「こんな就活もうイヤだ!!」就活くたばれデモ@札幌実行委員会blog

「就活くたばれデモ」は、問題だらけの就活の現状に、異議申し立てするためのイベント!2010年11月23日開催予定!

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就活くたばれデモはなぜ生まれたか。(前編)

2010-10-29 14:06:16 | 参考資料

 どうも、就活くたばれデモ「言いだしっぺ」のO瀧です。東京と、大阪での就活デモもブログを立ち上げたりして、なんだか盛り上がってきた感じがしますなぁ。関西の方はこちらに遊びに行ってみてくださいな。こちらも協力者募集中です。

 弘前大学に青森雇用・社会問題研究所というところ(研究室)があるのだけど、そこの学生さんが中心になって発行しているニュースレターに、「就活くたばれデモの話を書いてください」と頼まれて文章を書いたことがある。「就活デモに関するアレコレを、自分の中で整理するためにもやってみよう!」などと思って、引き受けさせてもらったのだが、これが就活デモの概要について説明するのに、なかなかわかりやすい文章が書けてしまったので(←自画自賛w)、せっかくだからここにも掲載しておくことにする。長いので、二つに分けて紹介。

 タイトルは、「就活くたばれデモ」――「就活」を取り巻く構造的問題と違和感


「就活くたばれデモ」が行われた!

 昨年、2009年も終盤に差し掛かった11月23日、勤労感謝の日。20名弱の若者によって「就活くたばれデモ」と題した街頭デモンストレーションが北海道札幌市中心部で行われた。彼(彼女)らは、大通公園や札幌駅前通などの公道を歩きながら「就活なんか茶番だ」、「就活は金がかかりすぎだ」、「生きるための仕事をよこせ」など、就職活動に対する不満を主張する内容のシュプレヒコールを叫び、道行く人々の関心を引いた。
 このデモは、学生自身が「就活=就職活動」のあり方に対する問題提起をしたということの意外性からか、インターネット上の掲示板やブログなどで大きな話題を呼んだ。もちろん、そこでの取り上げ方には賛否両論があったのだが、ともかく話題を呼んだことで、社会に対して問題提起するデモ本来の目的は大いに達成されたと言えるだろう。

 と、まるで客観的な報告記事のように書いてみたが、実はこのデモを企画した張本人はこの文章を書いている僕(大滝)と、僕の通う北海道大学の学生を中心としたメンバーである。では一体、なぜ就活に異議を唱えるデモを行ったのか、そもそも就活のどのような問題点に抗議をしたかったのか。ここではそれについて、簡単に説明させていただく。

強迫的な「就活広告」

 僕がこのデモを行うことを決めたのは、主に以下のような理由による。漠然とした書き方をすれば、それは就活に関する「批判的な言説」を確保したかったということである。どういうことかというと、僕は就活に関する「言説の不均衡」に対する不満があったのである。昨今、大学(ここでは主に北大について書く)の中には就職活動に関する膨大な量の情報が溢れているが、その内容が「偏っている」ことに非常に問題意識があったのである。
 どう偏っていたのかというと、こうした情報はすべて「就活というものを前向きに捉える」という前提に立ったメッセージを抱えたものなのである。北大で就活に関する内容のチラシやポスターを探そうとすれば、特別な苦労はいらない。「キャリアセンター」(いわゆる就職支援課)に行って、関連するチラシを請求せずとも、各学部の窓口前に平積みされていたり、学内の掲示板に大きなポスターが何枚も貼ってあるのが、嫌でも目に付くからである。その内容は実に多彩で、リクルートや毎日コミュニケーションズといった企業の運営する就職情報サイト(リクルートは「リクナビ」、毎日コミュニケーションズは「マイナビ」)の宣伝から、企業や官公庁の採用情報に関するチラシ、説明会や学内ガイダンスの告知などなど。さらに学生の運営する就活サークルの情報やイベントも枚挙にいとまがないし、資格試験予備校の案内も「就活」関連の情報と見ることも可能である。
 こうした過剰なまでの情報の洪水は、もはや強迫的といってもいいぐらい継続的な刺激を学生に与えているといえる。これは別に就活に限った話ではないのだが、大量の広告が溢れる空間で生活していれば、そうした情報は自然と目に付くようになる。商品の広告であれば、それを目にした人を潜在的な消費者にするし、就活に関する情報であっても同様である。そのため、大学で生活をしていれば、学生は就活について意識せざるをえなくなるというのが、いまの大学における現状なのである。
 しかし、そのように就活に関する膨大な「広告」が溢れているにも関わらず、その内容は非常に画一的である。なぜなら、一見多様に見える「就活広告」は全て(といって差し支えないと思うが)就活というものを肯定的に捉えているという点で共通しているからである。もちろん、誰も彼もが、就活というものに対してポジティブな感情を抱き、前向きに取り組んでいるのであれば、そうした「前向きな就活を」式の言説が溢れていても不思議はない。しかし、実際はそうではない。むしろ、就活について不満を抱いている者が多く、実際に就活というものが問題含みであるにも関わらず、不思議と就活に関する言説は画一的なのである。

誰だって就活が楽しいわけじゃない

 それについて書く前に、少し横に逸れて僕の話をさせていただく。僕は現在大学の四年生だが、訳あって三年生の時に就活をしなかった。訳といっても大したことではないので簡単に説明すると、僕は三年生の時に北大などの大学生が中心になって活動している野宿者(ホームレス)支援団体の活動に関わっていたのだが、その活動が忙しく、とても就活まで手が回らなかったため、就活自体を先延ばしにすることを決めたのである。もちろん、忙しい中でも、なんとか頑張れば就活とその活動の両立ができたのかもしれないが、「急き立てられるように卒業してしまうこともないだろう」と考え、じっくりと好きなことに打ち込めるように休学という選択肢をとり、就活を一年後回しにすることにしたのだ。こうして2009年4月から一年間休学する事にした僕の卒業は2011年3月になった。
 一方で、卒業時期を延期した僕とは対照的に、同じ年に入学した同期の友人達は、三年生の秋ごろから、就活に勤しみ出した。リクナビやマイナビなどの就活情報サイトに登録し、自己分析を受け、企業研究セミナーや説明会に足を運ぶ。履歴書やエントリーシートを準備し、試験や面接を受けに行く。そんな定番のような就活を周りの友人達はしていた。私自身も、その時点ではあまり就活というものについて考えず生活していたので「来年になったら自分も同じ事をするんだろうなぁ」などとぼんやり考えていた。当時の僕が就活に関して抱いていた不満と言うのは就活の早期化(「就活の始まる時期が早すぎる!」)に関するものぐらいだった。
ただ、その頃に就活に取り組んでいる友人達と接しているうちに、だんだんと就活というものの抱える問題点のようなものを意識させられるようになった。僕が就活についての話を振ると、友人達は毎度様々な不満を漏らしていたからである。
 例えば、「選考の際にコミュニケーション能力というものを重視されるのだけど、それがどういったものかよくわからない」、「面接に行く際の交通費はほとんど自己負担なので、経済的な負担が重過ぎる」、「就活の始まる時期が早いせいで勉強に専念できない」、「自分に自信がないので自己PRを書けといわれても困る」、「新卒で就職できなかったら、不安定なフリーターになるしかないのでは、と考えると不安でしょうがない」。
 彼(彼女)らの直面している苦悩というのは非常に深刻そうだった。しかし、ここで重要な点は、彼(彼女)らの抱えているそれは現行の就活システムの抱える問題に起因しており、決して個人の問題に還元できないところで起こっている部分が大きいということである。
 先ほども書いたが、僕自身は元々野宿者支援の活動に関わっており、雇用や労働、貧困や福祉などの問題に関心を持っていた。そこで得た知識を元に考えると、彼らが直面している問題というのは、日本の雇用システムの歪みや不合理な慣例、ひいては新自由主義的な改革の及ぼした格差の影響などを被っているように見えた。それは「仕方がないよね」といって片付けられるような問題ではでは決してない、と僕は思ったのだ。

(後半につづく→就活くたばれデモはなぜ生まれたか。(後編)

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