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こぶちっ子の日々向上・楽しく

毎日の趣味や出来事

詩吟講座

2025-07-04 18:27:47 | 勉強

今日は午前9時30分~ 詩吟講座に出席しましたわ~

 

猛暑でもあり、金曜日の午前8時台の電車は満員でした。久々の満員電車で座れなかったわ さらには電車乗り換えの際、JRが遅延していたので定刻には会場到着できませんでした。

第一講座は「本能寺」頼山陽作のでしたが、少しだけ聞くことが出きました。

第二講座は「三夕の詩」これは3人の詩人が秋の夕暮れ時を歌ったのですが、私はこれを学びたかったのです。

講師は知ら調べをしてきていました。さすがだなあ~ 

30名程の出席者の前で講師を務めるのはそれなりに準備が必要なんです。

11時40分、講座は終了して、定番の焼きカレーを食べて、涼をもとめてビール飲んで3時過ぎに帰路へ。

 

猛暑で汗だくで帰宅となりました。

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サボテンの花

2025-06-29 13:48:21 | 勉強

今日は先日咲いたサボテンから1輪の黄色い花が咲きましたわ~

 

リボンをつけているみたいでキュートな雰囲気です。とげが痛そうでですが咲いてくれてありがとう

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民生委員地区懇談会

2025-06-24 14:07:55 | 勉強

今日はごぜん、民生委員地区懇談会を催しましたわ~

 

今日の欠席者は4名。議題もあまりないけど包括支援センターの職員が2名参加されました。

議題1で包括支援センターセンター長と新しい職員が挨拶にやってきました。

挨拶後、包括支援センターとの情報交換になり、ある問題が勃発でした。

ある施設の第三者委員としての男性が「私はその施設の運営会に毎回参加していますが、包括支援センターからはたった1度しか参加していませんよね。どうしてですか?」って何と皆さんの前で発言有り。

包括支援センターは市の委託会社です。会議の大切だか、緊急性の問題を抱えているのに・・・・。赤恥を書かせてその発言男性は調子に乗りすぎているように思いましわ。

その場が一瞬静まりました。

 

そんな地区懇談会だから・・・・。まとめるにもまとめられないわ~

定刻45分前に会議は終了

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雨降り休養日

2025-06-14 18:46:11 | 勉強

今日は昼過ぎから雨振りとなり、らっきょ漬をしましたわ~

 

前回のらっきょは先月でした。あまりの自作品が美味すぎてヤバイ おつまみにぴったりでしたから、再度挑戦。皮をむいて水で洗っての作業。美味しく美味しくなあれ

ついでに、新生姜の甘酢漬けも作りました。これが毎晩の晩酌になるのだから、本当はやばいですよね。

2日後が食べごろですが、待てるかな~

 

雨降りの中、今日の運動で図書館へ行ったら、すぐに知り合いから電話が入り、やむなく館の外へ・・・

人の邪魔をするのは誰だ~

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女流詩人 江馬細香

2025-06-09 21:32:29 | 勉強

今日は土曜日の詩吟講座で学んだ女流詩人 江馬細香について調べてみましたわ~

江馬細香(えま さいこう)

天明(てんめい)7年(1787)、大垣藩医で蘭方医(らんぽうい)である江馬蘭斎(えまらんさい)の長女として生まれ、かわいがって育てられました。

細香は、小さいときから書や絵をかくこと好きで、どんどん才能を伸ばしていきました。
 13歳のとき、細香は、京都の玉潾和尚(ぎょくりんおしょう)に墨竹画(ぼくちくが)を学びました。
細香は、めきめきとウデを上げていき、細香が描いた絵をほしがる人もあらわれ、才能をみとめられるようになりました。
18歳のとき、父蘭斎の妹の次男・温井元弘(ぬくいげんこう)と結婚(けっこん)の話がありましたが、妹が元弘のことを好きだと知っていた細香は、結婚をことわりました。

そして、細香が27歳のとき、人生に大きな影響(えいきょう)を与える男、頼山陽(らいさんよう)がやってきました。
この日、細香は、山陽から書の指導(しどう)を受け、細香にとって忘れられない時間となりました。
 その後、細香は山陽の門人となり、詩文や書を学びました。それから2人はおたがいのことを好きになっていきました。
 次の年に、山陽から結婚の申し出がありましたが、おたがいに好きだということを知らなかった蘭斎は結婚をことわってしまい、細香は、ひどく落ちこみました。
しばらくして、蘭斎はおたがいに好きだということを知り、山陽に結婚の話をしに行きましたが、すでに山陽は別の女性と結婚しており、細香の恋は終わりました。

細香が33歳のとき、山陽や梁川星巌(やながわせいがん)とともに、詩社「白鴎社(はくおうしゃ)」を結成(けっせい)しました。
細香46歳のときに、山陽の死を知らせる手紙がとどきました。先生であり、永遠の恋人に別れをつげるものでした。

その後、細香は書画に打ち込む日々を送りました。細香が62歳のとき、小原鉄心(おはらてっしん)らとともに、詩社「咬菜社」を結成し、リーダーとして活躍しました。
細香は、70歳のときに脳出血(のうしゅっけつ)をわずらい、75歳でこの世を去りました。細香は山陽と初めて会ったお勝山の景色を気に入り、自分が使っていた筆をお勝山にうめてもらいました。

女性として何とも悲しくもあり、逞しくもある人生を生きられたことに感動しました。

ずっと、頼山陽作を愛し続けたのですね

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