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(スカリ山)
10月以降の予定をぼんやりと眺めていたら、年末になるまで山に行く機会がほとんどないことに気付いた。時間のあるうちに出掛けておこうと月二度目の山歩きに行くことにした。前回はやや遠出をしたので、今回は近場の山をのんびり歩きたい。そこでまだ歩いたことが無い日和田山の日向尾根を登り、そこから高指山やスカリ山、越上山などを経て虎秀山近くにある興徳寺へ下りる計画を立てた。エスケープルートも沢山あるので、疲れたら適当な所でカットしてもいいと考え、気楽な気持ちで出かけることにした。
朝普段よりやや遅い時間に起きると空は曇っている。もう少しすっきりとした晴れになるかと思っていたので、少々残念だ。9月も終わりとなり、流石に朝晩は冷え込んできたのだが、ザックを背負うと早速汗ばんでくる。山の中ではもっと涼しくなるといいのだが。高麗駅を降り、まずは鹿台橋を目指す。歩き慣れた巾着田への道を進む。彼岸花関連のイベントで賑わう巾着田周辺ではあるが、9月の最終日ともなると流石に咲いている彼岸花は無い。鹿台橋を渡ったすぐ先の舗装路に入る。高麗川の左岸沿いの日当たりの良い集落が日向地区だ。登山詳細図を見ると日向尾根の入口はこの地区の比較的奥まった所にある。高級そうな大きな民家の前を過ぎていくと金属製の立派な道標が見えてきた。駒高経由と書かれた方面には舗装路が延びている。はて?こんな舗装路を登るルートだっただろうか?地形図を見ると日向尾根の先にある舗装路の入口まで来てしまったようだ。念のためもう少し高麗川沿いに歩いていくと川が急角度で蛇行していたので、行き過ぎていることが明らかになった。
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(巾着田への道から日和田山を望む 彼岸花は既に終わっていた)
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(日向地区と高麗川)
登山詳細図を開いてみると分岐に消火栓があるという。戻ってみると確かに消火栓と書かれた看板の近くから舗装路が分岐している。ところが舗装路を上がってみると民家しかない。どうなっているのだろう?改めて登山詳細図を見るとどうやら民家脇に入口があるようだ。上がって左手に見える一軒目の民家を過ぎると藪で隠された踏み跡が延びている。おそらくこの道で問題はないだろう。問題があるとすれば隣家の人が出てきてこちらをジロジロと見ていることか。虎秀山ほどではないが、ちょっとした緊張を強いられる入口ではある。林の中に入ると土留めの木段が設けられた明瞭な道が延びていてほっとする。
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(消火栓 日向尾根へはここを左に入る)
日向尾根は地形図を見ても明らかなように緩い登り坂が続く。途中2,3か所分岐があるが、上へ上へと目指していけば奥武蔵自然歩道へは出られる。下草が煩くなる所もなく、整備状況は良好だが、歩く人が少ないせいか蜘蛛の巣が多い。それほどきつくない道のはずなのだが、奥武蔵自然歩道へ出た頃には汗でびっしょりとなっていた。入口のわかりにくさも考えるとあまりお薦めできるルートではないのかもしれない。
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(日向尾根の様子 概ね緩やかな道が続く)
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(奥武蔵自然歩道に合流 高指山へは奥に進む)
清流地区への分岐を過ぎると舗装路に出る。見上げると電波塔の立つ高指山はすぐそこだ。藪に覆われようとしている舗装路を上がると電波塔の施設の手前まで行くことができる。山頂は施設に占拠されているので、ここが事実上の高指山(たかさしやま 332くらい)頂上といえる。施設手前からは林越しに展望が得られる。手前の頂上部がポコっと盛り上がった山が天覚山なのは唯一わかるが、その奥の奥多摩方面の山々はどの辺りなのか全くわからない。
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(高指山)
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(高指山からの眺め)
高指山から物見山まで少しの間舗装路を歩く。この辺りは駒高という集落が作られていて、南側に開けた土地を持つ民家が多い。当然見晴らしも良い。工事中のトイレのすぐ先にある茶屋の辺りは大岳山と御前山を望む展望台と言ってもよいくらいだ。右手に芝草の広場が見えてくれば物見山の入口に着く。ここからは再び暗い杉・檜の林の中を行く。この道は明治大正期の地形図にも描かれた古道であり、昔から多くの往来があったことが窺える。表土は完全に流れ落ち、むき出しになった岩場は滑りやすくて難儀する。近年つくられている登山道は水抜きの溝を設けて洗堀が起きないような工夫がされているのだが、昔の道は洗堀が起きても硬い岩盤が露出して水抜きの溝を必要としない所につくっていたのかもしれない。頂上手前で道が分かれているので、久しぶりに物見山(375.3)頂上に上がる。南側が一部伐採されているものの、樹木が成長してその名とは裏腹に展望はない。先行者が憩っているにもかかわらずベンチは空いていたが、長居する必要もないので先へ進むことにした。
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(駒高地区の眺め)
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(大岳山と御前山が見える)
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(永田台?の分譲地)
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(物見山頂上)
西へ下るとすぐにヤセオネ峠に下り立つ。ここから宿谷の滝方面へ下る道が昔からあったことも以前記したとおりだ。歩きやすい古道を進み、イボ石ノ峠、無人販売所と過ぎると道は右に折れる。そのすぐ先に小ピークらしきものがあり、道はその小ピークを巻いて延びている。以前関ノ入尾根から黒尾根を歩いた際、ここからもう少し北にある406のピークを小瀬名富士として記していた。その際にも何故この平たいピークが富士なのだろうという疑問を持ったのだが、記事をアップした後で改めて登山詳細図を見てみると406のピークよりも南にある地形図には表れないピークが小瀬名富士だと判明した。おそらく今目の前にあるピークが小瀬名富士だろう。薄い踏み跡を上がっていくと、なるほど富士と思えるような急な傾斜だ。それでも大して苦労もせずに頂上へ上がると立木に小瀬名富士(こぜなふじ 390)を示す山頂標識が括り付けられていた。
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(ヤセオネ峠)
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(イボ石ノ峠)
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(小瀬名富士)
小瀬名富士へ立ち寄ったついでに勘違いした東ムカイ山にも寄って行く。巻き道へ下りずに忠実に尾根を辿ると東ムカイ山(406)頂上に着く。前回来たときは山頂を示すものは何もなかったのだが、今回は立木に東ムカイ山であることを記した赤テープが巻き付けてあった。それにしても何故ここを小瀬名富士と勘違いしてしまったのだろう。思い当たるのは東ムカイ山が存在として大きいということが挙げられる。また小瀬名富士が地形図に表れない小ピークであることも勘違いした理由に挙げられるだろう。思い込みとは恐ろしいものだ。まだ山名だけならさほど影響はないほうだが、これが道の同定や尾根・谷の位置の間違いだったら遭難を引き起こしていたかもしれない。
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(東ムカイ山 今回は赤テープが巻き付けられていた)
東ムカイ山を下り、舗装路を横切って小ピークを越えれば北向地蔵(土山峠)に着く。うーむ、一年で三度も訪れることになるとは思ってもみなかった。ハイカーが多く行き交い、人気のルートであることを窺わせる。確かに歩きやすい道であることは間違いない。地蔵堂の下にはシュウカイドウ(秋海棠)がピンク色の花を沢山付けていた。奥武蔵だとときがわ町の椚平地区が有名であるが、今年は随分鹿の食害に遭ってしまったという。
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(北向地蔵への途中にある切通し 結構高い)
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(北向地蔵)
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(シュウカイドウ)
北向地蔵から十二曲峠まではやや大きなアップダウンのある尾根となる。明治大正期の地図にはこの間に道形は描かれておらず、みちさと峠とエビガ坂の道のみが描かれているだけである。そんなこともあり、無理に尾根道を行かず、観音ヶ岳の手前までグリーンラインを進む。観音ヶ岳の入口には毛呂山町が設置したと思われる道標が立ち、スカリ山と桂木観音を示している。スカリ山については全く異存ないが、桂木観音については流石に遠すぎやしないだろうか。元々スカリ山はバリエーションルート扱いされていて、グリーンラインを行くのが本線であったはず。桂木観音へ向かうならスカリ山はカットしても問題ないのだから、道標にはスカリ山だけを記したほうが良かったのではないだろうか。観音ヶ岳への道はやや踏み跡が薄いが、最初にスカリ山を訪れた7,8年前の頃に比べるとだいぶ明瞭になった印象だ。やや急な斜面を登りきると観音ヶ岳の山頂に出る。松の疎林に覆われた山頂からは、スカリ山には劣るもののなかなかの眺めが得られる。まあるい午頭山の向こうには遠く赤城山まで望むことができる。
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(観音ヶ岳・スカリ山への入口)
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(観音ヶ岳から 右の鋭鋒は武甲山)
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(右は午頭山 左は大高取山だろう 奥には薄らと赤城山が見えるのだが…)
観音ヶ岳とスカリ山を結ぶ道はそれぞれの山を巻いていくので、山頂への踏み跡を見逃さないようにする必要がある。とはいえ普通に歩いていればたいていなら気付くほどの明瞭な踏み跡ではある。少し登ると大展望が広がるスカリ山(434.9)頂上だ。観音ヶ岳よりもやや広く、丸太のベンチもあるので休憩に良い。展望に関しては大高山から子ノ権現、伊豆ヶ岳、武甲山、越上山、蟹穴山、午頭山、石尊山、飯森山などが呼称の内にあり、遠くは群馬の赤城山や日光の山なども薄らと見えている。休憩を取っていると入れ代わり立ち代わり登山者がやって来る。ここもすっかり一般ルートとなったようだ。
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(スカリ山頂上)
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(スカリ山からのパノラマ)
スカリ山から西へ肩のような部分までは比較的歩きやすい。岩が露出していることが多く、ここだけが削り残されているのも納得できる。肩の部分から先は急斜面となっているが、巻き道が作られていて幾分かは歩きやすくなっている。ただスカリ山に登るためだけなら観音ヶ岳からのほうが楽だろう。下りてきた鞍部がみちさと峠だ。鎌北方面へ明瞭な峠道が下っている。古い地形図を見るとみちさと峠とエビガ坂が一体のものとして描かれていることが多く、エビガ坂と併せた峠道という扱いだったのかもしれない。
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(観音ヶ岳・スカリ山は岩が露出した所が多い)
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(みちさと峠)
湯ヶ天山という小ピークを巻くとすぐにエビガ(海老ヶ)坂に着く。ここからユガテへと下る道はシダの葉に一面覆われた斜面を下るもので、杉ばかりで見所の少ない中ではなかなか印象深い景色である。エビガ坂から再びグリーンラインへ下りるまでしばらくは尾根道を行かなくてはならない。しかし道は尾根の真上を行くというよりは北側から小ピークを巻いていくことが多く、この辺りも昔から歩かれていたのではないかという感じもする。尾根の真上に上がると新旧二つの道標があり、古いほうの道標にはこの先が茶嶽山であることを示していた。山頂の真ん中に檜が植えられた茶嶽山(450)は何の変哲もないピークではあるが、思ったよりも広くここで休憩を取っていくのも悪くない。
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(エビガ坂)
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(ユガテへの道)
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(茶嶽山へ道 北側に巻き道が付いている)
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(茶嶽山)
細いが歩きやすい踏み跡を下るとグリーンラインに下りてくる。すると道の向かいに間野地区へと下る道が分岐しており、道標も立っている。地理院地図にも相変わらず載らない道ではあるが、踏み跡は明瞭だ。山歩きを始めた頃に見かけてからいつかは歩いてみたいと思っているのだが、間野地区へ下ってしまうと長い舗装路歩きを強いられるのでなかなか実行に移せないでいる。グリーンラインを少し進むと鎌北方面の道と尾根道が延びる分岐がある。この辺りから鎌北へ下りる道も使ったことが無い。鎌北は公共交通機関が使い物にならないので、足を延ばしづらいのだ。今回は虎秀山まで行く予定なので、蟹穴山・大沢山はカットし、越上山への縦走路まではグリーンラインを歩くことにする。
十二曲(峠)を過ぎ、やがて笹郷林道が下る分岐へとやって来る。丸山の県民の森を示す看板にはここが一本杉峠であると記されている。一本杉峠は本来カイ立場方面へ下るジャンクションピークを指す名であったはずだが、現在は林道の分岐点に名を譲ったようだ。道の機能を考えればそれが正しいのかもしれない。(新)一本杉峠からは尾根道を行く。この道は鎌北から十二曲峠を通って阿寺地区を結ぶ街道として明治大正期の地形図にも描かれている古道だ。以前にも記した通り小ピークはことごとく巻いていくので歩きやすい。
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(十二曲峠 道標には十二曲と墨書きされていた)
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(グリーンラインに立つ一本杉峠の道標)
巻き道が尾根を横切るように乗り上げると越上山の入口に着く。山頂へは最初緩やかな尾根を進み、その後は直下の岩場に差し掛かるまでやや急な斜面をジグザグに登っていく。ここが曲者で、天目指峠から子ノ権現を目指すときと同じように登山者が適当に歩きやすい所を上がっていくので、だいぶ踏み跡が広がってしまっている。思い切ってロープなどで仕切ってしまうのも一つの手だと思うのだが。岩場を越えると古ぼけた山頂標識が立つ越上山(566.3)頂上だ。檜に囲まれた山頂は展望がなく、三角点の標石が埋設されているだけだ。訪れる人がいてもすぐに立ち去ってしまうのかベンチなどの気の利いたものはない。
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(越上山入口 右手が越上山方面 正面に進むと諏訪神社へ)
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(越上山直前の岩場 意外と高度感がある)
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(一本杉峠のピーク 変わった所に建物があるな)
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(越上山頂上)
往路を戻り、スカイツリーの展望地を過ぎれば諏訪神社の境内だ。今日は特に縁日などはなく、中高年の登山者男性グループがいるだけだ。諏訪神社の参道となっている舗装路を貫くショートカット道を下り、阿寺地区へと下りてくる。虎秀山から阿寺へと来たときはもっと楽に諏訪神社へ上がれる道があったはずだが、もう少し諏訪神社から顔振峠へ縦走路を進んだ辺りから下ればよかったのだろうか?よく覚えていない。阿寺地区の舗装路を暫し進むと見覚えのある道標がある井上地区への分岐に着く。一度歩いたことのある道ではあるが、虎秀山の入口の問題もあってあまり歩く人は多くない印象だ。少々不安は残る。
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(諏訪神社)
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(ショートカット道を行く)
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(林道からの眺め)
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(井上地区への入口)
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(道標の下にもシュウカイドウが咲いていた)
民家脇を行くと送電鉄塔と開けた農地の脇に出る。するとここで早速道に迷う。どうも踏み跡が所々怪しくなっているようだ。農地脇を進むと林道のように広くなり、間野・虎秀方面への分岐に差し掛かるまで整備された道が続く。間野・虎秀の分岐を過ぎるとまたも分岐だ。今度は道標が谷へ下るほうのみに設けられている。虎秀山へはずっと尾根伝いだった記憶があるのだが、こんな所通っただろうか?試しに谷側のルートを選ぶとフェンスに囲まれた伐採地に出る。伐採地の中にも道標があるので、正規ルートになってはいるようだ。幸いフェンスの網は下から潜れるので、伐採地を抜けると更に道はトラバースしながらどんどん下っていってしまう。明らかにおかしい。登山詳細図を見てみると今歩いている道は諏訪神社参道のようだ。すると先ほどの分岐は大ダナツチということか。
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(開けた農地 ちょっと道がわかりにくい)
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(間野・虎秀方面との分岐 正面は虎秀山へ向かう)
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(大ダナツチ 右は諏訪神社参道)
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(伐採地に立つ道標)
大ダナツチに戻り、今度こそ尾根道を行く。すると宝山(448)北の尾根が先ほどの伐採地のちょうど上を通っていて、広い展望が得られる。ざっと見ても大高山から子ノ権現、伊豆ヶ岳辺りが一望できる。心にゆとりがあるときであればもう少しゆっくりとしていったのだろうが、道を間違えたショックでじっくりと眺める余裕はなかった。
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(宝山近くの伐採地上からの眺め)
宝山を巻いていくと道は途端に藪っぽくなる。4年前に歩いたときもこの辺りは藪っぽかった記憶があるのだが、疲れと道を間違えたショックとでかなり鬱陶しく感じる。もう周りを見回す余裕もなく、ただひたすら尾根と踏み跡を外さないよう注意しながら下っていく。灌木・幼木の藪を抜けると変化のない単調な尾根が続く。あまりの単調さに苛々してくる頃、送電線(奥秩父線)の黄色いポストが現れる。地形図を見るとこの辺りで送電鉄塔が立つのは虎秀山周辺しかない。ゴールが近いことがわかり、ようやく人心地着いた。
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(藪やら倒木やら荒れた道が続く)
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(これが見えてくれば虎秀山は近い)
黄色いポストを追っていくと西に明瞭な道が下る分岐に出る。下山路として使う興徳寺分岐だ。まずはこの先の虎秀山へ向かう。送電鉄塔下の藪を抜けて急斜面を登りきると虎秀山(320.4)山頂だ。樹木に覆われた小さな山頂には不釣合いと思えるほどの多くの山名プレートなどが木に括り付けられていて、意外と訪れる人は多いらしい。
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(興徳寺分岐)
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(送電鉄塔下 そのすぐ奥が虎秀山)
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(送電鉄塔下から大高山)
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(虎秀山頂上 絵馬を括り付けているのは意味がわからない)
分岐に戻り、興徳寺へ下ることにする。踏み跡が明瞭だったので簡単だと思い込んでいたのだが、西へ延びる尾根の鞍部に下りた所で踏み跡は消えてしまう。つい西の尾根に引き込まれそうになるが、鞍部から南へ下る谷を行くのが正解だろう。踏み跡の消えた谷を下ると下草の藪が覆っている。よく見ると藪の中に踏み跡があり、これを辿れば間違えなく下れそうだ。傾斜が緩んでくると舗装路に出る。ここまで来ればもう安心だ。舗装路を下りていくと国道299号に出る。すぐ右手にある立派なお寺が興徳寺だ。ちょうどお墓参りに訪れている人達がいたので、物見遊山は止めにしておいた。興徳寺の向かいには「たいら栗園」なる施設があり、食事などができるようだ。この辺りはあまり歩かないからこのような施設があるとは全く知らなかった。15分ほど歩けば東吾野駅に着くが、途中にも”kinoca”というカフェが出来ていた。これまで奥武蔵は山歩きには便利な所だけれど、下山してから立ち寄れる所は少なかった。こうした施設ができることはありがたいことであるし、また長く続いてほしいものである。
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(興徳寺へ向かって 藪っぽい沢道を下る)
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(興徳寺)
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(高麗川)
DATA:
高麗駅7:35→8:03日向尾根登山口→8:43高指山→8:53駒高地区の公衆トイレ→9:08物見山→9:10ヤセオネ峠→9:21小瀬名富士→9:25東ムカイ山→9:36北向地蔵→9:56観音ヶ岳→10:01スカリ山→10:17みちさと峠→10:20エビガ坂→10:32茶嶽山→10:40十二曲→10:53一本杉峠(グリーンライン)→11:09越上山入口→11:17越上山→11:35諏訪神社→11:54井上地区入口(昔阿寺地区と井上地区を結ぶ生活道路)→12:06大ダナツチ→13:00虎秀山→13:18興徳寺→13:33東吾野駅
地形図 飯能 越生
トイレ 駒高地区(但し現在は工事中)
交通機関
西武池袋線 小手指~高麗 240円 東吾野~小手指 340円
日向尾根は本文中にもあるとおり入口がわかりにくくなっています。踏み跡は明瞭なので、下山路として使うのが無難でしょう。
阿寺地区から虎秀山・興徳寺へ向かう道は逆ルートに比べるとやや難しくなります。念のため地形図・コンパスをお持ちください。逆ルートの場合は藪が煩い所はありますが、入口も含めて踏み跡はわかりやすいかと思います。
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平成25年10月13日 虎秀山から愛宕山を経て飛脚道
平成29年1月29日 関ノ入尾根から黒尾根
10月以降の予定をぼんやりと眺めていたら、年末になるまで山に行く機会がほとんどないことに気付いた。時間のあるうちに出掛けておこうと月二度目の山歩きに行くことにした。前回はやや遠出をしたので、今回は近場の山をのんびり歩きたい。そこでまだ歩いたことが無い日和田山の日向尾根を登り、そこから高指山やスカリ山、越上山などを経て虎秀山近くにある興徳寺へ下りる計画を立てた。エスケープルートも沢山あるので、疲れたら適当な所でカットしてもいいと考え、気楽な気持ちで出かけることにした。
朝普段よりやや遅い時間に起きると空は曇っている。もう少しすっきりとした晴れになるかと思っていたので、少々残念だ。9月も終わりとなり、流石に朝晩は冷え込んできたのだが、ザックを背負うと早速汗ばんでくる。山の中ではもっと涼しくなるといいのだが。高麗駅を降り、まずは鹿台橋を目指す。歩き慣れた巾着田への道を進む。彼岸花関連のイベントで賑わう巾着田周辺ではあるが、9月の最終日ともなると流石に咲いている彼岸花は無い。鹿台橋を渡ったすぐ先の舗装路に入る。高麗川の左岸沿いの日当たりの良い集落が日向地区だ。登山詳細図を見ると日向尾根の入口はこの地区の比較的奥まった所にある。高級そうな大きな民家の前を過ぎていくと金属製の立派な道標が見えてきた。駒高経由と書かれた方面には舗装路が延びている。はて?こんな舗装路を登るルートだっただろうか?地形図を見ると日向尾根の先にある舗装路の入口まで来てしまったようだ。念のためもう少し高麗川沿いに歩いていくと川が急角度で蛇行していたので、行き過ぎていることが明らかになった。
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(巾着田への道から日和田山を望む 彼岸花は既に終わっていた)
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(日向地区と高麗川)
登山詳細図を開いてみると分岐に消火栓があるという。戻ってみると確かに消火栓と書かれた看板の近くから舗装路が分岐している。ところが舗装路を上がってみると民家しかない。どうなっているのだろう?改めて登山詳細図を見るとどうやら民家脇に入口があるようだ。上がって左手に見える一軒目の民家を過ぎると藪で隠された踏み跡が延びている。おそらくこの道で問題はないだろう。問題があるとすれば隣家の人が出てきてこちらをジロジロと見ていることか。虎秀山ほどではないが、ちょっとした緊張を強いられる入口ではある。林の中に入ると土留めの木段が設けられた明瞭な道が延びていてほっとする。
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(消火栓 日向尾根へはここを左に入る)
日向尾根は地形図を見ても明らかなように緩い登り坂が続く。途中2,3か所分岐があるが、上へ上へと目指していけば奥武蔵自然歩道へは出られる。下草が煩くなる所もなく、整備状況は良好だが、歩く人が少ないせいか蜘蛛の巣が多い。それほどきつくない道のはずなのだが、奥武蔵自然歩道へ出た頃には汗でびっしょりとなっていた。入口のわかりにくさも考えるとあまりお薦めできるルートではないのかもしれない。
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(日向尾根の様子 概ね緩やかな道が続く)
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(奥武蔵自然歩道に合流 高指山へは奥に進む)
清流地区への分岐を過ぎると舗装路に出る。見上げると電波塔の立つ高指山はすぐそこだ。藪に覆われようとしている舗装路を上がると電波塔の施設の手前まで行くことができる。山頂は施設に占拠されているので、ここが事実上の高指山(たかさしやま 332くらい)頂上といえる。施設手前からは林越しに展望が得られる。手前の頂上部がポコっと盛り上がった山が天覚山なのは唯一わかるが、その奥の奥多摩方面の山々はどの辺りなのか全くわからない。
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(高指山)
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(高指山からの眺め)
高指山から物見山まで少しの間舗装路を歩く。この辺りは駒高という集落が作られていて、南側に開けた土地を持つ民家が多い。当然見晴らしも良い。工事中のトイレのすぐ先にある茶屋の辺りは大岳山と御前山を望む展望台と言ってもよいくらいだ。右手に芝草の広場が見えてくれば物見山の入口に着く。ここからは再び暗い杉・檜の林の中を行く。この道は明治大正期の地形図にも描かれた古道であり、昔から多くの往来があったことが窺える。表土は完全に流れ落ち、むき出しになった岩場は滑りやすくて難儀する。近年つくられている登山道は水抜きの溝を設けて洗堀が起きないような工夫がされているのだが、昔の道は洗堀が起きても硬い岩盤が露出して水抜きの溝を必要としない所につくっていたのかもしれない。頂上手前で道が分かれているので、久しぶりに物見山(375.3)頂上に上がる。南側が一部伐採されているものの、樹木が成長してその名とは裏腹に展望はない。先行者が憩っているにもかかわらずベンチは空いていたが、長居する必要もないので先へ進むことにした。
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(駒高地区の眺め)
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(大岳山と御前山が見える)
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(永田台?の分譲地)
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(物見山頂上)
西へ下るとすぐにヤセオネ峠に下り立つ。ここから宿谷の滝方面へ下る道が昔からあったことも以前記したとおりだ。歩きやすい古道を進み、イボ石ノ峠、無人販売所と過ぎると道は右に折れる。そのすぐ先に小ピークらしきものがあり、道はその小ピークを巻いて延びている。以前関ノ入尾根から黒尾根を歩いた際、ここからもう少し北にある406のピークを小瀬名富士として記していた。その際にも何故この平たいピークが富士なのだろうという疑問を持ったのだが、記事をアップした後で改めて登山詳細図を見てみると406のピークよりも南にある地形図には表れないピークが小瀬名富士だと判明した。おそらく今目の前にあるピークが小瀬名富士だろう。薄い踏み跡を上がっていくと、なるほど富士と思えるような急な傾斜だ。それでも大して苦労もせずに頂上へ上がると立木に小瀬名富士(こぜなふじ 390)を示す山頂標識が括り付けられていた。
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(ヤセオネ峠)
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(イボ石ノ峠)
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(小瀬名富士)
小瀬名富士へ立ち寄ったついでに勘違いした東ムカイ山にも寄って行く。巻き道へ下りずに忠実に尾根を辿ると東ムカイ山(406)頂上に着く。前回来たときは山頂を示すものは何もなかったのだが、今回は立木に東ムカイ山であることを記した赤テープが巻き付けてあった。それにしても何故ここを小瀬名富士と勘違いしてしまったのだろう。思い当たるのは東ムカイ山が存在として大きいということが挙げられる。また小瀬名富士が地形図に表れない小ピークであることも勘違いした理由に挙げられるだろう。思い込みとは恐ろしいものだ。まだ山名だけならさほど影響はないほうだが、これが道の同定や尾根・谷の位置の間違いだったら遭難を引き起こしていたかもしれない。
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(東ムカイ山 今回は赤テープが巻き付けられていた)
東ムカイ山を下り、舗装路を横切って小ピークを越えれば北向地蔵(土山峠)に着く。うーむ、一年で三度も訪れることになるとは思ってもみなかった。ハイカーが多く行き交い、人気のルートであることを窺わせる。確かに歩きやすい道であることは間違いない。地蔵堂の下にはシュウカイドウ(秋海棠)がピンク色の花を沢山付けていた。奥武蔵だとときがわ町の椚平地区が有名であるが、今年は随分鹿の食害に遭ってしまったという。
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(北向地蔵への途中にある切通し 結構高い)
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(北向地蔵)
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(シュウカイドウ)
北向地蔵から十二曲峠まではやや大きなアップダウンのある尾根となる。明治大正期の地図にはこの間に道形は描かれておらず、みちさと峠とエビガ坂の道のみが描かれているだけである。そんなこともあり、無理に尾根道を行かず、観音ヶ岳の手前までグリーンラインを進む。観音ヶ岳の入口には毛呂山町が設置したと思われる道標が立ち、スカリ山と桂木観音を示している。スカリ山については全く異存ないが、桂木観音については流石に遠すぎやしないだろうか。元々スカリ山はバリエーションルート扱いされていて、グリーンラインを行くのが本線であったはず。桂木観音へ向かうならスカリ山はカットしても問題ないのだから、道標にはスカリ山だけを記したほうが良かったのではないだろうか。観音ヶ岳への道はやや踏み跡が薄いが、最初にスカリ山を訪れた7,8年前の頃に比べるとだいぶ明瞭になった印象だ。やや急な斜面を登りきると観音ヶ岳の山頂に出る。松の疎林に覆われた山頂からは、スカリ山には劣るもののなかなかの眺めが得られる。まあるい午頭山の向こうには遠く赤城山まで望むことができる。
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(観音ヶ岳・スカリ山への入口)
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(観音ヶ岳から 右の鋭鋒は武甲山)
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(右は午頭山 左は大高取山だろう 奥には薄らと赤城山が見えるのだが…)
観音ヶ岳とスカリ山を結ぶ道はそれぞれの山を巻いていくので、山頂への踏み跡を見逃さないようにする必要がある。とはいえ普通に歩いていればたいていなら気付くほどの明瞭な踏み跡ではある。少し登ると大展望が広がるスカリ山(434.9)頂上だ。観音ヶ岳よりもやや広く、丸太のベンチもあるので休憩に良い。展望に関しては大高山から子ノ権現、伊豆ヶ岳、武甲山、越上山、蟹穴山、午頭山、石尊山、飯森山などが呼称の内にあり、遠くは群馬の赤城山や日光の山なども薄らと見えている。休憩を取っていると入れ代わり立ち代わり登山者がやって来る。ここもすっかり一般ルートとなったようだ。
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(スカリ山頂上)
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(スカリ山からのパノラマ)
スカリ山から西へ肩のような部分までは比較的歩きやすい。岩が露出していることが多く、ここだけが削り残されているのも納得できる。肩の部分から先は急斜面となっているが、巻き道が作られていて幾分かは歩きやすくなっている。ただスカリ山に登るためだけなら観音ヶ岳からのほうが楽だろう。下りてきた鞍部がみちさと峠だ。鎌北方面へ明瞭な峠道が下っている。古い地形図を見るとみちさと峠とエビガ坂が一体のものとして描かれていることが多く、エビガ坂と併せた峠道という扱いだったのかもしれない。
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(観音ヶ岳・スカリ山は岩が露出した所が多い)
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(みちさと峠)
湯ヶ天山という小ピークを巻くとすぐにエビガ(海老ヶ)坂に着く。ここからユガテへと下る道はシダの葉に一面覆われた斜面を下るもので、杉ばかりで見所の少ない中ではなかなか印象深い景色である。エビガ坂から再びグリーンラインへ下りるまでしばらくは尾根道を行かなくてはならない。しかし道は尾根の真上を行くというよりは北側から小ピークを巻いていくことが多く、この辺りも昔から歩かれていたのではないかという感じもする。尾根の真上に上がると新旧二つの道標があり、古いほうの道標にはこの先が茶嶽山であることを示していた。山頂の真ん中に檜が植えられた茶嶽山(450)は何の変哲もないピークではあるが、思ったよりも広くここで休憩を取っていくのも悪くない。
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(エビガ坂)
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(ユガテへの道)
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(茶嶽山へ道 北側に巻き道が付いている)
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(茶嶽山)
細いが歩きやすい踏み跡を下るとグリーンラインに下りてくる。すると道の向かいに間野地区へと下る道が分岐しており、道標も立っている。地理院地図にも相変わらず載らない道ではあるが、踏み跡は明瞭だ。山歩きを始めた頃に見かけてからいつかは歩いてみたいと思っているのだが、間野地区へ下ってしまうと長い舗装路歩きを強いられるのでなかなか実行に移せないでいる。グリーンラインを少し進むと鎌北方面の道と尾根道が延びる分岐がある。この辺りから鎌北へ下りる道も使ったことが無い。鎌北は公共交通機関が使い物にならないので、足を延ばしづらいのだ。今回は虎秀山まで行く予定なので、蟹穴山・大沢山はカットし、越上山への縦走路まではグリーンラインを歩くことにする。
十二曲(峠)を過ぎ、やがて笹郷林道が下る分岐へとやって来る。丸山の県民の森を示す看板にはここが一本杉峠であると記されている。一本杉峠は本来カイ立場方面へ下るジャンクションピークを指す名であったはずだが、現在は林道の分岐点に名を譲ったようだ。道の機能を考えればそれが正しいのかもしれない。(新)一本杉峠からは尾根道を行く。この道は鎌北から十二曲峠を通って阿寺地区を結ぶ街道として明治大正期の地形図にも描かれている古道だ。以前にも記した通り小ピークはことごとく巻いていくので歩きやすい。
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(十二曲峠 道標には十二曲と墨書きされていた)
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(グリーンラインに立つ一本杉峠の道標)
巻き道が尾根を横切るように乗り上げると越上山の入口に着く。山頂へは最初緩やかな尾根を進み、その後は直下の岩場に差し掛かるまでやや急な斜面をジグザグに登っていく。ここが曲者で、天目指峠から子ノ権現を目指すときと同じように登山者が適当に歩きやすい所を上がっていくので、だいぶ踏み跡が広がってしまっている。思い切ってロープなどで仕切ってしまうのも一つの手だと思うのだが。岩場を越えると古ぼけた山頂標識が立つ越上山(566.3)頂上だ。檜に囲まれた山頂は展望がなく、三角点の標石が埋設されているだけだ。訪れる人がいてもすぐに立ち去ってしまうのかベンチなどの気の利いたものはない。
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(越上山入口 右手が越上山方面 正面に進むと諏訪神社へ)
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(越上山直前の岩場 意外と高度感がある)
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(一本杉峠のピーク 変わった所に建物があるな)
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(越上山頂上)
往路を戻り、スカイツリーの展望地を過ぎれば諏訪神社の境内だ。今日は特に縁日などはなく、中高年の登山者男性グループがいるだけだ。諏訪神社の参道となっている舗装路を貫くショートカット道を下り、阿寺地区へと下りてくる。虎秀山から阿寺へと来たときはもっと楽に諏訪神社へ上がれる道があったはずだが、もう少し諏訪神社から顔振峠へ縦走路を進んだ辺りから下ればよかったのだろうか?よく覚えていない。阿寺地区の舗装路を暫し進むと見覚えのある道標がある井上地区への分岐に着く。一度歩いたことのある道ではあるが、虎秀山の入口の問題もあってあまり歩く人は多くない印象だ。少々不安は残る。
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(諏訪神社)
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(ショートカット道を行く)
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(林道からの眺め)
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(井上地区への入口)
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(道標の下にもシュウカイドウが咲いていた)
民家脇を行くと送電鉄塔と開けた農地の脇に出る。するとここで早速道に迷う。どうも踏み跡が所々怪しくなっているようだ。農地脇を進むと林道のように広くなり、間野・虎秀方面への分岐に差し掛かるまで整備された道が続く。間野・虎秀の分岐を過ぎるとまたも分岐だ。今度は道標が谷へ下るほうのみに設けられている。虎秀山へはずっと尾根伝いだった記憶があるのだが、こんな所通っただろうか?試しに谷側のルートを選ぶとフェンスに囲まれた伐採地に出る。伐採地の中にも道標があるので、正規ルートになってはいるようだ。幸いフェンスの網は下から潜れるので、伐採地を抜けると更に道はトラバースしながらどんどん下っていってしまう。明らかにおかしい。登山詳細図を見てみると今歩いている道は諏訪神社参道のようだ。すると先ほどの分岐は大ダナツチということか。
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(開けた農地 ちょっと道がわかりにくい)
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(間野・虎秀方面との分岐 正面は虎秀山へ向かう)
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(大ダナツチ 右は諏訪神社参道)
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(伐採地に立つ道標)
大ダナツチに戻り、今度こそ尾根道を行く。すると宝山(448)北の尾根が先ほどの伐採地のちょうど上を通っていて、広い展望が得られる。ざっと見ても大高山から子ノ権現、伊豆ヶ岳辺りが一望できる。心にゆとりがあるときであればもう少しゆっくりとしていったのだろうが、道を間違えたショックでじっくりと眺める余裕はなかった。
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(宝山近くの伐採地上からの眺め)
宝山を巻いていくと道は途端に藪っぽくなる。4年前に歩いたときもこの辺りは藪っぽかった記憶があるのだが、疲れと道を間違えたショックとでかなり鬱陶しく感じる。もう周りを見回す余裕もなく、ただひたすら尾根と踏み跡を外さないよう注意しながら下っていく。灌木・幼木の藪を抜けると変化のない単調な尾根が続く。あまりの単調さに苛々してくる頃、送電線(奥秩父線)の黄色いポストが現れる。地形図を見るとこの辺りで送電鉄塔が立つのは虎秀山周辺しかない。ゴールが近いことがわかり、ようやく人心地着いた。
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(藪やら倒木やら荒れた道が続く)
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(これが見えてくれば虎秀山は近い)
黄色いポストを追っていくと西に明瞭な道が下る分岐に出る。下山路として使う興徳寺分岐だ。まずはこの先の虎秀山へ向かう。送電鉄塔下の藪を抜けて急斜面を登りきると虎秀山(320.4)山頂だ。樹木に覆われた小さな山頂には不釣合いと思えるほどの多くの山名プレートなどが木に括り付けられていて、意外と訪れる人は多いらしい。
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(興徳寺分岐)
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(送電鉄塔下 そのすぐ奥が虎秀山)
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(送電鉄塔下から大高山)
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(虎秀山頂上 絵馬を括り付けているのは意味がわからない)
分岐に戻り、興徳寺へ下ることにする。踏み跡が明瞭だったので簡単だと思い込んでいたのだが、西へ延びる尾根の鞍部に下りた所で踏み跡は消えてしまう。つい西の尾根に引き込まれそうになるが、鞍部から南へ下る谷を行くのが正解だろう。踏み跡の消えた谷を下ると下草の藪が覆っている。よく見ると藪の中に踏み跡があり、これを辿れば間違えなく下れそうだ。傾斜が緩んでくると舗装路に出る。ここまで来ればもう安心だ。舗装路を下りていくと国道299号に出る。すぐ右手にある立派なお寺が興徳寺だ。ちょうどお墓参りに訪れている人達がいたので、物見遊山は止めにしておいた。興徳寺の向かいには「たいら栗園」なる施設があり、食事などができるようだ。この辺りはあまり歩かないからこのような施設があるとは全く知らなかった。15分ほど歩けば東吾野駅に着くが、途中にも”kinoca”というカフェが出来ていた。これまで奥武蔵は山歩きには便利な所だけれど、下山してから立ち寄れる所は少なかった。こうした施設ができることはありがたいことであるし、また長く続いてほしいものである。
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(興徳寺へ向かって 藪っぽい沢道を下る)
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(興徳寺)
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(高麗川)
DATA:
高麗駅7:35→8:03日向尾根登山口→8:43高指山→8:53駒高地区の公衆トイレ→9:08物見山→9:10ヤセオネ峠→9:21小瀬名富士→9:25東ムカイ山→9:36北向地蔵→9:56観音ヶ岳→10:01スカリ山→10:17みちさと峠→10:20エビガ坂→10:32茶嶽山→10:40十二曲→10:53一本杉峠(グリーンライン)→11:09越上山入口→11:17越上山→11:35諏訪神社→11:54井上地区入口(昔阿寺地区と井上地区を結ぶ生活道路)→12:06大ダナツチ→13:00虎秀山→13:18興徳寺→13:33東吾野駅
地形図 飯能 越生
トイレ 駒高地区(但し現在は工事中)
交通機関
西武池袋線 小手指~高麗 240円 東吾野~小手指 340円
日向尾根は本文中にもあるとおり入口がわかりにくくなっています。踏み跡は明瞭なので、下山路として使うのが無難でしょう。
阿寺地区から虎秀山・興徳寺へ向かう道は逆ルートに比べるとやや難しくなります。念のため地形図・コンパスをお持ちください。逆ルートの場合は藪が煩い所はありますが、入口も含めて踏み跡はわかりやすいかと思います。
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