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昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

スローライフの一歩先

2006-08-23 21:34:28 | 農業
社団法人農山漁村文化協会で出している『現代農業増刊 山・川・海の「遊び仕事」』が面白い。古くからの集落の共同作業に
焦点を当て、「遊び」と「仕事」の区別が付かない活動、楽しい仕事、という側面をあぶりだしたものだ。書き手も巧みなのだろうが、読むだけでもワクワクする。テレビのバラエティでは、「ビンボーさん」と銘打った半自給的生活を楽しく営んでいるヒトを面白おかしく紹介しているが、これも元々は都市部に住むほんとうの「ビンボーさん」のヒサンな生活を紹介する番組だった。現在のように「スローライフ紹介番組」と化したのには、ネタ不足と、視聴率の実績が関係しているのだろう。
いずれにせよ、本書ではにわか「ビンボーさん」達よりもずっと魅力的な、地域と伝統に根ざした「スローライフ」が紹介されている。ここでの価値を計るモノサシは、金銭ではない。そのことがはっきり分かる。ヒトにとって「自然の恵み」と向き合う喜びはやはり格別なのだろうと思う。
何度も書いているが、私自身は、今後の農業のキーパーソンは団塊退職世代だと思う。彼らは「農を楽しむ」ことに飢えている。そして、従来の農家が苦手な経営・経理の経験を持ったヒトがいる。都会での経験を農業経営に還元し、彼ら自身は農業から元気と活力、いくばくかの収入を得る。そうして、自然と向き合う喜びと、経営とがうまく結びつけば、「会社的農業」をやる部門と、「自然体験・集落管理」をやる部門に分かれてもいい。好き好きでいい方にかかわればよい。食べ物に困らないのなら、少ない年金や貯蓄といった現金だって他のことに回せる。そうして、彼らが現在のお年寄りから地域の生活を学び、身に付け、十分に楽しみ、かつ働いたら、次の退職者世代にその地位を譲る。それでよいのではないか。
そう考えるにつけ、やはり「農地の所有権」が大きな問題なのだろうと思う。もっとも、経営的には赤字の農家もなんだかんだと言ってなかなか農地・農業を手放そうとはしない。その理由は、農業がやはりどこかの点では「楽しい」からなのではないか、とも感じる。(多くのヒトが指摘していることだが)
で、オマエはどうするのか?リタイアしたら帰農するのか?
うーん、ウチは、ムシ嫌いなおヨメさまの理解が得られそうにないです。ワタシ自身も濃密なコミュニティは苦手ですし。
とはいえ、定年後の生活の糧をどうするかは至極重要な問題。現在の家屋は心ならずもランニングコストが高いタイプ。
うまく工夫して、機器更新時にローコスト化できるといいのだが・・・。

日本農業のバッドエンド

2006-08-23 21:32:18 | 農業
縁起でもない。が、とりあえず考えておくことは必要。
現在、農業政策は来年度から始まる「品目横断的経営所得安定対策」と、農地及び農用地施設等の多面的機能(耕作・水利等の機能のほか、洪水調節、景観形成、生物生息環境提供等の機能を含む)の維持のために非農家も含めた維持管理活動を行う団体へ助成する「農地・水・環境保全向上対策(仮称)」に向けて動いている。そしてこの2つの施策は「車の両輪」に例えられている。
極めて大雑把にいうと、前者は助成対象を大規模経営農家(又は集落営農組織)に絞り込むことで、「効率化」を推し進めるもので、後者は、農家の減少・高齢化に伴い、水路の清掃ややあぜ道の補修といった農地・農業用施設の維持管理ががままならなくなってきたことに対する対策である。
そして、後者はさらに、「田んぼの生き物調査」といった「農地のもつ生態系維持機能・学習機能」に着目した試みの成功を受けて、農地の農業以外の機能に関心を持つ人々を取り込んで、人手不足を補おうとするものである。
(その方法は、生き物調査のような機能維持管理以外の活動にも助成することによる。また、こういった活動に参加する人の多くが、「農地・農村」に高い価値を見出してくれており、その維持管理活動への参加にも理解が得られるだろうといった期待がある)
何が言いたいのか。すなわち、「品目横断的経営所得安定対策」は、原則、農業者に離農を促す施策である。他方、「農地・水・環境保全向上対策(仮称)」は、非農家を営農に参加させようとする施策である。両者は、ヒトの流れが逆だ。これは本当に両輪なのか。
たとえば、「品目」が、農業経営体を大規模農家に絞り込む。勿論、独自の販路を持ち、高付加価値農業経営を行っているような農家は、小規模でも存続するだろうが、そのことは措く。ところで、数少ない大規模経営農家が利用する農業用水路やあぜ道は、これまで、いわゆる「農村」の共同作業として、伝統的にボランティアで整備されていた。農家が少なくなれば人手は減るので、いままで通りの維持管理ができるかどうかは分からない。(離農した元農家の人手を期待する向きもあろうが、自己の利益にならないことを「慣習だから」と無理強いさせるというシナリオは続かないと感じる)
そこで、「農地・水・環境」によって誕生した活動団体が、足りなくなった人手を補う・・・となるのだろうが、この団体は、非農家の参加も前提にしているとは言え、その主体はやはり「減らされた後の農家」である。核となる部分の人は減らし、その周辺の、直接利害関係のない人を増やして維持管理してもらうというのは、虫がよいのではないか?しかもそれらの増やされた人は、言ってみればレクリエーション活動に関心があるのであって、農業そのものには関心がない層だと思われる。いつか、「ていのよいただ働きをさせられている」と思うようにならないだろうか?
私の考えるバッドエンドの一つがここにある。すなわち、施設整備が追いつかなくなり、生産機能が低下する。あるいは、施設の維持管理にかかるコストが増大し、大規模農家の経営を圧迫する。結果、従来型のボランティア頼みのインフラ維持管理を前提とした農業は立ち行かなくなる。
もう一つは、自給率だ。現在、中国からの農産物輸入が多い。しかし、今後は、中国でも国内向けの需要が増し、輸出に回される分は減るだろうと予想される。そうなれば、日本国内の農業に光が当たるのか?
個人的には厳しいと思う。まず、農業者数を絞ってしまえば、生産量を急増させることも難しくなるだろう。加えて、上記の維持管理の問題がある。生産量を拡大するにはそれなりの施設が必要であり、それなりの従事者が必要だが、農業はだれでもすぐに始められるようなものでもない。
つまり、今回の政策転換で、安定的な農業経営体が育ちきる前に、食糧危機が起きたらどうなるか。農業は破壊されないかもしれないが、国民生活そのものがダメになる。これがもう一つのバッドエンド。
まあ、そうなったら、政策も何もかなぐり捨てて、農地開墾、食糧増産にいそしむしかないのだろうけれど。


そのためには、むしろ、「農地・水~」のような集落管理型のインフラシステムではなく、たとえば、国内需要が高まった時に、新規に企業等が農業に参入し、そのためのインフラをすぐ利用できるようなシステムが必要なのではないか。もしくは、インフラの維持管理機能は、「集落のボランティア」で賄うのではなく、NPOのようなある種の対価を得られる団体が担うほうがよいのではないか。
「そういう団体として土地改良区があるではないか」と言われるかもしれないが、これは、旧来の農業者・農村という社会システムに余りにも縛られ過ぎている様に思う。そこから脱却できるのであれば、母体は土地改良区でもいいが、果たしてどうか。
いずれにせよ、そのようにして、維持管理システムも市場経済化するしかない。そして、そのコストを払えるだけの経営体が農業をやっていく。そして、維持管理コストが高止まりにならないように、あるいは生産コストそのものが高止まりにならないようにするために、
定年帰農者を安い労働力として使う。そのかわり、彼らには「金に換えられない喜び」が与えられる。
もちろん、会社勤めの経験を活かして本格的に経営管理に参加してもよい。そういう人ももちろん、農作業には従事する。
というわけで、結局は「世襲的な農業の解体」こそが鍵だ。そのためには、農地という財産の世襲(相続)を何とかすることだ。

乗り遅れたが靖国

2006-08-23 21:27:41 | ものおもい
わたくし、恥ずかしながら靖国神社の独自な歴史観というのを知りませんでした。
それを知った上で首相の参拝をどう思うかといえば、当該歴史観への賛同を示すと受け取られる行為にほかならず、であれば反対です。
(この点で、靖国参拝中止を求める諸外国に対する「ヒトをわりあい簡単に神として祀る日本の宗教習慣云々」という批判は当たらないと思う)
政教分離については、抵触すると思っています。
ただ、諸外国の要求はあまり根拠があると思えません。(国内向けパフォ&駆け引きでしょう)
それで、私的結論としては、首相たる人物には「内面の良識に従い、靖国への参拝などというパフォーマンスをしない」という選択をして頂きたいと思います。
******
ところで、あと30年くらいすれば、先の戦争の生々しい体験を記憶として持つ、であるが故に往時の戦争が「単なる外国に対する悪さでまったく無意味だった」とは思いたくない、つまりは靖国歴史観で癒されることを望む世代は、多くが鬼籍に入ることでしょう(去年そうなった父は昭和16年生まれの戦中派で、そんな彼でも幼少の空襲体験は記憶として持っていた)から、そうなれば、パフォーマンスで靖国へ参拝(遺族会の票狙い)する必要はなくなるのだろうと思います。ときの為政者が「それでも参拝する!」というなら、それはもう歴史修正主義者呼ばわりしてもよいかと。そうなってしまえば、歴史教育で反日感情を後の世代まで再生産しつづける諸外国と差がなくなって、なんつーか、「目○○鼻○○」というか。

幼児がシュレッダーで指を切断する事故

2006-08-23 21:26:05 | ものおもい

連続になりますが、今回も「酔うぞの遠めがね」から。

シュレッダーで幼児が指を切断

なんとも痛ましい。
ところで、一件目の事故のほう。シュレッダーの製造元は我が地元企業である。
「メーカーがみずから売る」ことによるコスト・ベネフィットと、消費者ニーズに細かく合わせたアイデアとで、低価格志向の消費者向けに業績を伸ばしてきた会社だ。
そういう会社の商品でこういう事故が起きるのは、正直かなり致命的ではないか、と思う。
他のソースを見ていないので、世間の反応はまったくわからないが、この事故は、当該メーカーのアドバンテージをまるごとつぶすような話だと、個人的には思える。
切断といっても、9本では要するにほぼ壊滅である。しかも、シュレッダーの構造上、切れた指を修復することは不可能と思われる。悲惨としかいいようがない。
うちではペットを飼っていて、飼い主不在の時は絶対安全が確保された部屋(カゴ)の中に入れているが、たまにそこから出して遊ばせる時は細心の注意を払う。電化製品はもちろん、洗剤なども危険だし、遊ばせている間は基本的に調理は行わない。
子育てとは事情が異なるだろうが、もう少しなんとかならなかったのか。

生活者として思う(前の記事の続き)。

2006-08-23 00:08:06 | ものおもい
ところで、「酔うぞの遠めがね」で、日本経団連会長による「偽装請負問題」に関するコメントが批評されていた。
(アドレスはここ)
コメント欄にあるように、企業の考えは、

  人事管理したくない
  人件費は抑えたい
  教育訓練はしたくない
  仕事内容は丸投げ出来ない
  丸投げ出来ない請負になんとか丸投げしたい。

ということなのだろう。
つまり、いまの日本では、人件費は、「なるだけ切り詰めるべきコスト」であり、要は不良債権のようなものでしかない。
だから、公務員も総人件費削減が叫ばれる。ヒトを減らす。あるいは給料の額を減らす。(「あるいは」ではなく「かつ」が正しいか)
ところで、「酔うぞの遠めがね」の後の記事でも触れられているが、フォードは自動車の量産に当たり、社員に高報酬を与え、自社製品の顧客とする戦略を取ったという。
日本は人口減少局面に入った。ということは、モノが売れる為には個人の購買力が増さなければならない。しかし、「人件費がコストでしかなく、ゼロに近づけたい」とすれば、労働者=消費者=顧客の購買力が上がるはずがない。いまの企業は、誰にモノを売ろうとしているのか?(デイトレーダーだけにモノを売って済むはずもなかろう)
いい加減、日本は累進課税の強化と法人税の強化に踏み切るべきだろう。そして、雇用待遇を改善した企業は税制上優遇する。でなければ、カネは回らない。それで、本当にいいのか?いまの日本では、誰が幸せなのだ?