マハサラカムだより

マハサラカムでの生活、地域の様子の紹介

教え子

2010-06-08 13:42:34 | 日記
   夜の7時半からあっという間に4時間が経過した。昨日は10年以上会っていない卒業生4人と食事した。場所と内容はピアノの先生をしている卒業生が仕切って「栞や」(しおりや)という烏丸七条にあるしゃれたお店。
   クルンテープに行く際は、マハサラカムでは見られない日本からの携帯メールをチェックするため普段はホテルに置いている日本の携帯電話を持っていく。そこにタイに居ることを知らず、電話が入り、帰国した際にということで、会うことになった。
   教師2年目の23歳から2年間、小学校5,6年生で彼らを担任した、初めての卒業生であり、唯一2年間担任した子どもたちであった。子どもたちといっても、すでに卒業から35年の歳月が経ち、46~7歳である。2人は亀岡で小学校、中学校の教員をしており、当時の仕事ぶりを話されると、自分でもよくぞ拙出なことをしていたと恥ずかしい思いでいっぱいであった。
  すでに亡くなったり、配偶者を亡くしたという卒業生もいることがわかった。配偶者を亡くした卒業生は6年生の奈良・明日香村への遠足で学校に連絡した際、父親の死を知らされ、そのことを子どもに言うことを指示されたとりわけ忘れられない子であった。
  クラスの児童は43名、話をしているとどんどん思い出してくる。全員の家の場所の記憶がよみがえり現在は使われていない地区名もほとんど覚えていた、一人の子からあの子はという感じで同じ地区の子が連鎖的に名前と顔が浮かんでくるのが不思議であった。
  6年3組、仲のよい子どもたちであった。今と違って、ゲームもなく、塾もほとんど行かず、放課後は運動場で遊び、お互いの家を行き来し、いたずらをしたり、担任の仕事を手伝った話等でもりあがった。成人式の後、我が家を訪問したが不在であったとか、知らない(覚えていない)こともあり、申し訳なく思った。
  最後の同窓会が、卒業して10年くらいたっての福井、高浜での一泊海水浴であった。いつか50歳前後の彼らに会える機会があれば楽しいだろうと思う、最も、こちらは60を有に過ぎてしまうが。