事に、疑問を抱く方もいるかもしれないが、最近は既存の政治団体や労働組合とは異なった人たちによって、積極的にデモという手法が用いられている。そうしたデモは、必ずしも堅苦しい権利要求のスタイルをとらず、それ自体を祝祭的な表現の場として楽しむ傾向が強い(「ストリートの思想」毛利嘉孝著などを参照のこと)。今回の就活くたばれデモも、そうしたスタイルを踏襲し、パペットや被り物、楽器などを用いた表現を、意識して行ったのである。


「就活くたばれ」のこれから

 就活くたばれデモを企画した動機について、説明させていただいたが、この「就活くたばれ」のメッセージが捉えうる射程というのは、実は非常に長い。例えば、デモに参加したメンバーの中にも、社会的な問題などは抜きに、単純な感情のレベルで、「就活が気に入らない」という人もいれば(=「就活ってムカつく、めんどくさい」、「面接官が偉そう」)、そうした疑問や不満の元に、就活のシステムの矛盾があると認識して、そのシステムの改善を求める人もいる(=「交通費をよこせ」「新卒一括採用なんかなくなれ」)。そして、さらにそうした矛盾や問題点の基盤として、資本主義や新自由主義のあり方について懐疑的になっている人も、数として多くはないが存在している(=「働かねーぞ!」「ダラダラさせろ」)。個人的には、就活に見られるような人間を「人材=モノ」として扱う価値観自体が好きではないし、絶え間ない「自己研鑽」や「自己投資」を強いるような社会のあり方自体に違和感をおぼえている。それは「就活くたばれ」という主張の中でもラディカルな部類に入るのかもしれない。

 このように、「就活くたばれ」の射程は長いからこそ、多義的であり、ぼんやりとしてしまうこともあるかもしれない。この企画を始めた僕としても、動き出してから色々と見えてきた部分があるし、現状をどうすれば変える事が出来るのか、という代案がしっかり見えているわけでもない。ただし、「現在の就活のあり方は問題だらけのものであり、それに不満を持っている者が確かにいるのだ」ということを少しでも提起し、議論の呼び水となったという感触はある。たった20人足らずの若者が、いち地方都市である札幌の街を歩いただけでインターネット上の話題になったのだから、「はじめの一歩」としては成功したのではないかと自負している。これからも、就活の現状について問題提起する
ため、試行錯誤しながら継続的に行動を起こしていきたいと考えている。

―――
転載元:「弘前大学 青森雇用・社会問題研究所」発行ニュースレター (手元にないので、何号かわからないんですが、確か2010年の2月ぐらいのものです) 


就活くたばれデモはなぜ生まれたか。(前編)

2010-10-29 14:06:16 | 参考資料

 どうも、就活くたばれデモ「言いだしっぺ」のO瀧です。東京と、大阪での就活デモもブログを立ち上げたりして、なんだか盛り上がってきた感じがしますなぁ。関西の方はこちらに遊びに行ってみてくださいな。こちらも協力者募集中です。

 弘前大学に青森雇用・社会問題研究所というところ(研究室)があるのだけど、そこの学生さんが中心になって発行しているニュースレターに、「就活くたばれデモの話を書いてください」と頼まれて文章を書いたことがある。「就活デモに関するアレコレを、自分の中で整理するためにもやってみよう!」などと思って、引き受けさせてもらったのだが、これが就活デモの概要について説明するのに、なかなかわかりやすい文章が書けてしまったので(←自画自賛w)、せっかくだからここにも掲載しておくことにする。長いので、二つに分けて紹介。

 タイトルは、「就活くたばれデモ」――「就活」を取り巻く構造的問題と違和感


「就活くたばれデモ」が行われた!

 昨年、2009年も終盤に差し掛かった11月23日、勤労感謝の日。20名弱の若者によって「就活くたばれデモ」と題した街頭デモンストレーションが北海道札幌市中心部で行われた。彼(彼女)らは、大通公園や札幌駅前通などの公道を歩きながら「就活なんか茶番だ」、「就活は金がかかりすぎだ」、「生きるための仕事をよこせ」など、就職活動に対する不満を主張する内容のシュプレヒコールを叫び、道行く人々の関心を引いた。
 このデモは、学生自身が「就活=就職活動」のあり方に対する問題提起をしたということの意外性からか、インターネット上の掲示板やブログなどで大きな話題を呼んだ。もちろん、そこでの取り上げ方には賛否両論があったのだが、ともかく話題を呼んだことで、社会に対して問題提起するデモ本来の目的は大いに達成されたと言えるだろう。

 と、まるで客観的な報告記事のように書いてみたが、実はこのデモを企画した張本人はこの文章を書いている僕(大滝)と、僕の通う北海道大学の学生を中心としたメンバーである。では一体、なぜ就活に異議を唱えるデモを行ったのか、そもそも就活のどのような問題点に抗議をしたかったのか。ここではそれについて、簡単に説明させていただく。

強迫的な「就活広告」

 僕がこのデモを行うことを決めたのは、主に以下のような理由による。漠然とした書き方をすれば、それは就活に関する「批判的な言説」を確保したかったということである。どういうことかというと、僕は就活に関する「言説の不均衡」に対する不満があったのである。昨今、大学(ここでは主に北大について書く)の中には就職活動に関する膨大な量の情報が溢れているが、その内容が「偏っている」ことに非常に問題意識があったのである。
 どう偏っていたのかというと、こうした情報はすべて「就活というものを前向きに捉える」という前提に立ったメッセージを抱えたものなのである。北大で就活に関する内容のチラシやポスターを探そうとすれば、特別な苦労はいらない。「キャリアセンター」(いわゆる就職支援課)に行って、関連するチラシを請求せずとも、各学部の窓口前に平積みされていたり、学内の掲示板に大きなポスターが何枚も貼ってあるのが、嫌でも目に付くからである。その内容は実に多彩で、リクルートや毎日コミュニケーションズといった企業の運営する就職情報サイト(リクルートは「リクナビ」、毎日コミュニケーションズは「マイナビ」)の宣伝から、企業や官公庁の採用情報に関するチラシ、説明会や学内ガイダンスの告知などなど。さらに学生の運営する就活サークルの情報やイベントも枚挙にいとまがないし、資格試験予備校の案内も「就活」関連の情報と見ることも可能である。
 こうした過剰なまでの情報の洪水は、もはや強迫的といってもいいぐらい継続的な刺激を学生に与えているといえる。これは別に就活に限った話ではないのだが、大量の広告が溢れる空間で生活していれば、そうした情報は自然と目に付くようになる。商品の広告であれば、それを目にした人を潜在的な消費者にするし、就活に関する情報であっても同様である。そのため、大学で生活をしていれば、学生は就活について意識せざるをえなくなるというのが、いまの大学における現状なのである。
 しかし、そのように就活に関する膨大な「広告」が溢れているにも関わらず、その内容は非常に画一的である。なぜなら、一見多様に見える「就活広告」は全て(といって差し支えないと思うが)就活というものを肯定的に捉えているという点で共通しているからである。もちろん、誰も彼もが、就活というものに対してポジティブな感情を抱き、前向きに取り組んでいるのであれば、そうした「前向きな就活を」式の言説が溢れていても不思議はない。しかし、実際はそうではない。むしろ、就活について不満を抱いている者が多く、実際に就活というものが問題含みであるにも関わらず、不思議と就活に関する言説は画一的なのである。

誰だって就活が楽しいわけじゃない

 それについて書く前に、少し横に逸れて僕の話をさせていただく。僕は現在大学の四年生だが、訳あって三年生の時に就活をしなかった。訳といっても大したことではないので簡単に説明すると、僕は三年生の時に北大などの大学生が中心になって活動している野宿者(ホームレス)支援団体の活動に関わっていたのだが、その活動が忙しく、とても就活まで手が回らなかったため、就活自体を先延ばしにすることを決めたのである。もちろん、忙しい中でも、なんとか頑張れば就活とその活動の両立ができたのかもしれないが、「急き立てられるように卒業してしまうこともないだろう」と考え、じっくりと好きなことに打ち込めるように休学という選択肢をとり、就活を一年後回しにすることにしたのだ。こうして2009年4月から一年間休学する事にした僕の卒業は2011年3月になった。
 一方で、卒業時期を延期した僕とは対照的に、同じ年に入学した同期の友人達は、三年生の秋ごろから、就活に勤しみ出した。リクナビやマイナビなどの就活情報サイトに登録し、自己分析を受け、企業研究セミナーや説明会に足を運ぶ。履歴書やエントリーシートを準備し、試験や面接を受けに行く。そんな定番のような就活を周りの友人達はしていた。私自身も、その時点ではあまり就活というものについて考えず生活していたので「来年になったら自分も同じ事をするんだろうなぁ」などとぼんやり考えていた。当時の僕が就活に関して抱いていた不満と言うのは就活の早期化(「就活の始まる時期が早すぎる!」)に関するものぐらいだった。
ただ、その頃に就活に取り組んでいる友人達と接しているうちに、だんだんと就活というものの抱える問題点のようなものを意識させられるようになった。僕が就活についての話を振ると、友人達は毎度様々な不満を漏らしていたからである。
 例えば、「選考の際にコミュニケーション能力というものを重視されるのだけど、それがどういったものかよくわからない」、「面接に行く際の交通費はほとんど自己負担なので、経済的な負担が重過ぎる」、「就活の始まる時期が早いせいで勉強に専念できない」、「自分に自信がないので自己PRを書けといわれても困る」、「新卒で就職できなかったら、不安定なフリーターになるしかないのでは、と考えると不安でしょうがない」。
 彼(彼女)らの直面している苦悩というのは非常に深刻そうだった。しかし、ここで重要な点は、彼(彼女)らの抱えているそれは現行の就活システムの抱える問題に起因しており、決して個人の問題に還元できないところで起こっている部分が大きいということである。
 先ほども書いたが、僕自身は元々野宿者支援の活動に関わっており、雇用や労働、貧困や福祉などの問題に関心を持っていた。そこで得た知識を元に考えると、彼らが直面している問題というのは、日本の雇用システムの歪みや不合理な慣例、ひいては新自由主義的な改革の及ぼした格差の影響などを被っているように見えた。それは「仕方がないよね」といって片付けられるような問題ではでは決してない、と僕は思ったのだ。

(後半につづく→就活くたばれデモはなぜ生まれたか。(後編)