昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

巷の反応

2016-03-27 21:42:24 | Weblog
2chでまだスレが伸びていてみんな語っているが、たまに強烈なアンチの人いるのね。自分には全く理解できないけど。
自分が初めて小山田作品に接したのは小1の冬だったしな。あの絵柄も完全に刷り込みで嫌いになれない。むしろ後期の手練てきた絵の方が苦手。

あと、「小山田いく読者というのを公表するのはカミングアウトみたいなもの」っていう意見もあったけどそうなのか?自分世代はむしろ読者が見つからなかったくらいなので、この意見も全くわからない。

小諸のふれあいバスも3月一杯で廃止とか。あの写真、撮っておいてよかった。というか偶然駅に着いた時間に停車していなかったら撮れなかった。

あー、なんか、こんなことしてる場合じゃないのに、過去に耽溺したくて出来ない自分と格闘してばかりだ。

語りあうこと

2016-03-26 22:42:39 | Weblog
小山田いく作品は、少年時代の親友を連れて来てくれた。
私が小学校で「すくらっぷ・ブック」を読んでいると、彼は声をかけてきた。
彼は「星のローカス」派だっが。
以後、大学生くらいまで、彼は最も親しい友人だった。

今は、彼と疎遠になっている。というか全ての友人と疎遠なのだが。
従って,小山田先生の訃報について語り合える人がいない。

2ちゃんねるのスレッドが思いのほか伸びている。みんな、印象的な台詞や場面をよく覚えている。
それを読みふける。そして切なくなる。

時は日々失われてゆく。現在は過去となりそして消える。
結局は、「今を生きている」ということを不断に繰り返すしかないのだ。
クリシュナムルティが結局は正しいのだ。

青春のお手本

2016-03-26 08:54:33 | Weblog
私にとっての青春のお手本は「すくらっぷ・ブック」と「まんが道」だ。


私が「すくらっぷ・ブック」を読んでいたのは小学生時代。
中学生になるとあんな感じの生活が待っているのかと思っていた。
しかし、もちろん、そんなことはなかった。
身体がでかいので一目置かれてはいたが、自分はどちらかというと内向性グループに属し、リア充連中とは一線を画していた。
いじめられたこともあるし、喧嘩もしたことがある。
小学生のころから漠然と思っていた「いつか自分を蛇蝎のごとく嫌う女子が現れるだろう」という予感が現実化したのもこの時。
どちらかというと、中学時代は暗黒時代。
高校も似たようなもの。男子校だから女子との交流なんてなし。自分はアイドルオタだった。

「すくらっぷ-」な感じに近かったのは、大学時代後半。色々なことがあり、楽しかった。
今では年賀状のやりとりぐらいで疎遠と言っていいが、同期7人は皆よい仲間だったと今も思う。
あの頃、研究室に入り浸り勉強をしていた時間は「まんが道」で漫画家諸氏がトキワ荘に集うイメージに近い。
恋愛の入り口みたいなものもこの時期だった(自分世代にしては遅い。しかしリア充でなかったのだから仕方ない)。
飲酒や喫煙なども絡み、実に芦ノ原中学生の青春描写に近い生活だった。

就職した後に連載が始まったのが「むじな注意報!」。「すくらっぷ-」の面々が大人になった時代の物語。
自分も「青春」から抜けていった日々。
そして何十年がすぎ、つい3年前、小諸聖地巡礼をようやく果たしたばかり。
その2年前には「まんが道」の聖地巡礼で富山県高岡市を訪れている。

いま、この卒業の時期に、小山田先生が逝ってしまった。
「ここからは、君たちの手で!」が、永遠のものとなった。

青春があり、仕事に行き、結婚して、仕事に疲れ果て今に至る。
今の自分の魂は、また「すくらっぷ・ブック」の頃に戻っている。
悲しむにも体力が必要なのだ。悲嘆するには自分は疲れすぎている。脱ぎ捨てられたボロ衣のような自分がここに居る。

うわああああっ

2016-03-25 22:17:01 | Weblog


漫画家・小山田いくさん亡くなる 代表作に出身地・長野県小諸市を舞台にした「すくらっぷ・ブック」など
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160325-00000077-it_nlab-ent

これはアカン。
私の「ものごころ」と共にあった「すくらっぷ・ブック」の作者が亡くなるなんて。
しかも死因不明ってなんだよ。
ヤフートップに出てるだけマシってか。
そんなのねえよ。
小諸再訪前に亡くなってしまうなんて嘘だろ。

俺はこれからどうしたらいいんだよ。

(追記)
読売に詳報があった。以下引用。

「すくらっぷ・ブック」漫画家小山田いく氏死去
2016年03月25日 19時12分
 小山田いく氏 59歳(おやまだ・いく、本名・田上勝久=たがみ・かつひさ=漫画家) 23日、長野県小諸市の自宅で亡くなっているのが見つかった。関係者によると病死とみられる。
 同市を舞台に1980年代前半に連載された青春漫画「すくらっぷ・ブック」ほか、「ぶるうピーター」などで知られた。弟は漫画家のたがみよしひささん。


 亡くなっているのが見つかった?病死?何で?何で?何で?

陳麻家 仙台西口店

2016-03-08 23:23:22 | Weblog
担々麺探訪記の箸休め。

表題の店、かつては仙台駅にほど近いイービーンズの裏手にあり、レトロな雰囲気の店構えをしていた。
ここで、一度だけ妻と担々麺を食べたことがある。

ふだんは麺類を好まない妻が、この日は担々麺を食べた。
何故か。
他に、メニューがなかったのだ。

なぜ、単品メニューだったのか。
それは、食べた時期に原因がある。

ここで食べたのは、2011年4月頃。
そう、東日本大震災発生からまだ1月程度の頃だ。
多くの商店は閉まっており、有志や大手チェーン店のみが限定的に食糧や日用品を売っている状態。

辛うじて二人同じタイミングでOFFになった我らは、主に食糧確保のため仙台駅前方面をうろうろすることにした。
ホテルモントレ仙台の前では、炊き出しを行っていた。我々も暖かいスープをごちそうになった。
その他、辛うじて入荷があり開いているコンビニや、路上の野菜売り等から買える物を購入。
そのとき、たまたま裏路地に入ったところで、この旧陳麻家が限定オープンしていたのだ。

外と同じく寒い店内で、妻は苦手な、私は大好きな辛い中華麺をすする。
それは、今、担々麺を探訪しているのとは明らかに違う、他に選択肢のない食事の中での一品。
汗ばむほど暖かくなり、我々は重い脚をひきずりながら帰路についた。
数少ないタクシーを止めて、家まで運んでもらった。

もうすぐ3月11日。しかもあのときと同じ金曜日。もうあんな思いはしたくない。この日は休んで遊びに行く予定。
そのついでに、移転後の陳麻家で担々麺を食べてみるのもいいかもしれない。

戦いは続く。担々麺探訪も続く。

2016-03-06 23:27:17 | Weblog
週末。遊びに行きたかったが、木曜日の発熱後に出て来た喉の痛みが咳の方向に進化した。
胃痛も地味に続いている。土曜日はそこそこ早起きしペットの世話をして、クリーニングを出し、かかりつけ医を受診。
胃痛のことは言えたが発熱のことをいいそびれた。あまり酷い症状ではなかったからまあいいかと思ったが、日曜になると症状が悪化する。

この手の体調の悪さは時間がかかるもので、月曜日の突発休暇を視野に入れて金曜日は仕事をしていた。
できれば土日で体調を戻して、月曜日は遊んでいたかったが、どうもそうはなっていない。

土曜午後は録りためていたTV番組を消化し、ペットを寝せ、ホテルの中華料理店の担々麺を食す。ホテルモントレ仙台17階「彩雲」。
アラカルトで担々麺、五目焼きそばに、サラダと春巻き、エビ餃子、フカヒレ餃子をつける。ちなみにこれで5000円しない。
点心3種はどれも美味かった。特にえび餃子は風味よし。
そしてメインの担々麺。辛さ普通としたが、これは痺れるような花椒が素晴らしい。要するに辛い。
辛い物好きの自分が汗を噴き出すレベル。まあもともと汗かきだし体調も悪いんだけど。
大衆店である桃源花より上品にまとまった味ながら、バランスの良い胡麻の濃さ、酸味は黒酢でお好み調節な点も良い。
ボリュームもかなりある。満足出来る一品だった。

次はチャーハンを食べてみたい。ここのアラカルトはなかなかにおすすめ。

さて、明日は十中八九休みになりそう。今日は頭痛と咳がひどく、昼近くに起きてペットの世話をして、お昼をたべてクリーニングを取ってきたらあとはまた寝てしまった。夜のペットの世話も妻に任せきり。

体調ははっきり言って悪い。出勤出来ないほどじゃないけど悪い。どうなるものか?

敵は次々と現れる。

2016-03-05 00:05:58 | Weblog
胃痛がどうしようもなくて、ようやく木曜日に少し休みを取り専門医を受診した。
大病ではなく、胃酸過多と十二指腸潰瘍のなりかけだろうと薬を処方された。
処方箋を持って近くの薬局に行くのすら辛い。
そこから、皮膚科に移動し、感染症っぽいとの診断。血液検査と塗り薬を貰う。
その日は結果、いつもより1時間ほど早くやることを終え帰路についた。
タクシーで帰ったが、道が混んでおり予想外に時間がかかった。
とりあえず帰宅できたので、胃薬を飲み、休んでいた。
眠りたかったのだが、眠れない。ただひたすら調子が悪かった。
胃の方はだんだんと痛みがうすれ吐き気のみになってきたが、どうも様子がおかしい。
熱を測ると38度以上もある。
この日はペットの世話を妻に任せて、氷嚢で頭を冷やして寝ていた。

翌日は役割があるので休めない。でも、熱が下がらないようならインフルエンザを疑う必要が出て来る。
そんなことを思いながら眠りにつく。途中、午前2時頃目が醒める。
朝5時に起床。熱を測ると36度8分ほどに下がっていた。シャワーを浴び、ペットを起こし出勤。
与えられたミッションをこなす。

皮膚炎のほうは、最初の発症部位から移動。そして喉が痛くなってきた。
これでは、また週末楽しんで遊びに行ったりできないじゃないか。
さてどうするか、諦めて寝ているか、賭けで旅行するか。
ああ喉が痛い。