野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

武蔵野の記憶 中氷川神社から狭山ヶ丘駅

2021年10月12日 | 武蔵野の記憶
(トトロの森3号地脇から西武ドーム)

9月に入り、新型コロナウイルスのワクチン接種の効果が表れてきたのか、感染者数が目に見えて減ってきた。ボク自身も一回目のワクチン接種が済み、そろそろ山歩きに行こうと準備をしていたのだが、ワクチン接種で油断したのか寝冷えでどうにもお腹の調子が悪い。それでも少しは歩いておかないと筋力も衰えてしまうので、8月に歩いて消化不良で終わっていた雑魚入樹林地を再び訪れてみることにした。ただ8月と同じようにアルペンロードを歩くのは面倒なので、下山口駅から西に延びる県道55号線を使って直接雑魚入樹林地まで行くこととし、途中にある中氷川神社と旧鎌倉街道の名残なども見ていくこととしたい。また帰路は北野地区から狭山ヶ丘駅へと延びる旧鎌倉街道小手指道を使うことにした。

いつものように小手指駅で西武池袋線に乗り、西所沢駅で西武狭山線に乗り換える。狭山線がいつもより混んでいるなと思ったのだが、今日は埼玉西武ライオンズの試合がある日だった。そのためか下山口駅で降りる人はほとんどいない。この下山口駅は所沢市中心街(入間川道を歩いた際に通った元町などを通る)から東京都多摩地区へと抜ける県道55号線のすぐ南に位置し、昔から集落が発展していた所にある。現在は駅の北側に広がる丘陵地帯に造られた椿峰ニュータウンからの利用者も多いという。県道に出ると交通量が多く、商店や住宅が所狭しと立ち並んでいる。ボクの住む北部地域とはえらい違いだ。県道55号線は狭山湖・多摩湖という観光地へ向かう道としてだけでなく、多摩地区への抜け道としての利用も多い。

一帯を治めていた山口氏の居城があったと言われる山口城址前交差点を渡り、その次の北に延びる道路を入る。この道は山口小学校へ通ずるもので、稲荷神社を過ぎると大きく登っていく。元々この辺りは狭山丘陵の一部で雑木林や桑畑が広がっていたという。地理院地図だとわかりにくいが、古い地形図を見ると大きく2つの尾根に分かれていたようだ。今はその2つの尾根のうちの南側を登っていこうとしている。学校の校庭下の坂道を上がり、城上公園という緑道の前に出る。一旦小学校沿いに進み、雑木林を抜ける舗装路を進むと緑道の反対側に出る。道なりに行くと細い坂道が下っている。これが旧鎌倉街道小手指道の一部とされているものだ。小手指道はこれまで通った堀兼道入間川道と異なり、開発によって所沢市内では現存している部分は少なくなっている。短いが貴重な道といえよう。

(稲荷神社)


(山口小学校の校庭下を歩く)


(小さな雑木林 右手を抜けると山口小学校がある)


(城上公園)




(旧鎌倉街道)


(振り返るとこんな感じ)


(中氷川神社から狭山湖まで 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

小道の西は古くからある御宅の敷地となっているらしく、小道が広い道となった後も続いている。突き当りまで下りてくると広い御宅の敷地を挟むように細い道路が上っている。この道も古い道の一部のようにも感じるがどうだろうか。一応この道も上がり、突き当たった所で県道方面へと下る。「道・鎌倉街道上道(埼玉編)」によるとこの道も旧鎌倉街道の一部ではないかと考えられているようだ。急な坂道を下っていくと途中に中氷川神社がある。独自のHPもある大きな神社で、境内には古くからの雑木林も残っている。石段を上がると奥に本殿がある大きな拝殿が立っている。立派な神社であることは間違いない。お参りを済ませ、今度は県道側にある入口方面へ下る。こちらは石段が続き、雰囲気は良い。

(舗装路に合流)


(旧鎌倉街道を振り返る 左にあるのが件の御宅)


(件の御宅の西側を上がる こちらも古い道の雰囲気はある)


(県道へ向かって下る この道も旧鎌倉街道として使われていたと考えられている)


(中氷川神社)


(拝殿前の石段 拝殿の奥には本殿もある造り)


(金比羅神社 こちらも大きな建物)


(石段を下る こちら側が表参道なのだろう)


(県道を見下ろす)

県道を再び西へ進むと正面に狭山湖の緑の壁が見えてくる。狭山湖は盛土で造られたアースフィルダムで遠目でも草原が広がり、なかなか美しい。高橋交差点で西武球場・東京都多摩地区への道を分けると交通量もいくらか少なくなる。ただ今日は休日ということもあり、狭山湖へ向かうクルマは多い。前回と同じ所から入り、雑魚入樹林地へ向かう。8月に訪れた時よりも観光客が多く、人気スポットなのだなと感心する。雑魚入樹林地はアプローチ道路の主に西側が歩かれているが、上山口中学校のある東側にはトトロの森3号地である雑木林がある。東側の雑木林沿いにある歩道に上がり、振り返ると住宅街の向こうに銀色の屋根を輝かせる西武ドームが見える。今の狭山丘陵を象徴する光景だ。

(奥の緑の壁が狭山湖の堤体)


(雑魚入樹林地へ向かうアプローチ道路 なお右側の雑木林はトトロの森3号地)


(トトロの森3号地脇から西武ドームを望む)

アプローチ道路を北に進み、雑魚入樹林地の入口に着く。前回はここから西の道を進んだが、今回は北の谷沿いに付けられた道に入る。幸いなことに観光客は皆西の道に入ったため、静かな道を独り占めだ。谷には細い沢が道沿いに流れており、草の生い茂る湿地帯となっている。途中2ヶ所分岐があるが、今回は道なりに進む。所々アップダウンがあり、道が沢側に傾いているので、降雨後は滑落に注意したほうが良いだろう。沢を高巻くように道が上っていくと緩やかな沢の詰めに差し掛かる。地理院地図に描かれた実線はほぼ正確に描かれていると言っていいだろう。寄贈緑地の標柱より先は急な上り坂で、ここを上りきると尾根道に交差する。左に進むと更に分岐があり、一旦右に入ると小手指グリーンゴルフというゴルフ練習場の裏手に出る。フェンスで仕切られた道が左右に延びているが、先ほどの分岐まで戻る。

(雑魚入樹林地入口)


(案内図 西の道を進み、南の木段を上るとトトロの森1号地へも行ける)


(北の谷に付けられた道は沢沿いを行く)


(北の谷は湿地帯となっている)


(途中分岐もある)


(うーん良い道)


(段々傾斜が急になってきた)


(寄贈緑地の標柱が立つ この先を上ると尾根に出る)


(尾根道 道なりに進むと分岐に出る)


(小手指グリーンゴルフの裏手に出る)

今度は道なりに進み、緩やかに尾根を下っていく。少し上り返すと先ほど見かけたフェンスに仕切られた道に出る。地理院地図に実線で描かれた東西に延びる尾根道はおそらくこのフェンスで仕切られた道なのだろう。フェンス沿いの道は広く傾斜も緩やかで歩きやすい。山歩きしている人にはフェンスがうざったいかもしれないが、終始雑木林の中なので雰囲気は悪くない。途中いくつか分岐があり、この道以外のルートもあるようだ。右手に茶畑が見えてきたら左に分岐する小道に入る。雑木林の斜面を切り開いた畑の脇を進むと舗装路に合流する。これは堀口天満天神社と西部浄水場とを結ぶ道だ。神社へと下りてくるとここも数グループの観光客が屯していた。

(戻って尾根道を下る)


(フェンスで仕切られた道 道なりに進むとゴルフ練習場へ出るようだ)


(地理院地図に実線で描かれているだけあって歩きやすい)


(道から雑木林を眺めてみる)


(こんな具合に分岐となりそうな道もある)


(茶畑に差し掛かる なお道なりに進み、茶畑に沿って進むと西部浄水場方面へ出られる)


(茶畑の向かいにある道を下ると堀口天満天神社脇の道路に出る)


(細い道だがバイクなどが通ることはあるようだ)


(堀口天満天神社)


(神社前の茶畑 結構荒れた感じはある)

神社前に広がる茶畑沿いに下ると住宅街に突き当たる。西に延びる生活道路を進むと草原に覆われたダムの堤体が見えてくる。そのまま狭山湖へと上がりたいところだが、ダムの前にある道路の交通量が多い。この道は県道55号線から北野地区を抜けて国道463号線(所沢入間バイパス)に接続しており、抜け道として利用するクルマが多い。信号機の無い横断歩道は止まらないクルマが多く、また坂で見通しも悪いので慎重に渡る。堤体にはトラバースする形で道が付けられており、南端・北端へそれぞれ出られるようになっている。どうせなら南端まで行ってみよう。草原の中を緩やかに上がる道は天に向かっていくようで気持ちが良い。秋ということもあり、大きなバッタがあちこち跳ね回っている。

(狭山湖下の住宅街から堤体を眺める)


(こんな具合に道がトラバースする形で付けられている)


(遮るものの無い空が良い)


(バッタ 数は多いが写真に撮るのは難しい)

南端の天端に出ると360度の展望が広がる。狭山湖(山口貯水池)は緩やかな谷を埋めるように盛土したため、湖側の眺めもなかなか良い。天気が良ければ奥多摩・奥武蔵の山並みが見えるそうだが、今日は生憎の曇天だ。もちろん堤体側は山口地区の住宅街と狭山丘陵の雑木林が見渡せる。ほぼ真東を向いているということもあり、雑木林の向こうに所沢駅周辺のタワーマンション群が見えるのが印象的だ。天端を歩き切り、遊歩道を進むと北野地区へと向かう湖岸道路に新しい橋が架けてある。橋を渡り、ホテルを過ぎると8月にも訪れた西部浄水場が見えてくる。ここからは8月のときと同じく北野総合運動場の南側を歩いていく。泉橋を渡ると道が分岐する。

(ダムの天端には立派な遊歩道が延びる)


(東側の眺め)


(西側の眺め)


(新しい歩道橋ができて浄水場への道に入りやすくなった)


(西部浄水場)


(泉橋 この辺りは旧鎌倉街道小手指道と考えられている)

道なりに進んでいくと分岐に出る。8月のときは右の道を進んで小手指駅へと向かったが、今日は左の道に入る。そしてここから狭山ヶ丘駅まで続く道が旧鎌倉街道であるとされている。道の左側には桑畑があるが、手入れはされておらず、蔓性の草が絡み放題となっている。桑畑を過ぎると右手は住宅街、左手は農地が続く。現在も幹線道路として利用されている入間川道や堀兼道と比べると交通量は少なく街道という雰囲気は無い。ただのんびり歩くのには悪くない道だ。あかねの里という保育園が見えてくるとその向かいに小手指ヶ原古戦場の碑と白旗塚がある。この辺りは当ブログで紹介する以外にも何度か散策しているのだが、白旗塚に寄るのは久しぶりだ。白旗塚自体は単なる築山に過ぎないが、周辺に整備された雑木林と農地が広がり、整然とした美しさがある。

(泉橋を渡るとすぐに分岐がある 左の道が旧鎌倉街道)


(小手指ヶ原古戦場の碑)


(雑木林の中に白旗塚がある)




(白旗塚周辺はよく整備されている)




(白旗塚)


(旧鎌倉街道小手指道 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

埋蔵文化財調査センターを過ぎ、国道463号線(所沢入間バイパス)が交差する誓詞橋交差点に出る。誓詞橋は砂川に架かる小さな橋で、国道脇にプレートもあるが、気にかける人はいない。狭山ヶ丘駅へ向かう道はそれなりに広い道路で、行政道路(こちらも国道463号線)や武蔵藤沢駅への抜け道としての利用も多い。ボーイスカウトの建物を過ぎると左に細い道が分岐する。この道は地理院地図を見ると所沢入間バイパスと平行して延びているが、明治期の地図では入間市藤沢地区までの道として描かれており、古いものであることがわかる。

(お茶の花)


(交通量は多くない)


(誓詞橋交差点)


(誓詞橋であることがわかるのはこれだけ)


(狭山ヶ丘駅への道に入る この道も旧鎌倉街道)


(左に分岐する道も明治期の地図に載る古い道)

郵便局、工場、ディスカウントストア(オリンピックという店)を過ぎると駅へ向かう道路らしく飲食店の多い通りとなる。道の両側にビルが立ち始めると丁字路に出る。旧鎌倉街道はこの丁字路から狭山ヶ丘駅南口ロータリー前の道路を進み、入間市の丸広百貨店辺りまで延びている。明治期の地図ではここは丁字路ではなく真っ直ぐ延びるように描かれているが、後の地図を見ると西武鉄道の前身である武蔵野鉄道がかつての元狭山駅(後に三ケ島村→狭山ヶ丘と改称)を造った頃には既に丁字路となっていたようだ。駅前は商店と住宅が混在する細い道が通っており、大きなビルが立つ新所沢駅や小手指駅と比べると小ぢんまりとしている。しかしこういう駅前がゴミゴミとした駅のほうが昔から栄えていて歴史は古いのだ。狭山ヶ丘駅からは電車に乗ってもよかったのだが、自転車を置いている小手指駅までは2kmほど。結局歩いて帰路に着いた。

(狭山ヶ丘駅)

DATA:
下山口駅~13:21中氷川神社~13:40雑魚入樹林地入口~14:04堀口天満天神社~14:21狭山湖(天端の南端)14:35~14:43西部浄水場~14:56泉橋~15:06白旗塚~15:12誓詞橋~15:31狭山ヶ丘駅

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