第59回朝鮮文化を訪ねる会に参加した。JICA赴任中は行けなかったので3年ぶりの参加である。途中からの参加だが59回目と知って長く続いていることに改めて驚いた、この会は京大名誉教授の上田正昭先生の指導で行われていた、現在は年に一回であるが、上田先生は2回、内一回は宿泊込みであった、ちょうど50回で上田先生が退かれて、その後は現在の京都産業大学・京都市歴史資料館長の井上満郎先生の指導となった。
今回は日帰りで滋賀県湖西と福井県敦賀を訪問した。最初に訪問したのは天智天皇が造営した大津京跡遺跡、667年から天智天皇が没するまでの5年間の都、何故、大津遷都なのか、あたりは錦織、大友、穴太(あのう)といった渡来系氏族が集まっていること、白村江の戦いで敗れて唐の来襲に備えたこと等を明解に語られる、JR湖西線の駅名が知らない間に「西大津」から「大津京」に変わっていた、その方が駅名としても情緒がある、行ってみようとする観光客もあるだろう、同じ視点なら「神足」から「長岡京」に変えたのと似ているかも、もっとも「長岡京」は市名としての位置づけもある。バスを降りたのは広い「近江神宮」の駐車場、近江神宮が造営されたのは紀元2600年記念、西暦だと1940年、歴史的には古くないとのことだった。
次に見学したのは小野妹子など小野氏一族の小野神社と小野篁(たかむら)神社、大津市小野にある、そして高島市内の遺跡を見学して昼食、午後は敦賀市の「気比神宮」へ、立派な鳥居の神社で、甲子園に出てくる敦賀気比高校があったことを思い出す。
敦賀は朝鮮半島から近く、古代は要衝の地で、半島から王子が来たり、多くの人がやってきたこと等、古事記や日本書紀の記述から説明を受けた。
最後に行ったのが長浜市の渡来寺、このあたりは織田信長が浅井長政を攻めた「姉川の合戦」のあったところ、近辺にはたくさんの観音像がある、戦の時に近在の人々によって地中に埋められ、戦火から守ったといわれている、奈良時代から平安初期に彫像された国宝の十一面観音像の説明を受けた。
3年ぶりの参加だったが懐かしいメンバーや一緒に訪朝した方もおられて楽しい一日であった。