亡くなったカウントパート
午前6時前、クルンテープからのバスはマハサラカムに到着、すでに明るくなっている。サムローに乗り、在任中と同じラジャパットのホテルに向かう。昨年の3月末にマハサラカムを去って、8月に訪問以来で8ヶ月ぶりのマハサラカムである。ホテルまでのサムローから見る景色は懐かしい。
今回のタイ旅行の最大の目的は、マハサラカムに行くこと、JICA在任中のカウントパートの大学教官の女性が亡くなったのでお参りすることである。
彼女は病気がちで在任中に入院することもあり、任期後半は決まった授業は持っていなかった。それでも在任中は最も長い時間一緒にいた人であり、何かとお世話になった。コーラが大好きでよくおごってもらったりもした。
彼女が亡くなったのは昨年の11月30日の夕方、ラジャパットで最も高い建物の本部棟の15階からの飛び降りだった。スカイプをしていたらセンターの教員から連絡が入ってわかった。3月に正味5日間の訪タイがあったが、ゆっくりと行きたいという思いもあり、ちょうど月命日にマハサラカムに行けるよう今回の旅行の日程を組んだ。
夜行バスで来たので午前中は部屋で休もうと思っていたが、よくお世話になる教官が予定よりも早く来られたので一緒に出かけることにした。
亡くなったカウントパートの妹(従妹)もラジャパットに勤めており、カウントパートと一緒に大学の宿舎に住んでいる。在任中は日本語を教え、タイ語を教えてもらっていたのでよく知っている。できたら宿舎も訪問したいと思い、昼休みの時間帯に職場に行った。お悔やみを言って、宿舎は夕方ということになって5時に再度職場に行くことになった。その後、教官が現場を案内してくれた。
夕方、宿舎に案内してもらった、写真はカウントパートの娘さんが飾っているということで部屋にはなく、小さな仏像がおかれて祭壇になっていた。お供えとともに京都の土産を彼女に渡した。
翌日、現場に花を供えようと思ったが、センターの職員から現場へのお供えは禁止されていると言われ、せめてと思いコーラを置いてきた。コップが現場にあり、誰かも同じようにしたのではないかと思われる。
いつも自分の姿を見かけると名前を大きな声で呼んでくれていたのが懐かしい、昨年8月に訪問した際も最初に姿を見つけて、センターの前庭から呼んでくれたのが思い出される。