野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

武蔵野の記憶 鎌倉街道上道の堀兼道を歩く

2021年09月08日 | 武蔵野の記憶
(鎌倉街道堀兼道を歩く 狭山市尾花台付近)

今年5月に歩いた時の記録です。見どころに欠けると感じたため記事化を見送っていましたが、先日歩いた狭山丘陵の様子とセットとするには内容が濃かったため、独立した記事としたものです。


関東には鎌倉に幕府が置かれていた時代、地方を結ぶ交通路として鎌倉街道と呼ばれる道が延びていた。ボクの住んでいる所沢市には鎌倉街道の上(つ)道が通っていて、小手指道と入間川道、そして入間川道の支道である堀兼道(すべて仮称)の三つがあったという。GWは山も混みあいそうだったので、所沢市を通る鎌倉街道のうち一番短い堀兼道を歩いてみることにした。所沢市のHP(https://www.city.tokorozawa.saitama.jp/iitokoro/enjoy/bunkakyoyo/bunkazai/kamakuraroad.html)及び「道・鎌倉街道上道(埼玉編)http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/index.html」というサイトによると堀兼道は群馬県太田市・栃木県足利市方面からやってきて、新所沢駅近くで入間川道に合流していたという。今回は道が明瞭でかつ一日で歩ける範囲ということで、新狭山駅から入間川道との合流地点まで歩く予定だ。先ずは最寄りの新所沢駅から西武新宿線に乗って新狭山駅までやってくる。40年近く所沢に住んでいるが、新狭山駅に降りたのはこれが初めてだ。橋上駅舎の改札口を出て、南口へ下りるとバスロータリーになっていて、驚いたことに立派なホテルがある。近くに川越狭山工業団地があり、地方からの利用者が多いのかもしれない。

(新狭山駅前)

駅前から真っ直ぐ道が延びていてこれを進んでもよいのだが、ホテルの前の道を左に行くとクネクネと曲がった道が分岐し、よりかつての街道っぽい雰囲気がありそうだ。如何にも裏道といったところに入っていくと低層の住宅街が広がる。特段街道っぽさを感じさせるものはないが、交通量が少ないのでのんびり歩くには良い。

(裏道っぽい低層住宅街を行く)

川越と狭山とを結ぶ広い道路を渡り、「しまむら」の脇を抜けると農地もある静かな住宅街が続く。街道というと賑やかな所を行くものと思いがちだが、川越狭山工業団地と新狭山駅ができるまではこの辺りは桑畑などが広がる鄙びた農地だったらしい。とはいっても古い地形図を見ると街道周辺は住宅密集地が点在しているので、集落を結ぶ重要な道だったことは間違いない。

(この先で川越と狭山を結ぶ道路を渡る)


(しまむらを過ぎると静かな住宅街に入る 右手には植木屋がある)

右手に神社の鎮守の森が見える辺りで尾根を越える。堀兼道を歩き通して感じたのは狭山市内では意外とアップダウンが多いということだ。尾根を越えた先は丁字路になっていて、左に入るのが堀兼道だ。今いる辺りは久保川の上流がつくった河岸段丘の段丘面に当たり、久保川へ向かってやや大きく下っていく。久保川のつくる広い谷は農地となっていて、その先の段丘面に当たる尾根は武蔵野の雑木林に覆われている。1970年代の地形図を見るとこの辺りは桑畑となっていたようだが、防風林の役割も果たす雑木林は昔のままなのではないだろうか。

(右手に鎮守の森がある この辺り思ったよりアップダウンが大きい)


(ここを左に入る 丁字路の奥は崖地になっており、久保川を見下ろす形になる)


(久保川付近から雑木林を見上げる)


(久保川 狭山市も茶産業が盛ん)


(こんな具合に登っている)


(新狭山駅から久保川付近まで 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

川から登り返し雑木林までやって来ると馬頭観音の碑が立つ。街道として使われてきた証ともいえる。雑木林がある尾根を越えると一面に農地が広がる。先にはもう一つ雑木林があり、ここよりも更に高くなっているようだ。次の雑木林を過ぎると道は緩く下っていく。この雑木林から南東に広がる地区は現在旭野と呼ばれているが、古い地形図を見ると𡋽下(はけした)という地名が付けられている。ハケというとかつて入間川を歩いた際に訪れた谷田の泉周辺を思い出す。旭野の辺りはあれほどの大きな段差がある訳ではないが、南にかつて歩いた不老川があり、その河岸段丘面となっているようだ。

(雑木林の前にある馬頭観音の碑)


(雑木林を抜けると農地が広がる 写真に撮ってないが右手に見える団地群は壮観)




(この雑木林を過ぎると緩やかな下りが続く)

広い農地の先のやや大き目の雑木林を抜けると一転して住宅街が広がる。尾花台と呼ばれる地区で雑木林がある辺りはやや高くなっていて、不老川へ向かって道はまた下っていく。交通量の多い交差点を北東方面へ進むと川越につながっており、古い地形図を見るとこの道沿いに集落が発展していたことがわかる。𡋽下という地名が付けられていたくらいなので、比較的水が得やすい地域だったのかもしれない。交差点を渡ると再び農地が広がる。畑と雑木林がセットとなっているのが、所沢・狭山・入間などの丘陵地帯の特徴である。

(遠くに見える雑木林のある辺りが尾花台)


(ここを過ぎると大きく下っていく)


(尾花台の住宅街)


(権現橋へ向かって農地脇の道を行く)


(広い農地の向こうに雑木林が見える 武蔵野台地の特徴だ)


(尾花台・権現橋付近 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

緩やかに下って不老川にぶつかる所に権現橋が架かっている。橋の袂には石仏と鎌倉街道と書かれた標柱が立つ。権現橋より先も道は続いているが、10年ほど前に開通した県道狭山所沢線によって寸断されており、一旦遠回りする必要がある。この遠回りのため、尾花台から権現橋にかけては交通量が一番少ないように感じた。県道の信号機のある交差点から廃墟となった給食センターへ向かい、交差点から再び鎌倉街道に入る。富士見里・富士見台と名付けられた地区で、塀に囲まれた農家の建物が軒を連ねている。古い地形図にも大きな集落として描かれていて、新興住宅街とは違った雰囲気がある。集落の一番南には以前訪れたことのある堀兼神社がある。曇り空の5月とはいえ、日陰がほとんどない道を歩いてきたので、ここで一休みしていく。

(権現橋)


(権現橋の石仏群)


(鎌倉街道の標柱)


(富士見台・富士見里と呼ばれる地区 歴史がありそうな農家の建物が多い)


























(堀兼神社)


(権現橋から堀兼神社 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

堀兼神社を出て所沢方面へ向かうと再び農地と雑木林が広がる。農地の中を進むと右手に南狭山変電所が見えてくる。ここは雑木林に邪魔されない所なので、奥武蔵の山並みを望むこともできる。正面右手に雑木林が見えてくると道が二本並走する形になる。裏道ともいえる細いほうが旧道と思いがちなのだが、「道・鎌倉街道上道(埼玉編)」によるとこの部分は「おはやし」と呼ばれ、どちらが古い道というわけではなく、昔から二筋の道になっていたものと考えられているという。まずは交通量の多い本道を進み、途中雑木林から裏道へと入る。裏道も一部だけが砂利道で大半は舗装されている。雑木林脇に小高い荒れ地があり、「八軒家大井戸跡」と書かれた標柱が立っている。どう見てもただの荒れ地にしか見えず、標柱を立てるのなら遺構の整備もしたほうがよいのではないだろうか。

(南狭山変電所)


(二本並走する道の本道に当たるほう 交通量が多い)


(駐車場の奥の雑木林から裏道に出られる)


(八軒家大井戸跡)


(南狭山変電所付近 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

裏道は南狭山変電所東からしばらく続くのだが、この部分だけが所沢市の区域内となっている。合併前の旧富岡村時代からこの形となっており、本道と裏道とでは違う役割を担っていたのであろうか。現在裏道の西側は住宅地や農地、雑木林となっており、交通量の多い本道とは違うのんびりとした時間が流れている。保育園にぶつかる所で道は二手に分かれる。裏道から来ると右手の真っ直ぐの道が街道と勘違いするが、街道はここを左に曲がり、更に突き当りの老人ホームを右に曲がるクランクとなっている。人口の多い所沢市にしては農地が広がる地域で500mくらい進むと住宅街へと入る。しかしここで住宅街に入ってしまうのはちょっとつまらない。そこで鎌倉街道から一本西へ入った通りを歩くことにする。

(裏道は基本的に舗装路になっている)


(所々クルマが通る道が横切る 意外と交通量が多いので注意)


(途中にある西武フラワーヒルのショッピングセンター)


(裏道の右側(西)は農地・住宅街・雑木林がある)


(雑木林の向こうに見えるのは本道 道路と道路の間には家が一軒建てられる位の幅がある)


(裏道は西へ雑木林内を散策できる道が延びる)


(雑木林を抜けると農地に出る 所沢・狭山はこういった仕組みが多い)


(里山保全地域の看板)


(雑木林の散策路)




(農地が見えてくると並走する道も終わりが見えてくる)




(相変わらず並走する道の間は結構な広さがある)


(この先で並走区間も終わる)


(ここを左に曲がるのが鎌倉街道 なお正面の道も古い地形図に描かれている道である)


(この辺りは茶園が多く、ここを過ぎれば住宅街に入る)

お茶屋さんの脇から西へ延びる道に入り、茶畑の脇を南下する。茶畑の先には小さめの雑木林があり、茶園が管理している。雑木林を抜けると農地があり、その先には花園地区の住宅街を見渡すことができる。真っ直ぐ進み、Y字路を更に茶畑沿いに進んでいくとヨークフーズの建物が見えてくる。あのヨークフーズの向こう側を通っているのが鎌倉街道だ。ヨークフーズを回り込むと川越所沢線が横切る交差点に出る。ボクが子供の頃はこの交差点に信号機があり、新所沢駅から延びる道とクランク状につながっていたのだが、現在は一つ西寄りの交差点に信号機が移り、直接先へ行くことはできなくなってしまった。



(鎌倉街道から離れて茶畑の中の道を行く)


(雰囲気の良い雑木林 茶園の敷地となっていて、雑木林の中にいくつかの建物がある)


(雑木林を抜けると茶園の畑に出る 左奥に花園地区の住宅街が見える)


(茶園の畑 左に見える桜が春は綺麗)


(Y字路までやってきた 来し方を振り返る)


(茶園付近 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)


(再び茶畑脇を行く 右奥にヨークフーズの建物が見える)


(ヨークフーズの建物奥に鎌倉街道が通る)


(鎌倉街道に戻ってきた 左手の建物はゲオ この先に道が続いているが渡れない)

信号機のある交差点で川越所沢線を渡り、かつて和菓子屋があった建物の脇から鎌倉街道に入る。建物の裏手は駐車場になっているのだが、少し小高く、道は切通し状になっている。住宅街の中にあっては貴重な街道の名残といえようか。小さな橋で砂川堀を渡ると道は新所沢駅方面へ下っていく。やがてバス通りとなっている広い通りに出るのだが、古い地図を見た限りでは新所沢駅ができるまでは西武新宿線を渡る真っ直ぐの道が続いていたらしい。一旦バス通りを進んで新所沢駅まで行き、線路沿いを進むとアンダーパスが見えてくる。

(切通しのある所 砂川堀が近くにあり、以前はもっと高低差があったのかもしれない)


(砂川堀を渡る)


(写真ではわかりにくいが、意外と大きく下っている)


(新所沢駅)


(駅近くのアンダーパス これで向こう側に渡る)

アンダーパスで線路を潜り、出た先にある「こどもと福祉の未来館」脇から斜めに延びる道が鎌倉街道だ。旧鎌倉街道と書かれた石柱もあるのでわかりやすいだろう。この辺りは泉町と呼ばれる地区で駅近ということもあり、低層の住宅が隙間なく立ち並んでいる。駅ができる前の1950年代までは桑畑と雑木林が広がる土地だったそうだが、今では想像もつかない。クルマ一台がやっと通れるほどの狭い道を行くとセブンイレブンが見えてくる。その先ナカ屋という酒屋の前で交通量の多い道に合流する所で堀兼道は終わる。農地と住宅街を通る道なので、やや面白味には欠けるが、人の多い地域を通る旧街道ならではの光景でもある。むしろ狭山市辺りの高低差の大きな道や二つの道が並走する辺りなど道のつくりに注目して歩くのが面白い道だと感じた。

(左にこどもと福祉の未来館がある)


(斜めに延びる道に入るとこの石柱がある)


(一方通行の細道)


(鎌倉街道の一つである入間川道に合流)


(切通しの遺構から入間川道の合流点まで 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

DATA:
新狭山駅12:31~12:50雑木林手前の馬頭観音の碑~13:11権現橋~13:26堀兼神社13:31~13:36南狭山変電所東(裏道(おはやし)入口)~13:46八軒家大井戸跡~13:53西武フラワーヒル~14:31ヨークフーズ所沢花園店(切通し近く)~14:39新所沢駅~14:52入間川道合流地点

最寄りは西武新宿線新狭山駅・新所沢駅をご利用ください。エスケープとして西武フラワーヒルのショッピングセンター前バス停から新所沢駅行きのバス(西武バス)が出ています(毎時2~3本、日曜日は1~2本)。

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